片隅に生きる人々

伊集院アケミ
伊集院アケミ

第七話「政治家と相場師の関係」

公開日時: 2020年10月27日(火) 17:55
更新日時: 2022年6月16日(木) 20:49
文字数:2,865

 「そもそもなんで、剣乃さんが小沢と繋がってるんですか?」


 僕は自分の興奮を気取られぬように気を付けながら、努めて冷静にそう尋ねた。


「そりゃあ剣乃さんが、田中派の金庫番と通じてたからに決まってるだろ?」

「金庫番?」

「そうだ。解散の噂が出る度に、クソ株が吹き上がる。その動きの大半に、あの人は絡んでる。いつも見る光景だ」

「選挙資金をねん出してるのが、剣乃さんってことですか?」

「そうだ。選挙に勝つには大量の金が要る。おまけに解散は、いつあるか分からない。この国で手っ取り早く、合法的に金を増やそうと思ったら、仕手株に張るのが一番だ。もっとも、舵を取る人間がボンクラじゃ、ひどい目にあうがね」


 そう言って中野さんは、煙草に一本火をつけた。僕は、彼がその一本を吸い終わるのを静かに待ちながら、金庫番とは、「越山会の女王」と呼ばれた佐藤昭子の事だろうか? などと考えていた。


「でも、中野さん。政権与党の、しかも主流派の人たちが、裏社会の人間と付き合うなんて、僕には思えませんよ」

「剣乃さんは別にヤクザじゃないよ。前科だってない。もっとも、相場を作るのに、ヤクザの金はしこたま使ってるがね」


 中野さんは笑いながら、そう答えた。


「過去に何度も、相場操縦の嫌疑で上げられそうになったが、全部角栄が揉みつぶした。もっとも、周りの政治家もそれで何も言わない。顧客リストが外に出たら、首が飛ぶのは自分たちも同じだからな」

「蛇の道は蛇ってことですか?」

「その通りだ」

「でも、金の受け渡しはどうやってやるんです? いくら株で儲けたって、金が渡せなきゃ意味ないでしょう?」

「おいおい。そんなモノ、一度、市場を通せばいいだけだろ? 元が裏金だろうと、それで全部綺麗な金になる。株で儲けた分の税金は、ちゃんと払うんだからな」


 そういって、中野さんは再びタバコに火をつけた。彼はしばらく煙をくゆらせた後に、こう続けた。


「剣乃さんは勿論のこと、政治家もヤクザも、俺らみたいな末端の人間すら、誰も損しない。損をするのは売り方と、借金で仕手株を買うボンクラだけさ。下っ端も、そいつらの追い込みで潤うしね」

「それって結局、『仕掛けの情報』のみを共有するってことですよね?」


「そうだ。剣乃さんが絵図を描き、政治家やヤクザが資金を投入して、株価は上がる。上がってる限り誰も損しない。何も知らない売り屋以外はね」


 そういって、中野さんはニヤリと笑った。既にホールドアップしてしまった彼が、嘘を言っているようには思えなかった。


「なるほど。その後、マスコミや、中野さんみたいなニッパチ屋を使って、高値で素人に嵌め込むと……」

「オイオイ、嵌め込みというのは聞き捨てならないな。実際に、奴らの資金は入って株価は上がってるんだ。俺たちが嵌め屋だというなら、空売りでも何でもすればいいのさ」

「そりゃあ、まあそうですけど……」


「まあ剣乃さんは、そいつらを踏ませて、相場を【仕上げる】んだけどね。あの人の作る相場は芸術品だよ。俺たちは、それに魅せられちまったんだ」


「芸術品……」


 僕には全くピンと来ない話だったが、彼のその言葉には何故か、剣乃さんに対する強い信頼が感じられた。


「まあ俺たちは、株を買いたいって奴に情報を流し、金を貸すだけさ。最も最近は、殆ど呑んじまうがね」


 中野さんはそういって、自嘲気味に笑った。僕は、ほんの一時間まで憎たらしくて仕方なかったこの男に、好意を感じている自分に気づいた。どんな人間でも、出来ることなら良い事をして生きていきたいと思ってる。だが、環境とか才覚とかが、それを許さない。それだけの話だ。


「ところで、中野さん。土佐波さんがここに人を連れてくるまで、あと四五分しかありません。帰りは歩きですから、二十分はかかる。急いだ方が良いと思いますよ」


 ここらでそろそろ切り上げようと僕は思った。もう少し彼の話を聞きたいが、早く帰らなきゃ、僕自身の信用にも関わる。彼にシンパシーを感じすぎるのは、多分良くないことだ。


「返すのは金利だけでいいんだな?」

「手数料は、どこに頼んでも一緒ですからね。そこは負けときます。そこまで踏み倒すほど、僕はアコギじゃないです」

「計算書を一度こっちによこせ!」


 中野さんは、僕から計算書をひったくると、プンプンしながら事務所の奥へと消えていった。そして、一分もしないうちに、金の入った封書を抱えて戻って来る。


「ほらよ、金利分だ。金を持ってさっさと帰れ!」

「あれ? 一千万以上の大金なのに、受取書にサインしなくて構わないんですか? 剣乃さんなら、『俺は貰ってねえ!』とか言いだしかねませんよ」

「あっ……」

「まあ、中野さんが帰れって言うなら帰ろうかなー」


 そういって、僕はそのまま出口の方に向かった。


「お……俺が悪かった。待って、ちょっと待って!」


 勿論、本気で帰るつもりはないが、これくらいの復讐はさせてもらってもバチは当たらないだろう。お金さえ返してもらえれば、喧嘩を続ける理由は僕の方にはない。




 余談だが、この中野さんとの出会いもまた、僕の人生を大きく変えた。それまで真面目一辺倒だった僕は、どうすればボンクラが金を出すかを彼から学び、師匠の側近としての仕事の傍ら、CCCキャピタルの怪文書担当者として、煽りの腕を磨いたのだ。


 金融ビックバンで信用口座の価値は地に落ち、彼はニッパチ屋を畳まざるを得なくなったが、彼の商売はもう少し続いた。時代の先行きを読んでいた彼は、ちゃっかりと投資顧問業に鞍替えしていたのである。


 二十世紀末期のITバブルから、ライブドアショックに至るまでの数年間が、個人投資家の最後の全盛期だったように思う。ネット仕手筋が台頭し、経営不振のハコ企業から直接株券を受けて捌く、新手のファンドも登場してきたりして、すべてがカオスな時代だったのだ。


 中野さんは、インサイダーすれすれの分割情報や増資ネタを会員に売りまくり、師匠が存命だった頃よりも稼いでいたし、僕もゲーム会社の経営の傍ら、仕手を仕掛ける謎の男として、ネット証券黎明期の市場を荒らしまくっていた。怪文書は手紙やFAXから、掲示板やメールになり、最終的にはツイッターに行きついたが、やることは何も変わらない。情報を貰う立場から、流す立場に変わっただけだ。


 僕は種玉の仕込みを終えると、まず真っ先に中野さんに教えた。僕らの関係が最後まで壊れずに済んだのは、僕は彼に一切金を請求せず、彼もその情報を会員に売るだけで、自身ではトレードをしなかったからである。二人とも、それがこの世界で友情を守る唯一の手段だと知り抜いていた。


 そんな僕らの関係は、中野さんが会社を売り飛ばして堅気になるまで、ずっと続いた。彼はその売却益を、リーマンショックで暴落した不動産に全てつぎ込み、今では悠々自適の生活を送っている。 


 師匠はこころざし半ばで倒れ、その相方であった土佐波さんも極道の世界から身を引いた。剣乃さんの最晩年の側近であった僕は、今もお上につけ狙われる身だ。最終的な勝利者は、一番トレードと縁が遠かった中野さんなのかもしれない。

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