「吸血鬼というのはな、別に血が栄養源というわけじゃないのよな」
「え、そうなの?」
戸牙子とのジジ抜きは白熱し、勝利数だけで言えばお互いにいい勝負ができたほどだった。
どれがジジであるのかを予測するのが楽しかったようで、負けた試合でも「それだったかー!」と配信者の鑑のような小気味良いリアクションで笑っていた。
もちろん、僕も完全初心者相手に手加減はしたが、やはりゲーマーであるからなのか、対人心理戦の要領を掴むのも早かったように思う。
ババ抜きは無理かもしれないが、ジジ抜き日本チャンピオンになったりして。
そんな風に熱中していたわけだが、時刻が午前四時をまわったころ、戸牙子は「もう寝る時間になるから、お風呂入るわ。あたしが上がったら、みなとも浴びて帰って良いわよ」と言い残し、すたすたと風呂場へと向かった。
男を家にあげたまま風呂に入るなんて、女性として油断している気もするが、それだけ信頼されているというのなら裏切るわけにはいかない。
またもや居間でひとりきりになった僕は、話し相手にミズチを選んだ。
こんな言い方すると都合の良い女、ならぬ都合の良い神様って感じだけど、決して敬いを捨てた関係ではない。
親しき仲にも礼儀あり、心安いは不和の基。
共に生きると誓った仲であり、そしてやはりというか、彼女は僕より圧倒的に長く生きてきた存在でもあるため、その知識と見聞を、他愛ない時間つぶしの雑談で教えてもらったりもする。
「あやつらにとって血というのは、己の蒸発を防ぐための物でもあるのじゃ」
「蒸発? 太陽に焼けないようにってこと?」
「いや、ある日突然消えないように、という意味の方じゃ。そもそもみなとよ、お前さんは吸血鬼がどういった者か知っておるか?」
「え? そりゃまあ、太陽や十字架が苦手で、人の血を吸って、そんでもっていろんな力を使えて……ってイメージかな」
「まあそうじゃろうな。けれどそうではない。あやつらはどうやって生まれたか、についてじゃ」
どこで、いつの時代に、どういった理由で最初の吸血鬼が生まれたのか。
考えたこともなかったし、ミズチからうながされてもピンとはこない。
というより、たしかに考えてみれば最初の原点となる、吸血鬼のルーツはいったいどこにあるんだろう?
「あやつらはな、様々な伝承が混ざり合った結果、今は吸血鬼として確立した存在になっておるだけで、もとをたどればどこが原点であるかすら、正確には分らないほどに分岐している種族なんじゃよ」
「え、種族? 吸血鬼って、吸血鬼の中でも種族があるの?」
「人間でたとえるなら、黒人と白人だと思えばよい。同じ人間ではあるが、見た目はかなり違うじゃろう?」
同じ吸血鬼でも枝分かれしている例のひとつとして、吸血鬼が持つ特徴の「十字架が苦手」がある。
そもそもなぜ十字架が苦手かといわれたら、吸血鬼は悪事を働いて神に背き、その死体から蘇った異形であるため、十字架を見ると自責の念に駆られるからなのだとか。
だが逆に、特に悪いことをしていなかったり、むしろ自分の悪行を『悪』だと思わない狂気じみた者だった場合、自責なんてかけらも浮かんでこないから、十字架を見せられても機能しない。
「吸血鬼にはこれが効く、なんていうのは、言ってしまえば人間には毒が効くぐらいに広い定義の話なんじゃよ」
「……毒の煙だったらガスマスクを付けたり、もしくは血清を打つとか、いくらでも対策が効くみたいな?」
「そんな感じじゃ。だがそれでも、たったひとつだけあやつらに共通する苦手なものがある。それが日光じゃ」
「あれ、日光はどうやっても克服できないの?」
「克服というより、それが吸血鬼の条件なんじゃよ」
ミズチはちゃぶ台の向かいで、肘をつきながらつらつらと続ける。
精神体ではあるが、今は透明な水の色ではなく、服や肌に色がついており着物姿が日本家屋によく映える。
「吸血鬼はな、日に弱い人間たちが過ごしやすい環境を求めた結果、夜に向かったのじゃ。丑三つ時を最盛期とし、人の世である昼間から逃げる。そしてその限定的な状況でしか動けないことを制約に、人並み以上の力を持った」
「……なんかその言い方だと、吸血鬼ってもともとはちょっと体の弱い人間みたいに聞こえるけど」
「ああ、だってあやつらは亜人じゃからの」
「亜人?」
「人から派生した種族じゃ。どうやってなったか、という詳細なところはわからんが、あやつらのルーツは間違いなく人間なんじゃよ」
「え、意外だな。もっとこう、別のところから生まれたのかと」
「それもあながち間違いではないが、言ってしまえば人の突然変異体じゃな」
ミズチは結った髪を指先でいじりながら、少しずつ饒舌になっていく。
雑談を興味深そうに聞くと、彼女の機嫌がよくなることを僕は知っている。
そして髪をいじっているのは、誰かとおしゃべりしたい気分であることも。
「さっきも言ったが、吸血鬼は原点に存在した者から枝分かれしたあと、もう一度定義しなおした種族なのじゃよ、分かりやすいようにな。始まりは11世紀と言われておるが、実際はもっと前から居るのぉ」
「ん? 吸血鬼って近世のイメージなんだけど、そんな前から居たの?」
「吸血鬼信仰が流行ったのが、近世というだけじゃな。流行りものに乗っかって『俺は吸血鬼だ!』と声高らかに言う真人間もおったぐらいじゃ」
いつの時代でも馬鹿騒ぎする人間はいるらしい。
そして、その迷惑を被るのは、常に周りにいる真人間とも。
「だが、ただ宣言するだけでも、嘘の宣告であったとしても、影響力はあった。怪異というのは、歴史が作るからの。あの頃はでたらめな呪いやら流行り病を、ヴァンパイアという忌み嫌われる種族になすりつけたんじゃよ。その結果、ヴァンパイアという怪異は、圧倒的な知名度を持って力を増し、人類の脅威ともいえる存在にまでのし上がった」
「でも、今ではかなりポピュラーな人外だよね」
「あれはなぁ、日本だけじゃよ。というか、日本が吸血鬼を親しみやすいものにすることが多いの。アニメとか漫画とか」
「ミズチって、アニメ知ってるの?」
「制作スタジオにこっそりお邪魔して原画を見ておる」
何それうらやましい!
ていうか、神様でもアニメを見てたりするんだな。
アニメ、偉大な娯楽だ。
神棚にブルーレイとか捧げても案外喜ぶんじゃないのかな。
いや、再生機器も必要か。
「とまあ、長々と話したがとどのつまり、ひとくちに吸血鬼と言っても個体差が大きいんじゃよ。それは、あの紫の宝眼を持った半吸血鬼であってもな。じゃから、みなとの持つ疑問自体は、間違ってはおらん」
そもそも、なぜミズチに「吸血鬼とは」を尋ねたのか。
それは、僕があるひとつの疑問を持ったからだ。
山査子戸牙子は、本当にハーフヴァンプなのか?
「……人間と吸血鬼のハーフっていうのは、実際のところどうなのかな。ありえるの?」
「ありえはするが、もし本当にそうなのだとしたら、新人類ならぬ新吸血鬼じゃな。いや、真吸血鬼かもしれん」
「真? 新しくて、真の吸血鬼ってこと?」
「んー、どうじゃろうな。むしろあれは、原点に近いとすら思うが。そもな、あやつらが同族を増やすには、眷属を生み出したり、己の血を与えることで吸血鬼化させるんじゃが。あれは人間から吸血鬼へ、種族の上書きをしているのじゃよ。だからこそ、紫のお嬢が人間性と吸血鬼性を半分ずつ持っておるというのは、なかなか稀な例じゃと思うのぉ」
金髪、というのは吸血鬼らしい特徴だろう。
紫色の宝石の眼も、赤色から派生したと考えたら、予想の範囲内。
だが、毒の煙を出したり、日光を浴びてもうなだれるぐらいで済んだり、化学調味料である桃のジュースでふらついたりなど。
そして極めつけが、『人の記憶に残らない』
吸血鬼らしくない特徴が多い戸牙子に疑問を感じて、僕は見識の広いミズチに助けを求めたわけだが、最終的に「個体によって違う」という身も蓋もない結論しか聞けなかったわけで。
はたして何から調べたらいいのだろう。
思索に耽っていた時。
僕の耳に、かすかな音が入り込んだ。
虫の足取りのように、あまりにも小さなそれを聞き取れたのは、まだ僕の体に神力が残っていたからだ。
ガラスが割れたようにも、石が破裂したようにも聞こえる、炸裂音。
戸牙子が向かった風呂場の方向から――ばりん――と、聞き慣れてはいるが危険なそれを。
戦慄と焦燥が走る。
「……ミズチ、いまのは……」
「宝眼の音じゃのぉ」
アメジストの砲丸を、紫宝石の目から撃ちだした音。
僕は、二回しかくらってはいない。
だが、どちらも。
戸牙子本人が、非常に好戦的な瞬間に放たれたものであることだけは、覚えていた。
反撃しようとした時、無意識に眼から発射される、紫水晶の弾丸。
よくない不安が急激に募る。
「また怒られたらごめんっ!」
「はは、女の裸を拝めて僥倖ぐらいに思えばよい」
楽観的なミズチの冗談を右から左へ流し、僕は息を忘れて戸牙子のもとへ走った。
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