非殺の水銀弾

過保護な義姉が神殺しだと知った日、僕は神様になりました
アオカラ
アオカラ

137 白原の楼閣

公開日時: 2021年12月30日(木) 21:00
文字数:3,685


「あの人は、王を選んだの。信ずる王を、忠を尽くすべき王を見定めた。そのために、私とあなたを利用した。駒として動かすために。でもきっと、それは私たちのためでもあるんだと思う」

 

「あたしたちのため? なんでそんなことをする必要があるんだ?」

 

「自分の姉を、自分の姪を、止めるためじゃないかしら。血気盛んな私たちを、力以外の方策で対処できるように。最後の一手を、最期の投身を、させないように」

 

「……あたしの自殺を、止めるためか」

 

 巴さんが気の抜ける大きなため息をついて、くしゃりと笑いながら続ける。

 

「……いや、あたしがちょっと子供じみていたのかもしれねえな。いつまでも姉ちゃん気分で、召使いみたいに従順だと思ってちゃいけねえってことか。はっ、弟離れしねえといけねえなんて、姪に言えた口じゃなかったわけだ」

 

「そんなものよ、『お姉ちゃん』なんて」

 

「言うじゃねえか」

 

 彼女は苦虫を噛みつぶしたように、もっと言えば僕の不良行為をたしなめる時に姉さんがする、諦観の表情を浮かべながらため息をつく。

 臨戦態勢も殺気も、人類最強の殺し屋たちから消え去っていた。

 

「あたしが出る幕は終わりってことだな。さっさと退散して、寝る準備を始めねえとだ」 

 

 巴さんが地面へ突き刺した白刀が、ぼろぼろと波を浴びた砂のように崩れ落ちる。

 ガラス綿の山のうえで、それをさらに覆い尽くすようキラキラと白い砂山が重なる。

 形を保っていたものが塵へと変化し、土と混ざり合うさまは、雪原の城が崩壊するように見えた。

 

「灰は灰に……」

 

 意味深に、何かに気づいたように呟いたのは、咲良だった。

 

「お、なんだ咲良、お前やっぱ察しいいな。あたしの真髄をあっさり看破しやがって」

 

「塵は塵に、土は土に……そう、なるほどね。巴さん、私にはあなたのやり方がなんとなく分かるよ。まだその時じゃないって言いたいんだよね?」

 

「勝手な解釈されちゃあ困るが、まぁ概ね間違ってはいねえな」

 

「え、なんで二人とも分かったような雰囲気なんだ!?」

 

 もしかして、何が何やらで話についていけていないのは、この場で僕だけなのか?

 

「みなと君、巴さんのやり方は『葬式』ってことだよ。今はまだ、みなと君も巴さんも死ぬ必要がない、送る必要がなくなった。だから、巴さんは引いてくれた」


「……待って待って! どうして急にそんな展開になるんだよ!? さっきまで僕を殺すのが第一目標だったじゃないか!」

 

「ああ、そっか。その部位は自分じゃ見えないよね」

 

 ずいと、腕に捕まる咲良が眼前に詰め寄ってきた。

 おでこがぶつかるほどの至近距離で、彼女がまっすぐ僕の目を覗いてくる。

 

「お、おい咲良、どうされた……?」

 

「私の目を見て」

 

「な、なんでだよ……」

 

「目の奥を、じゃなくて、私の目に映るみなと君の、を見て」

 

 瞳。

 そう言われたはっとした。恥ずかしさが勝って目を合わせられなかったのが嘘みたいに、僕は咲良の目に食いつく。

 厳密には、彼女の瞳を鏡代わりにして、僕の目をのぞき込んだ。

 一体これは、何重に目を覗いているのか分からなくなるぐらいに、桜色の瞳に沈み込む。

 

「……戻ってる……!」

 

 半神の目から、人間の目に。

 僕の瞳は、覚醒中の青色から、いつもの色に戻っていた。

 

「い、いつ戻ったの!?」

 

「あたしと猛烈に視線を合わせた時だよ。なんでかは知らん」

 

 巴さんがすたすた海女露さんの方へ歩きながら言う。そこが一番知りたいというのに。

 

「……巴さん!」

 

「なんだよ」

 

「あなたが髪をいじるのは、本音を隠してる時の癖だ。だからといって、それを知っているからといって、不躾になんでも聞いて良いとは思っていないよ。でも、一つだけ教えてほしい」

 

「だめだ」

 

 ぴしゃんと、心の扉を閉められた。

 

「あたしは嘘はつけねえ。だから聞かれたら『濁す』か『言わない』になる。それは困るんだよ」

 

「じゃ、じゃあせめて、僕を殺そうとした理由だけでも……!」

 

「もう言ったじゃねえか、二度も言わせんな」

 

「『惚れた』が理由になるのなんてありえないよ!」

 

「はあ……お前は人の心が分からねえやつだなぁ? なるんだよ、人間様は。惚れた腫れたで、人殺しも神殺しも国殺しもやってのけるんだよ。お前だって、あたしや結奈のために命を張っただろ。それが『愛』じゃなくてなんだって言うんだ?」

 

「あ、愛って……そんな大それたものじゃ……」

 

「じゃあ義務なのか? お前にとって人間を救うのは生誕から終焉まで与えられた責務だとでも? なるほどどおりで、神様になれるわけだ、この偽善者野郎が」

 

「どっちがさ! 僕のために自分を殺すことをいとわない巴さんが言えることじゃないよ!」

 

「あほらし、同族嫌悪極まれりだろ、それ。ひとつ、頭の悪い現実を話してやる。あたしが殺し屋の道を進んだのは、咲七姉ともう一度会うためだ。そんなもんなんだよ、悪道に手を染める理由なんてな」

 

 咲七さきな

 それは姉さんのお母さんであり、僕の義母。

 第二の母親となってくれた人であり、神楽坂結奈との仲を取り持ってくれた人でもあるその人のことを、忘れるはずがない。

 

 生前にもっと話すことができていればと今でも後悔している。

 実親より、あの人ともう一度出会うことができればと今でも思い続けているぐらいである。

 

 そんな彼女と、もう一度出会うため。巴さんはただそれだけを目的に据え置いて、殺しの道を進んだ。

 けれどそれは、はたして理屈として通るのか?

 

「……僕を殺したら、巴さんは咲七さんに会えるの?」

 

「さあな」

 

「……そうやって濁すってことは、会えるんだね?」

 

「分かんねえ」

 

 分からない。

 それは間違いなく「濁した言い方」ではなかった。

 本当に会えるかどうかは分からない。だけどその可能性があるかもしれない、というニュアンスに感じられた。

 

 何か、僕程度には理解しきれない問題が複雑に絡み合っているのだろう。

 しかし、巴さんが全容を知っていたとしても、きっと僕なんかに言ってはくれない。

 

 嘘は言わないとしても、本音を語ってはくれない。

 そもそも、巴さんが本音で話してくれたことが果たして今まであったのかどうかすら、疑心を抱いてしまう。

 

「巴さん、もっと自分を、大事にしてよ。僕らを信用しないのは構わないよ。だけどもっと、自分の幸せを考えた、別の道を模索してみても良いと思うんだ」

 

「不幸を他人に決められる筋合いはねえよ。あたしみたいなはぐれものは、一人で生きるしかねえんだ」

 

 吐き捨てるように言う彼女の足が進む先では、海女露さんがまだ顔を伏せてひざまずいていた。

 

「おーいメロ、帰るぞ。オラ起きろっ」

 

 巴さんがべしっと重い音を出しながら海女露さんを蹴った。

 すると海女露さんがこてんと、おもちゃみたいに公園の地面へ転がった。

 

「ハッ!? 私はいま確か……宇宙に……」

 

「寝ぼけてんな、まあ無理もねえか」

 

 海女露さんがキョロキョロと辺りを見回して、目を瞬かせる。

 どうやら、姉さんに銃口を向けられたというのに微動だにしなかったのは、そもそも気を失っていたかららしい。

 理解してしまうとあっけない話だが、巴さんの殺気を間近で浴びたのだ。ひざまずいて防御姿勢を取っていただけまだましか。

 

「あ、結奈様! お久しぶりです!」

 

「……ええ、久しぶりね、メロ」

 

 嬉々とした視線を向けられた姉さんは、ばつが悪そうに目を逸らした。まあ無理もないか。人質として、銃口を向けた相手なのだし。

 師匠と慕う人からされた非道を海女露さん自身が知らないのが、せめてもの救いかもしれないな。

 

 しかし、そうなると先ほどの会話を、海女露さんは聞いていなかったことになるのか。

 それすら分かっていて、巴さんは話をしてくれたということだろう。

 僕らの秘密として納めるために。

 

「あ、巴様、もう帰るのですか? 神楽坂みなとの件は……」

 

「終わった。特に問題ねえよ」

 

「そうですか、でしたら私も錨にそう報告します」

 

「ああ、頼んだぜ」

 

 巴さんがわしゃわしゃと乱暴に海女露さんの頭を撫でる。

 嬉しそうに目を細めるところを見ても、本当に巴さんを慕っているんだろうな。


「メロ」

 

「え、はい! なんでしょうか!」

 

 今度は姉さんが海女露さんを呼びかける。

 彼女はすぐ答えて、タッタッと小走りで近づいてきた。

 二人が並ぶと、海女露さんの方が身長が高いことに気付く。百六十センチ以上はありそうだ。

 

「マレナは、この前あげた絵本は、気に入ってた?」

 

「は、はい! それはもう!」

 

「そう、それなら良かった」

 

「あの、あたしにも今度お礼させてください! ご飯とか、お茶でも……」

 

「それなら、またそっちに伺うから。その時、いろいろ話しましょう」

 

「わ、分かりました! 楽しみにしてますっ!」

 

 ぺこりと綺麗にお辞儀して、海女露さんは背中を向けて巴さんの方へ走っていった。

 迷いも未練もない動きだ。姉さんと仲が良さそうなのは分かるが、意外にも別れはあっさりしている。

 

 明日の命も見えない世界では、これぐらいドライな方がいいのだろうか。

 巴さんと海女露さんが並んで、公園の外へ歩みを進めていた。

 

「あ、巴さん!」

 

「もうなんだよ、そろそろ帰らせてくれ」

 

「いつでも、帰ってきて良いから」

 

「……あん?」

 

 唐突に、そして文脈に逆らった物言いに彼女は首をかしげて訝しむ。

 

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