「きっと、神楽坂くんが一番知りたいのは、なぜ私が戸牙子を捨てて消えたのかだと思います。
「一度情報の整理をしましょうか。神楽坂くんが現時点で知っていることは、戸牙子の境遇と、あの子が私に対して抱えている恨みや妬み、そして戸牙子と六戸が兄妹であること、でしょうか。
「先に訂正をしておきますが、六戸と戸牙子は本当の兄妹というわけではないのです。しかし、それを説明するためには、まず六戸の生い立ちから説明するべきですね。
「といっても、六戸は私が山査子家に入る前からいた子で、私にとって一人目の命の恩人であるのですが、全てを知っているわけではないのです。
「いえ、大丈夫ですよ。確かに全ては知らないですが、要点は抑えています。六戸のことを説明するためには、まず山査子家の当主であり、私たちの命の恩人である、『山査子玄六』という人間のことを話さなければなりません。
「彼は、怪異に対して人情深い性格でした。いえ、義理深いとでも言うのでしょうか。助けられたら助け返し、助けたのなら最後まで面倒を見る。幼少期の頃に出会った事件が彼を変えたきっかけだったと聞いてはいるのですが、詳細は教えてくれませんでした。本当に、変わっている人でした。
「けど、あの人に救われた怪異は数多くいました。己の身も心も削りながら、何か力になれないかと、使命感に追われるように、人生の終わりを見つけるように、のらりくらりと放浪していたようです。そんな彼が定住するようになったのは、とある鬼との出会いからでした。
「鬼というのはもちろん、六戸のことです。まだ生まれたての鬼の子は、霧の能力がうまく制御できず、自分の存在まで消えかけていた時に、本当にどうやって気づいたのか不思議でしょうがないのですが、玄六さんはそばに近寄って、聞いたそうです。『どこか泊まるところはあるのか?』と。
「首を横にふった六戸を、放置されていた実家へと連れて帰り、名前のなかった彼に『六戸』と名前を与えて、面倒を見ることにしたそうです。少なくとも、彼が自立できるぐらいには育てようと決めたらしいのですが、ここで別の問題がつきまといました。
「怪異殺しをする組織の人間が、玄六さんのところへ詰め寄ってきたそうです。もちろん玄六さんは表面上、鬼を匿っていることを言うわけにはいきませんでした。もしばれたのなら、匿った玄六さんが狙われてもおかしくない状況です。
「しかし、そこで六戸は霧の能力を使い、詰め寄ってきた人間たちの意識を迷わせて、帰らせたのです。
「あの人は素直じゃないといいますか、照れ隠しが多いといいますか。『六戸をうちに置くのは、こいつの霧術が身を隠すのに役立つからだ』なんておっしゃられていましたが、実際はこれ以上ないぐらい嬉しかったのだと思います。助けた鬼が、今度は自分の身を守ろうと体を張ってくれたのですから。
「だからこそ、二人の信頼関係はとても強くて、まるで父親と息子のような雰囲気をしておりました。ああ、これは私が出会った時に感じたものですよ。
「それから数年、玄六さんと六戸は一緒に暮らし続けました。長年の放浪生活は、六戸が持つ霧術のおかげで安心の暮らしにつながったようです。
「玄六さんは怪異を助ける人でしたから、それを疎ましく思う人間から狙われることも多かったようで。利害関係が一致して好都合だったようですが、きっと彼は人情だけで六戸をかくまったことは、私ですらわかってしまうほどでした。
「これが、山査子家の生い立ちです。それ以前、六戸に出会う前に玄六さんがなにをしていたのかは、ほとんど教えてもらえませんでした。どこで生まれたのかも、どんな親に育てられたのかも、どういった人生を歩んできたのかも。
「いえ、歩んだ人生は聞く機会もありましたが、それもなんというか、結果しか話してくれない感じで……。
「怪異や人外と一緒にくぐり抜けた死線や、他愛ない日常を世間話として聞くことはあっても、玄六さん自身の生い立ちは聞かせてもらえませんでした。寂しいなと思いつつも、これが彼の優しさだったのに気付くのがもう少し早ければ、また違う未来があったのかと考えたりしてしまうのですが……。
「すみません、話が逸れましたね。ここからが本題です。私、ローゼラキスは西洋生まれのヴァンパイアでしたが、今から約二十年前に、とある騒動に巻き込まれました。”ヴァンパイアとヴァンパイアハンターの最終戦争”とも呼ばれている大事件に。
「たしか神楽坂くんは戸牙子と同い年と聞きましたから、まだ生まれてもいない頃ですね。ええ、本当に、あれが『最終戦争』であってほしいと願うばかりです。もうこれ以上、悲惨な戦いをする必要なんてないのです。
「そのころは、私も前線に出ることが多かったです。いえ、前線に出なければいけない身分だったというのが正しいですね。人間の歴史で例えるならジャンヌダルクだと思ってください。最前線で味方の士気を高める、戦乙女で、姫の身分でした。
「私ですか? 戦争なんて嫌でしたよ。これ以上世界を傷つけて、お互いを殺し合っても、土は喜びませんよ。それでも、まだそのころは指導者がいた時代だったのです。吸血鬼の王が。私はその娘でしたから、前線に出るのは仕方なくというか、投げやりでした。
「吸血鬼は戦争を望んでいたのか……ですか? どうでしょう、戦いを嫌ってはいても、公に戦争反対と言い出せるような空気ではなかったですね。心の片隅で思ってはいても、私たちは吸血鬼としてのプライドを捨てきれないのですから、種族というのは重く厄介な鎖だと感じます。
「だって、私たちは人間以上の力を持っているのですから。普通の人間以上の、人外としての圧倒的な異能を持っていて、どうして人間にくだる必要があるのかと。ただ、怪異であるから、人間とは相性が悪いだけで。それ以外は優れていると、思い込んでしまっているのですから。
「人間と吸血鬼が足並みをそろえて何かを成すことができなかったのは、どちらが悪いとか、どっちも悪いとも、今となっては言い切れないことですね。
「結果、自惚れに呑まれたヴァンパイアは敗北しました。王の首は取られ、王家の血筋は処刑されて。けれど、ヴァンパイアハンターの勝利ではあっても、すべての吸血鬼が消えたわけではないのです。そこはなんと言いますか、温情とでもいうのでしょうか。
「私が率いていた吸血鬼はほとんど死滅しました。なんせ若い子がほとんどでしたから、吸血鬼性の未熟さに付け入られて、熟練のヴァンパイアハンターを前に不死性なんて機能せず、あっけなく殺しきられました。私はすこし長生きだったので、一番最後まで生き残っていただけです。
「今でも覚えています。長い銀髪を頭の後ろで結った、銀色の目をした女性が、『あんたを殺すのは趣味じゃない』と言って、目の前で背中を向けてすたすたと歩いて行ったのを。戦場で、背中を向けたのですよ? いつ殺されてもおかしくない、そんな覚悟を見せつけてきたのが、彼女の言葉に嘘はない証拠でした。『逃げろ』と、背中で教えてくれたのです。
「彼女が生きているのかはわかりませんが、もし生きているのならもう一度だけ会いたいです。そして今度こそ、殺してほしいと思うのですが。
「すみません、また逸れましたね。久しぶりのおしゃべりで少しだけ、楽しくて。
「銀髪の彼女から見逃された私は、逃げました。逃げ惑い、放浪しました。他の吸血鬼を集めて、手を取り合って共に生きる道も考えたり、最後の力を振り絞って、自死することも考えました。不死身の吸血鬼ではありますが、私はこれでもそれなりに、おばあさんなので。自分の人生を終えるだけの力は、ありました。けれど、どうせ死ぬのなら、最後に世界を見て回るのも良いかもしれないと、不意に思ったんです。
「そこからは、放浪の旅です。印象深い景色はたくさんありました。
「ジャングルにずっと降り続ける雨が、時たま晴れて覗く満天の星空。荒野に続く道路から地平線に消えていく、琥珀のような優しい夕焼け。ビル街のなかにぽつりぽつりと人の営みを感じられる、ほの暗い明かり。ずっとずっと夜が続く、吸血鬼にとって天国のような極夜がある地域。北極は過酷な地域でしたけど、エメラルドやサファイアのような輝きを思わせるオーロラは、あれが太陽光の副産物であるにもかかわらず、目がほんのり焼けるのも忘れて見惚れてしまいました。
「楽しくて、幸せで、でも孤独でした。今まで姫として丁重に囲われていた私にとって、これは自由の孤独だったはずなのに。それがなぜか、とても寂しかったことを覚えています。美しい景色に心を奪われても、孤独はしぶとく残り続けていました。それを自覚したところで、ようやく私は身内と共に平穏で温かい生活を望んでいたことに気づいたのですから、世間知らずな吸血鬼です。
「もっと世間を知りたくなって、人間の生活に溶け込むことを考えました。様々な国を巡り、どこに住みたいかを考えていた時の候補が、日本でした。なぜかと言われると……そうですね、吸血鬼に疎い国だからです。
「日本に鬼はいますが、吸血鬼はあとから入ってきた存在です。本来なら恐れられる吸血鬼が、日本では比較的ゆるい印象で見られていることが、候補として大きくありました。西洋は吸血鬼に対してかなり敏感ですので、気づかれやすいですし、あちらこちらに十字架や魔除けがあるのも、苦手でした。それに比べると日本はなんて自由で、寛容な国なのかと感動したものです。海で挟まれてますしね、安心感抜群です。
「だから、油断していたんです。日本でなら、私の脅威になるものなんて、海洋のタコぐらいしかないだろうって。それ以外に、こんな吸血鬼を狙うものなんていないと、楽観的になってました。
「おかしい話ですよね、数年の放浪の旅のおかげでもせいでもあるというか。自分の身分を忘れていただなんて。
「私は、王族直系の姫であり、吸血鬼の最古で最後の王の娘、ローゼラキス・カルミーラ・ホーソーンだったことを、忘れるなんて。平和な放浪生活に慣れてしまって、日和見主義になっていたのでしょう。
「そんな油断を、怪異殺しの人間たちが見逃すわけがないのだと、もっと早くに気づいていれば。
「私は、六戸を喋れなくしてしまうことも、戸牙子を産むことも無かったのですから」
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