「姉さん、なにしてるのさ」
「一緒に寝ようと思って」
「さらりと真顔で言ってるけど、子供じゃないんだからさ」
「大人はね、子供に戻りたい時があるの」
「だめな大人じゃん」
「パパ、いっしょにねよ?」
「はああっ!?」
なんだ今の頭をぶち抜くような言弾は!
姉さんなのに娘で、弟である僕が父親だった!?
業が深すぎるだろ! 闇より深い深淵の片鱗が見えたぞ!
「抱き枕がないと寝れないの」
「枕持ってきてるじゃん!」
ぎゅっと人形を抱きしめるように胸の前で、持ってきた枕にしがみつく姿が、どうにも子供らしく、庇護欲にかられてしまう。
「ねえ、だめ?」
上目遣いでおずおずとこちらを伺う姿で、あまりのギャップに頭がくらくらした。
だから、今の僕はきっと正常な判断力が失われているのだろう。
そんなわけで、この選択をとるのは仕方のないことなのだ。
決して、僕が悪いのではない。
可愛い姉さんが悪いのだ、そうに違いない!
「……いいよ」
「ふふ、ありがとう」
あっさり、彼女はいつもの冷然とした声色に戻った。演技力高いなあ。
僕がベッドの奥へ寄り、顔を合わせないように壁を睨んだ。
姉さんは枕を置いてベッドに入り込み、頭を置いたらすぐさま、僕のお腹に手を回してきた。
「あったかいね、みなとは。子供みたいな体温してるわ」
「……ドキドキしてるからかも」
「ほんとに? 姉さんに興奮してるの?」
「そういう言い方やめてって……心臓に悪い……」
「蛇の心臓が震えちゃう?」
「まるでナメクジに襲われたみたいにね……」
「ふふっ、私がぬるぬる粘着しちゃう悪い女だってばれてしまったかしら?」
「……過保護なところは、昔から知ってるから、気にしてないよ」
「そ」
密着してくる姉さんの体温の方が、熱い。
寝巻越しに、女性の柔らかさが伝わり、よこしまな気分が沸き立つ。
蛇のうろこに乗っ取られた僕の心臓を、姉さんは服の上から触ってきた。
左胸にぺたぺたと小さな手があたり、くすぐったい。
「最初より、鱗の範囲がすこし広がってるわ。力を使ったせいね」
「……使い過ぎるとどうなるのかな」
「いつか、全身が神に乗っ取られるかもしれないわ。あなたが、あなたでなくなってしまうかもしれない」
「……そうならないようにするよ。僕が僕じゃなくなったら、姉さんとこうやって話せなくなるし」
「私は、どんなみなとでも愛するけどね」
「はは……それって僕じゃなくてもガワがあれば良いってこと?」
「そういうわけではないけど。でも、みなとが外道に落ちても、私はあなたに付いていくわ」
「そこは止めてほしいんだけどなあ……。虹羽さんみたいな放任よりはマシだけどさ……」
愛が重いよ、姉さん。
その愛情自体は、嬉しいけどさ。
「……みなと、虹羽先輩はあんなだけど、決して悪く思わないでほしいの」
「えっ?」
「あなたを突然外に放り出したり、あなたの提案した『生け捕りされたフリをする』作戦を許可したのも、上を説得するためにしたことなの」
「……そうなの?」
あのへらへらした雰囲気のおっさんが、そんなことを?
「穏健派、といえば聞こえはいいけど、私たちの上にいる人達は保守派なのよ。選民主義と言えば良いかしらね。真人間以外は認めないっていう強固な考えがあって、半神になったみなとに下していた最初の決断も、暗殺だったの」
「そ、そうだったんだ……」
「私は当然反対したわ。あなたはしっかり自分の意思で私を守ってくれた。この子は絶対人の心があるって訴えたけど、無駄だった。それで、私がやらないなら虹羽先輩にやらせるってなったの」
今の黒橡の方舟で、姉さん以上の実力を持つのは虹羽さんだけらしい。
「でもね、虹羽先輩は私の気持ちを汲んでくれて、博打をうったの」
「博打?」
「そう、『神楽坂みなとは、暴走しても危険性はない』と上の人間に証明する賭けをね。くえないわ、あの人。神通力もあるせいで、こっちを見透かしてきて余計タチが悪い。でも今回に限っては、あの人に私もみなとも救われた」
つまり、こういうことか。
虹羽さんはわざと僕が暴走状態になってもおかしくない環境に連れ出して、その結果を上層部に見せつけたということなのか……?
「結果、みなとの暗殺を考えていた上を、うまく丸め込めた。みなとがノスリと協力関係を築き上げたことから、交渉もできるし戦闘力もあると認めてもらえた。そのおかげで、みなとの暗殺は保留になった」
「まだ保留なんだね……」
「大丈夫、悪い行動をしなければ目をつけられることはないわ。私も監視役として逐一報告してるし」
そうか。
あのおっさんは、不思議な雰囲気ではあるけれど、悪い人ではないんだな。
「……ちょっと見直したよ、虹羽さんのこと」
「私も時々見直すんだけど、上がった株がすぐ落ちることばっかり言うのよね」
「それはわかる」
「あの悪趣味なグラサンが悪いのかなって思ってたけど、多分あれは根本の性格が悪いわ。顔はいいけど、好きになるタイプじゃないわね」
「あっ、そうなんだ」
なんか、ちょっと安心。
気心知れたやり取りをしている二人は、男女の仲かもしれないと思ってたから。
「なに? 嫉妬?」
「い、いやいやそういうわけじゃ……」
「心配しなくても、あの人に父性は求めてないわ」
ん?
僕は姉さんの発した単語に違和感を覚える。
「えっ、父性?」
「……忘れて」
「いや、気になる」
「忘れなさい」
「教えて」
「やだ」
「教えてくれないと部屋から追い出す」
「くっ、わ、分かったから……、言うからっ! 追い出さないで……」
ぎゅうっとお腹を締める腕に力がこもる。
そして、姉さんはぽつぽつと語り始める。
「……私は、どこかしらで父性を求めてる節があるの。生まれる前から、私の父親はいなかった。でもすごく良い人だったことは、ママから聞いてた。どんな人なんだろう。もし生きてたら、何をして遊んでくれる父親だったんだろう。そんな夢物語ばっかりに思いを馳せて、ずっとずっと夢を望んでいた」
久しく自分のことを饒舌に語る彼女に驚きながらも、静かに聞き続ける。
「けど、大事な家族であることが、良い父親の最低条件でしょ。私が大切に思える人じゃないと、父親とは言えない。ただの他人に、父親役は求められない。だから、ごめんね」
「…………なんで、謝るのさ。筋が通っていないことは、謝らなくていいよ」
「謝りたいの。みなとに、父親の面影も、弟の可愛さも、女の理想も重ねてしまってることに」
ぐりぐりと、背中に頭をこすりつけられる。
「あなたが拒まないことを良いことに、私の弱みを全部ぶつけてしまって、ごめんなさい」
温かいしずくが、服に染み付く。
ずっと吐き出せなかった膿が、言葉と涙に浮き上がっていた。
背中に抱き着いていた姉さんの腕を掴み、泣いている彼女と向かい合う。目元が真っ赤になっていた。
泣き顔を見られたくないようで顔を隠そうとするが、彼女の細腕は僕が掴んでいるため、抵抗は虚しく敵わない。
「っ、みなと、女の泣き顔をそんなに見ないで……。安売りするものじゃないの……」
「姉さん。今日は泣いて良いよ。僕が一緒にいるから」
掴んでいた腕を解放し、姉さんの頭を撫でながら、自分の父親にされたことをできる限り思い出して、優しく言う。
「今日はいっぱい泣いていいから、明日は強くなろうね」
さらさらと流れる天の川のような銀髪を撫でながら、僕はお父さんの十八番を持ってくる。
泣き虫だった僕をいつも優しくなだめてくれたお父さんが、僕は大好きだった。
僕が覚えている父親像は、これぐらいしかない。
「……もう、ほんと、弟なのがもったいないぐらいの男よね」
「姉さんが好きだからだよ。愛情がないと、こんなことしないさ」
「……特別扱いされると弱いの、分かっててやってるんでしょ」
「……ふふっ、さあ?」
「悪い男ね」
「姉さんほどじゃないよ」
「言うじゃない。それじゃあ」
姉さんは、今度は僕の腕を掴んで馬乗りになり、不敵に笑う。
「私もみなとも、どっちも悪い子供だから、パパでも弟でもなくて、男として求めても良いわよね?」
「……姉弟じゃ居られなくなるよ?」
「別に、もともと他人じゃない」
「……そうかもしれないけど」
銀色の髪がはらりとかかり、首元に顔が近づく。
すんすんと匂いを嗅いできて、色気の混じった吐息がかかり、情欲とくすぐったさがぞわりと全身に襲い掛かる。
「我慢するつもりだったし、姉として振る舞いたかったけど、初めてを捧げる相手ぐらいは選んでいいわよね」
「……初めて?」
姉さんの告白に、心臓がどくんと跳ねた。
うろこの心臓が。
「当たり前でしょ、彼氏を紹介したことある?」
「いや、なかったね」
つまり、神楽坂結奈は。
処女である、ということなのか。
「今日だけにするから。明日からは、普通の姉弟に戻るから」
『それは許せんのぉ』
夜の帳が下りた世界で。
自分の口から意図せず放たれた言葉を皮切りに、僕の意識はどろりとした液体に塗りつぶされたように、消えてしまった。
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