片隅に生きる人々

伊集院アケミ
伊集院アケミ

第三十三話「相方の夢」

公開日時: 2020年10月31日(土) 00:24
更新日時: 2021年3月9日(火) 09:43
文字数:2,598

 いつしか僕は、自分で文章を書く必要性を見出せなくなっていた。彼の方が遥かに文章は上手だし、僕の元で学ぶことで、彼は相場の仕組みを急速に理解し始めていたからだ。僕は裏方に回り、彼を売り出すプロデューサーに徹することにした。元々僕は、剣乃さんの側近をやってた時代から、そういう仕事の方が性に合っている。


 僕はDJ全力の権限のほとんどを彼に委譲し、相場も企画も彼に任せるようになった。ちなみに何故DJ君と呼ぶようになったかと言えば、彼はラジオ番組を模したフォロワー参加型企画で、相場を盛り上げるのが得意だったからである。


 DJ君は、更に持ち味を活かせるようになり、フォロワーはあっという間に一万人を超えた。とはいえ、すべてが順風満帆だった訳でもない。彼は男の娘マンガを心から愛する変態紳士だったのだが、その彼の性的嗜好が僕らに最初の挫折を喰らわせたのである。


 彼は男の娘漫画ならなんでも好んでいたが、その中でも特に、かまぼこLEDという作家が大好きだった。


「かまぼこ先生をメジャーにするために、ある新興ゲーム会社(ED社)を相場にしたい」


 と相談された時には、僕が育てた男ながら、「オイオイ、どうかしちまってるぜ」と思った位だ。彼は『ファミリー・コンプリート』という、男の娘漫画の傑作を世に知らしめるためだけに仕手戦を企んだ。その漫画を熟読しないと、僕らの狙ってる銘柄が分からない。そういう仕組みだった。


 彼は僕のバックアップを受け、生れて初めての仕手戦に挑んだ。DJ君の企画した銘柄当てクイズは盛り上がり、多数の投資家がED社を購入した。


 僕らは最初のカチ上げには成功し、上場来高値更新を狙って買い進んだものの、仕掛けの途中で業績の下方修正が出て値がつかなくなり、フォロワーの約半数を退場に追い込んだ。ED社はその後も下方修正を繰り返し、沢山のDJ全力アンチを生み出すことになったのだが、それはまあ別の話だ。


 ちなみにED社は、つい先日も(ほとんど関係のない)『鬼滅の刃』関連株として一瞬盛り上がったが、沢山の新参トレーダーを地獄に突き落として終わっていた。いま思えばこの会社に絡んでから、僕らの衰運は始まったような気がしてならない。


 DJ全力として活動した約二年間、ED社でこけたり、VRネタで秋元康に振り回されたりしたものの、結果として僕は、相場師としての復活を果たすことが出来た。最も成功した相場は、平成二十九年の年初にお年玉銘柄として仕掛けたメガネ相場である。


 誰もが知っている、あのメガネ屋のメガネスーパーだ。


 当時、倒産寸前のボロ株だとみなされていたメガネスーパーの株価を、僕らは自分たちの仕掛けでひと月足らずで倍加させた。驚くべきことに、その相場は経営陣からも感謝された。株価が上昇したことで、それまで全く無価値だった新株予約権の権利行使が進み、会社にも数億円のお金が入ったからだ。


 会社から届いた感謝状は、今でも僕の宝である。ボロ会社を箱にして、仕手とつるんで資金調達を計ろうとする経営者は時々いるが、あの相場にそんな裏事情はなかった。


 株価が上がったのは、黒字基調がようやく定着し、支援していたファンドがイグジットに向けて動き始めたのと、社運を賭けて開発していたウェアラブル・デバイスがテレビで大きく取り上げられ、将来の業績に貢献するかもと言う思惑を生んだからだ。


 僕らはそのウェアラブル・デバイスのお披露目イベントの日から逆算して、色々と仕掛けていった。僕はその二つのネタをツイッターで煽り倒し、DJ君はメガネの最悪期とそこからの再生をネタにした経済小説をツイッター上で連載して、ED社の仇をメガネで討つのだと息巻いていた。


 DJ君の執筆した『最強メガネ伝説ホシザキ』と題されたその小説は、方々のまとめサイトで取り上げられ、株クラスタの枠を超えてメガネの株価上昇に大きく貢献した。現経営陣の知名度アップにも大きく貢献し、役員のファンクラブが出来た程だった。


 彼の小説は、実在の社長をモチーフとしたホシザキと言うキャラが、投資ファンドや株主から無理やり金を巻き上げ、忠誠心の高い社員たちと共に、半ば強引に会社を立て直すリザレクション・ストーリーだった。


 DJ全力のアカウントには、メガネ相場で儲かったというDMが殺到した。儲かっただけじゃなくて、相場そのものを楽しんで貰えたのがとても嬉しかった。ネット仕手筋と揶揄され、煽り屋と叩かれまくった人生がようやく報われたなと僕は思った。


 そこで僕は引退を決意した。相場師としても、企画屋としても、これ以上の高みはないと確信していたからだ。僕は持ち株のほとんどすべてを清算し、それまで僕を助けてくれたDJ君や赤瀬川さんに、それなりの金を渡した。DJ君は僕の人生における最高の相方であり、彼の存在なしに、DJ全力の成功はありえなかった。


 だが支払った金は、彼の『仕事』に対する正当な報酬に過ぎない。僕は彼のおかげで、相場師としての復権を果たすことが出来た。今度は僕が、彼を男にしなくちゃいけない。そう思った。


 引退宣言の後、僕は彼のやりたいことを率直に聞いてみた。


「たとえコミュ障であっても、漫画やアニメの審美眼を持つ非リアたちがお互いに助け合い、笑って暮らせる世界を作りたい」 


 彼は真正面から僕を見て、そう答えた。その時の彼の表情と、言葉から受けた感動を、僕は一生忘れないだろう。他者に対して、本当の意味で畏敬の念を抱いたのは、それが初めての経験だった。


 剣乃さんは身内をとても大切にする男だったが、人間性には疑問符が付く部分もあった。赤瀬川さんも、僕の大切な恩人ではあるが、頭のネジは二、三本抜けている。僕を見限ったK監督は言うまでもない。僕は、彼の文才しか見てなかった自分自身の愚かさを心から恥じた。


 相場師を引退した僕は、それまで以上に彼を魅力的に演出することに徹した。DJ垢には鍵をかけ、彼が彼のファンに対してのみ言葉をかけられる場所に変えた。彼もその方針に異を唱えなかった。彼は元々、自分と同じ非リアのためだけに、創作をしていきたい人間だったからだ。


 僕が絵図を描き、相方が形にする。僕らはずっとそうやって戦ってきた。僕が諦めてしまったら、僕の相方は本当に死ぬ。僕が彼から受け継いだもので戦い、この世界でも必ず成功する。


 それが彼に筆を折らせてしまった僕の、唯一の贖罪のはずだ。

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