キャリーは居間の隅へ行き、天井の四角く縁取られた木板を外した。四角い穴の奥に暗闇が広がっている。もう一つの貯蔵庫である屋根裏部屋は幸い帝国兵に発見されなかったようだ。ほっとして、穴から梯子を下ろして屋根裏部屋へ登っていく。
「まずは傷を縫わんとな」
キャリーは床屋外科医の母から傷口の縫い方、消毒の仕方などを小さい頃から長年教わり、村人が怪我をしたら傷を手当してやっていた。だから傷口を縫うのも消毒するのもお手の物である。
暗闇の中から手探りで縫合具が入った箱を手に取る。続いて木箱に積まれた乾燥薬用植物の匂いを嗅いで、痛み止めか消毒用の物かを調べて、いくつか持っていく。
キャリーは台所で消毒薬と痛み止め薬を作った。鍋の湯に薬草の汁が染み出してくるのを待つ間、こうしているうちに帝国兵が失血死しちまうかもしれない、と焦りに心臓が高鳴っていた。彼に死なれたらあの世へいく絶好の機会を失ってしまう。
消毒薬と痛み止め薬をそれぞれ二つの椀に注いだ。ついでに傷口が見えやすいよう薪に火を付けて松明を作る。片手に椀二つを載せた盆を、もう片手に松明を持ってキャリーは帝国兵の元へ向かった。
奴は鬼の形相でキャリーを睨みながら、手元に落ちていた欠片を拾い振り上げる。だがすぐに肩を震わせて呻き、欠片を落としてしまった。傷が痛くて腕を震えないらしい。奴は落とした欠片を震える手で再び拾い、「近づけば斬るぞ」と言うように胸の前で構えた。
村を襲った敵兵を前に怯えもしない村人など、奴にとっては異常で警戒すべき存在だろう。だから欠片を使って脅そうとしているのかもしれない。
欠片を持つ手をどけてもらわないと手当ができない。どけて、と言っても言葉が通じないので意味がない。どうしようかとキャリーは焦った。
「今傷縫っでやっがら、とりあえずその手ぇどけろや」
キャリーは裁縫箱を開けて中を見せ、自分の胸の前で人差し指をじぐざぐに動かし、「胸の傷を縫わせろ」と伝えてみた。何度か同じ身振り手振りを繰り返していると、帝国兵は徐々に表情を和らげ、欠片を持つ手を床に置いた。
身振り手振りの意味が通じたのかどうか知らないが手をどけてもらえて、キャリーはよっしゃ! と両手をぎゅっと握る。
貯蔵庫の壁に付いている松明の立て掛けに薪を設置すると、全てがはっきり見えた。
「針通すから、暴れんなよ」
まず初めに、チェーンメイルを外して下着を裁縫鋏で切り、上半身を裸にした。両腕の筋肉は皮膚の下に岩が入っているかのごとく盛り上がっていて、血管の筋が所々に浮き上がっている。きっと幾多の戦場を駆け抜けて鍛え上げられた腕なのだろう。
割れ目がくっきり浮き上がった胸板と腹筋に、ひび割れのような傷が斜めに走っていた。傷口にはびっしりと蛆虫の群れが綿のようにまとわりついている。周りにハエが飛び交っていた。ここまで酷い状態の傷は見たことがなく、背筋に悪寒が走る。
「うわっ⋯⋯きもちわりっ」
キャリーは蛆虫を全て取り除き、傷口を消毒し、痛み止めの薬を飲ませて痛みを和らげてから傷口を縫った。痛み止めの薬は鎮痛剤であって皮膚感覚を麻痺させるわけではないので、針を刺せば普通に痛みを伴う。だが激痛走る傷口に直接針を通す痛みよりは全然ましだ。
皮膚が思った以上に硬くて針が通りづらく、縫合は困難だった。針を硬い皮膚にぐりぐりとねじ込ませるように通しているにも関わらず帝国兵は暴れることなく、叫び出すこともなく、顔を歪めてじっとしていた。手当てされているのをわかっていて痛みを我慢しているのか。
縫合が終わり、最後に布を包帯代わりに巻いてやった。帝国兵は手当が終わったのを察したのか、壺に背をもたれかかって俯く。痛みに耐え続けたことで、疲労が押し寄せてきたのだろう。
落ち着いたようだし、次は何をしようか? とキャリーは考える。
「病床⋯⋯」
病床を作ったほうがいいかなという考えが浮かんで、キャリーは立ち上がった。帝国兵は血を流し過ぎた上、傷を縫合したので安静にさせなければならない。
キャリーは家の裏の林に落ちている落ち葉をたくさん拾ってきて、食卓テーブル上に敷き詰めた。次に病床半分に落ち葉を山積みして背もたれを作り、帝国兵が寝起きしやすいようにする。最後に背もたれの両側に分厚い板を打ち付けて落下防止柵を作り、敷いた落ち葉に布を被せて、病床の出来上がり。
「おーい悪魔」
帝国兵のもとへ行って声をかける。帝国兵は顔を上げ、また何か痛いことするのか? と言いたげにキャリーを睨みつけた。
「病床で寝てくんろ」
そう言って帝国兵の肩を持ち上げようとすると、奴は壁に手を付いてよろめきながら立ち上がり、キャリーを肘でドンッと突いて肩越しから睨んだ。邪魔だとその目が言っているようだった。
痛かったが、肘で突かれただけなのが意外でキャリーは目を丸くする。あれ、思いっきりぶん殴ってこないん? 人を好き放題楽しく殺しまくっている悪魔にしては手加減しすぎだろう、ともやもやする。
帝国兵は今にも倒れそうな足取りで歩きながら、ようやく貯蔵庫から出た。しかし壁に付いていた手を離した途端、帝国兵は体勢を崩して倒れてしまう。床に全身を強打し、帝国兵は呻く。貧血でまともに歩けないのだろう。
「立てんかいな」
帝国兵は両手を床について上半身を持ち上げようとしたが、なかなか起き上がれそうにない。
「しょうがねーやつだなもう」
キャリーは帝国兵のごつい肩を持ち、ゆっくり立ち上がらせてやった。自分じゃ立てないと諦めたのか、帝国兵はキャリーに身を任せる。帝国兵のふらふらした足取りに合わせて歩きながら、キャリーは奴を病床へ引っ張っていってやった。
病床に上がった帝国兵は、背もたれにもたれかかって仰向けに寝転がる。
帝国兵の顔をキャリーは見た。最初に目を惹かれたのは、奴のぞっとするほど暗い瞳だった。半開きの瞼から覗く、死んだ魚の濁った目のような瞳は気味悪い。見ているだけで背筋が寒くなる。
顔立ちは整っているけれど目が異常に暗くて怖い顔にしか見えない。ついでに四肢は筋肉もりもりでごつい。まさに悪魔というにふさわしい姿であった。
こんな化け物みたいな奴をこれから看病しなきゃいけないのか、とキャリーは緊張に息を呑んだその時、外から誰かの足音が迫ってきて玄関の戸を叩く音がし、背筋に冷たいものが走る。誰か来た。
「⋯⋯やべ」
村のみんなは帝国兵に畑を荒らされ家に死体を打ち付けられ、怒り狂っている。キャリーの家に帝国兵がいることがばれたら、みんなは奴を即行殺すに違いない。
そんなことになったら、全て水の泡だ。
扉越しから「キャリー、キャリー」と呼ぶ声がする。キャリーは慌ててポンコツに掛け布団を被せ、玄関扉を開けた。
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