師匠の話に集中してもらうために、これまで敢えて語ってこなかった僕の相方の話を少ししよう。彼は僕にとって、師匠の次に大切な存在だった。一介の相場師にすぎなかった僕が、沢山の人間に支援して貰えたのは、間違いなく彼の存在があったからである。
僕の相棒は、彼のファンが起こした、「ある事件」をきっかけに心を壊し、今はどこで何をしているのかも分からない。彼の本名を記すことに大した意味はないし、今となっては許可の取りようもないから、今はただDJ君と呼ぶことにする。
彼は三次元の女性にはまったく関心を示さず、毎日毎日、マンガと文章だけを書いて暮らしていた。絵の方は大したことなかったが、文章の方はずば抜けていた。何よりも素晴らしいことは、彼がこちらが企図としているものを素早く理解し、作品に仕立て上げる才能を持っていたことだ。これは僕には嬉しい誤算だった。
伊集院アケミとして第二の人生を送り始め、少し生活も安定しだした頃、僕はある小説投稿サイトで彼を見つけた。そして、直ぐに連絡を取った。彼の文才もさることながら、『彼はきっと、僕と同じ施設で育った人間だ』という確信があったからだ。実際、その判断は正しかった。
猫と妄想の少女に振り回される日々を送る主人公が、自分の少年時代を回想するシーンを見て、僕はそう判断したのだった。少年誌が質・両ともに最も充実していた時代の、ジャンプ・サンデー・マガジン・チャンピオンが、僕らの育った施設には全て揃っていたのである。
「隔週誌のヤングサンデーまで置いてあったんですよ」
と、後に彼は笑いながら語っていた。
ヤングサンデーというのは、有害コミック騒動で一番のやり玉に挙げられた遊人の『ANGEL』や、高橋留美子の『一ポンドの福音』なんかが連載してた青年誌だ。施設の職員にマンガ好きが沢山いて、彼らが自腹で購入したものを施設に寄贈していたのであるが、そんな場所が、そういくつもあるわけがない。
彼の家庭環境は劣悪だった。幼い頃の大半を施設の中で過ごし、親からの愛情は全く受けていない。だが彼は、僕と違って変にネジくれたところもなく、いつもニコニコとしていた。ないのが当たり前の奴は、逆境に強い。初期設定がハードな方が、まっとうな人間に育つのは、この世界ではよくあることだ。
「リアルで嫌なことがあった時には、いつも漫画やアニメに救われていたんです」
彼は僕に何度もそう言った。相場で金を掴むことで、クソみたいな現実に復讐を果たそうとしてた僕とは違い、彼は本気で二次元のキャラや物語を愛し、虚構の世界に没頭していた。そしていつしか自分も、そういった作品を作りたいと思うようになったのである。
彼は物語さえ紡いでいられれば、それで幸せな人間だった。負け惜しみでもなんでもなく、彼は本気で現実世界に興味がなかった。彼の書くヒロインもそのほとんどが人間ではない。実体があればまだマシな方で、タペストリーだとか幽霊だとか妖精だとか、酷い時には単なる幻聴だったりした。
恐るべき情熱が込められているにもかかわらず、まったく売る気の感じられない彼の作品に、僕は夢中になった。僕は彼の作品を褒めちぎり、彼の最初の支援者となったのだ。
他人から才能を見出されることの喜びは、僕自身が良く知ってる。僕もまた、師匠である剣乃さんに見いだされ、自ら相場を作り出した人間だからだ。幸いなことに、彼はそれを喜んでくれる感情の持ち主だった。
彼は施設を出てからも、最低限の生活費を稼ぐためのバイト以外はずっと部屋に引きこもって、ただひたすらに己の剣を磨き続けてきたという。僕ですら、剣乃さんの愛情は受けていたというのに、彼は誰からも愛されず、しかもそのことに全く拘泥していなかった。
僕は、僕と同じ場所で幼少期を過ごした一回り近く歳下の彼を、既に悟りを開いてしまった聖人君子のように感じていた。まあ、その聖人君子の趣味嗜好にはかなり偏りはあったのだけれど、それでも僕は、一種の畏敬の念を、彼に対して感じていたのだ。
だがもし彼に文才がなかったとしても、どこかで人生が交差したならば、僕は彼の事を好きになっていただろう。彼が自分の愛する作品について語る時の熱量は、かつての自分を見るようで心地よかった。
K監督の一件以来、僕は赤瀬川さん以外の人間を信用出来ないでいた。だが、彼だけはどうしても手放したくないと思った。彼も僕も、決して真っ当な環境で育ってきた人間ではない。僕に至っては、堅気ですらない。いつお上に身柄を拘束されても、なんら不思議ではない人間だ。
悩んで悩んで悩み抜いた結果、パトロンと創作者のような関係ではなく、お互いがお互いの強みを生かし、共に作品を作る相方としてなら、うまくやれるのではないかと思った。
僕が意を決してその気持ちを伝えた時、「家賃と飯代を払ってくれるなら、喜んで」と、彼は答えた。
それからひと月もしないうちに、彼は僕の東京の家に引っ越してきた。彼に飯を食わせる事くらいの事は、僕にはたやすいことだった。僕らはこれから何をすべきかを、何度も真剣に語り合った。
当時の僕は、堅気に戻った赤瀬川さんのシノギを手伝いながら、東京と仙台の二重生活をして暮らしていた。まだ相場に復帰していないにもかかわらず、DJ君を支援できたのはそういう訳だ。
僕とDJ君と猫の全力さんは、真っ当な親に育てられることなく親から見捨てられた似た者同士だった。
彼との契約は、僕の人生において、最高の取引だったといっても過言じゃないだろう。彼の文才は、僕の強烈な武器となる自信が元々あった。そして僕は、赤瀬川さんの支援を受け、相場の世界に復帰することを決意する。DJ君と全力さんが居る今なら、金を稼ぐ事以上の意味を、相場の中に見出せるんじゃないかと思ったからだ。
僕らは入念にキャラを作り上げ、【DJ全力】という名前で、ツイッター界・株クラスタにデビューした。『煽り屋で、非リアで、ちょっとポエマーな元仕手筋(猫)』という設定だった。僕ら三人を足して、そのまま割らないくらいの、ちょっと濃いめのキャラだった。
相場の話や煽りは僕が、非リアの部分はDJ君が担当し、ポエムやオタクな雑談は二人で自由に書いた。当時、まだ一歳にも満たなかった全力さんの写真を多数投稿し、表向きには、全力さんがしゃべっているように演じた。
猫の全力さんの可愛さと、二人のポエムのおかげで、DJ全力はちょっとリリカルなネット仕手筋として人気を博した。小さめの株なら、自分たちの力で簡単に動かせるようになり、それが更に僕らのファンを増やしていったのだ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!