非殺の水銀弾

過保護な義姉が神殺しだと知った日、僕は神様になりました
アオカラ
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127 縹の錨

公開日時: 2021年10月29日(金) 21:00
更新日時: 2022年7月27日(水) 01:24
文字数:3,617


 クレーマー、もとい息子思いの父親から葉巻を譲り受けたコンビニから徒歩で数分ほど歩き、遊具も充実しているかなり広めの公園にまでたどり着いた。

 先導する二人の後ろについて行く前に、僕は今咲良を追いかけている状況だということも伝えたのだが、「それでも付いてこい」と半ば強引に圧で押し切られた。

 渋々というか、ここで言うことを聞かなかったら場合に起こりうるシチュエーションが恐ろしかったので従属したが、その道すがら、海女露あまつゆメロの所属する組織について簡単に教えてもらえた。

 

はなだいかり

 海女露さんが所属する怪異専門の組織であり、僕や巴さんの居る「黒橡の方舟」「月白の庭園」と同系統の組織。

 

 同業者達に、作戦行動中の補給や休憩も兼ねた拠点を設置するのが、彼らの仕事。

 全国のあちらこちらに支部が分散しているらしく、本拠地を持たないことも大きな特徴。

 錨、という船を繋ぎ止める部品の名が示すとおり、留まれる根城を用意するのが主な仕事になるとか。

 

 言ってしまえば、ゲストハウスや民泊のような役割を担っている。

 その「縹の錨」に在籍するメンバーの中でも海女露さんは若手ながら相当なやり手らしく、簡易拠点を作ることに関してはプロフェッショナルらしい。

 巴さんがそう言うのだからお世辞ではないだろうし、褒め殺しされていた海女露さんがもじもじと恥ずかしそうに、そしてどこか嬉しそうに頬を緩ませていたところを見ても、二人の信頼関係は特別なものなのかもしれない。

 

 仕事仲間として、大いに認め合っているというわけだ。

 

「よし、ここらでいいだろ」

 

 巴さんは公園内の、バスケットゴールとコンクリートの観客席がある広場まで僕らを連れてきた。

 観客席と言うにはすこし不恰好で、人がくつろぐスペースとして最適なコンクリートの階段だ。そしてその階段を背景に、一つだけぽつんと立つバスケットゴールにはネットが付いておらず、人の手はあまり入っていないように感じる。

 

 ちなみにこの公園、咲良の灰の調査に来ていた空木さんと初めて出会った場所でもあり、僕がグロウとの戦闘で遊具と地面をボロボロにした、あの公園である。

 散々お世話になったというか、迷惑をかけたこの公園の名前は、守之堀かみのほり公園。

 

 立ち入り禁止はまだ解除されていないため、人通りがないという面で見るのなら、内緒事をするのにはうってつけだ。

 

「巴様、こいつが一緒にいていいんですか」

 

 海女露さんは、僕を指さしながら嫌悪感を隠さずに言う。

 てっきり巴さんと同じように彼女も僕の同行を承諾しているのかと思っていたが、どうやら巴さんに逆らわなかっただけのようで、不満はあるらしい。

 

「おう、メロの良い仕事っぷりを見せたいしな。こんなに優秀なんだぞって」

 

「そ、そうですか。それなら……はい」

 

 顔を伏せた彼女の前髪が垂れて、表情が見えなくなる。

 どこか声が上ずっている。「巴様」と言っているぐらいだし、尊敬している人からの褒め言葉が何より響くらしい。

 

「巴さん、仕事っていうのは?」

 

「ちと言えないな。まあ、『縹の錨』に所属するメンバーがどういう仕事をするのか、っつー見学会だな」

 

 なるほど、同業者を知っておくのに丁度良い機会ということか。

 まあ、仕事を見届けさえしたら解放してくれると信じよう。でないと咲良が心配だ。

 

 巴さんは先ほどもらった葉巻を吸い、そしていつの間にかポケットから取り出したウォッカの瓶に口をつけ、ジュース感覚でゴクゴクと喉を鳴らして胃に流し込んでいる。

 その隣で、海女露さんはポケットから取り出した長いチェーンをバスケットゴールの真下で糸を垂らすようにゆっくり落として、丸を描いていた。

 

 魔術めいたサークルを描いているようにも見えるが、しかしその形は凝ったものではない。

 それこそ、姉さんの手首に巻かれた包帯に書かれている陣の方が、よっぽど複雑めいている。

 

 だが、海女露さんの鎖がどこか異色なものであると感じたのは、そのあとだった。

 人一人がちょうど立って収まるようなサイズの円を鎖で描いたのち、彼女は両方の足首につけたアクセサリーを、黒いチェーンのアンクレットを外した。

 そして地面に円を描いて伸びた鎖を、自身の右足首へ巻きつけたのだ。

 スラリと伸びる綺麗な足の下、くるぶしに、がっちりと締め付けるように。

 

 僕はその時、彼女の足首を見てしまい、そして不躾にも、気づいてしまった

 まるで姉さんがキスマークを隠すため、チョーカーを付けているのと似たような、そういうもの。

 見せたくないものを覆う隠し方で付けられていたアンクレットが外れて、彼女の足首が露わになる。

 

 両足首に、紐で縛られたような痣と、金属の鎖からわずかに出てくる黒い鉛がへばりついていること、ではなく

 骨ばって浮き出ているくるぶしの周りに、歪な光沢があることに、僕は僕の持つ肌感で、気づいてしまったのだ。

 

 それは、人間の皮膚が持つような光沢ではなかった。月明かり程度のほのかな灯りであっても、煌めきかえす人外の皮膚。

 鈍い輝きはまるで宝石を思わせるが、それにしてはどこか生々しい。

 

 肉感、とでもいうのだろうか。

 石などの無機物がもつ輝きではなく、生きているものが身にまとうその煌めきを、僕はよく知っている。

 なぜなら、それは僕の心臓にも、似たようなものがあるから。

 

「……ジロジロ見ないでくれない? 変態」

 

 


 

 彼女は僕の視線に気づいたようで、半目で睨んでくる。

 

「あっ、その……」

 

「なに?」

 

 安い言葉なんて寄せ付けたくない、知った風な口なんて聞かないで欲しい。


 たった一言だけなのに、氷のように硬い意思が宿っていた。

 彼女がどうしてここまで、僕を目の敵にしているのかはわからない。

 怪異に関する同業者ということは、僕が暴れ回った事件の際に、迷惑をかけた人なのかもしれない。


 けれど、事情を他人に聞くことは僕の上司から、許されていない。赦しも得ていない。

 順序立てて教えると命じられており、そしてそれは当然だった。

 大きすぎる罪を背負った代償を、たった数ヶ月で覆せるわけがないのだから、下手に詮索しない方が身のためなのだ。


 そうやって自分を戒めて、たしなめて、これ以上は突っ込まないつもりだったのだが。

 僕は今だけ、この場に流れる空気の緊張を緩めたくなり、彼女との会話を試みた。


「……海女露さん」


「気軽に名前を呼ばないでくれない? 童貞」


「ふぁっ!? なぜ知っているんです!?」


「初夜を迎えられない、据え膳食わぬ男だって噂が世界中に広まっているのを知らないの? この意気地無神いくじなしん


「なんだか新しい神様の名前みたいに僕を呼ばないでいただけませんか! 僕には神楽坂みなとっていう名前があるんです!」


「あそ、楽して生きた神様が転落していく坂道を体現しているような名前で素敵ね」


して堕ちる! なるほどどうして、あなたは毒言葉遊びがお上手みたいですね!」


「きも、なんでニヤついてるの」


「海女露さんの毒舌に笑うしかないからです!」


 実際、あまりにも酷い仕打ちをもらうとむしろ笑いが出てきてしまうものだ。

 僕が姉さんから愛の鞭を喰らう時、すべての情報と情緒を開示せざるを得ないように、恐怖と喜色は自然とこぼれてきてしまうものだ、と思っていたが。


 忘れていた、僕ってMだった。

 つい最近、どこぞの水の神様や吸血鬼配信者、不良幼なじみの意見のおかげで明らかになった新説であるため、うっかり失念していた。


 なるほど、ともすれば僕はここまで毛嫌いされている海女露メロという女の子に対しても、対等な態度で対応することができるわけだ。

 ふむ、Mというのも存外悪くない性癖ではないか。素晴らしい、これは精神強度を高めるだけでなく、対人強度も高める嗜好だったのか。


「海女露さん」


「もう……なに? 仕事に集中したいんだけど」


「あなたはそのままでも、良いんですよ」


 彼女は視線すら合わせず沈黙、というか無視。

 これ以上の会話は不毛だと、そういった固く冷たい意思表示だった。

 しかしその冷徹さすらも、僕にとってはどこか喜ばしい対応に感じられた。いや、別にこれに関してはMだからではなくて。


 そのままで、いい。

 変態嗜好な僕を毛嫌いするのも、僕を貶めるのも、僕を見下すのも、構わない。むしろそれぐらいでいい。

 彼女の毒舌に、僕が気味の悪い返答をする関係性でいいのだ。


 きっと、彼女は足首を見た時の反応で、僕が何を思ったのか察したのだろう。

 迂闊にも、何も知らない僕が海女露さんの境遇と体質を哀れんだことに、彼女は怒りを覚えた。

 その仕打ちは、受けて当然である。初対面でありながら毒舌も罵倒ももらうに値する、恥のある行動を取っていた。

 

 彼女の意図をできる限り拾ったつもりだが、正解だったかどうかは別として、下手に気を遣わなくていい間柄として落ち着けたのだから、それでいいことにしよう。


 彼女のくるぶしをぐるりと一周するようにまとわりつくそれは。

 海女露メロの足首を覆う、宝石のような皮膚は。


 僕の直感、ならぬ第六感が言わせるのなら。

魚の鱗」だったのだ。

 


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