死にたがり少女は殺してもらうために敵兵を看病する

言葉が通じなくても、心は通じ合える。
喉飴かりん
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1.死にたがりのキャリー

公開日時: 2023年1月13日(金) 17:45
文字数:6,743

「⋯⋯いつになったら楽に死ねるんかなぁ、あたし」


 朝、キャリーは自宅の窓越しから外を見ていた。灰色の雲が空一面にびっしり埋まっていて、細い雨が外を真っ白にしている。窓の外一面に広がる畑から漂う土と肥料と雨の臭いが、異様に生臭かった。


 キャリーは農民だが農作業を一切せず、誰もいない静かな家に一年以上引きこもり、一日中寝転んで過ごしていた。


 雨に閉ざされた外を見ていると、いつも真っ暗な心が余計に重苦しくなってきた。耐えられなくなって、キャリーは居間へ目を向けた。


 今はもう使われていない散髪用の鋏が居間の壁にいくつも吊るされている。それを目にした時、胸がつんと痛み、目の奥が熱くなってきて涙が溢れ出す。


 散髪用の鋏が、一年前この家にあった光景の記憶を呼び起こす。誰もいない居間に過去の映像が重なった。窓から日の差す明るい居間で、農民たちがそれぞれ椅子に座ってキャリーの父、兄に鋏で髪の毛を切ってもらったり、シラミを取ってもらったりしている。

 

『まぁだかぁー』


『はよしてくんろ』


 開け放たれた玄関扉の前にはたくさんの農民が一列に並んでいる。彼らはがやがや立ち話をしたり、早くしてくれと苛立ったような顔で窓越しから居間を覗いている。次々と農民たちが押し寄せてきて、父、兄は焦ったように素早く鋏を動かしていた。


 一年前に我が家で営まれていた床屋の光景だ。


 母は居間の隅で、椅子に座る農民の片足の切り傷に針を通して縫っている。治療を受けている農民が痛そうに顔をしかめながらお礼を言った。


『傷口綺麗になったっぺな。ありがでぇ』


 我が家の床屋は他の店とは一味違う。それは、金がなく医療を受けられない村人のために無償で外科手術もしていることだ。


 記憶の中の母がこちらを振り返る。


『キャリー、さぁ今日も頑張ってくんろ。まだまだお客は来るど!』


『はいよっ、おっかぁ!』


 大好きだった母の笑顔と、今では信じられないくらい明るい自分の声が鮮やかに生々しく蘇る。

 

 母は昔、街で散髪と外科手術の両方をする『床屋外科医』として自営業を営んでいたが、赤字で店が潰れた。借金を背負い、誰も雇ってくれず一時期乞食状態になった。貧民になるくらいなら農民になろうと父に嫁ぎ、キャリーと兄が生まれた。


 父、母、兄、キャリーの四人で農作業と床屋を両立しながら、忙しくも幸せに暮らしていた。あの頃は毎日が楽しかった。


 一年前、この世で一番好きだった父、母、兄は死んだ。街へ作物を売りに行くため森の中の道を歩いていた途中、狼の群れに襲われて三人とも食い殺されてしまった。


 留守番をしていたキャリーはその日突然、この世でたった独りになった。


 床屋の幻影は消え、今度は居間に二つの棺桶が置かれている光景が浮かび上がった。棺桶には狼に食い殺され、無惨な姿になった両親と兄がいた。たくさんの村人たちが棺桶と取り囲んで泣きじゃくっている。棺を遠くから見ている記憶の中のキャリーは、ちっとも悲しんでいなかった。棺の中の両親と兄は人形で、本物の三人はまだどこかにいるような不思議な気持ちだった。

 

 家族が亡くなり、家の中は朝も昼も晩もずーっとしーんとしてた。朝起きればいつも聞こえてくるはずの家族の「おはようキャリー」という声が聞こえない。母がご飯作る音も聞こえない。週末に客の髪の毛を切る家族の姿もない。家があんまりにも静かなのが信じられなくて、何度か「おっとぅ、おっかぁ、おにぃ」と呼んでみたが当然声は聞こえてこない。


 いつも見ていた家族の姿を、キャリーは家の中や畑に時々探すことがあった。ふと目を向ければ、そこに家族がいるのではと期待してしまって⋯⋯。


 家族のいない毎日が続いて、キャリーはようやく三人は死んでしまったんだなと自覚した。


 もう家族はこの世にいないのだと。


 家族の死を自覚したキャリーは魂がひゅーっと抜けたようになってしまった。いつも身体が気怠く、まるで生きた死体のようだった。

 だが突然過去の記憶が蘇って、胸の張り裂けそうな悲しみと寂しさが込み上げ、火が付いたように泣き喚いてしまうことがあった。


 気怠さと、突然蘇る記憶に見も心も擦り減って何もする気が起きず、床屋は閉店、農作業も放置し、キャリーは家に引きこもった。


「おっとぅ、おっかぁ、おにぃ⋯⋯うぅっ」


 楽しく暮らしていたあの頃の記憶が、胸の内を焼き焦がすような寂しさと悲しみを呼び起こし、キャリーは泣き出す。


 これからも自分はこの家で静けさに押し潰されそうになり、家族の記憶を思い出しては泣き喚く生き地獄を味わわなきゃいけないのだろうか。


(――死にたい)


 いつもそう思う。


(――死んでおっとぅ、おっかぁ、おにぃのところに行きたい)


 感情が爆発して、泣き声が喚きに変わる。自分でも止められないくらい、声が滝のように溢れ出る。


 突然、外からどんどこ、ぴーひゃららと愉快な太鼓と笛の音が聞こえてきて、キャリーは窓の外へ目を向けた。


 家の前を伸びる道を、道化師が太鼓や笛を鳴らしながら遠くから歩いてくる。雨の中、歌って、音楽を奏でる道化師たちは気持ち悪かった。道化師たちの後ろを、雨具を被った男の子やおじさんがずらりと並んで歩いていく。男の子やおじさんの顔は曇り空のように暗くてどんよりしている。


 前をゆく道化師たちは、明るく歌うように声を張り上げた。


「帝国が来るぞ! 王国周辺の国々は既に属国となり、我が国の命運も尽きるところとなった。村々の男衆よ、皆出征せよ。我が国のために血を流せ!」


 道化師たちは召集隊だ。おそらく農村にいる男衆を皆根こそぎ徴兵しに来たのだろう。


「帝国が⋯⋯来る⋯⋯」

 

 呆然とするとともに、腹の奥が震えるのを感じた。恐怖ではなく、驚きによる震えだった。

 

 数年前、各国を旅して人々に情報を伝える旅芸人が村に来たとき、帝国のことを教えてくれた。帝国はとにかく色んな国を攻めて、自分たちの国をでっかくしているらしい。

 さらには、侵略した国々の村をぼろくそにして女子供年お寄り関係なく殺しまくっているという。帝国の兵たちは人間の姿をしているが身体には悪魔の魂が宿っており、奴らは村を焼き討ちしたり人を殺戮するのが大好きらしい。その話を聞いて、昔のキャリーは帝国兵を心の底からおっかながっていた。


 でも家族を失ってからは、そのおっかない悪魔の帝国兵が王国に来ますようにと何度も願っていた。


 今まで家族のもとへいこうと、何度も自殺を試みた。けれど、首吊ったら息が苦しくて途中で縄から顔を抜いてしまい、手首の切ろうとしたらあまりにも痛くて腕が震え、涙が溢れた。

 死ぬのにはとてつもない痛みと苦しみを伴う。身体が生きたいと抵抗して、キャリーが死にたがるのをやめさせようとするからだ。そんな自分の身体が憎くくて仕方なかった。


 だから自分にいじわるする身体を帝国兵に斬ってもらうのだ。人を殺すのが大好きな帝国兵なら、確実に殺してくれるだろう。


 道化師たちの言うことが本当なら、帝国が悪魔たちを率いてついに王国まで攻めて来たというわけだ。夢でも見ているかのような気分だった。冷たく暗い洞窟のような胸の中にぽつりと小さな熱が生まれ、風に煽られて大きくなる火のようにじんわりと広がっていく。


 死体みたいに空っぽな身体が、怖いくらい熱くなるとともに震え出した。


「本当に⋯⋯来るの⋯⋯?」


 それはあまりに唐突な朗報だった。


 やっと願いが届いたのだ。やっと自分は家族のもとへいけるのだ。この人生に一度しかない絶好の機会を絶対に逃すまい。


 キャリーは四つの椅子に向かって両手を合わせ、頭を下げてもういない家族に告げた。


「もうすぐそっちにいけるかも。待っててね、おっとぅ、おっかぁ、おにぃ⋯⋯」


 帝国がキャリーの村をめっちゃくちゃにしたのは、その七日後のことだった。



 ◆ ◆ ◆



 みんなが畑と家を捨てて、持てるだけの飯と家財をまとめている中、キャリーは余裕ぶっこいて寝ていた。早くおっとぅ、おっかぁ、おにぃに会いたいなと寝ながらわくわくしていたのも束の間、キャリーの家に突然みんなが押しかけてきた。


「キャリー何してる! 早く逃げないと!」


 みんながキャリーを叩き起こし、無理矢理腕を引っ張って外へ引きずっていく。キャリーは手足をぶんぶん振って、抵抗し叫びまくった。


「嫌だーっ! あたしを村に残してくんろーっ!」


「何ふざけたこと言っているんだ、死にたいのか!」

 

「離せ! 離せ!」


 今ここで村人たちの手を振りほどかなければ、家族のもとへゆく機会を失ってしまう。しかし必死の抵抗も虚しく、みんなが群がってキャリーを逃さんようにがんじがらめにし、避難先である近くの山城へ連れて行ってしまった。


 山城はこんもりした木々の中に隠れているので外からはほとんど見えず、避難するにはいい隠れ場所だった。


 狭っ苦しいお城内の廊下に朝昼晩ぎゅうぎゅう詰めになって、みんなは帝国軍が村を通り過ぎるのをじっと待った。


 対してキャリーはどうしても村に戻りたくて仕方なくて、深夜に城から抜け出そうとしていた。


(ぜってぇここから抜け出してやらぁ)


 狭い廊下にぎっしり敷き詰められるように座る村人たちを起こさないよう、キャリーは彼らの隙間に足を踏み入れて進んでいく。


 その時、暗闇の中から手が伸びてキャリーの腕を掴んだ。


「何してる!」


 手の主を見ると、警備兵だった。


「離せ。あたしゃこの城を出るさね」


「馬鹿! 何を言ってる!」


「出るっつってんだよ! 離せっ!」


 手を振り解こうと抵抗したものの、しまいには逃げないよう警備兵に狭い部屋に閉じ込められてしまった。


 キャリーは真っ暗な部屋の中で身が燃えるような怒りを爆発させ、死の機会を奪ったみんなに対し朝から晩までひたすら恨み言を叫び続けた。


「何でみんなあたしにいじわるすんかなぁ!? 殺されたらおにぃたちのところに行けるべさ! そのほうがいいべさ! それの何がいけないんさっ! あたしをここからはよう出せっ!」


 ばんばんと怒り任せに扉を叩いていると、扉越しに立つ警備兵が溜め息混じりに仲間に言った。


「あの女、頭おかしいよ。四六時中殺されたい殺されたいってやかましい。何とかならんのかっ」


 頭のおかしい女扱いされて、キャリーは悔しさに唇を噛む。


「⋯⋯ひとりは、嫌ださ。だから殺されたいんだべ! わからずやめ! あたしのことなーんもわかっとらん他人のくせに、勝手なことを言うなやっ!」


 ひとしきり喚き散らしてしばらくすると、一人の村人が扉前に来てキャリーに言った。


「キャリー、君に死なれては困るよ。君は貧乏な村人たちのために無料で治療をしてくれる、たった一人のお医者さんなんだから」


 家族が死ぬ前の村人たちは、生計を立てるのに無くてはならない良き客たちで、キャリーは彼らにも救われていた。しかし家族の死後床屋を閉店するやいなや、村人たちは自己中さを剥き出しにした。

 彼らはキャリーに近寄ってきては「早く元気になって」「早く立ち直って」「床屋開店楽しみにしているよ」と励ましの言葉をかけてきた。そこにキャリーを気遣う気持ちはちっともこもっていない。辛いよね、寂しいよね、無理して働かなくていいよ、死んでもいいんだよ、なんて誰も言ってはくれない。

 励ましてくるみんなはいつも、僕が私が困るから死ぬな、そればかり言ってくる。

 みんな自分のためにキャリーを励ましている。キャリーを可哀想だなんてこれっぽっちも思っていないのだ。


 キャリーはうずくまって村人に愚痴を吐く。


「⋯⋯黙れ。失せろや自己中め」


 ――みんな自分のことだけが大事なんだ。

 ――みんな信じられない。

 ――みんな大嫌いだ。


 自己中どもに無神経な言葉を浴びせられながら生きるのはもう嫌だ。


「⋯⋯早く死にたい」


 こうして、天国へ行くまたとない機会を村人たちのせいで逃してしまった。



 ◆ ◆ ◆



 七日が過ぎて、王国軍の兵隊が城にやって来て、『敵は村を通過し遠くへ行きました』と皆に告げた。

 

 キャリーとみんなは村へ戻ることにした。朝の曇り空の下、山の道を通ってようやく村にたどり着くと、目の前に広がるめっちゃくちゃにされた村を見てみんなぽかーんとした。畑一面の土が丸見えになり、作物を引き抜かれた穴ぽこがたくさんある。死ぬほど頑張って育てた作物は全て取られちまったのだ。これでみんな飢え死ぬだろう。


 畑を荒らされただけではない。各家の壁に切断された家畜や人間の頭を杭で打ち付けたり、真っ赤な血を塗ったくるいたずらもされていた。道には子供たちの生首がたくさん並べられ、木には死体が何体か縄で吊るされている。悪魔どもが見せしめにやったのだろう。


 死体の中には隣村から床屋へ通っていた客、仲の良かった人も何人かいた。死体なんか見慣れていないはずなのに全く怖くなかった。知り合いの死を目の当たりにしても全く悲しくなかった。むしろこうなりたかった、いいなぁと羨ましく思った。死ぬこと以外全部頭から削ぎ落としたキャリーに、可哀想とか酷いとか思う余裕なんてなかったから。


 みんなは村の惨状を見て、狂ったように嘆いている。


「畜生、悪魔どもめ!」


 彼らを背後から睨みつけ、キャリーも死体になりたかったのにお前らのせいで⋯⋯と恨み言を吐き、畦道を歩いて自分の家ヘ戻った。今歩いている道が出口のない暗闇の迷路ように感じられる。


 家に帰って、どうすれば楽に死ねるか考えよう。

 思いつくまで、ずっと。


 家の壁に蛆とハエの集る腐敗した赤ん坊の生首が三個杭で打ち付けられており、酷い臭いを放っている。


(あたしもこうしてほしかったのに)


 悔しさに両手拳が震えた。


 家の玄関の扉を開けると、微かに血の臭いがした。玄関から台所に向かって点々と血の跡が線を引いている。誰かが血を垂らしていったような跡だった。眉をひそめて血の点線を見つめていると、ウッと何者かの小さな呻き声が台所のほうから聞こえた。


 心臓の動きが速くなる。誰かいるのか? 今まで空っぽだった心がぴんと張り詰める。自宅の中に入ってはいけないと心の声が注意してくるも、正体を確かめたい気持ちに突き動かされてキャリーは台所に入った。


 台所に入って周囲を見回していると、貯蔵庫から先程の呻き声が聞こえてきた。貯蔵庫のほうを見ると、鍵が壊されて半開きになっていた。あそこに何者かが隠れている。忍び足で貯蔵庫に近寄り、扉をそっと開くと暗闇に人の顔が浮かび上がり、キャリーは驚いて後退った。


「だ、誰だおめぇっ?」


 いきなり蔵の扉の隙間からでかくて長い何かがびゅんと飛び出して、ぎりぎりキャリーの顔をかすめる。


 キャリーがびっくりしてるとまた苦しげな呻き声が聞こえ、何かがガランッと鈍い音を立てて床に落ちる。落ちたものを見ると、長い剣だった。


「⋯⋯んあ? 剣?」


 キャリーは貯蔵庫の中を見た。貯蔵庫にいくつか置かれた壺の影から若い男が一人、こっちを見ている。獲物を狙う野獣のような恐ろしい眼に全身が固まってしまう。


 彼はチェーンメイルを着ており、一目で兵隊だとわかった。

 

「兵隊⋯⋯?」


 彼は荒く息を吐きながら、よくわからない言葉で何かをぶつぶつと呟き出した。聞いたことのない言葉を呆然と耳にしていると、それがよその国の言葉らしいのに気づく。


 よくわからない言葉、他国の国旗の絵が縫われた軍服。それらが頭の中で組み合わさって一つの答えを出した途端、心の中に溜まっていた真っ黒な泥みたいなものがパッと吹き飛んで、興奮が全身を駆け巡る。


「おめぇ、帝国兵か!」


 女子供年寄り関係なく殺しまくる最低最悪の悪魔が一匹そこにいた。


 おそらく負傷してここに置いてけぼりにされたのだろう。思いがけない幸運にめぐりあって空っぽの身体がまたかっと熱くなり、キャリーは思わず奴に頼んだ。


「殺してくんろ、なぁ、あたしを殺してくんろっ」


 帝国兵が胸に片手を当てて苦しげに顔を歪めるのが見えた。


 帝国兵の胸辺りを見ると、深い谷間のような傷口が肩から腰辺りまでぱっくり裂けており、そこから真っ赤な血が流れ出て軍服を濡らしていた。あまりに痛々しい傷に、キャリーは思わず息を呑む。


「おめぇ、怪我しとんか」


 帝国兵はだんまりしたままこちらを睨みつけるだけであった。


 帝国兵の目がうつらうつらしていった。命が終わろうとしているのはあからさまだった。


 剣を握って振るえるほどの力は残念ながらもうないようだ。せっかく殺してもらえると思ったのにとがっかりする。


 しかし怪我が治ってまた剣を振るえるようになったら⋯⋯? と思い直してキャリーは息を呑んだ。


 帝国兵が剣を振るえるようになったら、自分を殺してくれるかもしれない。


 心臓がうるさく鳴って、身体がかっと熱くなる。


(帝国兵が死んだら、殺してもらえんがな)


 早くこの悪魔を助けなきゃと焦って、キャリーは居ても立っても居られなくなった。


「⋯⋯ちと待っとけ」

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