「やあ、起きたようだね、神楽坂みなと君」
目が覚めた。
何日も眠っていたようにも、たった数秒気を失っていたようにも思えるほど、時間感覚が掴めない目覚めだった。
それは決して僕の状態が問題であるというより、目覚めた部屋が昼か夜の判別のつかない閉塞的な空間であることも起因するだろう。
状況を掴めない僕の前にいたのは、おっさんだった。
ぎらぎらと虹色に光るスポーツサングラスをかけたスーツ姿の中年男性が、まるで起きるタイミングが分かっていたかの如く、寝覚めに声を掛けてきた。
「んあ……あれ、ここは?」
「きみ、一週間は寝てたんだけど、自覚ある?」
「えっ!? 一週間!?」
驚いてあたりを見回したがここは僕の部屋ではなかった。
無機質な灰色のコンクリートが部屋全体を覆っており、窓は一切なく、厳重そうな南京錠が付いてる扉しか、出入り口は見当たらない。
天井の四隅にあるカメラはこちらを睨んでおり、まるで監視牢獄だ。
ただ、僕が今寝ている真っ白なシングルベッドはかなり寝心地が良く、この部屋の中で唯一温かみがある。
「……これは、僕が何か悪いことをした感じなんでしょうか?」
恐る恐る、扉にもたれかかる中年の男性に尋ねる。
すると、三十代に見える彼は携帯を取り出しつつ(ガラケーだった)にやりと口元を緩める。
「いや、むしろお手柄といっても過言ではないよ? 君はうちの組織でもトップランクのスタッフを守ってくれたんだ、お礼を言いたいぐらいさ」
携帯を耳に当てつつ、電子タバコを胸ポケットから取り出して吸い始めた。
ぷかぷかと口から虹色の煙が出る、なんともファンシーな電子タバコだった。電話は一秒もたたずに繋がったようで、端的に言う。
「弟くん、起きたよ」
パタンとガラケーを閉じて、彼は僕のそばにあるパイプ椅子まで近づいてきて座り、再び電子タバコを吸い始める。
「あ、あの」
「ん? どうかした、神楽坂みなと君?」
「あ、僕の名前を知ってるんですね」
「言ったでしょ? お礼したいぐらいだって。そんな相手のことを調べない方が無礼ってものさ」
にたりと、不敵にも軽薄にも思える笑みを浮かべる。
無礼、なんだろうか?
個人情報を洗うことを良しとする、この人のいる組織ってのが、ちょっと怖いぐらいなんだが。
「あ、というかあなたのお名前を教えてもらえませんか!」
「名前? なんだい、君は監禁されてる相手にすら対等に接しようなんていう殊勝な心がけでも持っているのかい?」
「いえ、その……なんて呼べばいいのかと思って」
「ははぁそっかそっか、そういうところは君の姉さんそっくりだね。いや、むしろ結奈ちゃんの背中を見て育ったって感じかな? まあじゃ、改めて僕は虹羽ヤノ。一応君のお姉さんの上司だよ、よろしくね、神楽坂みなと君」
そう言って彼はニカっと笑うが、どこか嘘くさい笑みに感じたのは、虹色に反射するサングラスで目が見えないからなのか、はたまた本人の精神性が態度に表れているのか。
かと思えば、その不敵な笑みを崩し、虹羽と名乗る男性は真剣なトーンになった。
「ところで、みなと君」
「え、はい、なんでしょう?」
「君は、本当にみなと君なのかい?」
……どういう意味だ?
まるで僕じゃない者が、この体を操っていたような言い草だ。
質問の意図が分からず聞き返そうとしたところで、ぴっと手を掲げて遮られる。
「その不思議そうな顔、どうやら何も分かっていない感じだねぇ。無知であることは徳だけど、得ではないよねぇ」
「あの……何が何だか……」
現状をうまくつかめず、何から聞いていけばいいのかも分からないままだ。
まず監禁状態になっている理由を知りたいところだが……。
と、悠長に考えていたら、扉にかかっている南京錠が微かに、震えはじめた。
火山が噴火する前の、地鳴りに近い震え方が数秒も持たずに、頂点へと達した。
ばごぉんッ!
「うぇッ!?」
この部屋唯一の出入り口である厳重な扉が、爆弾で破壊したような衝撃音と共に開かれ、というより破壊された。
そこにいたのは。
「みなと!」
突然の展開に思わず身構えてしまったが、僕の名前を叫んだのは、聞き間違えることも忘れることもない人。
僕の義姉である、神楽坂結奈だった。
長い銀髪はぼさぼさで、服もよれよれの皺まみれになっており、いつになくだらしない姿だ。
どうやら扉を蹴って入ってきたようで、粉々とまでは言わずとも、粘土のように変形して歪んでいる。
コンクリートの扉だった気がするんですが、姉さん……華奢な身体のどこにそんな馬鹿力が……?
「あ、えーっと……おはよう、姉さん?」
「…………みなと」
彼女は静かに、競歩並みのスピードでこちらに近づいてきて制止。
闇鍋で混ざり煮えたぎる感情を持った眼が、僕をするどく刺してくる。
蛇に睨まれたカエルの気分で、無言のまま彼女の視線に耐え続け、数秒固まっていたら、急に抱きつかれた。
「えっ、姉さん?」
「本当に、本当に無茶ばっかりして……。私をどれだけ心配させたら、あなたは自分を顧みるようになるの! もう、もうっ……!」
涙声で叱りながら、背中に回された手で愛しむように僕の頭を何度も撫でてきた。
ここまで感情を乱して泣いているのを、僕は一度しか見たことがない。
再婚後の両親を事故で失った、そのあと。
姉さんが実の母親を亡くした悲しみに明け暮れて、ずっと泣いていた時以来だ。
そうか。
だからこそ、その時と今の状況が似通っているからこそ、彼女の心はここまで激しく昂っているのだろう。
義理の弟で、最後の家族である僕を、失いかけたのだから。
「ご、ごめんね」
「……なんで謝るの? 私は、筋を通しているなら謝る必要はないって教えたはずだけど」
「ま、まぁ……姉さんを助けたことに後悔はしてないんだけど、心配はかけたみたいだからさ」
一週間眠っていたと、グラサンの虹羽さんは言っていた。
その間、僕が起きるか起きないかの不安で板挟みにされていたのだろうか。
仮に逆の立場であったとしたら、僕だって気が気じゃないだろうし、今の姉さんと同じように取り乱すだろう。
「……本当にご心配おかけしました。僕は無事だから、そんな悲しい顔しないで」
素直に謝り、姉さんの背中に手を回す。
小刻みにふるえている体を落ち着かせるため、彼女の背中を撫でた。
その間、姉さんは僕の頭を撫で続ける。
お互いの傷口を慰め合うように、生きてる証を心に刻み付けるように、密着して体温を共有していた。
「いやぁ、結奈ちゃんがそこまで感情を出すなんて、本当に弟くんのことが好きなんだねぇ〜?」
腕を組んでニヤニヤと僕らを茶化してくる虹羽さんは、冷やかし好きなおっさんといった感じで、あまり良いイメージを持てない。
それはどうやら、姉さんも一緒らしい。
「姉弟の感動の再会を茶化すなんて、虹羽先輩はダサいですね」
「だ、ダサいッ!? ちょっとちょっと結奈ちゃん、おじさんにその言葉は結構効くよ!?」
「グラサンもダサいですし、振る舞いもダサい。極め付けに精神性もダサいですね、ダサさ百億点です」
「うちのクールな後輩が上司に対して酷すぎる件……」
めそめそと目元に手を当てて涙を拭くようなそぶりを見せるが、サングラスはどうやらゴーグルタイプらしく、目全体を覆っているため涙は溢れていない。
「あのぉ……」
そんな他愛ないやり取りをしていたら、姉さんが壊した扉の先から、気弱そうな女性の声が聞こえてきた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!