電話の先、つまるところみなとの隣で声をあげたのは、私のよく知る人物だった。
「二度目の再開、っていうと意味が重複するんか? まあええか、またおうたな、みなと君」
「その声、まさか空木叔父さん!?」
「最近元気にしてるかぁ? なんや姉ちゃんにおうたらしいやん。相変わらず若作りしてたか?」
その声色には、敵意が全く混じっていないことに少しだけ安堵した。
もちろん彼は殺気を隠すのがうまい人ではあると知ってはいるけれど、隠すことにこなれているだけで本来は「わざと見せて警戒させる」のがお家芸の殺し屋でもある。
無駄な争いは避けて、面倒なことはできるだけ先送りする。
せっかちなようで、自分の立ち回り方を冷静に分析できる彼は、「急がば回れ」をポリシーにする人でもある。
だから、安心した。
彼が世間話を振ってくるということは、今ここでどうにかするつもりはないということだし。もちろんそれは今だけで、私を言葉巧みに丸め込んだあとにばっさり、みなとを殺すかもしれない。
ただ、とりあえず彼に話を合わせるため、叔父さんの振ってきた「姉」の話題を続ける。
「相変わらずというか……まあ実際二十八歳のはずだしね……。叔父さんはたしかもう四十だっけ?」
「おお、俺が年上の弟で、姉ちゃんが年下の姉ってようわからん関係やんな。次おうた時、どういう接し方すればいいんかわからんわ。しかし結奈ちゃん、君はレディやろ? 年齢に関してはもっと敏感になってくれんとおじさん困るで、まだ三十九歳や!」
三十九歳の弟と、二十代後半の姉、か。
歪なように見えるけれど、私たち神楽坂姉弟も似たようなものだし、人のことは言えない。
「会話の一部始終を聞かせてもらったんやけどな、ここは俺とみなと君が共同戦線をはって探すのがいいと思うんよ。俺はみなと君に借りもあるしな」
「借り? 叔父さん、みなとと知り合ってたの?」
「ちと前にな。まっ、話すと長いんやわ。恩を返すのも含めて、俺がみなと君を守ってやるからさ。結奈ちゃんはダイヤモンドプリンセスに乗った気分で任せてくれや」
「……二回目、なのね」
もう次はない。灰蝋空木には、「三度目の因果盟約」がある。
今はみなとに恩があると言っているけれど、次に会うことになれば、本気の叔父さんとやりあわないといけない。
やりあわざるを得ない。
その時だけは。
私が、一緒にいてあげないと。
「まだあと一回はあるんや、今日中なら気にせんでええ」
「……そういうことなら任せるけども」
「逆にや、結奈ちゃんはミズチのとこへ行った方がええんとちゃうか? ここは別行動で効率よくいこうや」
ミズチをみなとの中へ連れ戻すことが最優先だと、たった数秒で思いついたのか。
さすがに経験値が違う。私の頭では選択肢が狭すぎた。
「……勉強になります」
「授業料は500ユーロでどうや?」
「安すぎです。初めて一緒に仕事した時の金額だなんて……もっと払います」
「冗談やって、相変わらず真面目で可愛いなあ!」
豪快に笑う声が聞こえてくるが、ここで任せっきりにするのはよくない。
みなとのそばに居合わせたことがただの偶然であるわけがない。
むしろ、咲良を追いかける目的が一致している二人なら、きっと効率はいいだろうけれど。
ひとつだけ、問いかけてみる。
「それと叔父さん。いえ、灰蝋空木様」
「なんや」
「あなたは、自分の所属する『庭園』の指示で今回の件に関わっているのですよね」
「せやな」
「『方舟』との権益分配は、どうするか決めていますか?」
「あーそういう話はまたあとで」
こういう大雑把で面倒臭がりなところが、叔母さんと似ていて困るところだ。
本物の姉弟間が持つ血脈に、微妙な嫉妬を覚えながらも、私は食いつく。
「いえ、先に決めておかないと……」
「解決できたらにしたらでええんちゃうかって言ってるんよ。取らぬ狸の皮算用って言うやろ? 今から分け前のことやら語りだしたら、鬼に笑われるわな!」
鬼。
まるで私が気分を害したのを察したように、なだめるように、叔父さんは冗談めかして言った。
その鬼という存在に、叔父さんはこれまで散々酷い目にあわされてきたというのに。
辛いトラウマを笑い飛ばせるぐらい、心の強い人であることは尊敬している。
彼は大人らしく冷静に、決まりごとや契約に固執しすぎる私を諌めてくれた。ならここは、誠意で返すべきだろう。
「……キートス、セタ」
「Eipä kestä」
フィンランド語で「ありがとう、叔父さん」と真心込めたつもりだったけれど、やっぱり発音では敵わないわ。
ナチュラルに「お安い御用」と返してくるあたりが、また渋くてかっこいい。
もしみなとと出会うのが遅かったら、というよりみなとが「弟」でなかったのなら。
きっと私の初恋は、空木叔父さんだったのだろう。
*
これからの方針について話し合いを終えて、通話を終える。
みなとは空木と一緒に行動。私はミズチを追いかけて見つけ、宿主の元へ返させることになった。
「なんだか、すごいことになってますね……?」
私の電話が終わったのを見計らって、隣の机で書類を書き記している女研究員は話しかけてきた。
「ええ、また残業です」
「最近は結奈さんも楽ができていたのに、問題ごとは重なりますね」
「そういうものだと思ってます。暇になれば、どうせ呼び出されますから」
「もう少し、私たちもサポートしてあげられたら良いんですけど……」
「いいえ、あなたにはむしろ一番助けてもらってますよ」
私が苦笑を向けると、白衣に身を包む彼女はへにゃりと笑ったが、すぐさま緩んだ頬を引き締めて詰め寄ってきた。
「だ、だめですね、ここでいい気になってたら! 結奈さんには、シオリみたいに迷惑をかけられません!」
「あれはあれで、助かってるんですけどね。あなたの妹は、屈託無く話しかけてくれるので」
「め、面倒だったら言ってくれて良いですからね! お姉ちゃんとして、私が注意します!」
お姉ちゃんとして、か。
堂々と言えるのは、すこし羨ましい。
蜜柑を思わせる明るいオレンジ色の万年筆がトレードマークである白衣の研究員は、まっすぐに私の目を見てくる。
彼女の名前は、スズリ。
シオリの姉であり、黒橡の方舟で秘匿性の高い情報を集めた書庫の管理人でもある。彼女の主な仕事は、集まった情報や資料を書類にまとめること。
研究職の妹と同じぐらいの権限を持っており、シオリが「人間怪異図書館」であるなら、スズリは「人間怪異編纂者」だ。
「大丈夫ですよ、スズリさんはむしろ気を遣いすぎです。もっと図々しく開き直ってもいいぐらいなのに」
「それができたら苦労しないんですよー! 私なんてどうせ文献をまとめて編集するしか能が無いコミュ障で根暗なんです!」
「理路整然としているところは強みだと思いますから。だからそんなに自分を責めないで」
まあ、初対面の時はシオリの姉と聞いても、雰囲気の違いから信じられなかったけれど、自分の意思を明確に表現するところは似ている。
実際、私や虹羽先輩のような接しづらい人間に対してはっきりと物申すのはシオリとスズリさんぐらいなものであり、方舟のなかでも珍しいタイプである。監禁部屋に閉じ込めたみなとと会うために私がドアをぶち破った時も、スズリさんは弱々しい態度ながらも、しっかりと苦言を呈した。
『この扉だけでも直すのにどれだけの費用がかかると思ってるんですかぁ……』と。
大人としてしっかりしているというか、見習うべき長所でもあるけれど、それ以上に彼女は精神性が卑屈なところがたまにきず。
「あ、結奈さん」
「はい?」
「みなと君が持ってきてくれた灰の分析結果がある程度まとまったんですけど、急ぎでしたらメールで送りましょうか?」
「……いえ、今聞いておきます」
分かりました、と言ってスズリさんは万年筆をおき、数枚の書類をクリップで挟んだ。
「まずですね、みなと君が持ってきた普通の灰に見える方と、戸牙子さんに渡された赤い灰。あの二つは、構造だけで見れば全く同一の物です。どちらもエドヒガンサクラの木が燃やされてできた灰であることが分かってます」
「その二つは、構造は一緒でも、効能が違う?」
「その通りです。赤色の灰は、『かかった木が染井吉野になる』という非常に危険な性質を帯びています。構造が一緒なのに、なぜか灰色の方には『染井吉野にする』力がありません。赤色の灰はまず間違いなく、怪異の力を帯びた物ですね」
染井吉野に上書きする、のか。叔母さんは「花を咲かせる」と言っていたが、あれは嘘だったのだろうか。
微妙なニュアンスの違いかもしれないし、あの時点でそこまで詳細な情報を知り得ていなかった可能性もあるが。
勘で見透かして、未来予測して、見抜いたことをずけずけと言いふらすあの人のことだ。
この赤い灰は、実は未完成品なのかもしれない。
と、そういう予測を仮に立てておきながら、私は聞きに回る。
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