私の名はエカテリーナ。何を隠そう今を時めく悪徳令嬢とは、まさに私のこと。
――え? なんで自分が悪役令嬢だと分かるかですって?
それは私の家族が、かの有名な悪徳貴族であるバスカヴィルの一族だからに他ならない。これまで私達が裁いた善人の数は計り知れず。夜中に襲われることもしばしば。くわばらくわばら。
そんな私ではあるが、実は小説家としての一面も持っている。私がこれまで行ってきた悪行の数々を小説としてまとめているのだ。
使えるものは何でも使うのが、これからの賢い生き方よね。
その私が現在作成しているのは、異世界転生ものの小説だ。
徳を積みながら生きてきた主人公が異世界で転生し、生き返った先でも善行を行う。それを気に食わない悪徳貴族は、主人公をあの手この手で堕落させようとするんだけど、主人公は負けないって話。
まぁ――結局最後は主人公が陥落するって言うバッドエンドになるんだけどね。それでも今は、結構人気がある作品に仕上がっていると自分では思っている。
こうやって正義は悪には勝てないってことを世に示すのも、悪役令嬢である私の仕事だ。こう言った内容の小説が流行すれば、人は正義に期待しなくなるからだ。布教活動に関しては、間違いなく私は功労者だと思う。
そこそこ売れている私の小説であるが、実のところもうすぐ完結する。これまで書いた中でもしっかり構成を練って作ったこともあり、これで終わってしまうのは、何だかとても悲しい。
あれこれ試行錯誤しながら、私の魂の作品を書いている内に、とうとう小説の完成が目の前に迫ってきた。手に塩をかけて作り出した我が子が独り立ちする時、母が子供を送り出す時はこのような気持ちなのだろうか。
色々と思考を巡らせている内に、あとちょっと――数行で小説が完成してしまうところまで書き終えた。もうすぐ私の苦労が実を結ぶと思った。
――と、その時だった。
私の書いている小説が、唐突に明るく光り出す。ランプの光を優に超えるほどの光量に、私は思わず目が眩む。
何が起こっているのか全く分からず、茫然としている私を置いてきぼりにしながら、光の中から黒い角を生やした細身の男が現れた。
その男は比較的美しい姿をしていた。彼の顔は絵画で描かれたように綺麗で、その瞳は赤いルビーを彷彿とさせた。彼が着ている服はスーツだったので、その姿はどことなく実家の執事を思い出させた。彼らは今どうしているかしら。
まるで手品か何かを見せられている気分になったが、男の現実的な部分を見たことで、逃避していた私の意識は、現実世界へと引き戻された。
そのままぼんやりと男を見つめていると、彼は突然こちらにその双眸を向けた。
「我はかつて世界最強と呼ばれた魔王、モルドレッド! 感謝するぞ、小娘! お前がこの小説を完成させることで、人々は正義を期待することはなくなるであろう! 我は完全なる復活を遂げるのだ!」
聞こえてくるのは、意外にも透き通るような声色。声のお仕事でもやっているのかしらと思う程だ。
しかし、残念ながらこの人の頭はかなりおかしいようだ。言っていることが明らかに現実離れし過ぎている。
えーっと……お医者様の番号は何番だったか。
「おい小娘! 何をしているのだ?」
「貴方の頭がおかしいようだから、お医者様を呼んであげようかしらと思って」
受話器を耳に当てながら、目の前の患者に対し、さも当然と言った感じで私は答える。
それに対し、自分の目と鼻の先にいる男性は、まるで昔雇った悪徳弁護士のような下衆な笑みを浮かべた。
「キェッヘッヘッヘ! 愚かな! 人間ごときに我を止めることはできない!」
「……その笑い方どうにかならない? 正直、気持ち悪いわ」
あの弁護士もそうだったが、彼を見ていると、何だかとてつもなく不快な気持ちになる。
あくまで自称魔王の顔はそれほど悪くないので、決して生理的なものではないと信じたい。
「キェッヘッヘッヘッヘ! この笑いは我が我であることの証明である! 決してやめることはできない!」
何がおかしいのか、自称魔王の男は両手を広げ、相変わらずの独特の笑い声を上げる。今回は何故か「ヘッ」が一回多い。
遠目に見れば、確かに魔王に見えなくもない。しかし間近で見ると、これほど滑稽な姿形はないだろう。おかげで私は、大道芸を見ている気分になった訳だし。
「まぁ可愛そうに。相当精神を病んでいらっしゃるのね。痛い痛い注射をすれば治るかもしれないわ」
これでも私は、一応は貴族令嬢の端くれだ。いつまでも取り乱している訳にもいかない。
ここから先は反撃に移らせてもらおう。
「痛い注射? ちょ……ちょっと痛い注射はやめて! 怖い怖い!」
目の前にいる異常な美男子は、注射と言う単語を聞いて、恐れおののいた。世界最強の魔王とか言っていたのに、注射が怖いものらしい。
「注射は嫌なの? 世界最強の魔王とか言う割には、大したことないわね。」
「いやいやいや。どんな奴であっても怖いもんは怖いだろう。我にだって、苦手なものの一つや二つくらいあるわ」
頭を抱えて、ガタガタと震え始める自称魔界の王。何か注射に嫌な思い出でもあるのだろう。その顔はまさに顔面蒼白と言った様子だ。
そう言えば、さっき復活するがどうとかなんとか言っていたような気がするが、その話が全く出てこない。
「ねぇ。そう言えばさっき、小説が完成したら完全に復活するとか何とか言ってなかった?」
「そうだ小娘! 良く聞いておったな! そうだ! お前の小説は悪意に満ちている! 小説が完成すれば、私はかつての栄光を取り戻し、完全に復活することができるのだ!」
まるで水を得た魚のように、息を吹き返す魔王とやら。所謂ドヤ顔で私の方に嘲笑を向ける。
「――と言うことは、私が小説を完成させなければ、貴方は復活しないということね」
「っは! 貴様まさか! 良からぬことを考えているのではあるまいな!? 小説を完結させないと言う卑劣なマネをするなど、言語道断であるぞ!」
先程まで高らかに笑っていたかと思ったら、お次は信じられないものを見たとでも言うような顔を浮かべた。
整った表情がコロコロ変わる様は、確かに見ていて面白い。
「そうね。小説を完結させないって言う方法もありね。でも私としては、苦労して書いた作品だし、世に出したいって気持ちもあるわ。だからそうね……私とゲーム対決をして、私が負けたら、貴方の言うことを聞きましょうか。それでどう?」
これまで一人で生活していたこともあって、久しぶりの客人と出会って、少なからず心が弾んだのは否定しようがない。だから私は、少しの時間、彼を使って遊ぶことにした。
「良かろう! 泣いて詫びても、我は知らぬぞ!」
相変わらずの魔王節を炸裂させながら、私に宣言する魔王のお兄さん。
「じゃあ契約成立ってことで。ゲームは部屋の端にあるあのテレビゲームでどう?」
そんな彼の発言を無視し、私は端においてある格闘ゲーム専用のゲーム機を指さした。
ゲーム機を発見するなり、魔王は子供のように目をキラキラさせる。
「何だこれは! 今の時代の人間は、こんな面白そうなものを作るのか! 凄いものだな!」
見るのも初めてと言った表情で、ゲーム機に齧り付く中年男子。
私はそんな様子に苦笑しながら、彼の脇からゲーム機の電源スイッチを入れた。
軽快な音楽とともに、テレビのブラウン管が怪しく光る。続いて、この街で一番有名な格闘ゲームの開始画面が姿を現した。
「おお! 凄い凄いのう! これは面白そうだ! 今すぐやろう!」
「慌てないで。まずこうやって、プレイヤーを選んで、戦うステージを選ぶのよ」
私は長年使用している愛用キャラを選択する。
魔王はさすがに初めての体験と言うことで、ぎこちない手つきで使用プレイヤーを選ぶ。
「おお! ようやく始まるのだな! よし戦うぞ! 覚悟せよ!」
魔王は意気揚々としながら、果敢に私に挑んでくる。
そんな魔王のプレイヤーキャラを、私は容赦なく一撃で仕留めた。
「うわっ! 何だ今のは! 初心者の我に対して卑怯であるぞ!」
魔王は目の前で起こったことが全く理解できず、茫然とテレビの向こう側を眺めていた。
――そう。自分で異世界転生小説を書いていることもあり、自分も異世界転生者だ。
何でも、二ホンと言う国のプロゲーマーだった記憶がある。三千勝無敗で、世界デビューする直前、階段からこけて死んでしまったのだ。
何だかあっけない最期だったなあなんてことも思わないでもない。しかし今となっては、その時の特技が生きてきているのも事実だ。
「卑怯も何もないわ。戦うと言ったのは、貴方でしょう? それでどうする? まだ戦う?」
「ぐぬぬぬ! 次は負けんぞ! もう一度勝負だ!」
「望むところよ。何回でも戦ってあげるわ」
こうして私と魔王の男は、格闘ゲームで再び対戦することとなったのだ。
★★★★
魔王がやって来てから三ヶ月後。だいぶ彼もゲームに慣れてきたようだ。私の一撃も何度かかわせるようになってきている。目まぐるしい進化だ。
しかし――まだまだ私の敵ではない。ガードが甘過ぎる。
「先生! いつになったら小説書いてくれるんですか!?」
私達の戦いなど露知らず、呑気な担当者は私に小説の原稿を急かしてくる。
今この世界の運命は、私の手にかかっているというのに、良くもそんなことを言えたものだ。
「それに何なんですか先生! 誰なんですかこの人は!? こんな人とゲームをして、一体どうするつもりなんですか?」
担当者の男性は、ゲームに熱中している自称魔王を指さしながら、捲し立てるように言葉を並べる。
どうやら担当者から見たら、私と彼がキャッキャウフフしているように見えるようだ。
「彼はお友達よ。それよりまた出直してきて。今書く気分じゃないけど、近いうちに書くから」
ゲームに熱中したいこともあり、さっさと出て行ってもらおうとした。
すると、それを聞いているのか聞いていないのか、担当者の男は私の書きかけの原稿用紙を手に取った。
「先生。この原稿、もうほとんど書けてるじゃないですか。後ちょっとじゃないですか。今すぐ書いてくださいよ」
担当者も必死なのだろう。鬼気迫る勢いで、私を小説に向かわせようとする。
しかしそうもいかない。こちらは真剣勝負なのだ。今ゲームを放り投げる訳にはいかない。
「先生。あんまり我儘が過ぎると――」
私が画面から視線を逸らさないでいると、苛立った担当者の声が聞こえてきた。
彼の怒りも臨界点を超越する寸前なのだろう。ここは私も何か言うべきなのだろうか。
「お主も男であれば、いい加減聞き分けよ。人には見られたくないものの一つや二つあるものだ。本人が書くと言っているのだから、それを待った方が良いのではないか? 赤子でも分かりそうなことであるぞ」
私が回答に困っていると、魔王が助け舟を出してくれた。
それでも視線はゲーム画面から外さない。ある程度ゲームに慣れてきた証拠だ。
「……分かりました。小説が出来上がるまで、待つことにします。その代わり、できたら私にちゃんと連絡してくださいね」
魔王の理路整然とした言い方に、気圧されたのか、担当者もようやく諦めたようだ。
最後に私に連絡云々のことを伝えると、そそくさと部屋から出て行った。
「ごめん。気を使わせちゃったみたいで」
「気にするな。しかし、どの時代にも、デリカシーの無い人間と言うものはいるものだな」
ボリボリと菓子を口に頬張りながら、器用に手先を動かす。
はっきり言って行儀が悪いが、今回は助けてもらったこともあるので、目を瞑ろう。
「貴方の口からデリカシーなんていう言葉が出てくるなんて、驚きね。正直、貴方は頭のおかしな人なのかと思ってたわ」
「それはさすがに失礼だな。しかしそれも仕方あるまい。威厳を出すため、少し仰々しく演じてみたのだ」
「え、あれって演技だったの?」
彼の爆弾発言に、思わず素っ頓狂な声を上げる。それでも私は手を休めない。前世で鍛えたプロゲーマー魂の賜物だ。
「まあそうなるか。何しろ勇者に封印されてからというもの、誰一人として我を助けてくれなかったからな。誰が敵で誰が味方かも分からない。我はずっと孤独だったのだ。今まで親しくしていた者達から忘れ去られるというのは、意外と……悲しいものであるぞ」
そう言い終えてから、チラっとだけ魔王の様子を見て、私は言葉を失った。
なんと、彼はその両眼から涙を流していたのだ。彼の顔が、自身の涙の後で彩られていく。
「大丈夫?」
「ああ。すまないな。こんな姿を女性の前で見せるようなことではないのだが、つい昔を思い出してしまってな。我はもう必要ない魔族なのではないかと思ってしまったのだ」
涙を左手で拭いながら、自分の弱みを見せる魔界の王様。
そんな彼が何だか可哀そうに思えて、気づいたら私は彼の頭を優しく撫でていた。
「そんなことはない。今こうして私とゲームをしてくれてるじゃない。私は、貴方とゲームができて凄く楽しいの。だからそんな悲しいこと言わないで」
「お前は不思議な女性だな。……今頃になってすまぬが、お主の名前を教えてくれまいか?」
ふと、彼の声色が急に優しくなった。
今頃になって私の名前を聞いてくるとは、なんてデリカシーの無い人だろうと思う。
人の振り見て我が振り直せとはまさにこのことだろう。
「エカテリーナよ。貴方の名前は何だったかしら?」
「モルドレッドだ。以後宜しく頼む」
「何それ。それって今更言う台詞じゃないでしょ」
「確かに。それは違いないな」
私とモルドレッドは、お互い笑い合いながら再びゲームに没頭した。
★★★★
モルドレッドとゲーム対決を始めてから半年が経過した。
相変わらずモルドレッドは、格闘ゲームで私に勝てないでいる。
しかし、それでも着実に腕が上がっているのも確かだ。もう少ししたら、私が負けてしまう可能性も欠片ぐらいは、あるかもしれない。
「モルドレッド、そこにあるお菓子半分取ってくれない?」
やはりゲームをしていると頭を使うのでお腹がすいてしまう。
さすがにモルドレッドも、ここに来て半年になるので、部屋に何があるか良く分かっている。
テーブルの端においてあるクッキーを手に取ると、いくらか皿の上に並べて私に渡した。
「これで良いかな」
「ありがとう。助かったわ。良かったら何枚かいかが?」
折角なので、モルドレッドにも食べてもらいたい。
私がお腹を空かせているのであれば、彼もお腹を空かせているはずなのだから。
「このお菓子、かなりうまいな。結構良いとこの原料を使っているんじゃないか。実に贅沢だ。しかし、お菓子ばかり食べていると喉が渇くな。エカテリーナ、そこにあるワインをくれぬか」
彼もボリボリとクッキーを頬張る。しかし糖度が結構高いお菓子なので、喉が渇くようだ。
私はテーブルの横においてある赤ワインを右手で取ると、そのまま器用にワイングラスの中に入れた。
「はい」
「おおすまぬな。恩に着る」
モルドレッドはそのまま赤ワインを一気に飲み干す。当然その時であっても、彼は視線をテレビ画面から外さない。彼もだいぶ様になってきたものだ。
「なぁ。エカテリーナ」
「何。モルドレッド?」
お互い同じくらいの量のHPを削った頃、唐突にモルドレッドが私の名前を呼ぶ。
「今日、我がこの試合に勝てたら――もし勝てた暁には、我と結婚してくれぬか?」
突然の求婚に対し、私は理解が追い付かず、一瞬であるが、頭が真っ白になった。
驚いてモルドレッドの顔を見ると、彼はとても真面目な顔をしていた。何だか良く見ると、昔より綺麗な顔をしていると思ってしまった。
その昔――下品な笑いを顔に張り付けていた頃の姿は、今は見る影もなかった。
「もし今回私が勝ったらどうするのよ?」
「その時は、我がまた封印されるだけだ。次に小説が完結するまで、大人しく身を潜めるとしよう」
とんでもないことを平然と言ってのけるモルドレッド。
それでも、お互い手を休めることなく、ゲームを進める。
ここでゲームに勝ってしまうと。モルドレッドは私の元からいなくなってしまう。
だけど、ここで私が負けてしまえば、モルドレッドは完全復活し、世界が征服されてしまうかもしれない。
思考が上手く回らない中、私とモルドレッドは、お互いにギリギリの戦いでHPを上手く削っていく。
本当に、モルドレッドは格闘ゲームが上手くなったものだ。
この半年での彼の成長を見て、私は何だか嬉しくなった。まるで手間暇かけて育てたひな鳥が旅立ってくれるような、そんなことを思った。
そして――私はモルドレッドに格闘ゲームで負けたのだ。
★★★★
「先生! 前回の異世界転生の小説、凄く評判良かったですよ! こう言った悪行があるって言うことで、反面教師という意味で凄く勉強になるって! 主人公が死んでしまうのは残念ですけど、自分達もこう言った悪に立ち向かえる強い人間になりたいって!」
受話器の向こう側にいる担当者が、興奮した様子で熱く語る。
どうやら今回私が出した異世界転生小説は、そこそこ受け入れられたようだ。これで皆は、正義と言うものに対して絶望を抱くことだろう。我ながら見事な策略だ。
「なあ、エカテリーナ。今日もゲームをしないか?」
「良いわよ。どうせまた貴方の負けでしょうけど」
「何を! 次も我が勝ってみせるわ! 覚悟せよ!」
モルドレッドに対して軽く挑発をすると、彼は地団太を踏んだ。
私は彼のそんな表情が面白く、歴代の悪役令嬢と同じような笑みを浮かべる。
次の小説は悪役令嬢と魔界の王との極悪恋愛小説にしようかしら。
その物語が完成するのは、きっと私が生涯を終える時だろう。
そんなことを思いながら――今日も私は、夫である魔王とゲームをする。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!
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