姉さんは真剣な声色で、お願いするように言ってくる。
「私がやられたら、すぐに逃げなさい。これは、この先どんな場面であっても絶対に守ってほしい」
「……姉さんが助かりそうな時でも?」
「そうよ」
それは。
自分を守ってくれる人がいなくなったら、情けなく尻尾を巻いて逃げろということなのか。
「お願い、姉さんから一生に一度の約束、聞いて」
背中越しに放たれる懇願には、強い覚悟と信念が宿っている。
一度こうなった姉さんは、てこでも考えを曲げないことを、長い付き合いの僕は分かっていた。
そういうところが、カッコいいんだよなぁ。
「……分かった、約束するよ」
「ありがとう」
「でもね」
姉さんはこちらに顔を傾けてはいるが目線は合わせず、僕の言葉を待つ。
「姉さんがやられないように、僕も頑張るから」
「……ふっ」
「えっ、な、なんで鼻で笑うのさ!?」
「そういうのは、もっと男前になってから言いなさい。今のあなたが言っても、大人の真似事っぽいわ」
彼女は銃を構え直しながら、正面を向いた。
振り返る直前、姉さんの耳が赤くなっているように見えたのは、気のせいだろうか?
いや、こんな暗闇で赤くなっているのが見えるわけないか。
「来るわ。初戦はただ見ていなさい。間違っても手を出そうなんて思わないこと」
「わ、分かった!」
身構えると息をつく暇もなく、空気を切り裂く螺旋のうずが迫ってくる。
銃声が鳴り響き、銀の火花が散る。
右斜め前から飛来してきたもの螺旋が、姉さんの放った銀弾で木っ端みじんに爆散した。
「……あれ、さっき飛んできた矢は壊れなかったのに、今度は粉々になってる……?」
「いい着眼点ね、観察力はとりあえず加点してあげる」
「あ、ありがとう?」
「その調子で、分析を続けてみて。破壊の可不可が分かったら、さらに加点するわ」
ずん、と地震が起きたように大地が一度揺れる。
とてつもなく重い何かが着地したような、そんな衝撃だ。
「おまえ、すごく、いいうでだな」
びりびりと空気を振動させる男の声は、まるで拡声器に通した音のようにあたりを震えさせる。
そいつは巨大な体躯で電灯をなぎ倒し、ずんぐりとした足でアスファルトにひびを作り、一歩一歩暗闇から歩み寄ってくる。
都会の電灯よりも高い背。筋骨隆々の肉体。
人間の体躯を数倍にしただけでは収まらないような、圧倒的な巨大さ。
穴あきのぼろ布を腰でまとっており、顔の前面を覆う粗悪な兜をつけている。
上半身が露出しているが、その肌の質感は皮膚といったものではなかった。
岩のようにごつごつとした無機物な表皮。
先ほど降りかかってきた木の矢と似ている巨大な槍を手に持っており、背中には弓と矢筒をかけている。
見た目は猟師といったところか。
そして間違いなく、化け物だ。
化け物は言う。
「おれ、いいうでしてるから、おまえがつよいの、わかるぞ」
「あらそう。ずいぶんお利口なのね」
「おれは、おとこだけころせといわれた。おんなのおまえは、おねがいに、ない」
「その“お願い”には、邪魔する奴も殺せって意味が込められているのよ」
「そう……なの、か?」
「これでひとつ、お利口になったかしら?」
「おお。おれ、りこうになったぞ」
ぐらぐらと空気が揺れる。
最初は何かの攻撃かと思ったが、どうやら巨人が笑っているだけのようだ。
姉さんは巨人を前にして、一歩も退かずに目線を逸らしていない。
「おれとはなしてくれるの、おまえみたいな、つよいやつだけだ」
「巨人は恐れられてしかるべきだから、仕方ないわ」
「それ、かなしい。おれは、もっとだれかとおはなし、したい」
「じゃあ、私の後ろにいる男を殺すの、やめてもらえない? そうしたら、いっぱいお話しできるわ」
一度、沈黙が夜に満ちる。
巨人の呼吸だけが、ほんのわずかに空気を揺らし、緊迫した雰囲気が漂う。
長いようにも短いようにも思える沈黙を破ったのは。
「えっと、巨人さん!」
僕だった。
「お、なんだ?」
「僕も! お話できるよ! 君とたくさんお話しできると思うから、無駄な争いはやめた方がいいと思うんだ!」
巨人の耳に届くように、大声をあげた。
「むだ……」
「そう、無駄! 巨人さんがしたいことはお話なんだったら、僕を殺したらそのお話ができなくなると思うんだ! だから……」
「むだ、じゃない」
「え」
巨人が槍の底面にある石突きで地面を突いて、どすんと大地が揺れる。
「おまえ、ころさないと、おれのなかま、ころされる」
……なんだって?
「おまえ、おれのなかまを、むだって、いったな?」
轟然の殺気が、走る。
心臓が彼の怒りと殺意で、内側から震えあがった。
巨人は片手で持っていた槍を緩慢な動作で、投げた。
あたりの空気をまとめこみ、台風のような突風をまき散らしながら空を裂く。
その槍が僕の顔面をえぐり取る前に、重い銃声が響き、銀色の火花が眼前で散り咲いた。
姉さんが槍を撃ち落としてくれなければ、きっと今頃ここらのアスファルトには血の花が咲いていただろう。
「交渉力、マイナスね」
端的な評価が飛んでくる。
マイナス、かあ……。
さっきの観察力評価がプラスだった分、上げて落とされた感じで結構きついな……。
がらん。
およそ木だとは思えない質感の音を撒きながら、弾き飛ばされた槍はアスファルトの上を転がっていく。
……あれ。
姉さんの弾丸が当たったはずなのに、粉々になっていない……?
つまり、あれは最初に僕を狙ってきた木の矢と、同じ物ということか?
たしかに、形状自体は壊れなかった矢と同じで螺旋の構造をしている。
けど、僕に降りかかってきたのは矢であって、槍ではないはず……。
ジョークで「明日は槍が降るな」とは言うけど、本当に槍が降ってきたとは考えづらい……。
いや。
それこそ、僕の思い違いか?
弓で射るのが矢だけだと思い込んでいるのは、人間の常識だ。
僕ら人間の体格を数倍跳ね上げた巨人が、槍を矢のように使うことなんて、造作もないんじゃないのか?
人間の世界であっても、バリスタは最たる例だろう。
たしかあの兵器は、槍や石を据え置きの大型弩砲で撃ちだすものだったはずだ。
筋力があるなら、サイズによっては投げるだけで矢のように飛んでくるのはありえる話だ。
だとしても、条件が分からない。
ついさっきこちらへ放たれた槍は、壊れなかった。
だが、二回目に降ってきた矢は、姉さんが放った銀の銃弾で粉砕した。
巨人の持ってる槍が壊れない条件は、なんなんだ?
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