「金髪の外人」と叫び声があがり、戸牙子がびくりと体を震わせたが、男の呼びかけた先はカウンターの奥にいる、ロゼさんであった。
ロゼさんはすたすたと、悠々とした足取りでカウンター横のウェスタン扉から出て、叫び上げた男に歩み寄る
五十代後半らしき男性だった。
スーツに身を包んではいるが、よれているシャツの袖をまくり、ジャケットは無造作に肩へかけている。
まともなサラリーマンとは思えない、粗暴な人間に見えた。
唯一、左腕につけている腕時計が綺麗なことぐらいしか加点要素のない、みすぼらしさを感じる大人の男だ。
「お客様、どうかなさいましたか?」
「あんた、昨日俺の持ち帰りを渡したの、覚えてるよな?」
「はい、覚えております」
「ハンバーガーにさぁ、入ってたんだよ! ピクルスとソース抜きって注文したのにだ!」
「それは……大変失礼したしました。もしよければ、今すぐ代わりの商品をご用意することもできますが……」
「あんた、そんだけ日本語話せる癖に、ハンバーガーのひとつも客へまともに渡せないのかよ?」
「申し訳ございません、なにぶん初めてのアルバイトの身でして。不慣れな応対でお客様に不快な思いをさせてしまったこと、改めてお詫びいたします」
「その歳で初バイトぉ? はっ、引きこもりのお嬢様って面してるもんな」
がたっ、と僕と戸牙子は同じタイミングで席から立っていた。
見据える先はあの失礼なクレーマー。
今すぐにでもぶちのめしてやりたい気持ちは、きっと戸牙子も一緒だろう。
アメジストの宝眼が、ぎらぎらとどす黒く揺らめいている
「やめとくんじゃ、若造ら」
はぐはぐと、倍々チーズバーガーにかぶりつくミズチが、ほっぺについたチーズをぺろりと舐めとり、あっけらかんと言った。
「お前さんらが行ったところで事態がややこしくなるだけじゃい。少なくとも、何百年と生きているロゼの処世術の方がまだましじゃ」
「でも、あんな差別的な、人格否定の発言を許していいのかい? 僕は無理だよ」
「ならばこそ、指をくわえて見ておれ。お前さんらが『許せない』という感情で立ち向かうのは若さ故じゃし、悪くはないじゃろう。しかし、『許す』立ち回りとやり方も勉強しておけということじゃ。だから早う座れ。聞き耳ぐらい立てることはできるじゃろ」
腑には落ちないが、僕らの介入で事態の悪化が可能性として高いと言う、人生経験の深いミズチに諭されるまま、僕と戸牙子は渋々席に着く。
男の怒号は、まだ続いていた。
「俺はさぁ、あんたが外人だから仕方ないって思ってたわけだよ。わからねえこともあるんだろうし、普通の人間ならしねえようなミスもするんだろうなってさ。そっちのお国柄じゃ仕事なんて緩いんだろうけどよ、あんた普通に日本語喋れてるよな? それでこの仕事やってんのかよ?」
「私の働きたい場所でしたので」
「なら仕事に責任ぐらい持てってんだよ! 持って帰って子供が中身見て悲しんでいるところぐらい、想像できんだろうが! ああ!?」
周りの目を気にせず怒号をあげる男に、店内にいた客たちはそろそろと、居心地悪そうに出て行ってしまう。
店にいる客は、僕と戸牙子とミズチと、怒声を浴びせ続ける男だけになった。
しかし、男の言い分に耳を傾けるのであれば、確かに店側にも非はあるのかもしれない。
楽しみに待っていた子供が、ピクルスが入っていて食べられなかった。それは間違いなく悲しい話だし、あの男が怒りを持ちうるだけの理由にもなる。そしてさらに、店側のミスだ。
だがそれでも、客のクレームに対応するのはもっと偉い人間や店長なのではないのだろうか。
新人アルバイトのロゼさんへのフォローを、どうして誰もしないのだ。
「……お客様、本当に申し訳ございませんでした。もしよろしければ、昨日注文された商品をお家の方までお届けして、ご家族の方にも私自ら謝罪させていただきたいのですが」
「いや……いらねえよッ! 昨日じゃなきゃ意味がなかったんだよ!」
昨日ではないと、いけない理由……?
「それですと、私はお客様に顔向けすることができません。何かさせてください」
「……じゃあ、昨日の注文を今ここで、店内で食う」
「そうですか! お客様のご厚意に感謝いたします。昨日と全く同じメニューでよろしいでしょうか?」
「……ああ。ピクルスソース抜きを忘れんな」
「はい、たしかに」
そう言って両手をそろえてぺこりと美しくお辞儀したら、ロゼさんはカウンターの奥へ入っていった。
男は閑古鳥の鳴くレベルまで人気の無くなった店内の、一番奥にあるテーブル席に座り、足を机にもちあげてふんぞり返っていた。
男への殺気を隠しきれない戸牙子と、煮えくりかえる怒気を必死に鎮静の神秘術で抑えつける僕らの席は、かちかちとスマホの画面にミズチの爪が当たる音だけが響いていた。
数分後、ロゼさんは悠々とした足取りでトレーに乗せた商品を、男の席へ持って行った。
「お待たせいたしました。倍チーズバーガーのセットお二つでポテトはLサイズ塩多めとMサイズ塩なし。ドリンクのコーラ二つのうち一つは氷少なめで、もう一つは氷抜き。ポテトは揚げたてでございます。単品のハンバーガーにはピクルスとソースが抜かれております。こちらその証明となるシールが貼ってあります。ご注文にお間違いはございませんでしょうか?」
「ああ」
複雑すぎる注文だった。
どこかしらでヒューマンエラーが起こっても、しょうがないのではないかと思ってしまうぐらいに。
むしろ男の態度も合わさって、陰湿な嫌がらせをしているようにも感じてしまう。
「その腕時計、良いものですね」
突然、ロゼさんは腰を曲げて姿勢を低くしながら、男に問いかけた。
何を聞かれたのか分からず、唖然としていた男だったが、眉間に寄せていたしわが少しほころんだ。
「……なんだあんた、外人のくせに腕時計の価値もわかんねえのか? これはブランドものでもなんでもねえぞ?」
「いえ、なんといいますか、とても綺麗に扱われているように見えて。お客様にとって、大切なものなのかと」
「……はっ、だからなんだってんだ? さっさと仕事に戻れよ」
「お客様とのコミュニケーションも仕事の一環です。それにただいま店内では鳥が鳴いておりますので」
にこにこと、ほのかにいやらしい笑みを浮かべるロゼさん。
「……俺の所為だって言いたいのか?」
「ああっといけません、皮肉には皮肉で返す癖が出てしまいました。これは紛れもなく外人の癖です、大変申し訳ございません」
「……ふっ」
男はロゼさんのブラックジョークに不意をつかれたのか、笑った。
鼻で失笑する程度のものだったが、険悪な空気は一瞬だけ晴れる。そんな男はドリンクに手を伸ばしかけたところで、腕時計に視線を落とす。
「いいものに見えるのか? 本場の時計と比べたら何も優れてるところなんてないだろ」
「時計は時を刻む機械でありながら、そばにいる人の記憶も刻み続けます。身近なものだからこそ、粗末に扱われやすい腕時計をお客様のように大切に、そして綺麗に扱われているということは、思い出深い品であると分かります」
「あんた、時計屋かなんかなのか?」
「昔取った杵柄です」
にこりと、困ったように笑うロゼさん。
それに対し、男は眉をひそめる。まるで、思い出したくないことを、止まっていた時計の秒針が進み、思い起こさせたように。
「あんた、なんでこの国にいるんだ?」
「深い質問ですね。成り行きだと言ってしまえばそれまでですが、必然だとも言えたりします」
「なんだぁその濁し方? 客を相手にしているんだから真面目に答えろよ」
「うふふ、秘密が多い方が魅力は増すと聞きますので。知っていますか? 倍チーズバーガーは倍々チーズバーガーよりも中のハンバーグが多いんですよ」
ミズチが隣で「なんじゃと!?」と立ち上がりそうになるのを、頭を掴んで抑える。
「……ああ、息子からそう聞いた」
「そうでしたか。息子様は慧眼をお持ちですね」
「そんな知っても知らなくてもいい雑学ばっかり身に着けて、職に繋がるようなことはやらねえやつだったよ。何の相談もせず勝手に死にやがるし」
「……そうでしたか」
ぎょっとした。
男は、息子を亡くしていたのだ。
息子の話についての口ぶりがどれも、全て終わったことのように話しているのはそのためか。
しかし、それなら先ほど言っていた「家にいる子供」の話は嘘なのだろうか。
男は続ける。先ほどまでの激昂が嘘のように、神妙な面持ちでロゼさんに問いかける。
「あんた、子供は?」
「……います」
「そうか。大事にしてやれよ」
「それは、もちろん。ですが、どうすれば大事にしてあげられるのでしょう」
「後悔しないように、じゃねえか? やっておけばよかったこととか、そういう悔いを残さないようにとか。なんだよ、難しい年ごろなのか?」
「ちょっと複雑でして」
「あっそ、俺には関係ねえな」
コーラにストローを差して飲み始めた男の傍で、ロゼさんはまだ、立ちすくんでいた。
「なんだよ、ひとりで食わせろよ」
「店員のコミュニケーションとしてではなく、ひとつだけ、個人的に聞いてもよろしいですか?」
「な、なんだよ」
「その腕時計を付け続けるのは、辛くないのですか?」
なぜそんな質問をしているのか、分からなかった。
というより、あの男だって何を聞かれているのか分かっていないのではないかと思っていたが。
男は意外そうに、眼を細める。
「……この腕時計が息子の形見だって、ばれてるのかよ」
「そんな気がしただけです。やっぱりその時計だけが奇麗なのは、不思議でして」
「……あんたはさっき、『時計は人の記憶を刻む』と言ってたな。俺にとってこれは、社畜生活で過労死したドラ息子を忘れずに居続けられる記憶の塊なんだよ。なけなしの初任給を使った唯一の親孝行だった。忘れたくねえものだよ」
先ほどまで怒鳴り散らして荒れ狂っていたのが、まるで別人どころか別人格だったかのように、男は静かにぽつぽつと語っていた。
懐かしむ想いを、ずっとどこかに忘れていたかのように。
時計の中で音もなく進む針に、また思い出させてもらえたように。
「そうでしたか。亡くなった子を想う、素晴らしいお父様です」
「……毒気が抜かれるな、あんた。さっきまで怒鳴り散らされてた癖によ」
「このお店の方針というより、私個人の願望なのですが。お客様に『来てよかった』と思ってもらえるような接客がしたいのです。もしこのままお客様が帰ってしまわれたら、きっと二度と来たいとは思わないでしょう」
「それさ、ブラック企業に洗脳されてるだろ。社畜みたいな言い分じゃねえか」
「いいえ、単純に私の心残りを消したいだけですから、勝手な自己満足なんですけれどもね。それでも、お客様があれだけ怒っていたのには、理由があるのではないかと思って、きちんと向き合いたかったのです」
理由。
望んでいた注文とは違ったものが入っていただけで、怒り心頭で店先まで来るものだろうか。
いや、だからこそ。
あの男がそこまで怒気をはらんでしまうほどの理屈があるのだと、ロゼさんは信じたのだ。
自分と同じ種族ではない、人間であるからこそ。
歩み寄って、理解をしようとしたのだ。驕りも威厳も捨て去って、吸血鬼や王としての貫禄すら投げ売って。
「……息子の命日だったんだよ、昨日が」
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