片隅に生きる人々

伊集院アケミ
伊集院アケミ

第十四話「最初のはめ込み」

公開日時: 2020年10月28日(水) 02:44
更新日時: 2022年6月16日(木) 20:58
文字数:3,535

「剣乃さんの話は良かったですね。お二人の事はそれなりに調べたつもりでしたが、ああいう馴れ初めがあったとは知りませんでした」


 高速に乗って直ぐに、猫のユキさんはそう言った。色んなことがありすぎて、もはや猫がしゃべる事にも、何の違和感も感じなくなっていた。


「ああ、あれか。でもね、あの話には実はオチがあるんだよ。不合格になったら嫌だから、あの時は良い話で終わらせておいたけどね」

「どういう意味ですか?」

「あの話だと、一番損したのはニッパチ屋の中野さんに見えるだろ? でも本当は、誰も損してないんだ」

「誰も損してない?」

「そう。全部、僕を騙すための師匠の仕込みだったんだよ。もっとも、僕がその事実を知ったのは、弟子入りから二年近くも経ってからだけどね」


 剣乃さんは、僕に嵌め込みの楽しさを教えてくれた張本人だ。嘘ではなく、本当の事だけを使って人を騙す。その手練手管を、僕はその後、何度も目の当たりにすることになる。その最初の洗礼が、あのニッパチ屋の事件だった。


「そもそも、僕にニッパチ屋の存在を教えたのは、当時まだ現役の筋者だった土佐波さんだ。当時の僕は、信用口座を持てないことを常に嘆いていたからね。僕は彼がその責任を感じて、剣乃さんを紹介してくれたとばかり思っていたんだよ」

「土佐波さん……、つまり赤瀬川さんは、貴方の相場の腕を買っていたんですよね? ニッパチ屋のほとんどが詐欺なら、勧めたりはしないんじゃないですか?」

「そこが【カラクリ】だよ」

「カラクリ?」

「ああ、剣乃さんは、ほとんど全てのニッパチ屋と繋がりがある。だから、僕がニッパチ屋に手を出しさえすれば業者はどこでも良かったんだ」

「??」


 あの時はそれが、中野さんのCCCキャピタルだっただけだ。猫のユキさんは、いまだそのカラクリが分からず不思議そうな顔をしている。


「カラクリの意味が分からないようだから、イチから話そう。実は僕は、児童養護施設で育った人間でね。本当の親が、どこで何をしてるのかも知らない」

「それは存じてます」

「そうか。じゃあ、子供の頃の話はしなくていいな」


 大して面白い話でもないから、話さずに済むなら越したことはない。


「贅沢を言わなきゃ、株で勝つのはそんなに難しくない。だけど百万円の現物取引じゃ、買えてもせいぜい三千株がいいとこだ。当時は手数料も高かったし、生活費を賄うのが精いっぱいだった」

「それで、ニッパチ屋に手を出したと」

「そうだ。学費は奨学金で賄っていたけど、全然手持ちが増えていかなかった。でも、三千株が一万株になれば、生活費を賄いながら、資金を増やしていける自信があったんだ」

「なるほど」

「当時の僕は、起きている時間の全てを相場に捧げていた。そんな生活をしてたから、友達もロクにいなかったよ。でもね、僕がそんな人間であったからこそ、僕は剣乃さんの弟子になれたのさ」

「どういうことですか?」


「あの頃の剣乃さんは、自分の思うがままに動かせる人間を探してた。だからワザとニッパチ屋に嵌めて、そこから救い出すことで、自分に忠実な部下を作ろうとしてたんだよ」


「えっ?」

「土佐波さんは、そういう人間を探すために、証券会社の店頭に来てたんだ。金のない奴じゃないと嵌められないから、地場の小さな証券会社ばかりを狙ってね」

「そしてそこに、貴方が現れた……」

「そうだ。株の腕があり、口もそこそこ立って、親類・縁者のいない僕は、まさに剣乃さんが求める人材だったのさ」

「……という事は、剣乃さんと土佐波さんは、最初から貴方を嵌めるために動いていたという事ですよね?」

「その通りだ。あの一千万も、元々は師匠が用意した金だよ」


 そう言って、僕はニンマリと笑った。


「冷静に考えたら、あの冷え切った時代に、一千万なんて大金をニッパチ屋が直ぐに出せる訳ないよな。僕の目の前でやって見せた電話のやり取りも、全部シナリオだ。中野さんは、

随分、練習したらしいよ」

「あのー。私の感動を返してもらえます?」

 

 猫のユキさんはそう言ってむくれた。どうやら僕の良い話を、そっくりそのまま信じていたらしい。だが、話はこれだけじゃ終わらない。


「CCCキャピタルで、中野さんが僕に吹き込んだ政治話も、全部、師匠が描いた絵図さ。あの頃の僕は、何とかして自分の人生を変えたいと焦ってたからね」

「どういうことですか?」

「恩を着せて働かせるのではなく、自らの意思で弟子入りするように仕向けたってことさ」

「??」

「僕は政治経済学部の出身でね。政治の話なら、相場と同じくらい大好きだ。今じゃ信じられないだろうけど、あの時代、小沢一郎は自民党をぶっ壊したヒーローだった。師匠はそれをちゃんと知っていたから、中野さんを通して、自分が小沢の陰にいることを吹き込んだのさ」


 電話でのやり取りとは違って、中野さんは何もウソをつく必要がなかった。何故ならそれは、全部、本当の事だったからだ。


「剣乃さんと、ニッパチ屋の社長がつるんでるだなんて、あの時の僕は思いもしなかった。だからあの話を聞いて、僕は彼を、相当な人物に違いないと思いこんでしまったんだ」

「じゃあ中野さんは、実際は何も損してないってことですよね? 貴方の稼いだ五十万円も含めて」

「そうだね。持ち出しだったのは、僕が突然言い出した金利分だけだろう。案外それでプンプンしてたんじゃないかな?」


 土佐波さんは、筋書きを全部知っていたからこそ、そこから外れた僕の行動を笑ったのだ。


「そして貴方は、剣乃さんに弟子入りさせてくれと頼んだ……」

「そう。全部、剣乃さんの絵図通りに事は運んで、僕は彼の最後の弟子になった。最初からそうするつもりだったんだから、僕の口座に彼の金が振り込まれたって、何の不思議もない」


 僕は見事に、師匠に嵌められた。だが、僕の人生にとっても、それが一番良かったのだ。もし彼が居なかったら、僕は再び人間を信じることが出来なかっただろう。剣乃さんは嵌めこみが大好きだけど、身内から奪うような人ではなかった。


「師匠と共に過ごした三年間は、本当にかけがえのない時間だった。全てを知った時、僕は産まれて初めて、自分を捨てた親に感謝したよ。もし僕が、両親の愛情をたっぷり受けて育った人間だったとしたら、どんなに株の腕があったところで、剣乃さんのお眼鏡には叶わなかっただろう」


 実の親に捨てられたからこそ、僕の人生は素晴らしいものになった。心からそう思わせてくれただけでも、僕は彼に感謝している。人生に百%マイナスの事など、何一つないのだ。


「そうでしょうね。そんな思い出を持っているだけでも、貴方はとても幸せな人間だと思います」

「こんな話で良ければ、いくらでもあるよ。剣乃さんは心の底から、嵌め込みが好きな人だった。相場では売り方を嵌めて相場を作り、現実では仲間をガンガン嵌めて、周囲に笑いを巻き起こしたんだ」


 笑い話をしているはずなのに、いつの間にか涙ぐんでる自分に、僕は気づいた。彼は持ってないことを嘆いてばかりだった当時の僕に、相場を楽しむことの大切さを教え、人生の指針を与えてくれた人だった。本当の事だけを使って人を騙し、他人を笑わせて生きるという人生の指針を……。


「本当に不思議なんだけど、剣乃さんに嵌められたからって、本気で怒る人は誰もいなかった。嵌められた売り方すら、彼の死後は彼とやり合ったことを誇った。それくらい、魅力溢れた人物だったんだ。あんな相場師が出ることは、もう二度とないだろう」


「少し羨ましいです。私には想像もつかない世界ですから……」


 そう言ったっきり、猫のユキさんは黙り込んでしまった。僕も泣いてる顔を見られたくなくて、そのまましばらく車を走らせていた。そのうちに、助手席にいる全力さんがニャアニャアと鳴き出した。多分、いつもの全力さんに戻ったのだ。

 

 僕にとって剣乃さんは師匠であり、親であり、自分よりも大切なただ一人の人だった。師匠に敵対する人間から付けられた、『剣乃の忠犬いぬ』という蔑称を、僕は案外気に入っていたくらいだ。


 彼を失って二十年近くたった今でも、僕は人生に迷う度に、師匠ならなんと言うかを考えながら生きている。そして、今回もそれが活きた。ユキさんの手紙を読んだ時、僕は一瞬、全力さんを置いて逃げようかと思った。だけどすぐに、心の中の師匠に叱り飛ばされたのだ。


「いちど身内と思った人間の事は、絶対に裏切るな!」


 あの時、「笑え」と凄まれた時と全く同じ口調で、心の中の師匠はそういった。だから僕は直ぐに別荘に向かえたし、黒い服の人々に家を囲まれても、脱出することを諦めずに済んだのだ。そして、僕をテストしたユキさんすら騙して、師匠の遺品である「人生を変える箱」を受け継ぐことが出来たのである。

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