巨大な魔物が襲いかかってくる。
古き強きもの、古竜ラグラエイクだ。
このレシャークの広大な地域を、数千年の長きに渡って支配し続け、そこに住う者たちを脅かし続けた天災とも言っていい存在。
そんな相手が、この俺、バルタザールに襲いかかってくる。
だが、俺はまるで恐れてはいなかった。
むしろ、僥倖と言ってもいいかも知れない。
なぜなら、ラグラエイクの体は今や満身創痍。
俺と、俺のパーティーメンバーたちの力によってその体力は限界まで削られている。
せっかくそんな状態まで追い込んだというのに、空を飛んで逃げられては困る。
だから、自らこちらに向かってきてくれる状況は、とてつもなくありがたかった。
俺は大剣を振りかぶりながら、ラグラエイクが俺の間合いに入ってくる瞬間を待った。
いくら満身創痍だと言っても、相手は古き竜だ。
その一撃は容易に人一人の命を奪う。
俺とて例外ではない。
だから、チャンスは1度きり……。
「……ここだッ!」
大口を開け、俺の体を噛み砕こうとしたラグラエイクの恐るべき突進を見切り、俺は横合いに飛ぶ。
たった一歩だが、十分な身体強化をこの瞬間のために施しておいた俺は、それだけで首の根元まで到達していた。
剣はすでに振りかぶっている。
あとはこれを思い切り振り下ろせばいい……。
ーーざんっ!
と、恐ろしいほど太く硬い魔物の首筋に俺の剣が入り込んでいく。
実に無防備であったが、しかし切り落とすのは一見したほど容易ではなさそうだった。
古い竜は魔術も使う。
その体は強力な魔術的防護や身体強化が施されていて、特段守ろうとせずとも、それだけで俺の剣に抵抗してくるのだ。
力を少しでも抜けば、弾き返される。
それほどの強度。
そして一度そうされれば立場は逆転し、一転して窮地に陥るだろう。
だが俺は、俺たちはここで敗北するわけにはいかなかった。
全ては、この地の平穏のために。
だから……。
「負けるわけには、行かないんだよ!」
俺は体に残った全ての力を注ぎ込んで、剣を底まで振り切った。
ギャリギャリギャリ、と轟音を立てて深く入り込んでいった剣は、そしてとうとうラグラエイクの首を落としたのだった。
首が落ちて一瞬の後、ラグラエイクの巨体もまた地面に崩れ落ちる。
背後から、戦友たちの歓声が聞こえた。
俺はそれに手をあげて答えて……。
◆◆◆◆◆
……ハッとして目を覚ますと、ぼんやりとした視界に寝台の天蓋が見えた。
ここは……そうか。
俺の……いや、儂の寝室か。
そう理解する。
そう、儂……レシャーク帝国皇帝、バルタザール・レシャークの。
ここは帝都エンダーグの中心に存在する帝国城、ミラージュパレスであり、その中にある一室、皇帝の寝室だ。
なぜ儂がこんなところにいるかと言えば……。
「父上……! お目覚めになられましたか!」
寝台の横でそう喜びの声をあげたのは、儂の息子であるドミニクだった。
他にも、
「お爺様……良かった」
「もうお目覚めにならないのでは、と気が気ではありませんでしたわ……ほっとしました」
ドミニクの長男長女であり、儂の孫であるエドガーとオリヴィアもいる。
さらには騎士団長のライノル・ゲントナーや、帝国魔術師団長ハインツ・ウルバン、それに帝国の国教である払魔教の枢機卿マテウスなど、帝国の重鎮達も控えていた。
それも当然で、今、この儂……帝国皇帝であるバルタザール・レシャークの命の灯火が消えそうになっているからだ。
五十年以上も前にレシャークの土地を支配していた古竜を倒し、国家を打ち立てた儂は、今日まで尽力し、広大な帝国を築き上げた。
歴史上、類を見ないほどに栄えているのは、この土地が数千年の長きに渡ってどんな人間も支配したことのなかった肥沃な土地だからであり、また儂に数多くの仲間たちがいたからだ。
彼らの力を借り、少しずつ国を広げ、そしてこれほどまでの国を作り上げた……ただ、今ではもう何の未練もない。
安心して任せられる者たちが、こうして儂の周りにはいるのだから。
だからこうして命の灯火が尽きそうでも儂はとても心穏やかな気持ちでいられた。
「皆のもの……すまないのう。こんな老いぼれのために集まってもらって」
「何をおっしゃいます! 父上こそが、この帝国そのものではありませんか」
「ふっ。ドミニク。そんなことはあるまい。この帝国を作り上げたのは、民の力じゃ。それに力を貸してくれた多くの者たちのな……」
「父上……勿論そのことは重々承知しておりますが、そもそも父上がいなければ古竜の退治は叶いませんでした。そうであれば父上こそが、この帝国に始まりをもたらしたお方。ですから……まだ、まだ逝ってくださいますな……!」
そう言ったドミニクの瞳からは、ぽつり、と一筋の涙が流れた。
「そうは言っても、もはや寿命よ。むしろ若い頃から体を酷使し続けた割に保《も》った方じゃ。ただこの長い人生で、お主のような息子が、そして孫、さらには部下たちに恵まれたことは……大きな財産だったぞ……ゲホッ、ゲホ……」
話しながら、喉に何かが絡んでうまく続けられなくなる。
どうやら本当にもう時間はないらしい。
儂のそんな姿を見てドミニクが慌てて、
「ち、父上……おい! 薬を持ってくるのだ! 早く!」
と、扉の外に叫ぶと、そこから一人の兵士がやってきて、
「こ、ここに! 急いでお持ちしました!」
と息も絶え絶えの様子で言う。
確かに手元には薬湯が入った容器を持っていて、薬師に言われて持ってきたのだろう。
「早くここへ……!」
ドミニクの声に兵士は、
「は、はいっ!」
と冷や汗をかきながら儂の横にやってきて、どうするかを迷っている。
彼の身分からすれば、儂は遥か高みにある存在。
直接、薬湯を手渡していいものか迷っているのだろう。
だから儂は言う。
「お主は……確か、近衛兵団第三軍所属の、ヴィリズ・ヤンセンだったかの……?」
「へ、陛下……! 俺の名前などを覚えて……?」
「国を守る兵士の名前の一人一人、覚えずに何が皇帝か。しっかりと覚えておる。すまぬな、急いで薬を持ってこさせて。さ、こちらへそれを……」
そう促すと、ヴィリズは頷いて、儂にその薬湯を手渡した。
「早くお飲みください……!」
ドミニクの勧めに従って、儂はそれを一息に飲む。
すると、
「……ふう。これで、少し楽に……うっ!?」
一瞬、体の奥底が熱くなって、体が軽くなった。
しかしその直後に、喉から強烈な痛みが身体中に広がっていき、儂は耐えられずに突っ伏す。
「ち、父上! 大変だ! 陛下が急変されたぞ! 医者を、治癒士を呼べ! 早く!」
ドミニクや、その他の者の焦るような声が響くのが聞こえた。
しかし儂の意識はそのまま消滅し……。
そしてそのまま、レシャーク帝国皇帝バルタザール・レシャークは絶命したのだった。
享年七十五歳。
少しの苦しみはあったかもしれないが、その人生において誰にも到達し得ない覇業を成し遂げ、息子や孫、部下たちに見送られながらの、幸せな最後だった。
そのはずだった。
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