結局のところ、ディーヴァもミサもその関係性は判らず仕舞いだったが、そこを明らかにさせようという意思は薄れてしまっていた。考えてみれば夕衣がIshtar Featherを人前で歌うことは少ないし、ディーヴァという歌手の正体が誰であろうと、夕衣の原曲、Ishter FeatherがあってこそのGoddesses Wingだということは、ディーヴァも充分判っているのだと思えた。それこそが正体を明らかにしない理由なのかもしれないし、この考え方すらまったくの見当違いなのかもしれない。
追求したところで埒があかないのは夕衣も良く判った。
弾語りの会場となるライブハウスLetaは十七時に開場だが、アーティストの集合は十四時だった。リハーサルはないものと思っていたが、バンドや楽器を持ち寄るアーティストには簡単なリハーサルを行ってくれるらしいので、昨日の内に全て準備を済ませた夕衣は、エレキギターをアンプに繋がずに軽く練習をしてからライブハウスへと向かった。
ライブハウスには既に何組かのアーティスト達が集まっていた。薄暗い地下室でPAがマイクチェックなどをしている中、集まったアーティスト達はアチコチに陣取って談笑していた。
「おー夕衣」
「早いね」
夕衣を見つけた英介が声をかけてきた。客席側の隅の方でバンド全員が集まっている。
「午前中リハ入ってたからな。そのままメシ食って流れで」
「なるほど。セッティングはいじってないよね」
つん、とエフェクターが入っているケースを突いて夕衣は言う。
「アンプに合わせて若干いじったけど、そう悪影響はない程度だと思うぜ」
「まぁ使い方覚えてるんだったら大丈夫だと思うけどね」
まさか歪み系統の音を入れてはいないだろうな、とつい思ってしまう。
「何か信用ねぇなぁ」
「あの爆音聞いちゃうとねぇ……」
「だから今日はアコースティックだっての」
「判ってるけど」
夕衣は笑顔を返すと、ギターケースを立てかけた。
「秋山君はエフェクトとか使うの?」
「いや、俺は生音。シミュレーター使うと低音篭りそうだから気持ちシャリっぽくしようと思ってんだけどさ、まぁ何にしてもリハ次第かな」
こういったステージの場合はベースは音に気を使う。確か奏一は路上ではピック弾きをしていたはずだが、今回は指弾きだろう。
「そっか。指?」
「いやー、おれ指弾きできないんだよ。だから似たような音が鳴るピック……これ」
奏一はポケットから一枚のピックを取り出した。
「え、今こんなのあるんだ」
硬い消しゴムのような素材でできた厚手のピックだ。なるほどこれならば通常のピックよりも指弾きに近い音が出るのだろう。
「うん。髪奈さんはエレキ?」
「うん、セミアコだけどね」
「こないだと一緒?」
「ううん、こないだのはフルアコ」
セミアコースティックギターの方がソリッドギターに音色が寄っていて、ソリッドギターで使うエフェクターのエフェクトが使いやすい。今回は少しエフェクターを使おうと考えていたので、セミアコースティックギターを持ってきた。
「あぁセミアコか」
「うん、ちょっとエフェクトとか使いたいから。樋村しっかり聞いててよ、マルチの使い方ちゃーんと教えてあげるから!」
「お?今日の音か?」
「そ、かなり煮詰めて作った音だから。セミアコとの相性もバッチリなの」
以前いた街でもライブ用に使っていた音色だ。バンドを組んでいた頃にソリッドギターしか使わなかった時はコンパクトエフェクターのチューブスクリーマーをメインに音を組み立てていたが、夕衣が一人でステージに立つ時は、セミアコースティックギターとマルチエフェクターの組み合わせが一番多かった。
「ほぉ、じゃあまた個人レッスンしてくれや」
「別にいいけど高いよ」
ぴ、と人差し指を立てて夕衣は笑った。
「涼子さんとこのコーヒーだろー、そんくらいならな」
「個人レッスン?また?」
英介が随分と太っ腹な返事を返した直後に奏一が割って入った。
「え?あ、樋村がマルチの使い方教えてくれって言うから、こないだスタジオ入っただけ」
妙な誤解をされてはたまらない。奏一は莉徒や英介のように夕衣をからかったりはしないだろうが、誤解されるのは御免こうむりたいところだ。
「ふぅん」
「たまたまだよ、たまたま。莉徒も捕まんなかったしよ」
(え?)
確か英介は一番最初に夕衣に連絡を取ってきたはずだ。夕衣が英介の音作りを手伝えなかったら、他のギタリストにお願いすると言っていた。莉徒や公子、風野晃一郎もギタリストだが、いわゆるアコースティックアレンジで一番慣れているのは夕衣なのだろうから、その英介の選択にも納得がいった。
「そっかぁ付き合ってるとかじゃないんだ」
「はぁっ?」
奏一のとんでもない発想に、夕衣と英介が見事なハーモニーをかもし出した。
「あのな、奏一、女ってのはもっとバーン!てなってキュゥッ!ってなってドーン!ってなって、ねー……と、だ、な……」
バスト、ウェスト、ヒップと順に英介は強調するジェスチャーをしたが、夕衣の顔を見てか、急に言葉が淀んだ。
「……どこが?」
「え、あ、いや」
「どのあたりが?」
ニコリ、と目以外で笑顔を作る。
「こう、全体的にドバーン!とな……」
今度は夕衣の頭のあたりの高さから両腕を垂直に下に振り降ろした。莉徒がこの場にいたとしたら今頃は蹴り飛ばされているだろう。
「樋村、エフェクター貸して」
「いやー、これは失言!」
ニコリ。
「ミクスチャみたいなめっちゃくちゃな音にしてあげるからエフェクター貸して」
決してミクスチャサウンドのギターの音源が滅茶苦茶な訳ではないが、アコースティックライブで使用するには滅茶苦茶だと言えるくらいには場違いなエフェクトであることは間違いない。
「正直スマンかった」
「ケーキ追加かなー」
人差し指を顎に当てて夕衣は言ってみた。今現時点でコーヒー一杯とケーキ二個を奢ってもらえるのだから、後一つ追加させるのも悪くない。
「わ、わかりました……」
「よーし、言ってみるものね。……そういう訳で、この人とは貸し借りのみで関係が成り立ってます、OK?秋山君」
腰に手を当てて、さながら女教師を気取りつつ夕衣は笑った。
「アンダスタン」
ぐ、と奏一がサムズアップで応えた。
出演者は総勢で十二組だ。夕衣のように一人で弾語りをするアーティストは夕衣の他に二名だった。楽屋は手狭なので全員では使えない。客席側の隅の一区画を仕切って、そこを楽屋代わりとして使うことになった。バンドで演奏するアーティストは六組、それ以外はオケを流して唄うだけのアーティスト達だ。差し当たり最初の挨拶を終えて、バンドで演奏する組がリハーサルに入るようだった。
「夕衣、ちとリハん時出音チェックしてくんね?」
「お?うん、いいよ」
ギターのチューニングを済ませた夕衣に英介が声をかけてきた。
「何番目?」
「四番目だって」
「おっけ」
夕衣はチューニングメーターからシールドを引き抜いて、ギターを一度ハードケースに収めた。
「おぉーすげぇなこれ、なん?」
「何かも判んないですげーとか言わないでよ」
英介の子供のような視線が夕衣のギターに向けられる。夕衣は苦笑しつつギターのヘッドに装飾されたレリーフを指差した。
「なんこれ?エピフォン?」
「そ」
ギターメーカーを読み上げつつ、英介はつらつらと夕衣のギターを眺めた。
「かっけぇなぁ、それ貸してくれよ」
「今更何言ってんの?」
まさかこの期に及んでギターまで変えようとは想像もしなかった。いくら英介のエフェクターの音色をアコースティック用に変えたといっても、ソリッドギターとセミアコースティックギターでは音の鳴り方が全く変わってしまう。それにそもそも、ソリッドギターでアコースティックの音に近付けるエフェクトをかけているのだ。もし夕衣の物を使うとなると、折角セッティングした英介のマルチエフェクターは使えなくなってしまう。
「今日の訳ねぇだろ。次に決まってんじゃねぇか。アホかてめえは」
「出音のチェックしてあげない」
うそだ、と思った。あわよくば本当に今日この場で夕衣のギターを使いたいと思ったはずだ。夕衣の反応を見て、今何か決定的に間違えた、と英介自身が気付き、慌ててそう言い換えてきたに違いない。
「あ、あぁ、いやだから他意は……」
「判ってるけどねー」
そんな些細な話をしている間に一バンド目のリハーサルが終わった。ドラマーがいない分早いのは判るが、本当に簡単なセッティングしかしないのだろう。
「早いね、これって逆順?」
「んなこと言ってたな。でもまぁリハはバンドだけだから間に何組も入るんだろ
通常リハーサルは本番では最後、つまりトリのアーティストからのスタートになる。バンドで出演するのは全部で六組だ。その中の四番目ということは比較的早い出番なのだろう。
「だね」
「お前何番目?」
夕衣の隣に腰を降ろして英介は言った。
「十一番目」
「おー、トリ前かよ」
「トリって有名な人なのかな」
夕衣は出演者の順番が書かれたコピー用紙を取り出した。そして表の十二番目に書かれている結花というアーティストの名を指差した。
「あぁ結花さんな、ここらじゃ割と有名な人だぜ」
「ほー、ユカさんじゃなくてユンファさんって読むんだ」
中国語の発音だろうか。
「おー。確か自主製作でCDも何枚か出してる。今日も物販出すかもな」
「対バンしたことあるの?」
知っている仲のようだ。こういったイベントでトリを務め、しかもこの辺りでは有名なアーティストともなれば実力はあるのだろう。自費であれCDを出すほどなのだから自信もあるのだろうし、夕衣は結花の楽曲を聴くのが楽しみになってきた。
「や、ジャンル違いすぎっから、それはねぇけど莉徒は何回かやってる」
「なるほど」
莉徒も確かこの辺りでは有名だと聴いたことがある。莉徒ほどの実力があればそれは頷けるが、純粋に音楽のレベルだけではなく、様々な悪名も知れ渡っているせいだとも噂されている。
「で、その莉徒とは犬猿の仲」
「え、何で」
女性アーティスト同士のトラブルといえばやはり恋愛関係だろう。それに莉徒の悪名はその男関係のことで広まったらしいのだ。音楽には関係のないところでの悪名なのだから、莉徒は気にしていないのだろう。
「オトコ絡みだと」
「え、もしかして……」
「俺じゃねぇよ」
ひらひらと手を振って英介は苦虫を噛み潰したような顔を作った。
「そっか。同年代なの?」
「まぁ年代で言えばそうかもな。確か三つくらい上だと思ったけど」
「へぇー、さすがだなぁ莉徒」
伊達に修羅場をくぐってきていないのだろうと思う。あのどっしりと構えた何ごとにも動じない態度を見る限り。
「まぁ聞いた話じゃ莉徒が悪いって訳じゃなさそうだったけどな」
「何々?何の話?」
奏一が二人に近付いてきた。
「あぁ、莉徒が結花さんと犬猿の仲だってハナシ」
「あぁそれか。まぁここ最近はぱったりなくなったけど、一時期は柚机が入ったバンドは必ず解散するって噂が流れたくらいだしな」
「え、そんな酷い噂あったの?」
莉徒に訊けば教えてくれるだろうが、態々そんなことを聞き出す必要もないと思っていたので、夕衣は莉徒が自分から口に出さない限り、莉徒の悪名の件については触れずにいた。
「あったな。でも最近はホント言われなくなったけどな。『Kool Lips』が上手いこと続いてるからってのも大きいんだろ」
莉徒がメインで活動しているバンドの名だ。まだライブは一度も見たことはないが、ライブビデオと音源はついこの間借りたので、Kool Lipsがどれだけ良いバンドかは夕衣も判っていた。
「まぁバンド内の痴情の縺れとか音に出ちゃうこともあるし」
「でもま、メンバー同士が判ってりゃ関係ねぇと思うけどな」
「それは言えてるね」
Kool Lipsの音はしっかりとシンクロしていた。あの音のまとまりはメンバー間で猜疑心があっては出せないものだと思う。きっとメンバーがきちんと莉徒を理解して、莉徒を生かす音を創り出しているのだ。
「ま、それでも人間同士がやることだからな。絶対なんかねぇよ」
「……ど、どうしたのヒムラエースケ」
まさか英介の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったので、夕衣は思わず目を丸くした。
「何が」
「随分まともなこと言うな、って思って……」
ついでに正直な感想も述べてみる。
「てめえな、俺のことアホだと思ってんだろ」
「違うの?」
ぽん、と夕衣の頭の上に手を乗せて英介が言ったが、間髪いれずに夕衣がその手を振り払う。
「あはは、英介はばかだけど勉強はできんだよ、これが」
「あぁ、そういうばかか」
純粋なばかよりもよほど性質の悪いばか者だ。
「奏一てめえ、そういうばかに今の科白は吐けねぇだろうが」
「それもそっか」
「でもあんまり学習能力なさそうだけどね」
英介の頭に手を乗せてぽんぽん、とやり返してやる。
「けっ」
「ぶえっくしょっ!」
入り口あたりで派手なくしゃみが聴こえたと思ったら、莉徒がこちらを見つけて駆け寄ってきた。
「あぁいた!よかった!」
「なん?おめえ演者じゃねぇだろ」
他の出演者がいるというのに騒がしいことこの上ない。
「うっさいわね、ここは私顔パスだからいいのよ」
「で、何?急いでたみたいだけど」
そういう問題ではないのでは、と思ったが、態々今この時間に莉徒がここにくることが普通ではないことは夕衣にも判った。何か伝えたいことがあってここにきたのだ。
「あぁ、昨日聞かせたディーヴァのオリジナル、手に入ったの」
「え?オリジって」
メッセージが入っている、と書かれていたデータのことだろうか。
「あぁ、音源だけのやつね、備考にはなんも書いてなかった」
「そっか……」
もしかしたら、と思ったがやはり早々都合良くオリジナルのデータが手に入ることなどないだろう。
「ちょっとあんたに聞かせたいんだけど」
「ん、終わってからで……ね」
莉徒は気付いたのだろう。その音源を聴いて、オリジナルと呼ばれているディーヴァの歌声が誰に似ているのか。
「昨日と全然声違うのよ」
「うん、調べたから知ってる。でもね、それはちょっと待って。終わってから聴くから。それよりまずわたしの曲、しっかり聴いてて」
これは夕衣の中での一つのけじめだ。だから、夕衣自身の唄をしっかりと聴きにきてくれる人達に伝えなければならない。
「あ……。うん、ごめん。これから本番なのに私何やってんだろ」
「あ、違う違う、そういう意味じゃなくて。多分莉徒の言いたいこと判るんだ、わたし」
穏やかに夕衣は言って頷いた。
「え、じゃあ……」
「だから、わたしの唄、聴いてて」
莉徒が何を言いたいのかは、判る。だからこそ、夕衣は莉徒にしっかりと聴いてもらいたかった。今夕衣が伝えなくてはならない、夕衣の楽曲を。
「……」
莉徒は何とも複雑な面持ちで一度だけ頷いた。
xvi Angel Night END
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