「さってと、みなと君よ。俺は君に聞いておかんとあかんことがある」
「なんでしょう」
「君は、この赤い灰の件を、それなりに知っているんやろ?」
「それなりに……というのは」
しらばっくれるわけではなかったが、信じたくない可能性の方が大きいから、目を背けていた。
きっとこうであろう、という予測を、僕は空木さんに言えなかった。
「予感、みたいなものがあるんやろ。だからこんな深夜に、ここまで来た。俺が独自で調査していた件に、首を突っ込むように居合わせた。なんの縁がそうさせたかなんて考える意味もないぐらい、君はこの赤い灰と関係性が深い。知っているんちゃうんか、何かを」
「……僕の予想なんて、経験も実績も未熟なそれですので……」
「時に経験より直感の方が役に立つこともある。君みたいな『世界の因果に挑戦できる』やつの前では、通例やセオリーが消え去るんやから」
もし、もし本当にそうであるのだとしたら。
僕に何ができるのだというのか。
また僕が、無意味な争いの種を生み出してしまうのではないか。
だから、しらばっくれたかった。
知らない振りをできれば、一体どれだけ良かったかと。
そんな可能性を考える暇もないほど、もっと私生活が忙しかったのであればなんて。
違う。
そんなこと、思っているわけがない。
彼女は。
あの子は、僕の大切な友人なのだ。
もし彼女が事件に巻き込まれていたのだとしたら。
我が身を犠牲にしてでも、僕は助けたい。
「……そうか。言いたくないんやな」
「いや……その……」
「ま、色々事情はあるんやろ。俺もずけずけ入り込むほど野暮じゃあない。やけど、情報交換は大事やろ?」
「それは……はい」
「君が教えられる範囲内で……ちゃうな、もっと狭めようか。君が言いたい範囲内で、俺に言えることを教えてくれ。今回の赤い灰を生み出す輩を追うには、君の力も必要や」
「本当ですか? 今の僕って、ミズチが居ないんでだいぶというか、かなりお荷物な気がするんですけど……」
「んーや、人捜しをするときには人の縁が役に立つ。それは怪異を探すときも一緒や。残念ながら俺は人間やしな、怪異の件を追うのなら、半神半人の君が適性は高い。むしろ最初は君の勘を頼りにして、そのあと俺の経験則を活かすっちゅう感じでいこうや」
言いながら、僕らは夜の田舎道を歩く。
気を病んでいる僕を気遣う空木さんの優しさが、夜の寂しさを和らげてくれた。
これからの方針、作戦会議と、他愛ない世間話をして、夜空にぽつぽつと花のようにきらめく星を眺めながら、二人で進む。
「あの公園の灰にたどり着いたのは、なんか異常を感じたからなんやろ?」
「そうですね。煤の匂いがただの火じゃない、もっと異質なものだって気づいたからです」
「鼻がきくと言えば文字通りやけど、多分それは第六感やろな。みなと君、最近自分の体の中で変な音が流れたりしてへんか?」
音。
的確な分析に心でも読まれているのかと錯覚すら覚えるが、どうやら彼の推察は経験則から来るものであるようだった。
「……なんか、波の音みたいなものが、たまに聞こえます」
「波、波か……。それは大時化? それともさざ波のように静か?」
「えっと、結構静かです」
「ふむふむ、オッケー覚えておくわ。なんかの時に役に立つやもしれん」
電灯がぽつぽつとしか無い田舎道から外れて、森の方へずんずんと進んでいく空木さん。
迷いがない足取りを見るに、僕の勘など必要ないようにも思えたが。
「灰朧」
小さく唱えると、彼の手に刀が現れた。
灰朧と名がついているその刀身は、明瞭だった。
そう、同じ名前を詠唱してあらわになった巴さんの刀とは違い、空木さんの持つ長刀はしっかりと見えている。
それも、鞘にしまわれておらず、剥き身の刃が月明かりを反射させて、ぎらりと鈍く輝いている。
「灰陣――雪卯――」
空木さんは、右手で持つ刀を森の奥へ向かって振るった。
片手で、空木さんの高身長にも負けない長さの得物を、花を活けるように物静かな佇まいで、振り抜いた。
巴さんの時のように、また冷風が吹き抜けるのかと身構えたが、遅れてやってきたのは衝撃波ではなく、しんしんと空から降り注ぐ白い綿だった。
森の奥、獣道すらもなく生き物の痕跡が見えない木々の並ぶ地面が、雪のような綿で包まれる。
「よっし、これで俺らの足跡も、探し人の痕跡も分かるやろ」
「すごい……この雪みたいなのって、空木さんの異象結界ですか?」
「いやいや……これはただの神秘術で作った綿で、オヴィリオンガーデンは俺には無理やって……。姉ちゃんと一緒にしないでくれや。あん人はマジモンの規格外やしな、人間がやるんなら何かを捧げんと、一生無理や」
「そんなにすごいんですね、異象結界って」
「逆になあ、みなとくんは異象結界を見過ぎてるで。あんなもん一生に一度や二度でも見れたら運が良い方やし」
と、言われても。
ミズチだったり、ロゼさんだったり、虹羽さんだったり。
異象結界を軽々と扱っている人たち、もとい化け物たちがたくさん居るから、感覚が麻痺するのも仕方ないと思いたい。
「えっと、ちなみになんでこの雪を……?」
「厳密にはこれ、雪ちゃうねん。白くてちっさい苔の集合体でな、めっちゃ燃えやすい。あの木を燃やす犯人が特定の木しか燃やさなかったとしても、その過程で空気中に散ったこいつらが燃えるかもしれん。もちろん『燃えるかもしれない』っていう伏線の張り方しかできんから、ほんまに探知できるかはわからんけどな」
だからこそ、と続けて空木さんは刀の先を僕へ向けた。
「みなとくんの出番や。俺が感知できるのは科学現象の『発火』だけ。もし犯人の燃やすものが、そもそも発火現象ですらない質のものやったら、君の第六感が活きる。灰の匂い、というか煤の匂いを感じられた君なら、絶対に感知できるはずや」
「なるほど……頑張ってみます」
そうして、僕らは数十分ほど歩いた。
元山査子家のあった裏山を歩いた経験で、道のない山を歩くのには慣れたもので、意外にもすいすい進めた。
進んで白い地面が途切れたら、空木さんが白い綿を前面に振らせて、綿が地面からなくなるあたりまで進み続ける。
もちろん僕らは、確信があるわけではない。
ここに確実にいるという情報があるわけでもない。
しかし、事態は切迫していても、結局地道に足を使って探し続けるしかない。
ここにたどり着いた理由は、僕と空木さんでそれぞれ違うのだが。
目的は、同じだったから。
「俺がここに来たのは、まあそうさな。縁があったからや」
「縁?」
「地道に一つずつ、しらみつぶしであたるのはしゃあないことなんやけど、俺が今回この件を任されたっていうことは、俺が適任だったわけがあるんやろうってな。上の考えてることまで察するほど俺も暇じゃないしな。だからまあ、俺にとってもゆかりのある土地からあたってるわけさ」
「ここは、空木さんの知っているところなんですか?」
「あの学校あるやろ。全寮制の女子校。あそこな、昔巴おばさんが……ってそうか、結奈ちゃんじゃなかったわ。まあ姉ちゃんが通ってたんだよ」
「え、巴さんが!?」
それは初耳だ。
となると、今からもう二十年以上前になるんじゃないのか?
「あん人は、昔っからトラブルメーカーでなあ。しかも子供の頃からうちはそういう家系やから、巻き込まれるトラブルっていったら大体『怪異絡み』になるわけよ。けど実際、『灰刀の巴嬢』つったら結奈ちゃんの『銀の殺し屋』と同じぐらいのネームバリューがあったから、向かうところすべて血の原っぱよ」
歩いたところがすべて血の海、それはさすがに怖い。
「ここが外れたら、さすがに俺も当てがなくなってしまうんよ。となれば、たっかい金払って、情報屋に聞くしかあらへんねん。嫌やねんなー、あの情報屋。おかみに嫌われてるだけじゃなく、ぺらい和紙一枚送るのにウン桁万円かかるしさぁ。情報が確実なことがまた憎い」
……まさか、情報屋というのは、玄六さんのことなのだろうか。
ぺらぺらな和紙一枚とは言うが、貴重で誰も知らないような情報の詰まったそれの価値は、紙として考えることができないほど高価なのだろうけれど。
そんな人と、僕は和紙を使わずに、ただでやりとりしているのか。
今更になって、虹羽さんの言っていた「すごいやつを味方につけた」という発言に、真実味がましてくる。
本来なら、家においたままの金伝手の筆を取りに戻るぐらいすれば良かったのだろうけれど。
焦りすぎていたな。
そんな風に、自分のなかで反省していたおり。
「……匂います」
かすかに、だが確実に。
昔話に花を咲かせていたら、鼻腔に煤の匂いが通り過ぎる。
もっと確実に言うなら、植物が燃える匂い。
農家が枯れ草を野焼きしたときに香るような、葉っぱや木の幹が燃焼するあの匂いとひどく似ている。
「ほんまか? 俺は分からん。つまりそれは、確実に怪異の匂いやな」
空木さんには判別できていない。
それはある意味、燃えているのに匂いが立たないという「歪な発火現象」であることの証明でもあった。
「方向はわかるか?」
「いえ……木が多くてどの方向から来ているのか、よく分からないです……」
この前、空木さんと初めて出会ったあの公園であれば、木があるところは限られるというか、ある程度の目星をつけられたから見つけられた。
けれど、ここは樹木が無数にある山奥の森林である。
たとえ鼻がきくと言われようとも。
いや、むしろきくのが鼻しかないからこそ、木の隙間を通り抜けて僕の元までたどり着いた匂いが、どこから流れてきているのかまで特定するのは難しいのだ。
それは、例えるなら砂漠でオアシスらしき水気を感じたが、それがどの方角にあるのかは感知しづらいのと似たようなものだろう。
「そうか、しかしよう気づいてくれた。ここからは、俺の出番や」
空木さんは、灰朧の柄を両手で握りしめ、刀身を垂直に立てる。
びゅうと、抜き身の鉛に灰色の綿が集まり始める。
それは、「雪卯」で散った白い綿と見た目は似ているが、ひとつひとつの粒が燃えかすのように、鈍い色をしていた。
「集え、集え、峰のもとへ」
地面を埋める、白い綿たちも空木さんのもとへ集まり始める。
刀身へ纏いはじめる灰と白の綿が、数秒後には灰朧を覆い尽くして、太陽のようにきらりと白く輝いた。
それはまるで、白金の刀だった。
「みなと君、しゃがめ」
彼の声には、殺気が宿っていた。
身の毛がよだつ覇気に圧されて、疑問を浮かべる暇もなく、大の字で伏せた。
「――朧月夜――」
一閃が頭上を通り過ぎた直後、暴風が吹き荒れた。
巴さんのやった「凩」が比較にならないほどの、体が吹っ飛びそうな烈風。
あたりの木の葉がこすれ、風の音がかき消える勢いで森全体が叫びたける。
「う、空木さん! いつまでしゃがんでいたら良いですか!?」
「もうちょいや、ここら一帯を風で追ってる! 引っかかりさえすれば、見つかったも同然や!」
大声でやりとりをしなければ聞こえないレベル。
術を発生させた張本人である空木さんは、灰朧を地面に突き刺して風に耐えている。
「ど、どういう原理なんですかこれ!」
「台風って分かるやろ! 渦になっている風をこの一帯に作り出したんや! 火の粉、もしくは灰か、何かしらを巻き込んだ風がもう一度帰ってくるのを待てば、そこから逆探知できる!」
「む、無茶しますね!?」
「最短最高率でやらんと、また逃げられたら困るんや! 木を燃やしたら、すぐ消えてしまってるあいつの逃げ足を舐めたらあかん! って来たぁ!」
歓喜に満ちた声を上げた彼は、灰朧を地面から抜いて、目線の先に構えた。
その切っ先に、桜の花びらのような薄桃色の灰が乗っている。
「え、それなんか赤い灰とは違うような!」
「あの赤い灰、できたてはこの色みたいやな! まだ新しい証拠や、みなと君お手柄やで!」
暴風、ならぬ小さな台風はまだ吹き続けていた。
「この風、いつ止みますか!?」
「すまねえ、俺のは異象結界じゃねえから微調整がきかんのや! 俺だけで行ってくるから、みなと君はここで風が止むまで待っといてくれ!」
「そ、それはだめです! 僕も行きます!」
「アホ言うな! 吹き飛ばされたいんか!」
口論の合間に、空木さんの手から灰朧が消えた。
「待っとけ! それか風が止んでから来たらええ! 向きは北東に、距離は約五百メートルや!」
言い残すと、空木さんはその場で地面を蹴って、大ジャンプ。一瞬で見えなくなった。
まずい、これは非常にまずい。
先に見つけた空木さんが、あの赤い灰を生み出した張本人に何もしないわけがない。
なおさら、「薄桃色の灰」であることが、確信にも繋がったのだから。
あれは間違いなく。
あの色は間違いなく。
雅火咲良の髪色と、同じだったのだから。
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