巴さんの言葉に、がつんと頭を殴られた気分になった。
核心をついたことを言われて面食らうだとか、揺さぶられるとか、そんな柔なものではない。
例えるなら、秘密にしなければならない黒歴史に対して、なんの躊躇も遠慮も気遣いもなく、ずけずけと入り込まれたような感覚だ。
そういう人だ。
灰蝋巴は、そういう女性だ。
遠回しに立ち回るような女らしさが欠片もなく、男より男らしくて、潔いを通り越して、直球がすぎる。
その在り方に面食らうというか、辟易したり、ヒヤヒヤしたりすることは今まで多々あった。
初対面の人にずかずかと、もっと言えば馴れ馴れしく接するところや、マナーがなっていなくて気に入らない酔っ払いや迷惑客に堂々と、顔面パンチをできるぐらい、この人は喧嘩慣れしているし、精神が尖りすぎている。
だが、それはただの人間同士が起こす“他愛ない”日常風景であって、所詮喧嘩や言い合いで終わる話だ。
しかし、これが怪異に関わってくると変わってくる。いや、それは「変わる」だなんて言葉で片づくほど簡単ではない。
怪異というイレギュラーでアブノーマルな存在に関わることは、暗殺業者とかマフィア、ヤクザと関わるぐらいには、危険で触れてはならないものなのだ。
それを、そんな裏稼業のことを、咲良が帰った後とはいえ巴さんはさらりと言ったのだ。
「巴さん。あなたはもしかして、あちら側なの?」
「ふうん? みなと、お前はお前自身があちら側みたいなものなのに、そう言うんだな。半神半人、現代的な突然変異種、なのに神に呑まれずに生き続ける、強靭な精神をもつ狂人。聞いてるぜぇ? 国を二つは滅ぼしたんだってなぁ。核兵器も真っ青じゃねえか」
「巴さんッ!」
怒りをあらわにした姉さんが、僕と巴さんの間に入り込んでくる。
いや、彼女の感情は怒り、だなんて言葉で片づくものではなかった。
憤怒、激昂、錯乱、そのどれもが入り混じる半狂乱の声を上げて巴さんを睨んだ。
「あなた……あなたはッ!」
「おいおい結奈、お前はみなとを甘やかしすぎなんじゃねえの? どうせいつか知ることなんだぜ、隠したってどうなるんだ」
「だからって、順序ってものが……!」
「はあ……なんだそりゃ、まるで真っ当に生きてる人間みたいな扱いじゃねえか。中学を出たら高校、その次は大学でその次は就職ってレールを歩かせたいとでも思ってるんだろうが、よーく思い出せよ、こいつは今半神半人だぞ? 人外のなりそこないが、真っ当な人生を送れるなんて思ってるのか? 夢を見るのも過保護になるのも良くねえよ、ほんとそういうところは昔から甘いよな。人に甘々な甘ちゃんだぜ」
「どうして、今まで眠っていたあなたがそれを知っているの……!?」
「あたしの情報網をなめんじゃねえぜ? いや、これでも心配で来てやったというかさ。まあ義理の保護者としてな、様子見に来たんだよ」
「あなたが、何の理由もなしに帰ってくるわけがない……」
「だからぁ、その別件のついでにお前らの顔を見にきただけだよ。あたしだって仕事があるんだよ」
結んだ銀髪を触りながら、興味なさそうに姉さんを見下す巴さん。女性にしては高い方であるはずの姉さんが並んでも、霞んでしまう。
目線が僕と同じぐらいだから、巴さんの身長は百七十センチぐらいだろう。
ここまで険悪な仲である理由と、二人の関係性についてはおいおい振り返りたいところだが、咲良がいない今はとりあえず僕が潤滑油にならねばならない。
「あー、姉さん。久しぶりに帰ってきてくれた巴さんにそれは、さすがにちょっと失礼だよ」
「……叔母さん」
「だからおばさんって言うな、巴さんって言え」
いつも通りのツッコミ。巴さんはまだおばさんと言われるような年でも見た目でもないのに、そう言われるとなかなか堪えるのもがあるのだろうけれど、だとしても簡単には折れない強い意志を感じられる。
実際、巴さんは言葉遣いこそ少し荒っぽくて強気ではあるが、大人びた結奈姉さんがさらに女の色気を纏った感じで、普通に美人さんだ。
だが、そんな叔母を相手にしている当の姪っ子は、女の色気ではなく、殺気をまとい始めた。
しかも、着ているパーカーのポケットに手を入れたかと思えば、かちゃりと鉄の擦れる音が鳴った。
その音を僕は聞き間違えるはずがない。姉さんは、愛銃を手で握っている。
「嘘で本意を隠しているのは、わかってる。あなたの狙いはみなとでしょう? そんな人をすぐ追い出さないだけ、ましだと思ってよ?」
「そんな殺気を当てられて、あたしが何も返さないとでも思ってんのか? 結奈よぉ、喧嘩を売る相手も選べなくなったか」
巴さんまで殺気をまとい始め、肌身離さず背負っている竹刀袋に手をかけていた。
にたりと口元が笑みを浮かべているが、目が全く笑っていない。
「マイマスター、数年眠って寝ぼけがひどいあなたが、一番弟子を相手にできるの?」
「はっ、弟を守るために強くなったつもりでいるんだろ? 自惚れも大概にしとけ。その程度の覚悟しかなかったから、お前はみなとを守りきれなかったんだろうが」
「……!」
殺気の交錯が、火花となり爆発寸前だった。
この場の空気に耐えきれず、僕は二人の視線が重ならないように間へ割り込んだ。
「二人とも、せっかくの神楽坂家再集合の日に、喧嘩はよくないよ!」
「みなと、叔母さんはあなたの中にいるミズチを狙ってもいるのよ。そんな危険人物をどうして庇うの?」
姉さんの弁護を聞き終えると次は巴さんが。
「みなとよぉ、お前もそろそろ姉離れというかさ、いやむしろ結奈の弟離れを促してやってもいいんじゃねえか? 束縛ばっかりされて、嫌気さしてたりするだろ」
「そんなことないわ! みなとがそんなこと、思ってるわけない!」
間に入ったというのに、僕のことなんかお構いなしに口論を続ける。
これが僕を取り合うハーレム系の展開だったら、少しはいい気分になっていたのかもしれないけれど。
残念なことに、ラブコメ的な修羅場よりもっとひどい、阿修羅に挟まれて死にかけな蛇の気分だった。
僕には巴さんと姉さんの喧嘩を仲裁するほどの術はないが、その場しのぎの手ならある。
こういった不毛な争い、口喧嘩を僕は何度か見てきたことがある。もちろんそれは、巴さんがこの家を出て行った頃が最後だから、およそ五年近く前になるのだが。
だが、もし今も変わっていないのなら、二人にだけ特効が入る最終奥義のこれは、“一時的”ではあるが言い合いを止められる……はずだ!
「二人とも」
できる限り、声を低くして、苛立ちを抑えている風を演出する。
感情の高ぶっている人間の前では、見た目だけでも冷静を装うことが重要だ。
「これ以上喧嘩するなら、明日の朝ごはん抜きだよ」
「「ごめんなさい!」」
姉さんと巴さんは、なんと先ほどまでの剣幕が嘘のように、ぴしゃっと廊下のフローリングに頭をこすりつけて土下座した。
二人そろって完璧な土下座である。戸牙子のやった茶道界隈の『座礼』ではなく、きちんと地に頭を縫い付けている。さまになりすぎだ。
そう、これが僕の持つ最終兵器で彼女たちだけに特効が入っている、「白式」も顔負けな脅し。
姉さんと巴さんと、ついでに咲良の胃袋を掴んでいる僕ができる最後の手段だ。
「じゃあ二人とも、ごめんなさいをしましょう」
「え、今しましたよね……?」
「そうだぞみなと、土下座までしたじゃないか……?」
「それは僕に対してでしょ? お互いにごめんなさいはした?」
「してないです……」「してないな……」
「はい、じゃあちゃんとお互いの目を見てしようね。やらないのなら、わかるでしょ?」
二人の顔色は血が抜かれたように真っ青になる。
暗黙の了解なのか、以心伝心ができているのか、二人はお互いの目を見てこくこくと頷きあい、しばしの沈黙のあと非を認めて仲直りした。本当に和解できたかどうかは別として、とりあえず家での殴り合いを避けられただけで儲けものだろう。
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