「……ふ、ふふ。何を悩んでおるんじゃ。下らん」
しかし、迷いは一瞬だった。
儂はすぐに走り出す。
考えるだけ無駄な話だったと思ったからだ。
儂がこれからなすべきことを考えれば、このくらいのこと、簡単に解決しなければならぬ。
もちろん、油断はするつもりはないが、もしもこの行動によって儂に追手がつき、命を狙われるようになったとしても。
それくらいのこと、跳ね除けられるくらいでなければ、あやつらに復讐するなど夢のまた夢だ。
それに考えてみればこれはいいチャンスなのだ。
人というのものは、自らを助けてくれた相手に対してはそれなりに感謝の念というものが生まれるように出来ている。
であれば、本来マイナスから始まる儂の印象を、多少なりともプラスの方へと進めた上で話し合いができる可能性を作り出せるかもしれない。
だから、この行動は無駄ではない……そんな気持ちもあった。
実際には、ただ自らの胸の内から湧き出る本能にしたがって、ただ助けたかっただけだ。
危険に陥ってる人間を、儂は見捨てられない。
だからこそ、多くの人と道を共にし、最後には国まで作ってしまった。
なぜ儂が国を作ったのかと言えば、自らの手で救える者は救いたかったから。
それが始まりだ。
そのためには国を作るしかなかった、とも言える。
そんな儂が、何かに襲われていて、助けを求めている者をどうして見捨てられようか。
「……そんなこと、儂にできるはずがないじゃろうに。なぁ!」
そこにたどり着くと、一人の少女を取り囲む、七体のゴブリンがいた。
それで儂はほっとする。
これならなんとかなりそうだからだ。
儂は即座に体を闘気で強化して、ゴブリンたちの間を抜け、少女に向かって棍棒を振り下ろそうとしていたゴブリンの腕を飛ばした。
ゴブリンは何が起こったのか分からなかったようで首を傾げていたが、もう遅い。
そこからは儂の蹂躙だった。
全てのゴブリンの首を一撃で飛ばしていき……そして最後の一匹を倒したところで、ふう、と息をついて闘気の強化をやめた。
そして振り返り、自分が助けた少女を見た。
少女は肩で息をしていて、何が起こったのか、まだ事態を把握してはいないようだった。
当たり前だろう。
ゴブリンに襲われていたら、別のゴブリンがやってきてその全てを倒してしまったのだから。
儂は、少女の元へ近く。
少女は、
「や、やめて! 来ないで!」
怯えてそう叫んだ。
儂が人間であれば全く反応は違ったのだろうが、ゴブリンであることは否定できない。
だからその反応は仕方のないことだった。
しかし、儂にとってこれは重要な機会だった。
この後、これ以上に好印象を与えて誰かと話し合いができる機会が回ってくるとは思えない。
だからここで引くわけにはいかない。
ただ、過度に怖がらせることも避けたかった。
そのため、儂は言われた通り、立ち止まり、そしてその場にどっかりと座り込んだ。
それから、少女に言う。
「……分かった。お主の言う通り、儂はこれ以上近づかぬ。しかしじゃ。少しでいい。儂と会話をしてくれないか」
「……え?」
儂が言葉を口にしたことに、少女は恐怖が一瞬緩み、惚けた表情になる。
それから、
「ゴ、ゴブリンが、喋ってる……!?」
「うむ。驚かせて済まぬ。しかし儂にもそれなりの事情、というものがあるのじゃ。それにお主を付き合わせることも、悪いとは思うが……一応、儂は襲われておるお主を助けた。じゃから、それに対する礼代わりに話を聞くくらいのことはしてくれてもいいと思うのじゃが……いかがか?」
少女は唖然とした顔で、しかし儂の台詞が少しずつ頭に浸透したようで、次の瞬間、叫ぶように言った。
「わ、私を助けてくれたって……本当ですか!?」
「ん? 本当も何も……お主が見た通りじゃろ。このゴブリンたちに襲われておって、助けてとお主が叫んだ。儂はそれを聞きつけて、助けに来た。どこかおかしいところがあるかの?」
「全て……全ておかしいですよ! いえ、私が襲われていたことはおかしくはない、ですけど……貴方は、ゴブリン、ですよね……?」
「他に何に見える?」
「ゴ、ゴブリンが、ゴブリンをこんな風に倒すなんて、極め付けにおかしいじゃないですか!? それも喋ってるし!」
「ふむ……まぁ、返す言葉もないわい」
確かにその通りだと思って、儂は苦笑してしまった。
少女はそれに対しても、
「ついでにその落ち着き様もおかしいです……」
と言う。
確かに苦笑するゴブリンなど目にする機会はあるまい。
だがここにそれがいるのだ。
現実が目の前にある以上、受け入れてもらうしかない。
「まぁ、そう言う細かいことはとりあえず置いておいて、じゃ」
「細かくないです……絶対、細かくない……!」
「お主の震えや怯えも大分良くなったようじゃし、少しくらい話を聞いてくれると思って良いか?」
「……気を遣ってくれていたのですか……?」
「そりゃあの。魔物に襲われた直後の若い娘なんじゃ。すぐに落ち着くとは思っておらんわ」
「……なんていうか、全然ゴブリンっぽくない……」
「そうか? まぁ、でも儂はゴブリンなんじゃがな」
「そうですね……はぁ。分かりました。話を聞くだけでいいなら。それに、ゴブリン七匹、あんなに簡単に倒してしまったんです。貴方がもしも私を殺すつもりなら、私にはどうしようもないでしょうし」
「確かにそれはそうじゃな。まぁ、儂が保証して安心できるかどうかは分からんが、別に儂はお主をどうこうしようとは全く思っておらん。もしも逃げても、そのまま見送るだけじゃ」
「一応、ちょっとは安心です……ええと、それじゃあ、とりあえず自己紹介をしますね。私は、コレット・ルルーって言います。種族は、ハーフエルフ、です……」
ハーフエルフ、と言おうとした辺りで、コレットに逡巡を感じた。
その理由は儂には分かる。
ハーフエルフという存在は、基本的に迫害されがちな種族だからだ。
エルフというのは多くが純血主義的な考えをしていて、人間と交わった結果生まれてくるハーフエルフの存在をあまりよく思っていないのである。
そして人間からすると、人間よりも美しく、遥かに長命で魔力にも優れた存在であるハーフエルフは嫉妬の目で見られるのだ。
どちらの種族からもそのような目で見られ、そのためにあまりハーフエルフを人里で見ることはない。
大体が山奥の隠れ里などに隠れ住んでいたり、人里にいる場合も自らに隠蔽魔術をかけたりするなどして自分の種族を言わないのだ。
しかし、コレットが儂にそうはっきり言ったのは、すでにその姿を儂が目にしていて、ハーフエルフの最大の特徴である耳も見てしまっているからだ。
エルフのそれよりは短く、しかし人の耳にしては長い耳。
それはハーフエルフのみが持っている特徴だ。
まぁ、一部の精霊などは似たような耳であることもあるが、こうして肉体を持って存在している者だと、まずハーフエルフだと断定して間違いではない。
「これはご丁寧に。儂は……」
名乗ろうとして、どうしようかと儂は迷う。
バルタザール・レシャーク、と名乗ってもいいのだが、その名前はレシャーク帝国の皇帝……今は元皇帝か……しかいない名前だからだ。
それをこんなゴブリンが名乗ったところで、冗談か悪ふざけかと思われる可能性がある。
事情を全て説明すればいいのかもしれないが、理解してもらえるのならともかく、どう聞いても大嘘にしか感じられないだろう。
ただでさえ、コレットはゴブリンが喋っている、と驚いているのだ。
それに加えて儂がレシャーク帝国の皇帝の生まれ変わりであり、これからレシャーク帝国の重鎮たちに復讐することを目標に生きているのだ、と言ったら頭がパンクしてもおかしくない。
流石にそれは申し訳ない。
だから、儂は少し考えてから、行った。
「……バルじゃ。ゴブリンの、バル」
「バルさん、ですか?」
「あぁ。こうして人に名乗るのは初めてでの。今、つけた」
「……そうですか。それで……あの、バルさんはどうして私を助けてくれたんですか?」
「さっき言ったじゃろ。助けを求められた。それだけじゃ」
「魔物の言葉とは思えないですね……」
「まぁ、儂も言っててそう思うところがないではない。じゃが、事実じゃ」
「……分かりました。そんな代わり魔物のバルさんは、どうして私と話したかったんですか?」
「それはのう、話せば長くなる……流石にここは血の匂いが強すぎて危険じゃ。少し場所を移さんか?」
「あぁ……確かにそうですね。最近は森もかなり騒がしいですし……」
コレットがそう言ったので、儂は、
「では儂の拠点近くまで行こう」
「拠点ですか?」
「湖の近くなんじゃが」
「あぁ、エレスト湖のことですね。あの辺りを拠点にしているんですか……分かりました。行きましょう。ただ、やっぱりちょっと距離を取ってもらってもいいですか」
「それはもちろんじゃ。では、行くぞ」
*****
「ふあぁ。ずいぶんとしっかりしたお家をお持ちで……」
儂の拠点、つまりは木の上に作り上げた小屋を見て、コレットがそう言った。
適当に作ったとは言え、それなりに住みよくしようと工夫した小屋だ。
褒められると少し嬉しく、
「そうじゃろう、そうじゃろう」
と頷いてしまう。
そして、家を褒められるとつい、中に人を招きたくなる。
帝国城も褒められると人を招きたくなったものだ。
「コレット、よければじゃが、中で話さんか?」
しかし、言ってから青くなったコレットの顔を見て、自らの失言に気づく。
儂は慌てて、
「す、すまんかった! そうじゃよな。魔物と狭い室内にいるなど、恐ろしかろうて……いいんじゃ、ここで話そうではないか」
そう言った。
残念ではあるが、仕方がない話だ。
街中で知り合った男女すら、男の部屋に女がいくのにはそれなりに躊躇する。
それが森の中で出会った人と魔物である。
躊躇などという話ですらないだろう。
しかしコレットは、
「い……いえ! 私、お邪魔しようと思います!」
そう言ってきた。
意外な台詞に驚いて、儂は言う。
「コレット……良いのか? 無理せずとも構わぬのじゃぞ? 話なら、別にここでも出来る……」
「ですけど、もしも魔物が来たら、ここよりもあっちにいた方が安全なのではありませんか?」
「まぁ、高いところにあるからの。それなりには安全じゃろうが」
「それに、一応距離を取ってもらってますけど……私を助けてくれたときの動きを見る限り、その気になったバルさんから私が逃げられるとは思えません。なら、どれくらい近くにいても一緒だなって、歩きながら思いまして……」
確かにそれも正しいだろう。
しかし、こういうのは理屈ではない。
それなのにこうやって招待に答えてくれようとするコレットの姿勢に、儂は誠実さを感じた。
相手の地位や立場に惑わされず、誠実に答えようとする人間というのは実のところかなり稀だ。
儂は長い皇帝生活で、それをよく知っている。
もちろん、それは邪険に扱われた経験からではなく、反対に酷く遜られた経験の多さから学んだことだ。
儂は人間だった時、強大な権力を持っていた。
そんな儂に対し、対等に振る舞ってくれる人間などまず、いなかった。
それだけならまだいいが、儂から少しでも甘い蜜を吸おうと下らない計略を考える者の多かったこと。
それに儂にはそんな態度なのに、自分よりも下の人間と見るやひどい扱いをする者もたくさんいた。
そんな経験から見て、コレットはかなり得難い人物に思えたのだ。
この勇気を振り絞ったコレットの申し出を断ることは、儂には出来ない。
礼には礼で返すのが、儂の王としての誇りだ。
もはや何も持たない王ではあるが、それでも、誇りだけは変わらない。
だから儂はコレットに言った。
「……コレット。ありがとう。では、改めて儂の家に招待しよう。高いところにはあるが、足場になるところはそれなりにあるでな。登れるかの?」
「大丈夫です。これでも木登りは得意なので。よっこいせっと……」
儂が先んじて登り始めたが、コレットも意外なことに軽々とついてくる。
運動神経は悪くはなさそうだった。
鍛えればゴブリンくらいは倒せそうに思えるが……。
まぁ、魔術にしても闘気にしても、教師と本人のやる気がなければどうしようもない。
それにこんな森に暮らしているのでれば、それ以外にもやらなければならないことが沢山あるのだろう。
戦えないからと言って、ダメだということはない。
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