付けていた狐面を外して顔を露わにし、外の空気を気持ちよさそうに吸い込む叔父さん。
しかし、そんな彼の外した面を持っている右手を見て、私は心臓がぎゅっと縮む。
あまりにも、手の状態が痛々しかったから。
「叔父さん! その火傷……!」
「おお、まあなんや、スケベ男の罰当たりってやつや」
先ほどまでのかしこまった敬語から、いつもの関西弁に戻った彼は、普段通りの雰囲気であっさりと言いのける。
まるで痛みを感じていないあっけらかんとした態度に、こっちの方が心配になってくる。
「けど、みなと君がおらんかったら、火傷では済まんかったやろうしな」
「みなと……? まさか叔父さん、みなとに……」
「一杯食らわされたわ。あの少年、ずいぶんええ肝してるやん。鎮静術と神秘術、どっちも異常なぐらいの適正ありやな、教え甲斐があるわ」
「……その、弟がご迷惑をおかけしました……」
嫌な汗が上ってきて、顔が熱くなる。面と向かうのが申し訳なくて、頭を下げて謝る。
恥ずかしい。弟の失態をもろに受けた人が、よりにもよって叔父さんだなんて。
「ええんや、実際傷の進行が遅いのは、みなと君のおかげやしな」
下げた頭を撫でられた。
ごつごつとした男の人の手。
なのに触り方は優しく繊細で、髪や肌を傷めない真心のある手つきだ。
「しかしまあ、そっちもボロボロやな。白式の常時解放に、何年使ったんや?」
「……五年」
「また思いっきりやりおって、俺より早く死ぬんちゃうんか?」
「そうかもね」
限定特効を常時発動状態にするために、私は寿命を使う。
普通なら、怪異相手に触れた瞬間などといった、一秒しか発動できない白式を長時間使うため、時間の前借りをするのだ。
私が前借りするために捧げるものは、自身の寿命である。白式とはいいながら、その本質は寿命を使う黒式と似たようなもの。
というより、それこそ「白式」の本来の姿であるという方が正しい。
元々、黒式しか化け物への対抗手段がなかった時代から、様々な知恵を絞り出して無駄をそぎ落とし、生み出した業が白式なのだから。
「悲しいからやめとくれよ? 姪っ子の方が先に逝くなんて、考えとうもない」
「叔父さんだって」
「俺はいいんや、もとから死ぬ日が決まっとる」
「でも、その右手の火傷みたいなひどい怪我をしたら、ずっと残るんでしょ? 私だって、ボロボロになった叔父さん、見たくない」
「うーん、じゃあ指切りげんまんでもするか? 結奈ちゃんは寿命を削るのをやめて、俺は隠居する、みたいな」
そんなこと。
できるわけないということは、私だけでなく、言っている彼自身もわかりきっている。
はにかむようにくしゃりと笑った叔父さんは、しゃがみ込んで私と視線を合わせながら、包帯を取り出した。
「まっ、そんな夢のような願いが、いつか結べる日が来たらええな」
私の折れた左手首にくるくると白い包帯を巻き付けたあと、ジャケットから筆ペンを取り出した。
器用に手先を動かして、達筆な黒い結界陣を包帯の上に書いていく。
「結奈ちゃんの治癒力を上げる応急処置やから、無理したらあかんで。ローゼラキス様の言ったとおり、傷は自分の治癒力で治さんとあかんからな。耳が痛いもんやわ」
「……理想論ばっかりだった」
「ん? なにがや」
「あの吸血鬼、霞さんの言うことは。たしかに彼女の言っていることは正しい。でも正しいだけの願いなんて、あんなの、あの人の持つ価値観を押しつけているだけよ」
「……せやなあ」
「骨折だって、人間だったら治すのに数ヶ月はかかる。なのにあの人は、まるで猛進するように信じて貫き通せば叶うみたいな、そんな夢見がちな言い草ばっかり。根性論だわ、あんなの」
「そうかもなあ」
「叔父さんだって、傷を負うとほぼ治らない体質なのに、事情も知らない人からそんなこと言われたらむかつくでしょ?」
「どうやろなぁ」
さっきから、叔父さんは生返事ばかりだ。
筆ペンでまじないのかかった陣を描くのに集中しているというのもあるのだろうけれど、ずいぶん素っ気なくないか?
「ねえ、叔父さん」
「なんや」
「霞さんは、昔からあんな感じなの? 『ヴァンプ・ト・テロス』には叔父さんも、参加してたのよね?」
「いやぁ、実はローゼラキスを相手にしていたのは姉ちゃんだけやねん、俺はあの方の顔すら見ていなかった」
「巴さんだけが、たったひとりで? 補給も援護もなしに?」
「方舟にはあの大戦の資料は残ってないんか、って聞こうとしたけど。そうやった、庭園で保管しているんやったわ」
「そう。だからシオリや虹羽先輩みたいな、経験した人づてでしか聞いていないから、詳細までは知らないの」
「なるほどな」
筆ペンで結界陣を書き終えた叔父さんは、手のひらを包帯の上にかざす。
重なった彼の手が、ほんのりと薄白く光り、真剣な声色で詠唱した。
「恐み恐みも白す」
叔父さんの詠唱、もとい祈りの言葉により、私に巻かれた包帯の文字が、ぬるりとうごめいて小さな陣がさらに収縮していく。
灰蝋空木の持つ神秘術の応用技、「言霊ノ詩」だ。
自分の祈りを唱えて、筆で書いた「文字」と唱えた「声」を実態のないものを掴むことができる神秘術で把握し、意味が籠もった「言霊」へと変換。
そのまま、現実のものへと具象化させる。
今回は、包帯の上に治癒の経文を書きしるし、「穢れをお祓いください」と祈りを捧げたことで、戦闘中にたまってしまった毒素の分解と、治癒活性のまじないがかけられた。
これで、私の腕は一週間程度で治ってしまうだろう。
「ありがとう、叔父さん」
「ええで。そんであの大戦の話やな。実はあれ、頂上決戦である『巴VSローゼラキス』のカードが終わるまでの、消耗戦やったねん」
「どういうこと?」
「半年間、あの二人の決着が付くまで俺たちは吸血鬼の進行を食い止める、そういう戦争やった。人間陣営で最強の先鋒カードである『灰蝋巴』を、あちらさんの先鋒である『ローゼラキス』とぶつける。そんで、その決着が付いた瞬間に、吸血鬼の王様である『ヴァンデグリア』が降伏したわけさ」
「王は、娘の戦闘をずっと見ていた、ってこと?」
「そういうことやな。実際、ローゼラキスってマジでジャンヌダルクっぽいていうか、なんやろな、あれは多分ワルキューレに近いんやろか。まぁ多分、ヴァンデグリア王は分かりきっていたんやと思うで。自分ら吸血鬼が負けるってことを」
「それなのに、半年間も戦争は続いたってこと?」
「逆や逆、半年間しか続けられなかったんや。本来なら吸血鬼の戦力的に、十年や二十年は続けられるはずやった。けど戦地の指導者であるローゼラキスがタイマンを張られたせいで、統率が乱れてな。勝ち筋が薄いと悟った老齢の吸血鬼はさっさと逃げたし、新参のニュービーヴァンプ達は、ばったばった専門家にやられるし、めっちゃ早く終わったもんやで」
「……巴さんは、どうしてずっと戦い続けられたの?」
「結奈ちゃんがやっているようなやつと一緒、時間の先借りや。そのせいで長期間眠る羽目になったしな。実の姉ながら、ようやったと思うで」
腕を組んでうんうんと頷き、自慢の姉を持ったことに少し誇らしげな叔父さん。
そうだ、今なら私が巴さんに聞いても答えてくれなかったことを、聞けるかもしれない。
「……ローゼラキスと戦ったことを、巴さんは全く話してくれなかった。それは多分、見逃したことを隠すためでもあったんだろうけれど、叔父さんは何か聞いていない? 相手にした彼女が、どんなやつだったかみたいな、武勇伝でもいいの」
「うーん、まあ結奈ちゃんがさっき言ってた『理想論がまぶしくて焦げ臭いやつ』っていうのは、姉ちゃん自身から何回か聞いたことあるな」
やっぱりか。
昔から、そういうプライドを持っている吸血鬼なのだ、彼女は。
巴さんの独特な例え方はちょっと、よく分からないが。
「けど俺は、そういうのすげぇ良いと思ってるで」
「……は?」
見当もしていなかった方角からの感想で、信じられなくてつい素っ頓狂な声をあげてしまった。
「冗談ちゃうで、本気で言ってる。俺らの時代ではありえんかったしな、人間と怪異の共存なんて価値観は。『見つけたら殺すべし、何かあってからでは遅い』とな、悲しい話や。けどあのローゼラキス様は、そういう甘っちょろい理想を抱いて、今もそれを忘れずに行動し続けるなんて、たいしたもんやと賞賛すら送りたいわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ叔父さん……あの吸血鬼を肯定するの?」
「全肯定、とは言わんけどな。理想論を語るやつには力が必要や。軟弱で陳腐なやつに、夢を語る資格はない。そういう意味では、あの王女様っていうのは自分の力量をちゃんと見極めた上で、自分が理想論を語るべきやと信じ込んでいるんとちゃうんか? それが、自分の背中に続く奴らへ送れる最高の敬意やと、思ってるんかもしれん」
「でも、でもそれはっ!」
あまりにも身勝手で、傲慢な思想ではないか?
「ああ、生まれが吸血鬼の王家で特別な血筋やから、というのもあるかもしれん。所詮凡人の考えなんてノーライフキング、絶対王者には理解しきれへんのかもしらん」
包帯の上にかざしていた手から光が消えて、言霊ノ詩をかけ終わる。
応急処置を終えて、叔父さんはへたり込む私の隣であぐらをかいた。私のことをなだめるような優しい顔つきでのぞき込んできて、面食らう。彼は仕切り直すように続けた。
「けどな、俺たちはみんながみんな同じってわけやない。生まれた時点で性別も種族も才能も適正も決まってる。だから、自分に見合う行いを全うするしかあらへんのや。しゃらくさいことを言ってるように見えて、あの方は立派やとは思う。俺たちが未だに叶えられていない『共存』の世界を、ずっと見据えているんやからな」
ゆっくりとため息をついて、夜空で静かに輝く星を見上げながら、叔父さんは目を細めた。
きらめく星を、慈しむように。
「俺らみたいな日陰者には、ちとまぶしすぎるわな。あのお方も、みなと君も」
「……みなとも?」
「せや。結奈ちゃんに姉ちゃんとみなと君。三人が一緒に暮らすっていう話は聞いてたけど、俺はみなと君と会うつもりはなかった。変な情がわいたら、やりづらくなりそうやし。けど実際に話してみたらば、『こいつすげえな』ってなったし、似ているなあって思ったわ」
「似ているって、誰に?」
「咲七姉、結奈ちゃんのお母さんにな」
「みなとが?」
「みなと君と、ローゼラキス様がな」
空木叔父さんの言葉を読解するのに数秒のラグが生まれた。
みなとが、私のママに似ているというのは、なんとなく分かる。
欠けてしまった穴を埋めてくれる存在にみなとがなってくれたのは、彼自身がその穴に丁度収まるような人間性をしていたからなのだろう。
だが、ママと霞さんが、似ている?
「思ったんやけど、結奈ちゃんが怪異相手にそこまで気が向いてるの、珍しいんやないか? いつも淡々と、感情をなくして殺るやろ?」
「……それは」
昔の私はそうだった。
みなとが半神半人となる前までの、「銀の殺し屋」として日の目を浴びることのない生活を送っていたころは、怪異を躊躇なく殺すのが当たり前だった。
「まぶしすぎて、危なっかしくて、目を背けたくなる。だけどいつの間にか心配の方が勝って、力を貸してあげたくなる。あの三人は、そういう人柄をしてるとは思わん?」
「…………たしかに」
実際、彼らのような性格と精神性を私は憎めない。
ママは親だから当然として、みなともそう。そして、霞さんも。
まぶしすぎて、純情すぎて、理想にばかり目が移る在り方に嫉妬を覚えて、馬鹿らしく思ってしまうが、それも一瞬。
いつの間にか、言っていることが正しいように思えて、勘違いしてしまって、ほだされてしまう。
もしかするとそれは、彼らの行いが「一辺倒の完全な正義」ではなく。
正しくあろうとする、「清くて善き心」に基づいているからなのかもしれない。
「ヒーローであり、英雄であり、主人公なんやろな。ははっ! まさにハーレムものにぴったりの人材や、王の器ってやつか!」
豪快に笑い飛ばした声が、星空に吸い込まれた。
春の涼しい夜風が、森全体の木々を揺らし、心地よい葉擦れの音が流れていく。
「俺や結奈ちゃんや、巴姉みたいな、力しかない人間っていうのはさ、善き王の下で働けたらそれで十分や。上の喜びが俺らに向けられることは少ないが、いつか達成する偉業を見届けることができたとき、最高に嬉しくなる」
「……叔父さんは、そんな風に自分の天命を捧げられるような人がいるの?」
「内緒や」
にかっと快活に笑って、ごまかされた。きっと話すつもりはないのだろう。
だが、悶々と悩んで、どうにも落とし込めなかった霞さんの価値観が、叔父さんのおかげで少しだけ取り込めた気がする。
霞さんだけでなく、みなとのような「王の器」とも言えるような考えや思想は、まぶしすぎて、遠すぎて、果てしない。
夢見がちな理想を語り、大義を掲げて、背中に抱えきれないような重い期待を背おう。
だから、憧れてしまうし、寄り添いたくなる。
私がいるから、もう少しだけ楽をしてほしいと。
全部、自分で抱え込まないでと。
そういう感情を、実は私はみなとだけでなく、霞さんにも抱いていたのだろうか。
相反する光と影、表と裏、陽と陰。
私自身の理念と反する霞さんの考えを、受け入れたくないと反発していたのも、納得はしてしまえる。
だが、血のつながりがあるわけでもない吸血鬼から、母親のような説教をされたから、怒りの方が勝ってしまったのだろう。
ある意味それは、霞さんが甘やかしてくれたから、私も彼女の好意に甘えすぎていたのかもしれない。
だから、親と子のように衝突した。
まるで遅すぎる反抗期じゃないか。しっかりと反省して、いつか面と向かって謝れたらいいのだが。
素直に謝れるだろうか……。
「よっしゃ、とりあえず応急処置も終わったことやし、俺の本命の仕事をこなそうやないか」
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