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「ねえミズチ、君ならあの神秘術になんて名前を付ける?」
「……なんじゃ、自分で名付ける意味を虹小僧に言われとったじゃろう。その使命を放棄するのか、お前さんは」
神妙な顔つきをしながら、阿保を見るような冷たい目つきで貫かれる。
自室のベッドに寝転がりながら思いついた妙案に対して、苦言を呈されたことに少しばかり反省。
僕の半身が名付けるなら、僕がしたのと一緒になるかと思ったが、どうやらダメらしい。
「ロゼさんがあのクレーマーに対応してた時、無意識で鎮静の神秘術を使っちゃったわけだけども、どうも精度がイマイチだったんだよね」
「名付けをしておらん弊害じゃな。イメージがあやふやになっておるんじゃよ」
「というか、詠唱をしなくていいのに、名付けをする意味ってあるの?」
「お前さん……この世の物に名前があることでどれだけわしらの会話が円滑に進んでいるのかを自覚しておらんのじゃな……。まあ言葉がある時代に生まれたものにそういう感覚は分からんか……」
やれやれと言わんばかりにため息をつきながら、ミズチは5×5×5のルービックキューブで遊んでいる。
しかも、一面が二十五マスもあるその六面立体パズルを、全ての面を揃えきったあと、くるくると回してまた崩している。
ちなみに、これは僕が買ってあげたものではない。彼女がいつの間にか持っていたものである。
「名付けって難しくない? 何を参考にするべきなのか、それとも分かりやすさが大事なのか。僕だけだとどうにも、『これだ』ってなるイメージが湧いてこないというか」
「ふうむ、難しいというのは仕方のないことじゃろう。自身で名を付けるということは、それすなわち命を与える行為と同義じゃからな」
「そこまで重いもの?」
「親は子供に名付けをするじゃろ? だから真剣に、己自身が責任をもってつけるのが、最低限の礼儀なんじゃよ」
技の命名が、子供を作るのと同義だと言われてもあまりピンとはこないのだが、しかしながらそこは僕の理解がまだ浅い、ということになるのだろう。
怪異にとって名前が重要であるとは知っているが、実際どの程度まで影響があるのだろう。
「名前自体に意味がこもるのではなく、名前が縛る、という側面が強いんじゃよ。ふわふわとあやふやで抽象的な思考を、一つの名称によって誰もが共通認識できるものへと昇華する。これは何も、わしら怪異だけではない。お前さんら人間でも、程度の差こそあれども、同じじゃ」
「へえ」
「たとえばじゃが」
ミズチはふわふわと浮きながら、僕の頭頂部を肘置きにしつつカチャカチャとキューブを回す。
「わしとお前さんの相性がいいのは、お互いの名に水と関係するものがあるからじゃ。単純だと思われるかもしれんが、もしお前さんの名前が『熱血焔』とかじゃったら多分無理じゃな。ここまで一緒に行動することも、波長が合うこともないじゃろう」
「そんな炎を体現したような名前の人物が現実にいないことを願いたいものだけど……」
「最近はわりと多種多様じゃし、キラキラネームじゃったか。まあ別にそれは今に始まったことでもないが」
「ん? 昔でもそういうのってあったの?」
「戦国時代とかは、結構多かったのぉ。あの時代、名前はいくらでも詐称できたり変えたりできるから、というのもあるが、変わった名前をしているのはそれだけで注目を浴びやすい。つまり他者から認識されやすい。だから、わしら怪異は己の存在を名で売るんじゃよ。おっと、話が逸れたのぉ」
彼女の手で六面の立方体が崩され、乱雑な配列へと変貌していく。
しかし、無造作に回されたように思えたキューブが次に見せた姿は、珍奇なものだった。
いや、どちらかといえば色の配列が、意味のあるものに見えたのだ。
「お前さん、これは何に見える?」
彼女が見せてきたキューブの前面は、二色のマスが交互で放射状に広がっている。
「なんか、お花に見えるかな」
「なるほどのぉ、そういう『さだめ』というやつじゃろうな。お前さんが持つ本質、ならぬ気質は花と似たようなものなんじゃろ」
「ええ? 別にこれを花だと感じる人はいくらでもいるような……」
「ふふふ、まあ良い。花を愛せる男というのは、無償の愛を贈れるやつだとも言えるわけじゃし。そうさな、確かに何をイメージするかは人それぞれじゃろう。しかしみなとが今思い描いたのは、花であることに違いはない。そういう『直感的なひらめき』を名付けの第一歩にするのも悪くはないぞ」
直感的なひらめき。
インスピレーションというやつだろうか。
しかし、名付けは重要だと言っていたばかりなのに、そんな適当なつけ方をしていいのかも疑問には思うのだけれど。
「なんなら、今ここで技を再現してみるんじゃな。じっくりと向き合ってみれば、見えてくるものも変わってくるかもしれん」
「それはそうかも、やってみようかな」
目をつむって、頭の中で波紋のない水面を思い浮かべる。
浮かび上がってきた情景をとくと観察する。
鏡のように反射をする水の上に、月と夜空が写り込んでいる。
しかし、その水が溜まっている場所は虹羽さんに教えてもらった時のような、プールではなかった。
「……あれ、前やった時と少しイメージが違うな……。だから再現性が低かったのかな」
「ふーむ、まあ虹小僧の言っていたやり方が、お前さんに合っている手法であるかまでは保証されておらんしな。みなとよ、神秘術というのは本質的にどういう技であるか知っておるか?」
「えっと、たしか『そこにないものを引っ張り出す』だっけ?」
「厳密には、『己の空想を現実に引きずり込む』技じゃ。異象結界が『世界の因果から逃れる』技であるのと対照的に、神秘術は『世界の因果を侵食する』業なんじゃよ。この二つは、そういう意味では対照的で似ておるんじゃが、今は蛇足じゃったな。とりあえずお前さんがイメージしているものが前のと違うということは、むしろそれがイメージしやすいものだということになる」
虹羽さんとの特訓で初めてできた神秘術は、彼の誘導があったからできたことで、僕が一人でやるのならまた話は変わってくるわけか。
「その鎮静術、水面にしずくを落とすところまでが一連の流れじゃろ? とりあえずやってみい」
言われるがまま、僕は水面にしずくを落とそうとした、が。
空中から落ちてきたのは、水滴ではなかった。
音もなく、ひらりひらりと水面に着地したのは、何かの『花』だった。
「あれ、これって何の花だ……?」
「花? しずくではなく、花が落ちてきたのか?」
「えっと、これって失敗だよね……」
「いや……そうとも言えん」
さっきまで興味なさげにルービックキューブで遊んでいたミズチが、ぽいっと捨て置いて僕の目の前に着地。
彼女は、自分の両手をぴたりとくっつけながら広げて、その上に小さく透明な水球を生み出した。
「触れてみい」
「え、この水にかい?」
「この水球は、触れた者の心を反映させる。まあ占い水晶だと思えばよい。夢想している花。それがなんであるか分かれば、名付けもしやすくなるはずじゃ」
ミズチが協力的なことに驚くが、ご厚意には甘えておこう。
水球に手を伸ばし、冷たい水が指先を包み込んだ瞬間。
透明で丸い、何物でもなかった無垢の水が、花の形へと変貌する。
それを見たミズチの表情は、静かに、だが確実に揺らめいていた。動揺している。
「睡蓮……か」
「あ、なんか見たことあるなって思ってたら、たしか水面に咲く花だよね」
「そうじゃ、水中から茎を伸ばして、水面まで出てくる花。それが、落ちてきた。全くもってお前さんは、天然たらしというか、本当に愛されておるんじゃのお……」
ん?
なんで睡蓮の花が落ちてきたことが、まるで誰かから愛情を受けていることを意味するのだろう?
「まあ、よい。名付けるのなら睡蓮から取ればいいのではないか?」
「睡蓮、睡蓮かぁ。うーん、睡蓮だけだとちょっと意味が薄いかな」
「だからといってあんまり凝りすぎるのもよくないぞ。シンプル大事じゃ。あとから思い出しても恥ずかしくないような名前をつけるべきじゃ、うむ」
「なんだか、経験者は語るように聞こえてくるのは気のせい?」
「間違っても『本気』と書いて『マジ』のような付け方はせんほうが良いぞ。あとあと厨二くさくて詠唱するのも嫌になるし、ルビを振るのが面倒になってくるからな」
「ミズチは小説を書いたことがあるのかい?」
「ちなみにわしが後悔した名付け第一位は『星宇宙水晶の鏡』じゃ」
「かっこいいじゃん」
「いや中二病きっついわ……。宇宙開発が盛んな時期に触発されてついやっちゃって、しかし名前だけご大層だから技の性能もすさまじくなったんじゃが、とても詠唱なんてできんわい。自虐なんじゃから笑ってくれんと泣きそうじゃ……」
神様でも後悔することってあるんだな。
「……水晶の鏡? もしかしてそれ、いま手のひらで作ってたやつ?」
「じゃーかーらー! 深く突っ込まんでくれと暗に言ったじゃろうが! なーんでそのあたりの気が遣えんのじゃ、お前さんは!」
足を首に巻き付けて羽交い締めしてくるミズチ。
しかし、彼女の恥ずかしいネーミングセンスの披露のおかげで、イメージは思い浮かんだ。
「……睡蓮鏡」
「ん? それは睡蓮鏡と書いて『ロータスミラー』とな?」
「なんで僕を中二病方向へ巻き込もうとしてるんだよ。普通に『すいれんきょう』だよ」
「ほお、まあいいんではないか」
「本当? 僕らって一心同体の一蓮托生だし、僕が使う技の名付けに関して、相棒の意見も聞いておきたいんだけども」
「わしは『鏡花水月』が思い浮かんだりしていたんじゃが、それだと『睡蓮』の要素が薄まるしのぉ。みなとのそれはシンプルじゃし、良いと思うぞ」
「じゃあ決まりだね」
と、ここまでが戸牙子に呼び出しをもらった夜に、自室でミズチと交わした会話の回想だ。
僕はあの鎮静の神秘術を「睡蓮鏡」と名付けた。
なぜ水中から生えるはずの花が降ってきたのか。
そもそも、どうして水滴ではなく花だったのか。
そういった謎を、僕はメモ書きしておいて記憶する癖をつけるようにした。
もし何かに書いていれば、忘れてしまっても思い出せるかもしれないという希望を残すためだ。
入念な対処をするのがなぜかといえば、僕はここ最近、記憶と人情の欠落が激しいから。
半神になり、人間としての要素が抜け落ちたせいで、がらんどうになった人としての心を忘れないためだった。
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