「結奈ちゃんに任せようと思ってた仕事なんだけど、みなと君でもできそうだからやらない? お小遣いあげるよ」
今回、僕がなぜひとりでど田舎の山奥に行ったのか。
それは、僕が所属している組織の上司である虹色のサングラスをかけたおっさん、虹羽さんの提案から始まった。
「まあ、全然やりますよ。僕ができそうな仕事なんてほとんどないのに、わざわざ虹羽さんが持ちかけてくれたんですからね。喜んでやらせていただきます。別にお小遣いが欲しいわけじゃないですからね」
「あ、そうなの? じゃあ無償でやってもらって――」
「お小遣いほしいです」
即落ち二コマ。
無駄な見栄は張らない方がいいと、僕は肝と心臓に銘じる。
「けど、姉さんがするような仕事が、僕に務まるんですか?」
「はは、みなと君に頼むのは物騒な仕事じゃないし、結奈ちゃんだっていつもそんな仕事をしているわけじゃないよ? あくまで彼女は一騎当千の猛者であっても、結局はひとりだからね。できることにも限度はあるさ」
「んー、じゃあ今回のその仕事っていうのは、複数人で行くタイプですか?」
「さっすが交渉人、察しが良いね。けどま、本来ならそうだったんだけど、みなと君ならひとりでも完遂できちゃう仕事なんだよ」
「ふむ?」
喫茶店で僕はコーヒーを、虹羽さんはコーラを飲みながら続けた。
「鬼桔梗と呼ばれる特殊な領域があってね。土地の名前ともお寺の名前とも、人の名前ともいわれている」
「いわれている?」
「そういう曖昧なものなんだ。探ろうとしても霧に微睡むように存在、もっと正確に言うなら認識が薄くなって、意識の外に放りだされるんだ。近づこうとしてもいつの間にか知識から消えている。けれど、また日を改めると思い出せる。まるで何かしらの侵入をやんわり拒もうとしているようにね」
またの名を、霧の楼閣とも。
「ただ最近になってようやく、かなり正確な位置を掴めたんだよ。んで、特に危害がないならそのまま放置で良いはずなんだけど、おかみから命令が来たんだよね」
「へえ、どんな?」
「杭を交換してこい、ってね」
杭?
単語を出されただけでは、それが何を意味するのか分からない。
虹羽さんはコーラを口に含み、喉を潤すと僕の浮かべた疑問に答える。
「残念ながら、その杭がどういうものかを聞こうとしても、聞けないんだ」
「え? 聞けない?」
「そ、聞こうとしても、忘れる。何を聞こうとしたのか、何に興味を持っていたのかが、聞いてる途中で消え去ってしまうんだ」
「虹羽さんでも?」
「うん」
一応、直属の上司である目の前の男性は、へらへらしているし胡散臭いことばっかり言うのだが、実力だけで言えばうちの組織でまごうことなき最強の人間なのだ。
そんな彼ですら、関与のできない領域。
真実を知ることも、その道のりすら許されない秘密。
むしろそれは秘密というより、見えないものであるという方が正しいのだろう。
真実はそこにあるのに、僕たちには認識できない。
隠されているわけでも、秘されているわけでもなく、ただ単純に、住んでいる世界が違う。
そういうもの、としか言いようがないらしい。
「おかみの命令だから無視しづらいんだよね。やれるだけやりましたーって言っても良いんだけど」
「虹羽さんって結構ゆるいですよね……社会的にそれって大丈夫なんですか?」
「はは、ここって法律上の会社じゃないんだからそこらへんはねー。精々恨みを買うぐらいだよ」
「それもそれで危なくないですか……?」
「まさかぁ? みなと君だって知ってるでしょ? うちの組織が裏でなんて言われてるか」
裏社会。
厳密には、異形の世界。
僕の所属している化け物専門の仲介組織、『黒橡の方舟』
異形や怪異と関わる者には広く通じている、あるひとつの噂。
「……手を出したら、関係者の末代まで根絶やしにするんでしたっけ」
「そう。そんな噂がまことしやかに流れているんだから、まともな奴なら手は出してこないさ。それこそ、戦争でも始めない限りね」
「……聞いて良いのか分からないんですけど、噂は真実なんですか?」
「一回だけだよ」
「一回はあったんですか!?」
驚愕でコーヒーカップに手が当たり、中身がこぼれかけた。
が、黒い液体は宇宙空間で浮かぶ水滴のように、ふわふわと停滞。
「みなと君のそれ、便利だよねぇ」
「いや、無意識にやってしまうんで外では結構気を使ってしんどいですよ……」
ここが船のラウンジに併設されている喫茶店で良かった。
ちなみに、組織名を外ではっきり口に出すのはさすがにまずいので、組織の通称は『船』、所属している人たちは『船人』と呼んでいる。
「あー、まあ手品とかでごまかせばいいんじゃない?」
「目立つのは勘弁ですね……」
カップを持ってひょいひょいと浮いている中身をすくいあげる。
コントロールができるのはあくまで意識がある時であって、無意識状態になるといつの間にかやらかしている可能性もあるのだ。
ここら辺の調整は、今後の課題と言える。
「ま、今回に限っては君の神様としての力を全開で臨んでもらいたいね」
「え、なんでです?」
「交換する杭があるってことは、つまりそこに何かが刺さってるらしい。それに触れるのは、“真”の性質を持つ者じゃないと無理なんだってさ」
虹羽さんがいった、『真』に関する話はまたいつか。
「あー、人間の僕じゃなくて、神様としての僕じゃないと、そもそもさわれないって感じですか」
「えーとね」
虹羽さんは、そこで腕を組んで悶々と悩み始めた。
かと思ったら、机の上にパッと一枚の和紙があらわれた。
「ああそうそう、思い出せた」
どうやら、忘れそうになった時の対処法が、目の前にある年季の入った暖かみのある和紙を呼び寄せる行為なのだろう。
最初から内容の書かれた和紙を持ってきていても良いとは思うのだが、それをしなかったということは、また別の理由が重なっているのか。
「刺さっている杭に触ること自体はできるんだけど、引き抜くときがやばいんだ」
「……どうやばいんです?」
「触れたものを、消し炭にする」
「危ない依頼じゃないですかっ!?」
最初この人、物騒じゃないって言ってたよな!
大人って嘘ばっかりだ!
お小遣いで僕をつって、なんてやつだ!
「まぁまぁ落ち着いて。あくまで消し炭にするのは“反”の性質だけ。簡単に言えば、物理的な服だけ消し炭にするのさ」
「……本当に、体には影響ないんですよね?」
「うん、みなと君がちゃんと半神の側面を強化していけば、まあ服すらもちょっとこすれるだけで済むんじゃないかな」
「バリアを張って引き抜け、ってことですか」
「そ、相手の発するダメージを上回る防御力でごり押しだね。実際、これができるのって今いる人員だと、みなと君と結奈ちゃんと、僕ぐらいだからさ。本当は他にもいるんだけど、あいにく彼らは隠居中でさ」
へえ。
……まあ、服が消し炭になって素っ裸になる姉さんは、さすがに見たくないな。
いや、見たいかも。
待て待て落ち着け、これは別によこしまな欲望があってというわけではない。
魔法少女に変身する一瞬で裸になる彼女らに、早く服を着せてあげたいという庇護欲に近いものだ、決して裸が目当てではない。
むしろ一瞬の裸体が間に挟まるからこそ、あとから着る派手な衣装とのギャップによって趣が発生するわけであってだな。
「えろがき~」
「心を読まないで虹羽さん」
「マンガのタイトルにありそう」
「そこまで言うともうすれすれですよ。やめましょかこの話」
「結奈ちゃんに何を着てほしいの?」
「メイド服」
しまった、誘導尋問にやすやすと乗ってしまった。
おのれ虹おっさん、許すまじ。
「ていうか、虹羽さんもその交換ができるんだったら、虹羽さんが行ってもいいんじゃないんですか?」
「結奈ちゃんに言われたくなかったら、わかるね?」
「大人ってきたねえなぁ!?」
仕方なく、僕は仕事の準備を始めようと席を立ち、家へ帰ろうとする。
ただ、別れぎわに虹羽さんは僕へとある物を渡してきた。
それは、青く丸い水晶が印象的なネックレスだった。
「なんですかこれ?」
「お守りだよ。君専用のね」
「なんか、便利な力でもあるんですか?」
「いや、GPSみたいなものだよ。ただ、どうしても困ったときは、壊していいよ」
「え、GPSを壊していいんですか?」
「ネックレスの紐部分がGPS機能でね、紐は縁を結ぶ願掛けもあるからさ。ぶら下がってる水晶はまた別物で、中にあるものが本命なんだ。飴玉の中にトロッとした甘い液体が入ってる感じでね」
「なんか、美味しそうなたとえですね……」
「できるだけ、肌身離さず持っててね」
「……分かりました」
「んじゃま、お仕事頑張ってね〜」
といった感じで、僕は今回のお仕事である、家から電車を乗り継いで1時間近くかかる、田舎の山奥に向かったわけだ。
実際にやってみた、的な軽いノリで杭を引き抜くことはできた。
むしろ仕事自体は危なげなく終わったけど、帰りに出会ったVtober吸血鬼事件の方が面倒だったと言わざるを得ない。
だってこれは、僕が原因を引き起こし、引き抜いた事件だったのだから。
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