片隅に生きる人々

伊集院アケミ
伊集院アケミ

第四十四話「ソラさんの推理」

公開日時: 2020年11月1日(日) 16:06
文字数:3,104

「どうして、それが分かったの?」


 僕は素直に自分が未来から来たことを認めた。ソラさんにそれを知られることは、僕にとって不利益な事ではないからだ。むしろ、話を信じてもらうための手間が省けたとさえ言える。


 だが、一つだけ疑問があった。ソラさんは、僕が来た年代までほとんど完璧に当てている。その根拠だけはどうしても知りたい。僕が未来から来たことは、僕の手紙や過去の言動から推測できるかもしれないが、それが七十年以上も先であることは、簡単には特定できないはずだ。


「理由を知りたいかい?」

「うん」

「簡単な事さ、車検証だよ」

「車検証?」

「グローブボックスの整備手帳の中に、車検証が一緒に入ってた。初年度登録の数字を見て唖然としたよ。昭和六十三年だもんな。この時点で、君が未来から来た事は確定だ」

「ああ!」


 僕はすべてを理解した。車検証の中には、あのCR-Xに関するあらゆるデータが記載されている。陸運局の出す書類に、間違いなんてあるはずがない。


「最初は緒元を調べるつもりで見たんだ。車重とか、前後の重量配分とかね。それで大体、車の性能は分かるしさ」

「そうだね」

「陸運局で、最後に検査をしたのが平成二十六年だった。ボクはこの元号を知らないが、昭和六十三年からそう遠くない時期に改元があったんだろう。陛下は今四十五歳だからね」

「そのとおりだ。昭和は六十四年まで続いた。もっとも六十四年はたった一週間で終わったけどね」


 昭和六十四年、つまり一九八九年が平成元年だ。


「そうなんだ。昭和六十三年から二十一を引いて、四十二。平成の二十六を足して六十八。改元までの数年と、検査後の年月を足して七十年以上とボクは踏んだんだ。結構いい所ついてると思うんだけど、違うかい?」


 ソラさんは自信ありげに僕にそう言った。念のため、確認だけはしておくという口調だ。


「違わない。殆ど正解だよ。流石だね、ソラさん」

「へへー」


 ソラさんはとても嬉しそうな顔をした。大事なのは、自分の推論があってるか否かだけで、僕が未来人であることは、別にどうでもいいらしい。


「僕は二〇二〇年の日本から来たんだ。あの箱の力でね。望んで来た訳ではないんだけど、もう元の世界には戻れない。まあ、その辺の事はおいおい話すよ」

「わかった。ところで質問なんだけど、七十四年後の未来では、猫は普通にしゃべるのかい?」


 ソラさんは全力さんがしゃべるのを、テクノロジーか何かと勘違いしているらしい。


「いや、しゃべらないな。タイムトラベルも、まだ世間一般のものにはなっていない。語弊を恐れずに言うなら、僕は嵌められたんだ」

「嵌められた?」

「ああ、僕はあの箱を、僕の師匠の遺品という触れ込みで買った。売主はあの箱が、フォールドを起こす装置であることをちゃんと知っていたけど、それを僕には教えてくれなかったのさ」

「フォールドって何?」

「時空転移の事だ。箱の所有者の存在する世界と、その世界で進んでいく時の流れの事をまとめて、世界線(world line)と呼ぶ。箱はこの世界に無限に存在する、世界線を行き来するための装置だ」


 僕はユキさんの言葉を、そのままソラさんに伝えた。


「それで、それからどうなったの?」

「箱の秘密を知った僕は、若かりし頃の僕の師匠に会うために昭和四十年の日本にフォールドをするはずだった。そしたら突然、あの箱が光りだしたんだ。車は宙に浮き、僕はそのまま意識を失った」


「次に目覚めた時には、もうこの世界に来ていた。それがつい昨日の話だよ」

「じゃあ、アートの話は全部デタラメか」

「ごめんね。でもあの車は、本田宗一郎の作った会社の車なんだ。そういう意味では、まったくのデタラメって訳でもない」

「そういえば、車検証にもホンダと書いてあったな」

「そうだ。彼は自転車の補助エンジンから仕事を始めて、オートバイの販売数では世界一の企業に、ホンダを育て上げたんだよ」

「世界一!」

「ああ、自動車でも七位だ。日本じゃなくて、世界の七位だよ。世界一の座はトヨタがフォルクスワーゲンと争ってる。自動車はこれから日本の基幹産業になるんだ。君の父さんの見通しは間違っていない」

「信じがたい話だなあ……」


 身内が、その実力を過小評価してることはよくあることだ。僕はソラさんの父親の名を知らないが、間違いなく先見の明はあった人物のような気がする。少なくとも彼は、軍に採用されるほどの計量器を発明し、娘を英明な技術者として育てあげた。愚鈍な人物である訳がない。


「ここが終戦直後の長岡であることはすぐに分かった。だけど僕には、この世界で使えるお金が一円もない。何か売れるものがないかと考えて、携行缶に入れたガソリンを持っていることに気づいた。あとは、ソラさんが知ってる通りさ」

「なるほどね。でも、そうなると少しシナリオを変えなきゃいけないな」

「どういうこと?」

「箱の話だよ。僕はさっきまで、君がきくゑさんにあの箱を渡すために、この世界に来たと思ってたんだ。手紙を先に見てたからね」


 ソラさんは、すごくまじめな顔をしてこう続けた。


「だけど、箱を送り付けた人間が別にいて、君が自発的にこの世界に来たんじゃないというなら、話は違ってくる。きくゑさんが嘘をついてないにせよ、箱は渡さない方が良いかもしれない」

「どうして?」

「情報が少なすぎるからさ。あの箱が時空転移装置であることを隠していた以上、売主が君の味方だとは限らないだろ?」

「……」

「きくゑさんだって同じだ。うがった見方をすれば、急に全力さんがしゃべりだしたことだって、何か裏があるかもしれない。七十四年後の未来で、猫が普通にしゃべってるなら別だけどね」


 もっともな話だと僕は思った。きくゑさんの言葉に悪意は感じなかったし、ユキさんも、現時点では僕の味方だと思うが、ソラさんがそういう風に考えるのは無理もない。


「君の言う事はもっともだ」


「ただ僕は、明日の夜、きくゑさんに会う約束を既にしている。それをすっぽかすのは、人としての信義にもとるんじゃないかと思うんだが、どうかな?」

「いや、ボクも行くことは反対しないよ。箱を持っていくことに反対してるだけだ。箱はこちらの切り札だ。それを最初に切るバカはいない」


 確かにそうかもしれない。この世界の歴史をなぞるというなら、この選挙では、きくゑさんは落ちた方が良い可能性すらある。


「アケミさんはもう、箱を持っていくことを約束してしまったのかい?」

「いや、約束はしてないよ。角栄から預かっている品があると伝えただけだ。そうでも言わないと、対面が叶わないと思ったからね」

「それは良かった」

「箱の事を聞かれた時も、存在は知っているが、預かってはいないと答えた。だから、手紙さえ書き直せば、トラブルにはならないと思う。ただ、それなりに価値のある何かを持っていかないと、話のつじつまは合わなくなるな」

「もしかしたら、角栄の形見の品になるかもしれない品だもんね」

「その通りだ」


 僕がそう答えると、ソラさんは少し考えるようなそぶりを見せた後、こう言った。


「確認しておきたいんだけど、きくゑさんが今、田中土建工業の社長さんで、理化学研究所とのつながりもあるのは、本当なんだよね?」

「つながりの方は分からない。だが、田中土建の方は確実だ。側近も、事務所の人たちも皆、候補者に接するというよりも、主人に仕えるような態度だった。きくゑさんが、会社を引き継いだって話は本当だろう」

「わかった。じゃあ、その『品』については、僕が責任を持って請け負おう」

「えっ?」


「まさかこんなことになるとは思わなかったけど、考えようによっては、箱よりも素敵なプレゼントになるかもしれない」


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