片隅に生きる人々

伊集院アケミ
伊集院アケミ

第二十六話「蒼い光」

公開日時: 2020年10月30日(金) 03:27
更新日時: 2020年10月30日(金) 12:05
文字数:2,979

「先ほど、自分の人生がマンガみたいだと言いましたが、どうしてそう思ったんですか?」


 猫のユキさんが不思議そうな顔で僕に尋ねた。


「普通の人間は、十代で仕手の片棒は担がないし、相場操縦の嫌疑でガサを食らった上に、そこから逃げ出したりしないだろ?」

「それはそうですけど……」

「君の話を聞いてはっきり分かった。赤瀬川さんに見初められたことや、剣乃さんの最後の弟子になれた事は、偶然じゃなかったんだ。未来から来た僕に、若い頃の二人が会っていたとするならね」

「かつて出会った貴方の面影を、若かりし頃の貴方に見たという事ですか?」

「その通りだ。その事に気づいた瞬間、『箱の力を使わない』という選択肢は完全になくなった」


 僕は少し語気を強めてこう続けた。


「僕はこれから、若い頃の二人に出会って、二人の仕事を手伝おうと思ってる。このループがいつ始まったのかは分からないが、確実に言えることは、最初の誰かもきっとそうしたってことだ」


「蓋然性が高い推論ですね。それで正しいと、私も思います」

「だろ? 二人はきっと、その時の恩を返すために僕を弟子に取ったんだ。そう考えれば、全てのつじつまが合う」

「あり得ない話ではないです」


 もし僕が二人の手伝いをしなかったら、別の世界線の日銀特融はご破算になるかもしれない。そしたら師匠は、間違いなく海の底に沈む。勿論、その世界線に生まれる僕が、赤瀬川さんに見いだされる未来も無くなる訳だ。


「いくら別の世界線だとしても、師匠は師匠だし、僕は僕だ。助けられるのに助けない選択肢は、僕にはないよ」


 僕がそうまくしたてると、ユキさんは静かに言った。


「少し説得が必要かと思っていましたが、理解が早くて助かります。では早速、車に向かいましょう。勿論、フォールド後も、出来る限りのサポートはさせていただくつもりです」

「助かる」

「日銀特融を、ご破算にさせる訳にはいきませんからね」


 協力的なユキさんの態度に、僕は少し違和感を感じた。だが、過去に飛ばないという選択肢がない以上、彼女の好意を受け入れるより他はない。僕らの利害は今のところ完全に一致してる。少なくとも、日銀特融が望ましい結果を出すまでは、僕らは協力し合えるはずだ。


 僕は猫のユキさんを抱き抱えながら、事務所の階段を駆け下りた。


「では、箱の中に入っている荷物を全て取り出して、全力さんわたしの体を箱の中にしまってください。蓋を閉じても、私の声は聞こえるはずです」

「わかった」


 僕は、CR-Xの後部座席に置いてある箱の中から衣服を取り出し、全力さんをその中にしまって、箱の蓋をそっと閉じた。


「ありがとうございます。では、運転席に座って、エンジンをかけ、ギアをニュートラルに入れてください。これは、万一の事態があった時に、この場から直ぐに脱出できるようにするためです」

 

 僕は言われたとおりにエンジンをかける。


「これから、この箱を中心とする半径三メートルの球状の空間を、昭和四十年の東京に飛ばします。フォールド中にこの空間から飛び出すと、時の狭間を無限にさまようことになりますので、指示するまでは、絶対に車を動かさないでください」

「地面がえぐれたりはしないのかい?」

「一瞬えぐれますが、すぐに元に戻ります。外部からは、車だけが突然消えたように見えるはずです」

「なるほど」

「昭和四十年の同じ場所と、入れ替えるだけ……」


 ユキさんがそう答えた瞬間、CR-Xの後部から大きな爆発音がした。びっくりして振りかえると、箱からは青白い光が漏れ出している。爆発音がした時、ユキさんの説明はまだ途中だった。


 フォールドに莫大なエネルギーが必要だとすれば、そのシステムに何か放射性の核物質が使われていたとしてもおかしくはない。多分、フォールドは失敗したのだ。


「まさか、こんな所でチェレンコフ光をみることになるとはな……」


 僕はそう独り言ちた。


 爆発音は更に続き、車体は空中に大きく跳ね上げられた。全力さんは箱から放り出され、宙を舞っている。「もしかしたら、これで死ぬのかもな」と思った瞬間、時間がゆっくりと流れ始めた。いわゆる、走馬灯モードだ。


「悪い知らせが二つあります。結構厳し目の奴と、そうでもない奴です。どちらから先に聞きますか?」


 音声というより、直接脳に響くような感じで、ユキさんの声がそう聞こえた。


「じゃあ、あんまり厳し目じゃない方で」

「わかりました。『箱の力を使わないと、所有権がなくなる』といいましたが、あれはウソです」

「ええっ!」

「赤瀬川さんと会うと、貴方がフォールドをためらうかも知れないと思い、嘘をつきました。でもそれは、彼の願いでもあったんです」


 僕には、何が何やらわからなかった。


「確証はないのですが、赤瀬川さんは箱の秘密を知っていたと思います」

「何故そう思うの?」

「『片隅』を真実として発表することに反対していたからです。彼はきっと、日銀特融の秘話が漏れることよりも、剣乃さんや角栄が箱の伝承者であった事実を公にしたくなかったんだと思います」


 作品中での箱の扱いは、あくまでも『権力者の象徴』というガジェットだった。箱の秘密を知ったのは今日なのだから、その力については触れようがない。そういうレベルの情報ですら、二人は漏れることを恐れたのだろうか?


「二人の偉業は、あくまでも人の力で成したものにしておきたいと?」

「その通りです。彼はきっと、貴方を再び過去に戻すために、公表に反対したのでしょう。もし作品の内容が真実だと認められたら、貴方が過去に飛ぶ動機がなくなりますから……」

「そんな……」


 ユキさんの推測が確かなら、この箱は確かに師匠の遺品で、二人は実際に箱の力を使っていたということになる。だから僕にも、箱の事は一切話さなかった。だが、角栄はともかくとして、あのプライドの高い師匠が本当に箱の力を使ったりするだろうか?


「考えても結論の出ないことは、考えるのを止めよう。時間もないし。で、厳しめの方は?」

「大変申し訳ありませんが、フォールド先の固定に失敗しました。どの時代に転移するのか、私にも全く分かりません。下手したら、宇宙空間に放り出される可能性すらあります」


 サーっと、血の気が引いていく音が聞こえた気がした。大抵の不幸には慣れているが、これはホントにシャレにならない奴だ。


「これは私にも、まったく想定外の事象です。本当にごめんなさい」


 それが、僕の聞いたユキさんの最後の言葉だった。


 車は空中で横転し、真っ逆さまに落ちていく。運よく爆風では死ななかったようだが、このCR-Xは、かつて【走る棺桶】と呼ばれたほどの超軽量ボディだ。地面に叩きつけられば、間違いなく死ぬだろう。


 不思議なことに、「死にたくないな」とは、まったく思わなかった。ずっと相場の世界で騙しあいを楽しんできた僕が、下手を打って自滅する。それだけの話だ。相場が原因じゃないことが少し残念だけど、今更そんなこと言ったって仕方ない。


 全力さんは自分の意識を取り戻したのか、「何? 何なの?」と言いたげな顔で、空中をプカプカ浮いている。僕はその様子を見て、少しだけ笑った。あんまり良い人生でもなかったが、全力さんのおかげで笑って死ねる。それだけは良かったと思った。


 地面が目前にまで迫っている。僕は覚悟を決め、静かに目をつぶった。そしてそれが、この世界線における僕の最後の記憶だ。


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