あー、これは死んだわ。
高層ビルの高さから空中に身を投げられて、助かるわけがない。
紐なしバンジーも真っ青どころか、そもそも飛び降り自殺みたいなものじゃないか。
地面に衝突して、血肉をあたりにまき散らして、ポンだ。
せっかく生き返ったのになぁ。
起きてから数分でまた死ぬとか。
いやまぁ、最期に姉さんと抱き合えたのは神の国への土産として全く問題ないんだけどさぁ。
雰囲気は冷たいんだけど、人肌の温かさが冬の季節にはすごく心地よかったなぁ。
「おーい、みなと君?」
なんだ、いま僕は姉さんとの甘く儚い思い出に浸っている最中だというのに。
どこかの胡散臭い中年ダサグラサンの声が、脳内に入ってくる。
邪魔しないでほしい、誰がおっさんの声を走馬灯に入れろと言った。
「おいおーい、なんだか失礼なこと考えてる顔してるよー。ちゃんと目を開けて現状を受け入れなよぉ」
……ん?
あれ、そういえば地面に衝突した感覚がない。
即死なら痛覚は感じなかったということにもなるが、もしそうならここは天国か地獄か?
にしては意識がはっきりしている。
それに、さきほど初対面をすませたおっさんの声が天国で聞こえるというのも、おかしな話だ。
ふむ、もしかすると。
恐る恐るまぶたを開けたら、そこにはビルが立ち並ぶ夜のオフィス街が広がっていた。
ほんの数センチ、僕の体が浮いた状態で。
「あ、あれ? 僕、生きてます?」
「そうだよぉ。さすが神様の力だね、みなと君が意識しなくても守るように動いてるみたいだ。さながら自動防御システムだね」
虹羽さんも僕と同じように、ふわふわと空中に浮いてあぐらをかいている。
「……その、虹羽さん」
「んー?」
「僕の状態に関して、何か知ってたりしますか……?」
僕には、あちら側のことは何も分からないのだ。
僕の心臓を貫いたピエロの男しかり、銃刀法の存在する表向きは平和な日本で、銃を扱う義理の姉しかり。
コンクリートの監獄から、夜の都会へ瞬間移動させた目の前のおっさん、虹羽ヤノしかり。
そして。
僕の中にいる、何かすらも。
「そうだねぇ。君は、一週間前に何者かの襲撃を受けたことは覚えてる?」
「は、はい」
「なら、なんとなく自覚しているんじゃない? 神様と、取引したんだろ?」
突然語調を強めた虹羽さんの顔には、不敵な笑顔が消えていた。
さっきまでの雰囲気が嘘みたいな大人らしさに、気圧される。
「……取引、しました」
「なら、それが今の君の状態さ。完全に乗っ取られてるわけでもなく、けれど消えているわけでもない。いうなれば、半神半人といったところかな」
「半神半人……。どうしてわかるんですか……?」
「神力がにじみ出ているからね。妖怪や怨霊の類でも、外来の化け物でもない。まっとうな日本系神様だと、おじさんは推察しているよ」
虹羽さんは口をへの字に曲げてひらひらと手を振り、苦笑する。
「まったく、みなと君をどう扱うかは僕らにとっても難しい問題だよ」
「え、扱い?」
「神様が人間に力を貸すなんて異例で特例だからね。理由も分からないし、理屈もさっぱり。神様本人に聞いてみたところで、彼らが真実を答えてくれるとも限らない。けれど、どんな神様であっても手を貸すときに共通することが一つ」
人差し指を立てながら、語調を強める。
「最初に結んだ契りを、魂の果てまで追いかけても守らせること」
最初の契り。
彼の言葉で思い出す、思い返す。
どろりと絡みつくような女神の声が、死にかけの僕に囁いたのは。
『わしに、処女の血を飲ませろ』
それが、僕が神様と交わした口約束。
禁忌を犯してでも姉さんを守りたいと願い、その代償として僕はとんでもない契約を結んでしまったわけだが。
あれが、あの神様の契りだというなら。
僕は……どうやって彼女に血を飲ませればいいのだろう。
「まあ、その契りが『世界滅亡』とか『人類滅殺』みたいな危険な野望でもないのなら、問題はないって言えるんだけどねぇ。うちのおかみはお堅いからさ」
「おかみ?」
「ま、その話はまた今度ね。そろそろこわーいお姉さんの到着だ」
空中に浮いていた僕らは、足を伸ばしてゆっくりとアスファルトの上に着地。
それと同時に、殺気にも近い冷気があたりに漂ってきた。
「虹羽先輩、どうして私だけ別の場所に飛ばしたんですか」
空気が凍る冷たい声と共に、電灯のない暗闇からぬるりと姉さんが現れた。
彼女の銀髪には点々とした黒い飛沫が、まるで返り血のように付いている。
「いやー、みなと君の力がどれだけすごいのか確認したくてさ。過保護なお姉さんが居たら手を貸しちゃうじゃん?」
「だからって、怨霊たちのど真ん中に私を飛ばすのは頭いかれてると思います」
「結奈ちゃんなら全員ぶったおしてくれるって信じてたからさぁ?」
「それは信頼ではありません、放任です」
「似たようなもんさ、お疲れ様」
虹羽さんは近づいてきた姉さんの頭を撫でるが、それを銃を持ったままの手で面倒くさそうに振り払った。
……二人って、上司と部下だけの関係なのかなぁ?
「それじゃ、本命の相手をしないとね」
虹羽さんはそっけない姉さんを気にも留めず続ける。
「え、本命?」
「怨霊が大量発生したのは、悪意のあるやつの差し金なんだよ。戦力分散が目的だったのかもしれないけど、たぶんそれとは別に――」
言い終える前に、シュッと夜空を切る音が聞こえた。
それと同時に銃声が鳴り響き、銀色の火花が僕の顔すれすれでぎらりと散って、金属と木材がぶつかったような鈍い音が続いた。
「みなと、私の後ろにいなさい」
状況を把握する前に姉さんは僕の前に立ち、中折れ式のハンドガンを折って排莢し、装填。
僕より身長は低いし、小さな背中なのに、全幅の信頼を寄せられる頼もしさがあった。
「あーあ、せっかくみなと君の力が間近で見れるかなって思ってたのに、お姉ちゃんは過保護だねぇ」
「命がかかわっているのに、練習もなしでいきなり実戦なんて、ありえないでしょうが」
「そうも言ってられないほど事態が切迫であっても?」
「私がみなとを監督します。虹羽先輩は本部へ帰ってください、あっちの戦力が手薄です」
「おっけぇ。んじゃま、バウンティハンターはよろしくねー」
そういうと、虹羽さんは瞬間移動でよくあるようなエフェクトなど起こさず、一瞬で姿を消した。
僕をこの場へ移動させた時と同じ技なのだろうけれど、動作も何の前触れもなしに消えられると、目の錯覚が起きるな……。
とりあえず、一度落ち着いて状況を整理しよう。
さっき空気を切り裂いてこちらに飛んできたものは、どうやら木の矢のようだ。
人間の身長より二回りは大きい螺旋状のそれは、姉さんの銀弾に撃ち落とされて近くのアスファルトに転がっている。
こんなでかい矢を撃たれたのか……。
「みなと、一つだけ約束をしてくれる?」
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