「片隅」の第一部を脱稿した後、僕は小雪のちらつきだした仙台に戻ってきた。赤瀬川さんに原稿を見せるためだ。お金はまだ十分に残っていたが、とりあえず一区切りついた気がしたし、もし続きを書くならば、次は沖縄にでも行きたいと考えていた。
「案外早く帰ってきたな」
久しぶりに事務所に顔を出した僕を見て、赤瀬川さんが笑った。猫の全力さんはソファーで居眠りをしていたが、冬毛になったせいか手足が一層短く見え、猫と言う概念がゲシュタルト崩壊していた。
「この歳じゃ、寒さも身に応えるんでね。全力さん、大分肥えたんじゃないですか?」
「遊び相手がいないからな。うちの若いのに世話をさせてるが、お前じゃなきゃ、どうも張り合いがないらしい。食っちゃ寝ばかりしているよ」
「そうでしょうね」
全力さんは、超が付くほどのメンヘラ猫だ。遊ぶ時も、同じ目線に降りて本気で遊ばないと途端に拗ねる。それに僕は、普段から全力さんと呼んでいるから、将門さんと呼んでもほとんど反応はしないはずだ。
「で、どうした? また、相場でも張る気にでもなったか?」
「いや、そういう訳でもないんですけど、ちょっと一区切りついたんで。今度は沖縄にでも飛ぼうかと思っています」
「そうか。それもいいかもしれないな」
「もうほとぼりも冷めたでしょうから、次はどこかに安宿を借りるかもしれません。まあそれはそれとして、ちょっとこれを読んで貰えませんか?」
僕は、師匠の若かりし頃を描いた『片隅に生きる人々』の第一部の原稿を、赤瀬川さんに差し出した。
「日銀特融の経緯の話です。剣乃さんから聞いた話を、ほとんどそのまま書きました。師匠のことを書くなら、当然ここから始めるべきだと思って……」
「懐かしいな……。あの頃から、剣乃さんと角栄の付き合いが始まったんだ」
「赤瀬川さんもでしょう?」
「そうだな。まあ、あの頃の俺は下っ端も下っ端だ。歳の近かった俺を、兄貴が憐れんでくれただけの話さ」
日銀特融の際のひと勝負は、師匠と角栄が初めてタッグを組んだ相場だ。彼が初めて、筋者の資金を投入した相場でもある。勿論、勝算があるからやった事だったが、相応のリスクをとった事は間違いない。
「もう五十五年も前の話か……」
「はい」
昭和四十年五月二十八日は、戦後の経済史に燦然と輝く重要な一日だ。
その日の朝、四大証券の一角である山一證券で、取り付け騒ぎがおこった。この日は割引金融債の償還日で、おまけに月末の金曜日だった。当時の日本は、オリンピック翌年の証券不況の真っただ中だ。顧客が不安に思うのも無理はない。
前々から山一の経営不安を報じていたマスコミは、ここぞとばかりに、「昭和恐慌の再来だ!」と煽り立てた。実際、あの時の山一證券は倒産寸前だったのだ。
その日の夕方、対策を協議するために、大蔵省、日本銀行、都銀三行のトップが勢ぞろいした。場所は、赤坂の日銀・氷川寮。日本の金融政策についての重要な会合が、過去に何度も開かれてきた場所だ。
「あの日、俺はずっと氷川寮の傍に詰めてた。会合があることは、兄貴から聞いてたからな。もし話し合いが決裂したら、直ぐに親分に伝えることになっていた」
「はい。その事も書いてあります」
「当時は土曜日も、半日立ち合いがあった。もし決裂なら、その半日が持ち株を逃がす最後のチャンスだ。公式発表の前に、山一を救済するか否かの情報を掴む。それが俺の役目だった。失敗したらエンコ詰めじゃすまない、恐ろしい仕事さ」
当時、相場師として名を売りつつあった師匠は、値下がりを続ける株を徹底的に買い向かっていた。だが師匠が、赤瀬川さんの属する北誠会を巻き込んだ理由は、その資金ではない。師匠の本当の狙いは、当時、政財界の黒幕であった児玉 誉士夫にアヤを付けることにあった。
北誠会会長である村岡は、かつて児玉機関で、彼の右腕として働いていた男だったからだ。
赤瀬川さんは下っ端と謙遜していたが、当時の彼はその北誠会の中堅幹部だった。師匠と盃を交わした彼は、組の金を相場につぎ込むことを主張し、その運用者として師匠を推したのだ。二人とも、この勝負に命まで賭けていたのである。
「兄貴はこの勝負に勝つために、うちの会長である村岡を敢えて巻き込んだんだ。そして、村岡の仲立ちで児玉との面会の機会を得た」
「でも、その児玉ですら当て馬に過ぎなかった」
「そう。兄貴の本当の狙いは、当時大蔵大臣だった角栄の懐に飛び込むことだ」
「僕ら以外には誰も知らない、歴史の秘話ですね」
師匠はその場で、山一を救うための起死回生のアイデアを児玉に吹き込んだ。国士を自称する児玉は、師匠の思惑通り、そのアイデアを角栄に伝えることになる。
日本の中央銀行である日銀が、民間の証券会社に過ぎない山一に対して、無担保・無制限に融資する。
それが師匠のアイデアだった。日銀はいくらだって札を刷れる。だから、師匠のアイデアが採用されれば、取り付け騒ぎは当然収まる。だがそんな前例は、過去に一度だってありはしなかった。日銀は日本の金融政策を決める、【銀行の銀行】であり、民間企業は基本的に相手にしないからだ。
一方の角栄は、山一の倒産だけは絶対に避けねばならぬと考えていた。『法人の山一』が倒れれば、証券業界のみならず、日本経済そのものに深刻な悪影響を与えるからだ。
戦前から田中土建を切り回し、朝鮮特需とその後の不況を見事に乗り切り、長岡電鉄の経営者でもあった彼は、その手の景気判断には敏感だった。だから角栄は、その日砂防会館に師匠を呼びつけ、真剣に話を聞いたのだ。
「全ては兄貴の思惑通りだった。高度経済成長の腰折れは、大臣である彼の政治的失脚にも繋がる。兄貴は自分のアイデアが角栄の耳に届きさえすれば、彼がこの博打に乗ってくることに自信を持っていたんだ」
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