「シオリと、スズリ? ええまあ、元気してるよ?」
「そ、そうか。それはよかった」
叔父さんはくしゃりと少年のような笑みを浮かべて、安心したように目尻を下げる。なんだか、彼の浮かべた安堵のそれは、私や巴叔母さんといった身内にかけるような親愛的な思いやりの方ではないというか、ちょっと質が違う気がする。
例えるならそう、想い人に向ける恋慕のような。そういうのを敏感に察知できてしまうのが、叔父さんが持っていない勘の強みだろうか。
だがしかし、まさかとは思うが、方舟に所属しているあの姉妹の近況を聞くためだけに庭園の情報を開示したとか、そんなわけないよな……?
「叔父さん、『彼岸の灰』のことは聞かないの? 一応方舟で解析を進めたから、私たちがそっちに提供できる、唯一の情報だと思うけれど」
「彼岸の灰? おお、あの赤い灰のことか? ええネーミングセンスやん、付けたのはスズリさんか?」
「ええと、どうかしら。多分名付けはシオリだと思うけど」
「ほう、そっか。そうか」
彼はごつごつとした手で口元を覆い隠し、表情が見えなくなる。まさか、にやついている?
「……白い方は、『無垢の灰』って言ってます」
「そうか、無垢と彼岸か。ええな、うん」
声を出したタイミングで口元が見えた。完全に笑っていた。
それもなんというか、心底嬉しそうな表情で。
「……ベタ惚れじゃん……」
私がそう呟くと、ギクッという擬音が顔の隣についていそうなぐらい、分かりやすいリアクションで叔父さんは目を見開く。
いたずらを見抜かれた子供のように、額に汗を滲ませて口をぱくぱくさせていた。
「な、なんや!? なんか言ったか!?」
「別にぃ? なんにも言ってないしぃ?」
「違うぞ結奈ちゃん! 俺は別に、シオリさんのネーミングセンスは前々から良いって思っていたんだ! たまたま今回もそうだったから、ああやっぱりすごいなって思っただけでさ!」
「関西弁抜けてる」
「うぐっ!?」
分かりやすい。なんでこうも分かりやすいのだ、男は。
「た、たまには関西弁が抜けるときもあるもんや!」
「嘘つけー、バリバリ関東の都会っ子が、なんでわざわざ関西弁使うのよ。惚れた女が使ってるのを見て真似たのが丸見え」
「そ、そそんなわけないわい!」
「ありますぅ、そういうのをバレてないと思ってやってるから、なおそうですー」
「お、男を誑かすんじゃあないぞ! 俺は姪っ子をそんな風に育てたつもりはない!」
「あそ、じゃあお外で学んできたっていうことで」
いつか聞いたことのある言い回しが、自然と出てきてしまった。
姉弟は似るもの、なのだろうか。
「みなと君か! いやミズチか!? くう……女の子っていうのは知らん間にずいぶん遠いところに行ってしまうな……!」
「……あはは」
なんだか、笑えてしまった。
私が憧れている男性も、そんな風に人間らしく色恋をしているのだと知ると、「私と同じだな」と共感してしまう。
この人の背中を見続けると思っていたし、今でも追いかけているつもりだ。
一生追いつけないだろうなと、そんな風に憧憬の念を抱き続けると思っていた。
でも、叔父さんからすれば、姪っ子が女として成長したように見えるのだから、不思議なものね。
「ふふ、惚れが燃え尽きちゃった」
「……は? え、どういうことや、結奈ちゃん」
「あーそう、知らないフリするんだねぇ叔父さん?」
「こわいって! 声笑ってるのに顔笑ってない!」
「私、叔父さんのこと、応援してるわ」
「い、いやいや! 俺は別に、シオリさんが好きだとかは一言も言ってないぞ!」
「私も別に、シオリを名前にあげたわけでもないけれど?」
「こかっ!?」
叔父さんは揚げ足を取られた鶏のような悲鳴を上げた。人間ってそんな声が出せるのね、これは新たな発見だわ。
*
そんなこんなで色々と話を終えたあと、私と叔父さんは今後の方針をお互いに開示して、最後の作戦会議を済ませた。
もちろんそれは、長い目で見た変革と革命に関する話ではなく、雅火咲良についてだ。
取り憑いた炎の怪異が、一体どこから来たのか。怪異の根源について、叔父さんは調べる。
咲良の精神や環境にどういった問題が絡んでいるのか。人間側の要因については、私たちが調べる。
そういった方針で、とりあえずは固まった。
咲良が普通の人間へと戻っている間は関与しない。ただし、暴走状態となれば庭園も灰蝋空木も、容赦はできないと釘を刺された。
方舟と庭園が珍しく共同戦線を張ることになるわけだが、お互いに対価は支払う。
これからどれだけあの灰を回収できるかにも関わってくるが、事件収束後に方舟が霞さんから譲り受けた「彼岸の灰」を渡すことが条件となった。といっても、それはいわゆる契約の担保であって、これから真相を追っていく中で、灰の収穫がまったくなかった場合の話である。
実際、叔父さんは咲良の作り出した「彼岸の灰」を少量だが手に入れている。
なのでこれは、協力関係を結ぶ言い訳としての契約にしか過ぎない。
月白の庭園としては、金の卵を産む鳥を無闇に殺すつもりはない。
むしろ生かしたまま、その純金を得続けたい欲望の方が大きい。
決して、殺して内臓から純金を奪い取ろうなどとは考えていないからこそ、咲良を放置する判断を下せるとのこと。
咲良のことを金の卵を産む鳥というのは、あまり気持ちの良くない例えではあるが。
だが、とりあえず彼女の危険性を判断する機会を一時的とはいえ、逸らすことができたのは大きい。
叔父さんがこの事件に担当していなかったら、こんなにうまく回っていなかったかもしれない。
「よっしゃ、大体了解したで。あ、そうやそうや、もう一つこっちから情報提供や」
「まだあるの? そんなに言ってしまって大丈夫?」
「むしろこっちが本命な可能性すらあるからな。あのな、咲良ちゃんが生み出す灰の状態には段階があるねん」
「ええ、それは知ってるよ? 彼岸と、無垢でしょ?」
「もう一つ、ある。できたてほやほやのやつは、また違う」
「……どういうこと?」
「彼岸の灰は、赤色。無垢の灰は、灰色。けど一番初めに出来上がったやつは、桜色なんや」
「……それはさすがに知らなかったわ」
「ああ、あの桜色の状態なのは、マジで一瞬やからな。触れた木を燃やしたあとに出てくる残りかすじゃあなくて、あれはきっと、火の粉に近いんやと思う」
燃焼している最中の物質。
怪異性が宿り始めたばかりの、新鮮な火。
灰ですらない。いや、それはつまり灰になる前の物体であり、現象でもある。
「そこに、咲良が怪異に取り憑かれている本質が隠れている……」
「やろうな。桜色の火の粉が、やがて赤色の彼岸の灰に成り果てて、力を失って無垢の灰に落ち着く。この順序にすら、きっと咲良ちゃんの秘密が隠れているんやろな」
「分かった。貴重な情報ありがとう。その線も含めて調査してみる」
「おう、頼むで」
私たちは同時に立ち上がり、それぞれ帰路を目指す。
だが、私は歩き始めようとして、最後にもうひとつだけ問いかける。
「……あの、さ」
「どした?」
「次、みなとに会うのは三回目なんだよね?」
「せやな」
「その時、あの子の隣に私が居てもいい?」
「……ああ、構わん」
叔父さんは低い声で静かに、端的に告げた。
外していた狐面をもう一度被って、表情を見せないようにして、暗い声色で続けた。
「必死になって弟を守れ、神殺し。俺は身内に手加減はせん」
「……ありがとう」
私がぺこりと頭を下げると、叔父さんは振り返ることもせず、廃神社の境内からすたすたと立ち去った。
灰蝋空木の因果盟約、「三拝山嶺」は三度目に向き合った相手に対して、リミッターを外すことができる魂の誓約だ。
ただの人間であっても、どんな異形であっても、未知の異世界種であっても。
一度発動したら、相手を殺すまで、無尽蔵の呪力と式神を扱える。
陰陽師としての本領を発揮し、化け物を徹底的に潰す。
止めるためには、向かってくる灰蝋空木を倒さないといけない。
本来ならみなと自身が叔父さんを倒さないといけないのだが、私がその手助けをしてもいいと許されたわけだ。
「……弟を守れ、か」
青白くなってきた朝の空気を味わいながら足を進め、私も神社の境内から出ていく。
参道とも山道とも見分けがつかないほど荒れた道を、足下を踏み外さないように下山。
ぽつぽつと空に浮かぶ白い雲に、朝焼けの橙色が映り込んでいて、幻想的な空気に思わずため息がこぼれる。
「手加減はしなくとも、身内には甘いよね、叔父さん」
腕時計をちらりと見る。
時刻は午前五時二十二分。今日の天気は晴れ時々曇り。
多分みなとは、駅まで降りてくるはずだ。そこの待合室で待っていてあげよう。
まあ、みなとが駅まで来る確証があるわけでもない。連絡もしていないし、意外と咲良ちゃんのところで一泊して帰ってくるとか、神通力でミズチに送り迎えされる可能性もあるわけだが。
あの子ならきっと、「人間として」神楽坂家に帰ってくると私は信じている。
つまり、賭けだ。駅まで降りてきて帰るという私の予想が当たったら、私の読み勝ち。
もしそうだったら、「一緒に帰れるな」と想像して、くすりと笑みがこぼれた。
澄み渡る朝の空気が肺に満ちて、気分がすっと晴れる。足場に気をつけながら、ゆっくりと山を降りる。
傷を負い、張りつめていた気が緩んだせいでたまっていた疲労がどっと押し寄せて、満身創痍となった重たい体に鞭打ちながら、最寄り駅に到着。待合室の扉をがらがらと開けて、ベンチに座る。
手鏡を取り出して自分の顔を見ると、あまりのボロボロさにまた笑ってしまった。
手櫛でどうこうなるレベルではない、濡れた髪を乾かさずに寝た次の日のように、髪型が爆発している。
最愛の人を待っているというのに、身だしなみを直す気力もない。
いいや、違うな。
直さなくても、いい。
直さない方が、いい。
だって、私だけ小綺麗だったら、頑張っていたみなとに失礼な気がするから。
目をつぶって耳だけ澄ましながら数分待っていると、がらがらと待合室の扉が開く。
ちらりと目を開けて、扉を開けた人を見据える。そこには、右肩から先にあったはずであろう衣服の布地が綺麗さっぱりなくなっていて、アシンメトリーのタンクトップみたいな服装に身を包む少年がいた。
彼の髪は乱れていて、肌や服にほこりっぽい煤がへばりついている。
戦地から帰ってきたばかりの兵士みたいに汚らしい彼は、私を見て一瞬驚いたような顔をしたかと思ったら、すぐへにゃりと可愛らしく微笑んだ。
安心したように笑う彼を見て、私もにんまりと笑みがこぼれた。
賭けに勝ったのは、私だ。
他の誰でもない、神楽坂みなとのお姉ちゃんよ。
「「おつかれ」」
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