さて、今一度ここで情報整理といこう。
今回、咲良に憑いた怪異が何者であるか。そしてこれから、彼女にどういった対処をしていくかについてだ。
咲良に取り憑いた怪異を、暫定的に「桜火」と名付けることになった。
もちろんこれは仮の呼び名であり、調査を完全に終えてから正式名称が付くことになるが、事件の真っ只中で呼び名がないのは不便だということで、安直ではあるが僕が名付けた。
「桜の火」と短絡的ではあるが、まあ分かりやすさ重視で良いだろう。
あまり凝った名前にすると後悔するというのは、ミズチも言っていたことだ。
そして現時点で咲良の状態について判明していることは、大きく分けて二つある。
一つは「桜火が動いているときには、咲良の意識はないこと」
もう一つは「桜火は、反属性の物質を焼く科学現象ではなく、心や精神といった真属性を燃やす炎であること」
逆に分かっていないことで重要なものがひとつある。
というかむしろこれが判明していないからこそ、どうやって事件を解決に持っていくかが難しい問題でもある。
それは「桜花はなぜ、咲良に取り憑いたのか」である。
怪異が人間に歩み寄るのには、理由がある。理由というより、道理だろうか。
何かしらの死を経験したものが、怪異に惹かれやすくなる。
物理的、精神的、社会的、どれであるかを問わず、むしろそういった経験の数が多くなればなるほど、死に近づくほど、怪異はこちら側へ歩み寄ってくる。
それは虹羽さんが言っていたことだ。
ただ、実はもう一つ、怪異と関わりが深くなってしまう要因があるらしく、それを姉さんが教えてくれた。
それが、「元から怪異と関わりのある者が近くに居る場合」であるらしい。
たとえば、姉さんの血筋は代々続く北欧ヴァンパイアハンターの家系であるため、生まれた時点で血の中に結びついている、消えない因果があるとのこと。
まるで決められた遺伝子のように、運命のように、怪異のことを肉体が知っているからこそ、関わらざるを得ない。
それは姉さんも例外ではないらしいが、彼女は家族と身内と、さらに祖父からも情報をひた隠しにされていたので、実際に化け物の存在を知ることになったのは中学生ぐらいの頃とも聞いたが、とりあえず今はおいておこう。
咲良に憑いた「桜火」がそういった「元から関わりのあったタイプ」である可能性も高いだろう。なんせ彼女は、僕らと親しい人間なのだから。
神殺しと、半神半人。
他にいないのではないかというほど、神と関連する姉弟の近くにいたわけだから、咲良は元々化け物に惹かれやすかったというのもあるかもしれない。
しかし、だとしてもだ。
「何かしらの死」を経験しなければ、あんな風に怪異に操られて意識を失ってしまうほど、深く繋がることはできない。
そして姉さんは「咲良が経験した死」について予想が付いているらしく、「環境的な死ではないか」ということだった。
「……環境的な死っていうのは、どういうことなのかな?」
咲良を追いかけて諸々の事件があった日から二日後、僕と姉さんはリビングでじっくり話し合っていた。
お互いが得た情報の交換を済ませて、次の作戦を立てようとしていたわけだ。
帰ってきてから姉さんは疲労が祟ったのか、丸一日寝込んでしまった。包帯の巻かれた左手首はどうやら骨折しているらしいが、空木さんに治癒術をかけてもらったらしく、一週間程度で治るらしい。
一応僕から虹羽さんやシオリさんへ連絡を入れておき、一週間ほどの休暇をもらえることになったので、今の姉さんは休日モードだ。
休日モードというか、僕が無理矢理安静にさせているというべきだ。
この人、普通に仕事に行こうとしていたからな。それをたしなめて、なんとか首を鎖で繋ぎ止めて、家で監禁しているわけだ。
もちろん言葉の綾である。それぐらいしないと出て行きそうなほど、姉さんも咲良のことを心配しているのだろう。
家で何もせずに過ごすのが気忙しいのか、桜火についての作戦会議を姉さんは持ちかけてきたわけだ。
「環境の死、あるいは環境からの孤立というところかしら。咲良ちゃんの家はほら、ご両親の仲があれでしょう?」
僕の炒れた珈琲をすすりながら、姉さんはさらりと言う。気にも留めていないような言い草だったが、仕方なく受け入れているという方が良いのだろうか。
雅火家は親が一度離婚したが、咲良を育てるために再婚して、形式的に一緒に暮らしていた。
だが、娘の咲良に対しては愛情がある両親なのだが、その二人の関係があまりにも冷え切っていて、お互いほとんど無視に近い。
あれは、外から見ている僕たちも、気が重くなるような空気感だ。
「雅火家のあれも、死の枠組みに入ってしまうの?」
「『孤立』っていうのがね。咲良ちゃんは家庭内においても孤立しているし、寮暮らしで実家にほとんど帰らないことも物理的な孤立になってしまう。ある意味では、社会的な死にも近いのだけど、家庭内っていう狭い環境のなかで起きてしまうことだから、精神的な死の性質も併せ持っている。半分ずつというところかしら」
「……そうか。そんな危うい環境の中で人生のほとんどを過ごしてきたんだから、怪異が近寄ってきてもおかしくないのか……」
彼女の心に生まれた空虚が、トリガーとなってしまったのではないかと。その空いた心の隙間を埋めるのに、温かさを持つ「火」が丁度良かったと。姉さんはそう言いたいわけだ。
しかし、積もり積もった心の空虚が暴走して、今は「あたりを燃やす炎」として爆発している。
一応道理は通っているように思えたのだが、姉さんはあくまで自分の考えを仮説だと言った。
先走った思い込みで真実を見逃してはいけないからと、自身に言い聞かせるような念押しの仕方だった。
「でもだとしたら、昔から咲良の中に怪異が潜んでいたとか?」
「その可能性はあると思うけれど、今はそこまで仮説を組み立てない方が良いと思うわ。少なくともその気配を感じたことはこれまで一切無かったし」
「けど、咲良と会うタイミングって僕たちは限られてたよね? 正月の帰省ぐらいでしか会わなかったし、実は知らない間に、っていうのもあるんじゃ?」
「……………………」
目を伏せながら、黙り込んでしまった。
珈琲の入ったマグカップから立ち上る湯気を見つめながら、静かに考えている。どうしよう、ここで詰め寄って聞くべきか、待つべきか……。
と、少々むずがゆい沈黙に満ちていたリビングに、軽快な呼び鈴が鳴り響いた。
今日は平日の昼間であり、来客の予定はない。心当たりは、まあないことはないが、突然現れるタイプの人なら問答無用で入り込んでくるしな。
確認するために僕は席を立って、玄関前に繋がっているドアモニターを覗く。
そこに居たのは、よく知る顔だった。
「姉さん」
「ん?」
「噂をすれば影がさす、とは言うけれど。今招き入れても大丈夫かな」
「どういう意味? 誰が来たの?」
ドアモニター越しにいる彼女はインターホンを押して、もう一度呼び鈴が鳴る。神楽坂家の外観を眺めたり、隣にある自分の家をちらちら見たりと、どことなく、落ち着きがない。まるで早く応答して欲しいといった、そんな焦りが垣間見える。
「……咲良だ」
新学期が始まっているはずの幼馴染みが、平日の昼間にキャリーケースを携えて帰ってきていたのだった。
*
「いやー居てくれて良かったよ……! うちの親にはバレたくなかったからさ」
「あのなぁ咲良、学校はどうしたんだよ……?」
「『親の体調が悪いので帰省します』って嘘ついてきちゃった」
「君はずいぶん不良だな! 誰に似たんだよ!」
「誰かさん」
そう言いながら咲良は、僕のことを指さしてきた。口では言わないだけで大変分かりやすい、ひどいもんだぜ。
咲良が正月の帰省などでいつも使っている、彼女の体格の半分ほどを占める大きめのキャリーケースをリビングまで運び入れ、中身を手際よく取り出している。着替えや日用品までもがしっかりと詰まっており、泊まる気満々だ。
「せめて連絡ぐらい入れてくれよ。電話とか、メッセージでもなんでも良かったのにさ」
僕が咲良にそうたしなめると、姉さんから肘で脇腹を小突かれた。
彼女の半目から「人のこと言える?」という意思が読み取れるほど、刺々しい視線をもらう。
そんな僕らを見て咲良は苦笑しながら言う。
「いや、結奈姉が怪我したってメッセージもらって、いてもたってもいられなくなったというか。ほら、みなと君だけだと大変なこともあるんじゃないかって」
キャリーケースの中からシャンプーやボディーソープを取り出しながら、姉さんの方を見た。
それは、たしかにそうか。片手が塞がっている今の状況で、どうにもならないことがあるかもしれないのだ。
僕の傷はあの時、咲良の前でほぼすべての再生が完了しているが、姉さんは全身がそれなりの重傷だ。
もちろん一番酷いのは左手首の骨折だが、倦怠感というのか、身体がひどく重いようで、僕が肩を貸さなければリビングまでこられなかったぐらいである。
本当なら付きっきりで看病をしたかったのだが、一応僕も学校はあるわけで、猫の手でも借りたいのは事実だったから、願ったり叶ったりなお助け役である。
「似てるわね、二人とも」
「「え?」」
ぽつりと呟いた姉さんに、二人して疑問を浮かべた。
彼女は、眉を緩ませて和やかに微笑む。
「向こう見ずに親切をするところ。ありがとうね、本当に」
いつもの姉さんなら、サボっている未成年を保護者として、大人として叱ることが多いのだが、今日はどうやら違うらしい。
咲良は安心したように口元をほころばせる。
「あはは、私もサボり癖あるのはバレちゃったわけだし、ちょっとぐらい良いよね!」
「だめ、サボり癖は直しなさい。学校はちゃんと行くこと。お姉ちゃんは咲良ちゃんが、みなとみたいに不良の地の底まで墜ちることは許しませんっ」
「僕の評価はすでに地の底だったのか!?」
痛ましい事実。知りたくなかった真実だ!
目の前の女子二人は僕の反応を見てクスクスと笑う。ついさっきまでは張り詰めるように重たい空気だったリビングが、一人増えただけで和やかになった。
僕たちに血の繋がりはない。
いや、血の繋がりがないからこそ、僕らの関係は「幼馴染み」とも言える。
そしてそれ以上に、家族のように遠慮のない関係性だ。
本当の家族に飢えている人間同士が集まっているのだ。不良の一人や二人、生まれてもおかしくない。
そんな風に開き直って、笑い飛ばすことが、今の僕らに必要な処方箋であり、心の療養だった。
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