「小説投稿サイトでの活動だけでは限界があり、TwitterなどSNSでの集客も必要」と聞いてTwitterで宣伝しているが、私のTwitter宣伝のやり方が悪いのか、どうも無駄なように感じる。
Twitter宣伝から、私のnoteやアルファポリスまで見たくなるという人はあまりいなさそうだし(いたとしても無理して付き合ってくださっているんじゃないだろうか)、ほとんどの人は無差別いいねを付けてくるような気がする。「この人の投稿、なんかいいな」と純粋に思ってくださっている人はいるのだろうか。
1~3割くらいリンククリックしてくださる人がいるのはありがたいが、誰がリンクをクリックしたかは分からないし、「リンククリック=読んだ」とも限らない。正直、「これは絶対読んでくれたな」というコメントが付かない限り、ちゃんと読んでいただいたかどうかは不明なままである。
まぁ私の目的が収益化なら、問題は「本当に読んでくださったかどうか」ではなく「収益化のための効果があるかどうか」でいいはず。
読者を求めることとアクセスを求めることは、似て非なるものなのかもしれない。収益化のためであれば、100ページ連載して「54ページ目」だけ異常にアクセスを集め、他のページは全然読まれなかったとしても、まぁ目的は達成できるわけである。
しかしもちろん読んでいただきたいとも思うし、「こちらの投稿にはちっとも興味を持たれていないが、こちらが反応を返すため、相手のアクセス集め・宣伝のカモにされている」状態だと収益化もへったくれもないのである。やはり人間、書くのなら普通に読まれることを目指したい。
Twitterでのリンククリックはいつまで経っても少ないわ、最近TwitterでDM送ってきた人が二人とも詐欺っぽかったわ、今DMくれている3人目も詐欺師っぽくて怪しいわで、Twitterのやり方について真剣に考えなくてはならないようだ。
しかし結論は出ない。もうすべて趣味と割り切るべきか。趣味の投稿にしても、こちらに何の興味もない相手からいいねばかり付けられては腹立たしいが(興味はあるけど読みに行く気力や時間がない、という友好的な人に当たりたくはない。ほぼ無関心な人に離れてもらいたいだけ)。
一体どうやったら純粋な読者様が来てくださるのか、5年くらいあれこれやってみてもサッパリ分からない。が、コメントをくださっている方がいつも気にかけてくださっているのは一目瞭然である。私は本当に、間違った勿体ないネットの使い方をしているのかもしれない。
過去に「友達の輪」に入れなかったことから、「友達にだけ笑顔で話しかけ、友達にだけ甘く、友達にだけ反応を返すような人になりたくない」「話したくても話せない人もいるのかもしれない」という思いがずっとあったが、そろそろ「こちらのことを気にかけてくれる」人だけに真剣に向き合った方がいいかもしれない。
私自身、人との付き合いが下手で、真剣に向き合うとかえって傷つけそうだし、好みや考え方も人それぞれなので難しいのだけど。
カクヨムの企画でも「読み合い」が盛んなようだけど、「私はちゃんと読むので、あなたもちゃんと読んでくださいね」みたいな契約的な縛りもしんどい。
この間Twitterで「誰も見てくれない」とぼやいたら、Twitterのフォロワー様方に明らかに気を使わせてしまったようだった。
こちらが「私の投稿をちゃんと見てください」と言うということは、自分も相手の投稿をくまなく真剣に見ないといけない理屈になる。
そうやって縛り合うのは個人的にしんどい。「見てください」と脅しや強要みたいにこちらが言うのも、「見てくださいね」と言われるのもしんどい。自由でありたいと願いつつ、自由が分からないのかも。
口は災いの元。現代では、証拠の残りやすいデータも災いの元。まず直すべきは私の態度の悪さなのかもしれない。
人と仲良くしようと努めると、「私の作品にはまったく興味ないが、私がいなくなると寂しい『喋り友達』」ができる可能性もありそうだ。
ネットでできる「ファン」や「読者」と、「喋り友達」は微妙に違う気がする。読者は作品を汲もうとしてくださるし、作品を作るために時間や気力やインプットが必要なことを汲んでくださるが、話したい人はこちらを「話し相手」と認識するため、創作のことだとか私の夢や方向性、ネットや時間の使い方に対しては、わりとどうでもいいと思いそうである。そのため、作品を無視して作品に関係のないコメントをくれたりするのでは(私のコメントも作品に関係ないように見えたら申し訳ないのだけど)。
私自身、作品に興味がなくても話しかけてくれる人がいるのは嬉しい。「こういうコメントが欲しい」などと主張してしまうと、読者様の自由な意見に触れる機会を封じてしまう可能性もある。
私もフォロワー様の力作を読む気力がないときに、雑談投稿にコメントしたりかったりする(読むのに力を使う作品もある一方、わりと気楽に読める投稿もある。イラストや写真や短文エッセイなど、ぱっと読める投稿には反応しやすい)。
やはり喋りたい、構ってもらいたい、そこがネット活動の目的になってしまう部分があるのだ。良くも悪くも。
理由が何であれ、私と話したいと思ってくれる人がいるのは嬉しいことである。が、私が「コメント欄も一つの作品でありパフォーマンスである」と思っているのに対し、話友達はそうは思っていない節があったり、話したい人はただ寂しいだけで、私じゃなくても誰でも良いんだろうなと感じたりなど、やはり方向性や時間感覚の違いがあると思う。こちらが思っているのと違う方向に話を持って行かれる場合もある。
収益化、あるいは創作活動がメインであると思うなら、フォロワー様方から「喋り友達」「暇潰しのだべり仲間」と認識されることは防ぐ、あるいは喋り友達を増やしすぎない方がいいかもしれない(※私のような社交性不足の者の場合)。
……と思って、以前よりコメント交流を控え、黙々と投稿や閲覧やいいねだけしていたりするのだが、その結果が「フォロワー様からコメントがないので、相手が読者かどうかも分からない」「というか作品を見られた形跡がない」というものである。
お互いに、どういう意識で関わっているのか分からないために、関わりが雑になるのかもしれない。これも失敗か。
今のところ、カクヨムで読まれたいならカクヨムで、noteで読まれたいならnoteで活動すべきかと感じている。Aの宣伝をBで……とかは効果がないようだ(私のやり方が間違っているのだろうけど)。
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