神楽坂みなとは、冬休み前に半神半人となった。
その結果、義理の姉である神楽坂結奈が、神殺しであることも知ってしまった。
数ヶ月前に起きた事件を、僕はできるだけ事細かに、咲良へ説明した。
殺し屋である姉さんが恨みを買い、暗殺されかけそうになったところを僕がかばって、心臓を撃ち抜かれて。
そして、姉さんを守るために、神様と禁忌の取引をして、生き返って半神半人に成り果てたことを。
それ以来、僕は怪異と関わる立場になり、様々な事件に巻き込まれるようになった。
後天的な半神半人という希少価値の高さから奴隷商や賞金稼ぎの巨人に狙われたり、かと思えば暴走状態になって二週間近く暴れ回ったり、それを必死に姉さんが止めてくれたりなど。
「黒橡の方舟」という怪異専門の組織に、監視に近い形態で在籍していること。
ハーフヴァンパイアの独特な家庭内の問題に首を突っ込んで、痛い目にあったことも。
特殊な力を持っただけでなく、影響力の強い力のせいでひっそりと生きることを求められる立場になったこと。
異形を憎む人間に、殺されかけたことも。
そして、ここ最近起きている「赤い灰」の件を追っていたら、咲良が怪異に巻き込まれているかもしれないと知り、咲良の通う高校まで来てしまったことを、二時間近くかけて話した。
しかし。
「……急に言われても、いっぱいいっぱいで何がなんだか……」
「そ、そうだよな」
当たり前だろうけれど、咲良は混乱していた。
たとえ詳しく説明したところで、理解できるかどうかはまた別だ。
僕の説明が膨大で分かりづらかった可能性もあるが、だとしても普通の生き方を進んできた彼女には、未知の世界であることに変わりない。
「結奈姉さんは、ずっと殺し屋である秘密を抱え続けて、みなと君を養っていたってこと……?」
「……そうなるな。本当に不甲斐ないというか、損な役をさせてしまっていたというかさ」
「巴さんも、同じなの?」
「うん、あの二人は師弟関係だからね。いつからそういう仕事をやってたとか、そういう正確な時期は知らないんだけども」
「知らないの? というか、聞いていないの?」
「え、うん」
「そこは、普通は気になるところじゃないの? 巴さんだけじゃなく、結奈姉さんがいつからその業界に足を踏み入れたのか」
言われてみて、思い返す。
そういえば、まるで当たり前のような感覚で事実を受け止めているが、咲良に言われた通り「なぜ姉さんはこの道を進んだのか」を聞く気すら起きなかったのは、なぜだろう。
僕を養うために、とは言っていたが。
だからといって、命のやり取りが日常茶飯事な裏業界に進むものだろうか。
「だっておかしいよ。巴さんと喧嘩別れして追い出したって言ってたけど、それって結奈姉さんの反抗期で済む話なの? 私は、確かに神楽坂家の子ではないけど、それでもあの巴さんが、姪っ子と預かった男の子を捨てるような真似はしない人だって、知ってる。だからずっと不思議だった」
「……それは、そうだな。巴さんはなんだかんだ、面倒見がいい人ではあるし、人情のない人ではないし……」
「そのあたり、何かまた別の要因が絡んでいるんだろうなって。結奈姉の髪色が変わったのと、同じような理由で」
「……そんなこともあった、な」
咲良の言葉で思い出す。
姉さんは、最初に出会って一緒に暮らし始めた時は、黒髪だった。
顔立ちも整っていて、漆のように染められた艶のある黒髪をポニーテールにした姿は、精密な人形の如き美しさだった。
あまりの緻密さと、感情の無さから、本当に人形なのではないかと疑うぐらいに。
だが、それが白金のような銀髪へと一変したのが、たしか姉さんが中学三年生の頃。
今から六年前、神楽坂結奈が中学を卒業して、高校生へとなる前の時期だ。
そうだ、ちょうど春休みのころだったはず。
「『JKになるし、イメチェンしたの』って言ってたけど、あの時、結奈姉さんに何かがあったってことなんでしょ? みなと君は、なにも聞いていないの?」
「……ごめん、聞いていない」
ただその言葉を、鵜呑みにしていた。
姉さんが言うことなら、嘘はないだろうと、僕は信じきっていた。
あれがSOSサインだったかもしれないのに。
「……信頼って、時に残酷で無責任だよね。家族だから、身内だから、大丈夫って思い込んで、油断してしまう。ただの人間であることに変わりはないのに、自分からすれば特別な存在だから、『特別扱いされて当然』だって信じきってしまう。まるで他人からもそんな扱いを受けているんだろうって」
「それは……でも咲良は――」
「分かってる、今のはたとえ話。私の親みたいな人も、この世にはたくさんいるっていう、そういう一例」
「違うぞ咲良、君の家族は決して君を愛していないわけじゃない。娘を大切に思っていて、でもきっと後ろめたさがあるから、難しい距離感になってるだけなんだ。お互いに面と向かって話せる機会はこれからいくらでもある。生きているのなら、まだその希望が残っているのなら、やり直しのチャンスはいくらでも作れる」
居心地の悪い沈黙が数秒流れる。
綺麗事が右から左へ抜けていくような、生ぬるい空気。
たしかに、咲良の母親が娘へ向ける愛情は、どこか普通ではない。
自分の娘を信頼しきっていて、自立していると信用している。
放任主義もあそこまでいくと、むしろ親子関係とは言い難いのではないかと思うぐらいに。
ただ、血が繋がっているだけの、赤の他人。
戸籍と遺伝子だけが繋がっている、偽りの契り。
見ている側がそう思ってしまうのも事実だ。
だが、だからといって咲良には、ここであっさり絶望して欲しくないのだ。
僕と姉さんには、もうそんな希望は残っていない。
「本当の親」ともう一度改めて、向かい合うだなんて奇跡は、起こり得ない。
だからこそ、経験論の押し付けになってしまうが、今はまだ諦めないで欲しいと願ってしまうのだ。
長い沈黙のあと、へらりと、咲良は申し訳なさそうに笑った。
「ごめん、地雷踏んじゃったね」
「違う、そんな重く受け取らないでいいんだ。僕たちの親子問題は、もう終わっている。だからいくらでも笑い話にできるし、後悔する暇すら惜しい。むしろ、僕は咲良流名推理のおかげで、今現在の姉弟問題と向き合うことができるんだから、感謝してるぐらいさ」
「……ふふ、卑屈なのか前向きなのか、相変わらず不思議な思考回路だね」
「そ、そうか?」
「うん、付き合わされる方はいっつもビクビクしちゃうぐらい」
「ごめん……」
「私より、結奈姉に謝った方がいいよ。あの人のSっ気を満足させられるぐらいの仕打ちを受ける覚悟は決めて」
「そうか、なら大丈夫そうだな」
「あれ、いま脅したつもりだったんだけど」
「聞いてくれ咲良、実は僕ってMだってことに最近気づいたんだぜ」
「わー、相性良さそう。でも幼馴染みのえぐい性癖なんて聞きたくなかった」
失礼なやつだ、性癖なんて十人十色で多種多様な固有の価値観なのに。
しかしここまで自虐ネタとして振ってしまうと、実は本当にMなのではないかという疑いが浮き上がってくるな。
まんざらでもない、とはよく言うが、もしかして願望がつい口に出てしまっているのだろうか。
「ところで、私から質問したいことがあるんだけども」
咲良は改まって、姿勢を正して僕を見据えてくる。
胸にある鱗を見て、さすがに思うところがあったようだ。
「みなと君の心臓は、もう戻らないの?」
「戻る、かぁ。そう聞かれると、答えづらいというか、定義に困るというか」
「え、どうして?」
「僕はまあ、人間から新しい生き物へ生まれ変わった感覚に近いんだよ。一度死んで、でも死にきれず、怪異へと成り果てた。現世への執着が捨てきれずに、幽霊みたいにふらふらと生きてるっていうか。だから戻るのかと聞かれたら、それは多分無理かなって思ってる」
はじめて、強がりをせずに自身の想いを吐露した。
姉さんや、虹羽さんの前では言えなかった本音を。
もし言ってしまったら、「人間としての生を諦めた」と思われるかもしれないから、吐き出せなかった葛藤を。
溜まりに溜まっていた鬱憤を、遠慮なく話せる幼馴染みの咲良にだからこそ、言えた。
というより、愚痴を呟きたくなってしまったのだ。
怪異とは、死に魅入られ、死に見初められて、二度目の人生を歩んでいる者たちのことを言う。
それは僕だって、例外ではない。
人間を捨てて、半神半人に成り果てた時点で、僕の人生は僕だけのものではなくなった。
心臓は神様に、相棒に捧げてしまったのだ。
もし「戻ろう」なんて思うのなら、それは相棒に預けたもの、引き渡したものを返してもらわないといけない。
そんな恩知らずな無礼をするわけにはいかない。
心の中でそう決めてはいるが、口には出さなかった。
特に、僕のことを一番に考えてくれている姉さんの前では、絶対に言えなかったことだ。
あの人は僕を真人間に戻そうとしている。
それはつまり。
取引をした張本人である、ミズチへの反逆を意味するのだから。
「実際さ、心臓をもらって、生き返らせてもらった僕ができることなんて、相棒への恩返しぐらいしかないんだよ。最初の目的だった『姉さんを助ける』ことは達成してるし、あとの人生はもう惰性というかさ」
「そんなこと、言わないで」
「数年生きることができれば、儲けものというか。その前に僕が誰かに殺される可能性の方が高いぐらいなんだよ。半神半人って貴重だからさ――」
「それでも。そんなこと、言わないでよ」
必死に押し殺した涙声で、同じように繰り返す咲良に面食らう。
「え、なんで泣いてるのさ!?」
「泣いてない、自分のことを大切にしない人のためになんか、泣くわけない」
「いやいや、僕の人生がどうだったかなんて、別に咲良からすれば大して影響はないだろ?」
「みなと君は本当に自分勝手だね。立場を置き換えて考えられないの? 私が、雅火咲良が同じような状況だったとき、というか今まさに、あなたと似た状況になっているのに、命をかけて助けに来てくれてるじゃない」
「それは、僕にとって君が幼馴染みだから……」
「だから、私も同じ気分になっているって、考えられない?」
ずきりと、芯をつかれた。みぞおちがぐぐと押されるように、深めの正論ストレートがえぐりこむ。
心が痛む。人ではなくなっていると思っていたのに、人間みたいに気持ちが揺らぐ。
そんな普遍の感覚が、どこか懐かしく愛おしい。
「ホントに昔っからそうですね。自分の成したいことにしか興味がなくて、なりふり構わず突っ走って、周りがどれだけ心配していたのかも知らんぷりするんですから」
「さ、咲良……?」
「私だけじゃなくて、結奈姉が夜な夜な泣いていたことも知らないんでしょう? 不安に覆われて耐えきれなくなって、涙声で私に電話してきたことが今まで何度あったか、知ってました?」
「し、知らなかったです……」
「ほらやっぱり。あなたはたくさんの人に好かれているのに、その人たちの心を痛めることも得意なんですね。死んだつもり? 人生はもう惰性? 数年生きれたら儲けもの? 冗談で言ってたとしても、怒るよ」
姉さんからもらうお説教とは違い、咲良の怒りは、どこか暖かい。
もちろん、姉さんには愛がないと言うわけではないが、冷酷淡々と理屈責めをしてくるあの人と違って、咲良は感情的なのに納得させられてしまう。
僕は覚えていないというか、実際にこういった感情を向けられた経験がないから、このたとえが正しいかどうかは分からないが。
咲良の怒りは、母性的な愛情に近い気がする。
僕は、いつのまにか死に慣れすぎていたのかもしれない。
死線をかいくぐって、怪異とふれあい過ぎて、感覚が麻痺しているのだろう。
ゆえに、咲良の持つ「人間として普通の感覚」がいまの僕に新鮮で懐かしい潤いをもたらしてくれた。
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