非殺の水銀弾

過保護な義姉が神殺しだと知った日、僕は神様になりました
アオカラ
アオカラ

123 拠り所

公開日時: 2021年10月15日(金) 21:00
更新日時: 2022年7月18日(月) 01:11
文字数:3,361


「みなと君、結奈姉さんに着せる服は私が決めてもいいかな?」


 寝てしまった姉さんの手助けを咲良に任せて、僕は晩ご飯の準備を進めていたところに質問が来た。

 濡れた体を拭き終えたようで、水を吸ったタオルを持って行くついでに着替えもやってくれるとは、助かる以外の何物でもない。

 

「ああ、いいよ。けど多分、寝る前の姉さんならブラトップがいいと思う」


 何気なく言ったのだが、咲良から返事が返ってこなかった。沈黙を不思議に思って咲良の方を振り返ると、彼女はこれまた微妙な表情をしていた。


「……いや、まあ一緒に暮らしてるから、なのかな? 女の下着事情に妙に詳しくて、ちょっと複雑」


「い、いやいや! ほら、洗濯とかしてると否が応でも下着は見ることになるだろう! そういうことさ!」


 違う、僕が姉さんの寝巻きを熟知しているのは、毎晩一緒に寝ているからである。

 だから知っている、などということは、口が裂けてもナメクジを食べさせられても言えない。

 

「ふーん、夜な夜な結奈姉さんの寝床に入り込んでいるから知ってる、じゃないんだよね?」


「お、お前! そんなことしてたら犯罪じゃないか!」


「うん、みなと君じゃなくて成人してる結奈姉さんがね」


「姉さんを陥れようなんてこと、世界で一番姉思いの僕がすると思うか!?」


「若気の至りって、あるよね」


「あるかもしれないが僕らにそんな間違いはない! 断じてないぞ!」


 なりかけたことは、秘密だ。

 というより、怪異やら神殺しやら、男女関係以上に厄介な秘密を抱えているわけだが。


「まあ、信じてるけどさ。でも本当にそういうことがあったら、一声入れてよね?」

 

「いやいや、言えるわけないだろ! どうして幼馴染みに一声かける必要があるんだ!」

 

「家族には恋人事情ぐらい話して欲しいものじゃない? 気になるからね」


 去り際に、まるで子供の色恋事情を気にかける親のような優しい笑顔を僕に向けて、咲良はタオルを抱えてリビングを出て、着替えを取りに行った。

 彼女の告げた「家族」という言葉の重みがのしかかる。何気なく言ったつもりなのかもしれないし、特に意味を込めているわけでもないのかもしれないが、引っかかる。

 

 僕らのことを、神楽坂家のことを信頼してくれている嬉しさもありながら、彼女がそう言ってしまうほど、自分の家庭を見放しているように聞こえるのが、心苦しい。

 幸福の裏には、それ以上の不幸がのしかかっている現実を思い知らされる。

 神楽坂家を逃げ場所にして良いとは思っているが、だからといって雅火家を諦めて欲しくはない。

 

 本当の家族がいる場所を捨ててまで、この家に入り浸る意味があるのだというのなら、むしろそれこそが問題であるような気もする。

 これは、もしかすると僕のような家族を失っている人間だから感じてしまうことで、家族を失っていない咲良には分からない感覚かもしれない。

 もちろん、だからといって咲良が悪いわけではなく、咲良を不幸だと断じるのもお門違いだろう。

 

 過去はどうにもならないのが当たり前であり、覆せない事実を受け入れるために、人は不幸から目を背けるのだから。

 咲良の場合、自分を不幸にする存在が「自身の家庭」というだけだ。僕と姉さんが、両親を失って天涯孤独となる不幸を避けるために、歪な約束で家族になったように。

 

 抱える悩みや不幸が千差万別なら、幸せの形も人それぞれなのだろうけれど。

 

「……幸せ?」

 

 僕はふと、思考のなかで歪に浮かび上がったそれに、違和感を抱いた。

 違和感というより、異物感。

 そこにいるのは不自然にも思える単語。そんな言葉が彼女の状態を言い表すのには、あまりにも的外れ過ぎるような気がしたのだ。

 

 咲良の不幸が家庭環境だとしたら、咲良の幸福とは、そもそもなんなのだ?

 

「みなとぉ……」

 

 突然、眠たげな猫撫で声が、リビングに繋がっている隣の部屋から聞こえてきた。

 晩ご飯の準備で忙しなく動いている僕の意識が、そちらへ簡単に移るぐらい、聞き馴染みのある声の主は。

 

「みなとぉ、咲良ちゃんはぁ?」

 

 姉さんが掛け布団を肩に下げて起き上がり、無防備な姿で立ちすくんでいた。

 目元をこすりながら、主人を探す犬のようにきょろきょろと辺りを見回している。まずい、完全に寝ぼけ状態だ。

 

 僕は慌てて、服の代わりになるものはないかと探してみるが、バスタオルを巻いて連れてきたのもあったせいで、服が手元にない。というか服の件は今、咲良に任せているのだ。

 掛け布団だけでは上半身を隠せている程度で、まぶしい肌が情欲を刺激して、心臓の鼓動がうるさい。

 目の毒どころではない、隠せていない肌の面積が広すぎる。

 

「ね、姉さん……服を持ってくるから布団の中にいて……」

 

「やだぁ、布団には一緒に寝るっていったぁ……」

 

「そ、それは夜の話で……」

 

「一緒に寝るのお……」

 

 今にも泣き出しそうなほど、目尻に涙をためて口を尖らせた。幼児退行している姉さんが、僕の元へ、ひたひたと歩み寄ってくる。

 一歩、二歩と彼女が僕へ近づくたびに、心臓の鼓動が高鳴り、血の巡りで指先がくすぐったさを覚える。

 引き下がることしかできなかった僕のもとへ、あられもない姿を隠すこともせず、遠慮なしに近づいてくる。

 

 追い込まれるように一歩ずつ退いていくと、背中がキッチンの壁に付いてしまう。その瞬間、姉さんが歩みを早めて一気に近づいてきて、勢いよく壁に左手をついた。そのまま続けて、右手もどん、と音を立てて挟み込む。僕は壁と姉さんの手と裸体に挟まれてしまい、逃げ場を失ってしまった。

 姉さんが手をつけた壁が、沈み込むようにゆっくりと軋む音を立てている。鼓膜のなかへ細長い針をぐりぐりと押し込まれるような恐怖だった。

  

「あの、姉さん……!」

 

「約束、守ってくれないの……?」

 

「守る、守るけど! 今から晩ご飯だから……!」

 

 ばさり。

 かすかではあるが、布地のこすれるような音と落下音が耳に入った。

 しかし、姉さんの体をわずかに覆う掛け布団はまだ肩にかかっている。つまりこれは、別の場所からの音。

 

 発生源を探そうとしてぐるりと辺りを見回したが、すぐ視界に映る場所には何もなかった。

 だが、リビングから廊下に繋がっているドアが少しだけ開いており、わずかに見える隙間の先で、なぜか地面に落ちている服がずるりと横に引っ張られているのが見えた。

 

「咲良!」

 

 見られていた。そして多分、きっと、そうでないと思いたかったが、誤解された。

 次の瞬間、ドアが開いて、くしゃくしゃになった姉さんの服を胸の前で抱きかかえた咲良が、力なく笑った。

 

「お、お待たせ……服持ってきたから、うん、これ着てね」

 

「おい咲良、これは違う。話を聞いてくれ」

 

「あの、私ちょっと、ジュース欲しいからさ! コンビニとか行ってくる! い、一時間ぐらい夜風でも浴びようかな! 何か欲しいものあったらメッセージ入れてね、ついでに買ってくるから!」

 

「咲良!?」

 

 リビングのソファーに服を投げ捨てた咲良は、ばたばたと焦ったような足取りで玄関まで走った。

 

「あ、咲良ちゃん居たんだねぇー」

 

「姉さん! 寝ぼけを直さないと今日は一緒に寝ないよ!」

 

「え、え……や、やだぁ……」

 

「じゃあ服を着るんだ! いや、僕が着させるからこの拘束を解いて!」

 

 そう言うと、姉さんはにっこり笑って拘束を解いてくれた。

 姉さんの膂力は女の子のそれではない。怪異を相手にするため屈強に鍛え上げられた彼女の壁ドンを無理矢理返そうものなら、僕はミズチモードにならないといけない。

 けれど、神楽坂結奈は良い子だ。話をすれば分かってくれる大人の女だ。

 

 咲良がソファーへおいていった下着とブラトップを手早く、あまり考えないように雑念を切り捨てながら姉さんに着せて、そのあとショートパンツを穿かせたら、僕はエプロンを外しながら携帯だけ持った。

 

「ちょっと出かけてくる! 今日の晩ご飯はロールキャベツ! 自分でよそって食べれるよね!」

 

「うん、食べるー」

 

「野菜スープも飲んでね! 一時間ぐらいで帰ってくるから!」

 

「いってらっしゃいー」

 

 ひらひらと手を振って見送ってくれる姉さん。

 原因を生み出した本人があまりにも呑気で、かみ砕きたくなる失笑がこぼれる。

 

「あーもうっ、もっと単純なラッキースケベイベントはないのかよー!」

 

 今までのそういうイベントを思い返して悪態をつきつつ、玄関を出て走る。

 肌を撫でる風に、夜と桜の香りが乗っていた。

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