非殺の水銀弾

過保護な義姉が神殺しだと知った日、僕は神様になりました
アオカラ
アオカラ

111 夜に終わりを

公開日時: 2021年9月6日(月) 21:00
更新日時: 2022年6月20日(月) 08:10
文字数:4,242

 霞さんは、哀れな子を想うような声色で、語りかけながら私のことを抱きしめる。

 冷徹な血が流れている吸血鬼だとは思えないほど、愛情深く、温かく、頭と背中を撫でてきた。

 みなとの寿命を、私の寿命で先延ばしにしていることを、心底悲しむように。

 

「……どうして、知っている……? 魅了術は、相手の話したいことが流れ込むだけで、そこまで私は言うつもりなんて……」


「『話せない』と、『話したくない』は違うのよ、結奈さん。あなたが話せないと思い込んでいても、心の底では吐き出したい本当の叫びはね、聞こえてくるの」


 背中を撫でてくる手には、心地よい暖かさが宿っていた。


「彼のことを好きなのはわかる。心の支えとなってくれた彼を愛しているのもわかる。でも、だからといってすべてを差し出してまで、あの子を生かそうとする義務なんて、あってはならないの」


「ひ、人のこと言えるの? 霞さんだって、戸牙子ちゃんのことを……」


「私がそうして、後悔したから言っているのよ」


 彼女は、視線を合わせてくる。

 紅い目の奥で、涙が反射してきらめいていた。


「重すぎた。重すぎるものを背負わせてしまった。私が戸牙子に、娘に与えたものは、多すぎたのよ」


「どういう、意味?」


「カルミーラの力、不死の呪縛、王の血筋、根源色の宝石。どれも一人にあげるには、重すぎた。そのせいで苦労させてしまったし、これからもきっとあの子は苦労する。今でこそ、楽しそうにしているけれど、あと一年がきっと最後の平穏。みなと君にずっと背負わせてしまう十字架を、あなたは作ってしまっていいの?」


「十字架、ですって? 私がみなとの命を繋ぐのは、罪だって言いたいんですか?」


「あなたが作った罪が、みなと君にとっての罰になってしまいかねないのよ。私は、確かに結奈さんほどみなと君のことは知らない。一緒に過ごしてきた年数も、彼に費やした時間も、あなたの方がよっぽど上。それでも、いや、そうであるからこそ、思うの。あなたの献身的で病的な想いが、彼の中でしっかりと消化されずに残り続けてしまうだろうって」


 一瞬、そうあってほしいと私は思ってしまった。

 いつまでも彼の記憶の中に居続けられる自分がいるのなら、むしろ今は自分のすべてを捧げて、彼を支えられたらと。


「消化されずに残る意味を、分かっていないわ、結奈さん。それはね、理解されないまま癌のように住み続けることなのよ。あなたの真意を、本当に願っていた幸福を、彼は理解できず、苦しみ続ける。『どうしてあんなことをしたのか、なんであの時こうしていなかったのか、なぜ僕は、姉さんを助けられなかったのか』と、彼は思い続ける」


 一生消化しきれない、闇雲のなかを彷徨う人生を歩んでしまうと。

 そんな経験があったかのように、そういった過去を悲しむように、彼女の声色は消え入りそうなほどか細くなっていて、涙で喉を詰まらせていた。


「嫌じゃない? 愛する弟に誤解されたまま、死んでしまうなんて。あなたが捧げた寿命の分、彼は生き続ける。でもいつか、先に死んでしまったあなたの代わりに、みなと君が世界を恨むようになったら――」

 

「そんなこと、しません。あの子が、そんな小さい悩み……」

 

「ええ、今のあの子にはない。けれどあなたが植え付けてしまったら?」

 

「……喧嘩売ってますか?」

 

「自分の芯が甘いから、いちいち簡単に揺らぐのよ。みなと君が見ている背中を思い出しなさい、あの子はずっと、あなたを見ている。姉の背中だけを、見据え続けている。いつかきっと、あなたの横に並べるような立派な男になろうとして。じゃあ、あなたが見本になることをしないで、どうするっていうの?」

 

「私は、見本にされるような人間じゃ……」

 

 ぱしんっ。

 平手打ちをされた。

 

「甘えるなっ!」

 

 敵の放った攻撃行動のはずなのに、私は避ける気がおきなかった。

 

「彼の保護者として居座り続けるつもりなら、その甘えた思考を締め直せ! 子供の見る世界も考えられないような大人が、保護者気取りで生きるな! あなたがそれを正さないのなら、みなと君は私の家で預かりますっ!」

 

「なにを……!」

 

「私が持ち出した取引は、誘拐だ! 不甲斐ない母親のもとにいる男の子を助け出したい、ただそれだけ!」

 

「嘘をつくな! 戸牙子ちゃんのため、なんてエゴのくせして!」

 

「あなたのもとに居るよりよっぽどましよ!」

 

 彼女は転がっていた黒刀を思いっきり踏みつけて、その反動で宙に浮かせた。

 二枚の翼が宙に舞う刀を掴んで構えた瞬間、赤々とした模様が黒翼に走った。

 浸食するような血の脈が、真っ黒な翼を畏怖に染め上げる。

 

 そんな彼女自身は、胸に空いた傷口に手を当てた。

 

 青い血が流れ続ける穴に指を突っ込んで、引っ張り抜く。

 傷口を青い血の結晶で塞ぎながら現れたのは――

 

 明け方の空のように深く、澄んだ青色の刃をもつ、長刀だった。

 巴叔母さんや、空木叔父さんの使う「灰朧」と同じぐらい、というよりほぼ同等で同形の大長刀。

 

 前方から見ているだけでは、刃渡りを錯覚してしまうほど朧気な厚みの刀身。

 極限までしなやかに伸びる弧は、三日月のように捉えがたい。

 

 しかし、たったひとつの違い。

 灰朧とは全く違うその姿。

 

 見えているのだ

 彼女の持つ長刀の刀身と柄は、私の肉眼がはっきりと、捉えている。

 灰朧はそれを許さない。本物の灰朧は、姿を見せることはできない。

 

 構える。

 彼女は姿勢を低くしながら足を組み替えて、長刀を水平に構えて剣尖をこちらに向ける。

 

『霞の構え』だ。

 

 


 

 水平に切りつけて目を狙うことで視界を奪い、視覚をくらませることから「霞の構え」と言われるが。

 実戦では防御行動としても優秀な霞の構えを、彼女はきっと攻め手に使うのではなく、翼で持つ黒刀を当てるためのブラフとして使うはず。

 

「戦いの中で、相手の技術を奪い取ったのか。叔母さんの灰朧を……」

 

「真似事を奪うと例えるのなら、ずいぶん器量が小さい」

 

「そうね、それは薄々どころか、重々承知しているつもり。私は視界が狭いし、経験も乏しいし、精神も未熟なんでしょう。だから、それを広げるために力を求めることが、そんなにいけない?」

 

「力を得れば自分が変われるなんて思っているから、あなたは未熟なのよ。変わった結果、己の体に付いてきてくれるのが『力』よ」

 

「そうか、力のあったものに力の無い立場のことは理解できないか」

 

「そんなんだから! みなと君は力を求めてしまったんでしょうが!」

 

「みなとは悪くない!」

 

「貴方の中に住まわせたいのは誰なのかハッキリしなさい! 飼い殺しにしたいのなら、結奈さんが自立できなくてどうする!?」

 

「あーもう、どこからどこまでも上から目線で苛立つ! 老人の時代を押しつけるなっ!」

 

 だらりと垂れている左手にシルヴァ・デリを無理矢理持たせて、排莢、二発装填。

 左腕にくっつく玉泉を盾のように顔前で構え、右手に.50 AE弾を二発握り込む。

 

 これで四発は撃てる。

 先に右手で握り込んでいる二発を消費しなければ、銃に込めた弾丸は使えないが、牽制には十分。

 狙いは、あの長刀。

 

 彼女が文字通り、心血から生み出した武器だ。それを破壊するだけでも、本体へのダメージは大きいはず。

 動けなくなったところを、無理矢理契約で結びつけて使役すれば。

 もしくは、あの青血の刀で私の心臓を貫けば。

 

 私は晴れて、化け物の仲間入りだ。

 

「魅了の技がなくとも、考えていることは丸わかりよ、結奈さん。そんなことはさせない」

 

「勝ってから言え」

 

「無論」

 

 お互いにじりじりと足を這わせながら、空いた間合いをゆっくり詰める。

 最後のチャンス、一度仕掛けた攻撃は通じない。

 

 彼女の思考の裏を取らなければ。

 どこの間合いで仕掛けるか、どの攻撃が本命で、決定打にするかを識ることができなければ、負ける。

 負けるわけにはいかない。

 

 みなとを盗られるわけには、いかないのだ。

 

 縦に凪ぐ剣閃、黒刀の衝撃波が空を走り、迫る。

 一発目、右手の弾丸の後方を親指ではじき、白式発動。

 第一波、間合いの中心で剣閃と弾丸がぶつかり合い、爆風が舞う。

 

 吹き上がる風を視界の盾にしながら、リーチを活かした青血刀の片手突きが、眼前に迫る。

 二発目、もう一度親指を撃鉄代わりにして、白式発動。発射された弾丸は刀身に直撃、突きの軌道を上に逸らす。

 同時に、左手にある銃を右手に投げて、持ち変えようとする。

 

 ルビーの両宝眼がきらめいた。宝眼がほぼ同時に、二発飛んでくる。

 見据えた狙いは左から右に移る間際の、宙に浮いたシルヴァ・デリ。

 

 左手に白式を纏わせて、手の甲で無防備な愛銃を守る。

 宝眼の一発目は止めたが、二発目は一発目に追従するよう放たれてしまい、撃鉄のように一発目の後ろを押した二発目が、私の手の甲を直接的な物理の衝撃で襲う。

 

 激痛で頭がおかしくなりそうだったところを、舌を噛みしごいて耐える。

 重心が右に傾き、体勢を崩しながらも、無事に右手へ収まったシルヴァ・デリを、相手の眉間に構える。

 

 黒翼が持つ黒刀の斜め切りが、頭から真っ二つへ一刀両断するように降りかかってくる。

 私は眉間を狙っていた銃口を、右手側の地面へと変更する。

 

 トリガーを引き、銃声が鳴り響き、衝撃で体幹を左へとずらして、黒刀の一閃を避けた。

 そのまま彼女の眼前へ肉薄するが、左側から青血刀のなぎ払いが襲いかかる。

 

 くんっ、と左腕が浮力で持ち上がり、玉泉が刃を止めた。

 ぎりりり、と左耳の鼓膜まで響く鍔迫り合い。

 

 脇をしめて、右手を構え直し、銃口をもう一度脳髄へ向ける。

 山査子霞の左手は、まだ空いていた

 

「がはっ!」

 

 私は首を、彼女の生身の左手で絞め殺すように、掴まれた。

 

 両翼の持つ黒刀は地面へ突き刺さった。

 宝眼は両方とも撃たせたから、再使用まで数秒の猶予はあった。

 青血刀は、彼女の右腕が振るっていた。

 

 すべて捌ききって、懐まで入り込めたと思っていた。

 だが、まだ左手が残っていた。

 あんな規格外の長刀を、こいつは片手で扱えることに気づいていなかったなんて。

 いや、最初は両手で握っていたから、そのまま来ると思っていたのが、大きな油断だった。

 

 途中で両手から、片手振りに持ち替えていたのだ。

 

「もうやめなさい!」

 

「銃を狙わなかったな!」

 

 彼女が人間程度の体をひねり潰すことなんて、造作も無いだろうに。

 首を掴んだ手に力も込めずに、シルヴァ・デリを持つ右手も狙わずに、降伏をせまるなんて。

 

 甘いんだよ、あんたは。笑ってしまうぐらい、「人間」にな。

 

 撃鉄を起こす。トリガーに手をかける。胸下から脳髄まで貫通する軌道で、撃ち込む。

 白銀の銃声が、明瞭の夜闇で鳴り響いた。

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