「結奈姉さん! 久しぶり!」
「いらっしゃい咲良ちゃん! 元気にしてた?」
帰ってきて早々、リビングで楽しそうに抱き合う二人。
仲の良い姉妹のようで、見ていて微笑ましい。
それに姉さんが普通の女の子らしく柔らかい表情をするのは咲良の前ぐらいであるからこそ、傍から見てる僕としても眼福である。
「今日ね、グラタンだって!」
「ほんと? やっぱりみなとも咲良ちゃんには甘いわね」
「まあまあ、せっかくの来客なんだし見栄を張らせてくださいよ」
キッチンで料理をする僕を見て、二人はひそひそと内緒話をする。
「結奈姉、みなと君かっこつけてる」
「男の子だからね、しょうがないわ」
「聞こえてるよお二人さーん」
お叱りを受けた子供みたいに二人はくすくすと笑う、楽しい時間である。
幼馴染であり三人姉弟みたいな関係だが、全く血がつながっていないからこそ、良好な関係なのかもしれないなんて。
「そうそう、これお土産よ」
「わっ、みたらし団子だ! ありがとう結奈姉さん!」
姉さんが手提げ袋の中身を見せると、咲良は小躍りしそうな勢いで笑顔を見せる。大好物に目がないのは女の子らしい。
しかも姉さんが買ってきたのはみたらし団子専門店のお高いやつだ。甘いのはどっちだか。
「みなと、見なさい咲良ちゃんのこの喜びよう。私にはお金の力があるわ」
「なら僕は料理の腕で姉さんを越えてみせるよ」
「あなたにできるかしら?」
「勝負はまだ終わっていないさ」
リビングからキッチンまでの数メートルで、お互いの視線が交錯し、火花を散らす。
妹を取り合う兄と姉って感じだ。自覚してます。
とまあ、咲良が帰ってきたらお決りのごとく行われる他愛ないやりとりをしつつも、晩御飯の準備を進める。
今日のメニューは咲良の好きなチーズ増しましグラタンに、出来立てで中身ふわふわ外側カリカリのバケット。
具だくさんのコンソメスープに、サッパリめの味付けにしたサラダだ。
「わぁ……おいしそう……!」
咲良は目を輝かせながら、テーブルに並んでいる料理にくぎ付けになっている。まるでお預けをもらっている猫のようだ。
その隣で、姉さんもお行儀よく座っている。ご飯に関しては姉さんは壊滅的だからな。
生死に直結する食事、そして胃袋を掴んでいる僕は、実質生殺与奪の権利を握っているようなものだ。いや、自惚れすぎか?
でもなあ、姉さんはちょっと気を抜くとすぐご飯を抜くしな。
作り置きも含めて三食分を用意していても、こっちが言わなかったら「あ、忘れてた」といった感じで食べてくれないことがある。
しかし、こうやって咲良が来てくれた時は否が応でも、というより喜んで食事の席に来てくれるから、咲良には感謝していたりする。
「お待たせしました、どうぞ召し上がれ」
「いただきますっ!」
「頂きます」
両手を合わせた二人を見届けて、僕も手を合わせようとした時。
「おー、なんだよお前ら、そろってんじゃねえか」
少し低めな女性の声が、廊下からぬるりと気配もなく入り込んできた。
その声を、僕は知っている。ここに居る三人は、嫌というほど知っている。
「なあみなと、あたしの分はあるか?」
長い銀髪を後ろで結っていて、五本指に色違いの指輪を付けて、竹刀袋を背中に携えるその人は、豪快に笑いかけてきた。
ぽかんとしている咲良。訝しむように睨む姉さん。声も失った僕。
かつての神楽坂家保護者の再来に、リビングの時間が止まった。
「おーい、巴さんの晩御飯はあるのかって聞いてんだけど?」
*
今日は来客の多い日だ。
ここまで知り合いが一堂に会する日というのも、なかなか珍しい。
「いやホント、うんまっ! さっすがみなとだな!」
「巴さん、相変わらず良い食べっぷりだね。作った身としても嬉しくなるよ」
「そうか! お前はもてなしであたしの気分を良くする天才だな!」
灰蝋巴。
姉さんの叔母にあたり、数年前まで神楽坂家の保護者でもあった人だ。
グラタンはさすがに人数分しか用意してなかったので、僕のを半分ほどあげて、それ以外は作り置きしていたおかずを温め直して振る舞った。
がつがつと見ていて気持ちのいい食いっぷりをする彼女は、とても男らしい。
「けどびっくりしたよ、相も変わらず突然だね? 連絡もなしに帰って来るなんてさ」
「あー、ちと旅してたんだ。携帯も持ってなくてさぁ、いやいやすまん」
きらりと、咲良が巴さんの言葉を聞いて目を輝かせる。
「旅! 巴さん、どこに行ってきたの!?」
「いろいろ見てきたぜ? 外国もいってきたし、無人の孤島なんかもさ」
「すごーい!」
さすがに、咲良はどうして巴さんが旅に出たのかを知らないから、遠慮なしに聞いている。
僕と姉さんは、少しばかり気まずいが、咲良がいてくれたから険悪な空気に傾き過ぎないのがありがたい。
潤滑油みたいだ、咲良。
いっそ潤滑油を名乗ればいいぐらいに。
「辛気臭い顔してんな結奈、そんなに食卓を一緒にしたくないのか?」
「そういうわけじゃない」
「ならもっと美味そうに食えよ、みなとに失礼だろ」
サッパリしてる人と病み気質がぶつかっていて、僕の精神が気苦労で先に燃え尽きそうだ。
咲良にアイコンタクトを送る。助けて、と。
「あ、そういえば巴さん」
「んー?」
「私も旅したいって言ったら、連れてってくれる?」
「なんだ咲良、旅したいのか?」
「うん、すっごく遠くまで」
「女の旅は自衛策がないときついぞ?」
「うん、だから人生と旅の先輩に、ぜひ教えてほしいなーって」
ナイスだ咲良、さすが潤滑油。オリーブオイルと呼んでやろう。
「そうだなぁ、まあとりあえず柔道でも習えば良いんじゃね?」
「え、そんなとこから?」
「金を得られる知恵より、屈しない体を持つ方が蓄えが効きやすいんだよ。あ、でも咲良って確かなんか習ってただろ」
「いや、あれもうだいぶ小さいころだし、すぐやめちゃったしなあ」
「なんだっけ、合気道だったか?」
「いや、カポエラだよ」
「そんなもの習ってたの!?」
思わず最後、聞いたことのない習い事をしていたことに驚いた僕が突っ込んでしまった。
「ダンスの延長線上でね、ちょっとだけかじってたんだ」
「じゃあ、足技ができたりとか……?」
「もう無理だと思うけどね。鈍ってるどころか、忘れてると思うよ」
なんというか、幼馴染と言えども知らないこともあるものだ。
それは当然、寮暮らしの咲良とは会うことが多くないから、というのもあるのだろうが。
僕は意外と、咲良が引っ越してくる以前のことを知らないものだな。
あれ、だとしたらなんで巴さんは、咲良がカポエラをやっていることを知っていたのだろう?
「くるくる回ることはできなくても、足技の心得があるんなら女として十分だろ。人間の下半身は、行動不能にするのに十分な急所が多いからな」
「えー、あんまり荒事はしたくないよ……?」
「そんじゃあ旅は諦めな、荒事のない旅をするんなら映画でも見る方がいいぜ?」
「それだと旅した気になっただけじゃーん」
咲良と巴さんは食事しながら、楽しそうに物騒な会話をしている。
姉さんは、居心地が悪そうに顔をしかめながら黙々とグラタンを食べている。
こうなった原因というか、ここまで姉さんと巴さんの仲が悪い理由は、話すとだいぶ長い。
しかし、それを知らない咲良がいるおかげで雰囲気が落ち着いているのだから、無知であることは得であり、徳だ。周りにもたらす人徳の存在だ。
そんなこんなで、晩御飯を終えた後は巴さんが「ゲームしたい!」と言ったことで、リビングで四人対戦のゲームをすることになった。
小学生の頃にこの四人で一緒に遊びまくったこともあり、一度ゲームをやってしまえばさっきまでの重たい空気は嘘みたいに明るくなった。
ちなみに、この中で一番ゲームが上手いのは咲良で、その次に姉さんと巴さんが同位で、僕が最下位である。
特に対戦ゲームになると、闘志の違いなのか、女子組三人はとんでもない覇気とオーラを纏うようになる。
絶対に負けない、そんな意志が言わなくてもびりびり震える空気で伝わってくるぐらいだ。
白熱した時間を過ごし、時刻が夜八時を回ったころに咲良は帰り支度を始めた。
もちろんお隣の実家に、雅火家に帰るのだから一分もかからないわけだが、玄関まで僕らは咲良を見送る。
「久しぶりにみんなで遊べて楽しかった! また遊ぼうね」
「まっ、あたしはすぐ出るけどなー」
「えー? 巴さんもう行っちゃうの?」
「定住するの苦手なんだって、咲良も知ってるだろ?」
「あはは、そういえばそうだったね。じゃあ今度会えた時は、本格的に旅のことを教えてね」
「気が向いたらなー」
ひらひらと手を振って家へと帰る咲良の背中を見送り、玄関の鍵を閉める。
潤滑油がいなくなったことで、神楽坂家の空気はまた微妙に重くなる。
気まずい沈黙を最初に破ったのは、姉さんだった。
「叔母さん、どうして今さらここに?」
「ブチ殺すぞ、誰がおばさんだって? 巴さんって言えってあれほど言っただろうが?」
「あっそ。寝床はまだ残ってるし、今日は泊っていっていいから、明日には出て行って」
「はいはい、んなカリカリしなさんなって。結奈があたしのことを嫌いなのはよぉくよーく分かってるしな。ただ態度ぐらいは隠せるようにしろよな。咲良に気を遣わせるなんて、ガキかよ」
「はあ?」
一触即発の危険地帯となった神楽坂家。
残念ながら、この二人の喧嘩を止められる術を僕は持っていない。
「ま、理由なしに帰ってきたわけじゃあねえんだ。ご挨拶をしようと思ってな」
「ご挨拶?」
隣で心底呆れた風な嘆息をつく姉さんだが、僕にはなんのことだかさっぱり分からない。
そんな疑問に答えるように、巴さんは僕の方へ向き直ってさらりと言う。
重要なことでもないように、最近起こった世間話のように。
巴さんは、衝撃的な事実を言いのけた。
「みなと。お前、ミズチと取引したんだってな?」
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