「んで、ここで俺が何してたかについてやんな。端的に言えば調査や。一般人から見ればまあ、ここに積もった灰は燃えた木の残りかすなんやけども、君や俺らみたいな『知っている側』が見ると、なんとなく赤色に見える。まるでこの灰の中でまだ炎がくすぶっているようにな」
「炎が、くすぶっている……」
赤く見えているのは視点の違いで、灰になってもまだ火を灯し続けている、ということなのか?
「それって、結構危険なんじゃないですか?」
「その通りや、燃え広がる可能性だってあり得る。ただ、燃やす対象が木だけなのが、不思議なところってやつやな。今のところここにあったはずの一本しか燃えておらんし、隣に燃え移ってもおらん。意思を持って燃やしているのか、それとも気まぐれなのか、ようわからん怪異や」
意思もつ怪異。
それは、巴さんも言っていた単語でもある。
だがしかし、当たり前のように言っているが、意思とはどのあたりまでを指すのだろう。
僕の身近にいる怪異、ミズチや戸牙子なんかは完全に意思があり、自意識をもって生きている。
だが逆に、まったく意思を持たない怪異というのは、果たしてこの世に存在するのだろうか?
「……ただの発火現象である可能性は?」
「ん? どういうことや?」
「いえ、『意思を持つ怪異』があるのだとして、まったく意思をもたない怪異というのはどういったものを指すのかなって、ふと思って」
「んー、そうやなぁ。みなと君は鬼火とか不知火って知っとるか?」
「聞いたことはありますけど、どういうものかまで詳しくは……」
「まあそうやな、ざっくりやけども、今言ったのは大気の光学現象って説明付けられてるんよ。蜃気楼ってやつやな。しかしそれは、人間の視点。怪異側の視点では、そういうやつらはすべて怪異の解釈で説明されている」
彼は顎を撫でながらゆっくりと、弁に熱を込めて続ける。
「鬼火なら『人の怨念が火に姿を変えた』と。そんで不知火なら『暗闇で人を己の気まぐれで導く明かり』とな。コインの表裏、二面性とでも言えばいいやろうか。表の『光学現象』を観測できた人間は、裏にある『怪奇現象』を観測することはできん。真実はいつもひとつとは言うが、ひとつにしか絞れんから真実なんや」
なかなか挑戦的な解釈ではあるが、逆説として成り立ってはいるのだろう。
「しかしな、その『ひとつに絞れる』怪異現象こそが、『意思なき怪異』ってやつや」
「……ん? え、どうしてそうなるんですか?」
「ええか? この世界をひとつのテーブルやと思ってくれ。その上でコイントスをして、裏か表が決定した。その状態をイメージしてくれ」
言われた通り、自分の頭の中で五百円玉を思い浮かべてテーブルの上でトスした。
思い浮かべたのが五百円玉なのは、なぜだろう、一番コインっぽいからだろうか。
「鬼火、不知火、そういう蜃気楼の現象たちは、コインの表面でも裏面でも説明できてしまう。科学現象だと信じるものも居れば、怪奇現象だと信じることもできる。それは、人間がたゆまぬ努力で導き出した真実であり、結果なんや。証明ができた現象には、怪異性が機能しなくなる。独り歩きせえへん、ってことやな」
独り歩きしない。
つまり、コインがトスされたあとは、テーブルの上で裏か表が決まる。
「観測した者が、どっちを裏だと思うか表と思うかは別としてや。一度決まった面は、くつがえらんやろ? もう一度コイントスでもしない限り」
「そうですね」
「面が決まったら、それが正解であり、科学的根拠に基づいた真実や。その裏面は見えない」
「たしかに裏面は存在しているのに、ですか?」
「そうや、人間の目ならぬ、認識はコインの裏面を見るようにできておらん。どんな絵が描かれているのかは想像するか、裏返すしかない。しかし残念ながら、裏返すのは俺たちのできることじゃない。世界がやってることだからな」
世界。
まるでそれは、この世界に意思があるような口振りだ。
「こういう表裏がもう決定しているのが『意思なき怪異』やな。説明できて、そいつ自身の意思でもう一度起き上がれん奴や。ここまで言えば、『意思もつ怪異』がどういうのを指すのかは、分かるんちゃう?」
「……自分でコインの裏表を決められる者……ですか?」
「そういうこっちゃ、さすが『方舟のハーフゴッド』やな」
彼はにかっと笑う。
僕にそんな呼び名があるのか、初めて知ったぞ。
けれど知ってるということは、彼は方舟の関係者なのかな?
それにしたって、僕の周りは褒めてくれる人が多いよな。
ありがたいけれど、甘やかされてるような気もしてむずがゆい。
「意思を持つ怪異っていうのは、自分自身の存在を定義できるやつや。君の体にいるミズチって神様も、自分で世界の因果に挑戦できる。テーブルを叩いてでも、自分を浮かせてでも、表裏を定義できる。まあ普通のやつじゃねえってことさ」
「……そうなると、この世にはそういう『意思もつ怪異』が多いんじゃないですか?」
「は?」
心の底からあきれ果てたようにぽかんと口を開けて、眉をひそめられる。少し傷つく。
「おいおいみなと君。君は確かに日頃からそういうやつらに触れているから忘れがちかもしれんけど、今の世の中は人間の天下だぜ? 数多の怪異が人間に『説明できる存在』に追いやられて、意思なき者になったんやで?」
「え、そうなんですか……? 神様や吸血鬼みたいな、意思持つ怪異だって、たくさん居たらしいじゃないですか」
「そう、“居た”だ。もう今はほぼおらん。怪異は認識されて『居る』と思い込ませることが大事やのに、この世の人間は『怪異』なんて信じてないからな。もっぱらネットのゲーム攻略記事とかSNS、掲示板の方を信じてるぜ」
引き合いに出されるのがそんな俗世の物だと、神様たちだって威厳を失くしそうだよな……。
まあ、インターネットなんて人間の科学力が生み出した、究極のコミュニティなんだろうけれど。
いわく、ネットの普及は人類の進歩と同時に、進軍でもあった。
村や町でとどまっていた時代から、世界中がつながる大規模なコミュニティの形成が、怪異を意思亡きものへと飼いならすことに成功した一例なのだとしたら。
化け物を伝える怪異譚というのは、広まるたびに信憑性が薄まっているのかもしれない。
コインの見えない面、現象の裏に憑依しているはずなのに。
いつの間にか、信じる者が減っていったことで、憑いていることすら忘れ去られている。
化け物を知っている人間に対して、信じている人間の割合が圧倒的に少ない。
だから、絶滅しかけている。
「ちと喋りすぎたな。まあ授業料の請求は勘弁しといたるわ」
「授業料って……いくらぐらいのつもりだったんです?」
「九億万円」
ほくそ笑みながら言う。
冗談だと分かってはいるが、笑えない数字だ……。
今でもあの懸賞金を見るたびに、鱗の心臓がどっくどくと跳ねあがる。
「長々と話してもうたけど、君が抱いていた疑問の答えにはなったんちゃうかな。この木が燃えたのは、確実に意思なき怪異が起こした発火現象ではない、ちゅうことや」
「怪異でありながら、さらにイレギュラーってことですか?」
「もっと分かりやすく言うたる、かなり強大な怪異や。吸血鬼、悪魔や天使、巨人、自然神、現人神、そいつらと同類ってことや」
だから、調査しなければならないと。
関西弁こそ抜けていないが、神妙な面持ちでそう言った。
「この灰は、持って帰るんですか?」
「ん、そのつもりやけど。なんや、みなと君も欲しいんか?」
「いや、逆にもらっていいんです? かなり大事な物なんじゃ」
「まあそうすれば共犯の口止め料にはなるしな!」
……なるほど。
この人はあまり物言いを隠さないというか、つまびらかというか。
「この灰がどんな影響をあたりにもたらすのかは、これから調査せんとあかんからな。燃やした主の調査は先送りや」
あれ?
もしかして彼は、この灰が「花を咲かす」特性を持っていることを知らないのか?
まさかこれは、巴さんが言ってた赤い灰とは違うものなのか……?
いや、実は巴さんの方が一歩早くて、先に灰の特徴を理解していたとか。
……だが、そういえば最初にこの人は「この件を追ってるのは俺ぐらい」とも言っていた。
赤い灰とは別件、なのだろうか。
となると、早とちりしてしまったのは、意外にも声をかけた僕の方だったかもしれないな。
「どうすんよみなと君。俺と共犯になってくれるんか?」
「……でしたら、ここで出会ったことをなかったことにする口止め料として、どうでしょう?」
「せやな、お互いそれの方がいいやろうしな」
そう言って、銀髪のイケオジは赤い灰――厳密には赤く見える灰を、がしっとわしづかみした。
すると、彼の手に透明な瓶のようなものが現れて、その口がごみを取り込む掃除機のように、灰をどんどん吸い込んでいった。
吸い込んだ灰が色を持っているから、ほぼ透明に近い瓶に色がつく。
赤色に染まった日本酒の一升瓶だ。なんでその形なのだろう……。
「おし、これぐらいでええやろ。んじゃあみなと君には残っているのを、好きなだけ取っていきな」
「あ、はい」
とは言ったが、僕は灰を入れるに丁度良い容れ物がない。
どうやって持ち帰ろうか。
「あー、なんも持ってないんか。じゃあ一個手品を教えたるわ」
「な、なんでしょう」
「ビー玉を思い浮かべてみな」
「ビー玉……おもちゃみたいなものでいいです?」
「ラムネ瓶に入ってるやつでもええで。とりあえず『透明で丸っこいもの』をな。頭の中でイメージして手をぎゅって握りながら、目を閉じな」
見ている人に体験させるタイプの手品をするようだ。
透明なガラスの球体をイメージしながら左手に力を込める。
「そんじゃあそのまま、握った手を灰の山に突っ込んでみな。あっ、目は閉じたままやで! 熱いからすぐ引っこ抜くようにな!」
手品、なんだろうか?
なんとなく灰のあった位置を狙って手を伸ばし、砂のような感触が拳の先に広がる。
ホントに熱かったから、一秒も経たずに引っこ抜いた。目も開けてしまった。
「あっつ!?」
「いえーい、マジック大成功」
「火傷させるのがですか大成功なんですか!? 普通に失敗じゃないんですか!」
「手、開いてみな」
ぐっと握りしめていた左手に、違和感が生まれていた。
目をつぶる前、僕は何も持っていなかったはずなのに、拳の中に丸く固い感触がある。
手を開くと、そこには赤色の砂が詰まったガラス玉があった。
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