「ええっと……あとは島サークルってやつをまわるだけ……だよね?」
「『かべさー』というのはもう終わったんじゃろ? いやはや、日本人は長蛇の列が好きじゃのう? ラーメン屋だけに限らないんじゃな」
「まあ、並んでるってだけで人気そうに見えるのはあると思うし、それにこういうのは一期一会で、機会を逃したら手に入れられないらしいから」
昨日の晩、出発前に綿密な計画を立てていた戸牙子に何気なく、本当に他意無しで「そんなに買うの?」と聞いた時に返された力説を、ぎゅっと凝縮してミズチに教える。
「一期一会」の一言で片付く説明を、一時間近くかけてやられたのだ、辟易もする。
「ところでミズチ」
「うん?」
「黒髪似合うね?」
「え、きも」
ひどくない?
長蛇の列に並んでいる時とは違い、会場内を歩き回るこのタイミングで僕ははぐれないように、ミズチの手を握っていたのだが。
その手を振り払われた。そこまで気持ち悪いかな。
「お前さん、褒めるタイミングがおかしいんじゃよ。なんでもっと早く言わんのじゃ。あれか? 意図せぬタイミングを狙うことによるドッキリ作用を向上させようとか思ってるのか? 男なら小手先ばっかりの手に頼らんとまっすぐやらんか、ええ?」
「めっためたに罵倒されて泣きそう。しかしミズチ、君の生きてきた時代であればそれは通用するかもしれないけれど、今はむしろ『男なら』という発言ですら危ういとは思わないかい?」
「ふうむ、まあそうかもしれん。なよっとした男も、クールきつめな女も、いまは人気なんじゃろう?」
「多様性が認められるようになったってことだと思うんだ。こうあるべきという社会の枠組みにはまらない、新しい生き方を尊重するべきとなったから、今までいないように見えていたタイプの人間が表に出られるようになってきたみたいな」
「あまり突っ込みすぎるとセンシティブな話題になりそうじゃな。ほら、動画サイトとか最近厳しいじゃろ」
「んなこといったらミズチ、君みたいなロリっ子なんて海を跨いだら即犯罪だからね。知ってるかい? 日本の漫画雑誌が空港で検閲に引っかかって没収、さらには有害図書にまで指定されてるんだぜ。持ってるだけで犯罪って」
「クスリ扱いか、まあ脳のクスリではあるんじゃろうけどな」
「この同人イベント会場にあるブツの半分近くは多分海を渡れないよ」
「なんと、それはいかん。電子の海に乗せてでもこの文化は伝え広めておかなければ!」
「それがやばいって言ってんだけどな」
ミズチの見た目がすでに危険な領域ですらある。モンスター娘ってだけで一定の需要があるのに、そこにロリまで追加してるなんて、水を司る神様のくせして海渡れないよ。
泳ぐセンシティブ、渡る世間はロリばかり。
まあ日本にとって竜扱いをされていたワニなんかは、九州のさらに下からはるばる海を泳いできたりしてるらしいから、密航はありえるのかもしれないけど。
単独密泳とも言えるか。
だとしてもこの会場にある数多の同人誌や、日本人体型をこよなく愛する諸兄姉が生み出した血の滲む創作物を、よろしくない文化だと決めつけられるのは、どうにも物悲しい。
いや、体裁として物悲しいとか言ったりしたが、泳ぐエロリ竜をこの島国で留めている僕の方が評価されてもいいかしれないなんて。
「いや失礼じゃな、なんじゃエロリ竜って! ちょっとクスリっぽい匂いと味で人を選ぶ野菜みたいに言うんじゃないのじゃ!」
「お前のせいでセロリが風評被害を食らってることに気づけよ! クスリっぽいまで含めてさらなるイメージダウンに繋がってるじゃねぇか!」
「セロリ竜……なんかそんなやつ知り合いに居たような……」
「いるの!? そんな食べられそうな名前の竜が!?」
「ほら、あれじゃ、なんか、白い翼と黒い翼をもって、その場の流れを自由自在に操って、学園の中でトップクラスのレベルをもつ……」
「やめようミズチ、それは俗称だ! たしかに彼にはロリコン趣味があるかもしれないが、だからといって君と同種と思われるのは彼の尊厳に関わる! というか創作物の彼と知り合いっておかしいだろ!」
「えー? じゃって、わしってどこまでいっても妄想の産物じゃし……」
「ミズチ、君の存在は僕が証明している。君は僕の命の恩人で、半身で、相棒で、切っても切れない関係だろ? だから嘘でもそんなこと言ったらだめだよ、僕が悲しむから、ね?」
「お、おう……す、すまなんじゃ」
ミズチの肩をがっしり掴み、まっすぐ眼を見て真剣な思いを伝える。
恋人に想いを告げるぐらいできるだけ真摯に向き合ったからか、ミズチはらしくなく頬を赤らめて、僕の情熱的な眼差しからぷいっと視線を背けた。
これは止めるべき話題だ。これ以上の脱線は危険だ。
そのためなら、いくらでも嘘の愛を囁いてやるぜ、僕はな。
「男女平等パンチじゃったか、わしあれ一度食らってみたい」
「脱線しろよお前さあ! なんのために僕がここまで真剣に想いを告げたと思ってるんだよ!」
「まて、せめてこれだけは言わせておくれみなとよ。怪異であるなら、怪異を殺してくれる存在に恋い焦がれるのは当然の摂理なんじゃ。平等に殺してくれる神殺しの鉄拳制裁を喰らいたいと思ってるのは、わしだけじゃない!」
「いや、あれは別に平等さに価値があるんじゃなくて、性別で忖度しないイマジンブレイカーの心意気を評価されてるのであってだな……。というかすべての怪異がミズチみたいにドMだと思ってたらいけないというか、他の怪異の皆々様に失礼だろ」
「戸牙子は?」
「ドMだったわ……」
怪異は全員ドM説。深夜特番か動画企画で検証の価値ありだろう。
「ていうかほんとにはぐれるから、ほら、手」
「いやじゃ、なんかお前さんの手しめっぽそうだし」
「お前も一緒だろうがよ!」
水をつかさどる半神半人だってこと忘れてるだろ。湿っぽいのはお互い様だよ。
仕方なしに、ミズチの腕を掴んで半ば無理やり引っ張る。
「あ、ちょっと強引にやられるのも悪くないもんじゃな」
「……ミズチは人生楽しそうだよね、良い意味でも悪い意味でも」
「失敬な、神生と言え」
「字は違うけど読み方は一緒だね、何が違うか分かりづらいボケはやめよう」
「拾ってくれるご主人様がいるからできるんじゃ、わしは好きじゃぞ」
「まったく、その程度の褒め言葉で男が揺らぐわけがないだろ。肩車してあげようか?」
「今はツノ生えておらんしなぁ……乗り心地悪そうじゃからいい」
ひどい相棒である。
むしろ今ツノがあるのはミズチな訳だし、僕がそのツノに乗って肩車されてやろうか。
とにかく、早く島サークルを渡って目的のブツを手に入れなければ。
戸牙子が渡してくれた、付箋に赤ペンもびっしりのイベントカタログには移動ルートが書かれた地図も載っており、どのサークルから行くべきかの優先順位が書かれている。
曰く、戸牙子は作家のSNSや告知などもチェックしていて、どれだけの部数が刷られているかをわかる範囲で事細かに記録しているそうだ。なぜそれをするかといえば、島サークルでも人気のある作家というのはいるもので、あっという間に売り切れてしまう可能性があるかららしい。
作家自身が「ここまで人気があるとは思ってなかった」と、イベント初心者であるほどその可能性が高くなるらしく、しかもサークル参加として初心者の場合、全国で展開している同人誌ショップへの委託販売、ざっくりいえば通販にも対応していないことがあるとかで、本当になんの脚色もなく「一期一会」になってしまうこともある。
そうなれば、家に帰る電車の中でほろほろと後悔の涙を流し、帰ったら今度は自身の不甲斐なさで枕を濡らすことになるのだとか。
「まあ、戸牙子って別に同人イベントの参加回数はそこまで多くないはずなんだけど。やけに詳しいよね」
「妄想癖持ちじゃしな。脳内のイメージトレーニングで追体験してるんじゃろ」
「高度テクニックすぎるな、引きこもりを極めるとそんなことまで出来るようになるのか」
「あるあるじゃろう? 経験不足の頭でっかちなんて、そういう不安要素にばかり目がいきがちで、土壇場に弱い」
「やけに辛辣だね……」
「かわいいものと思ってるだけじゃ。ああいう若さは、いずれとんでもない原動力になるからの」
むふんと、どこか誇らしげで楽しそうな笑みを浮かべるミズチ。
なんだろう、戸牙子の将来性に期待しているのだろうか。彼女の血がいずれ上等なワインのようになるのを期待している、そんな思惑が垣間見える。
「あんまり姉さんと喧嘩しないでよ? その、僕が言うのもなんだけど姉さんてちょっと、ヤンデレだから……」
「むむ、まあ死なない程度に痴情のもつれを楽しむわい」
「その死なない程度で僕にも余波が来そうだからやめてって言ってるんだけど」
「だいーじょーぶじゃみなと、死ぬときは一緒じゃ」
「お前を身代わりにして僕は生きる」
勝手に死に場所を選ばないでほしい。僕は姉さんを守るために生きてるんだぞ。
と、ミズチの腕を引っ張りながらそんな話をしていたら最初の島サークルへとたどり着いた。
周りから危うい視線をもらっていたことがきつかったが、まあ一期一会、この場限りの恥である。
戸牙子から「島サークルは必ず最初にここへ行ってきて」と言われたのは、比較的小規模なサークルだった。
サークルのスペースを目立つ装飾で飾るわけでもなく、頒布する見本を額縁のようなスタンドに斜め掛けしているだけの、質素さ。
だが、それがむしろこのサークルの厳かさというか、品性を表しているとも思える佇まいだ。
変に媚を売らない、直球でまっすぐで、売り方を重視しないスタンス。
様々なお色気要素で少しでも目立とうとする、ともすれば品のない行いを真っ当で真面目で真剣に、潔さすら覚える在り方を貫く成人向けサークルとは違った趣だ。
戸牙子から託されたカタログを確認。そこには『バッグに入っているファンレターを渡しておいて』と書かれていた。
彼女の書いたファンレターを手に持ち、意を決して、サークルスペースにいる人へ話しかける。
「すいません」
サークルの主らしき女性に話しかける。
しかし、彼女は手元にある紙にペンを走らせながら、こちらを向かずに俯いている。
「は、はい」
彼女は赤いベレー帽を深くかぶり、黒縁のメガネをかけている
もしかすると、人と眼を合わせるのが恥ずかしい人なのかもしれない。返事の声量が小さくて会場の喧騒に消え入りそうだったが、なんとか聞き取れた。ここら辺は半神半人のメリット、かなぁ。
「新刊をもらえますか? あと、このファンレターを渡すように頼まれました」
「ふ、ファンレター……?」
「はい、絶対に渡しておいてほしいと、友達から」
ファンレターをテーブルに置いて、その上に新刊の値段分の小銭を乗せる。
すると、サークル主の女性はおずおずと、積まれていた新刊の小説と、一枚の別冊子を添えてこちらに両手で丁寧に差し出す。
「あ、ありがとうございます……ファンレター……嬉しいです……」
彼女はずっと、うつむいたままだ。
だがそういう人だと思うことにした。ファンレターは渡せたし、無理に相手の顔を確認する必要もないだろう。
「ありがとうございます。頼まれた友人が言ってました。ずっと応援してますって」
俯いたままの彼女からは見えないだろうけれど、軽く会釈をして新刊とおまけの冊子を受け取り、バッグにしまって退散。
立ち去ろうとしたところで、サークル主の小鳥のような囁きが聞き取れた。
「ありがとうございました……」
ざわざわとした会場の喧騒でかき消えてしまうそれを、僕はわかる。
しかし、そもそもだし今さらだが「わかる」というのは不思議な感覚だった。
確かに、半神半人になって普通の人間より五感が鋭くなっているのは間違いないのだけども。
人々の話し声や音楽が入り乱れているこのイベント会場で、彼女の声だけを鮮明に聞き分けられていることが。
実はどこかで知りあった人で、記憶の隅っこに残っていたとか。
だとしたら忘れてる僕は失礼極まりない人間だが、まあきっと他人の空似だと思うことにして、ミズチの腕を引っ張ってサークルをあとにした。
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