……?
おかしい、と儂が思ったのは確かに死んだはずだというのに、意識があることに気づいたからだ。
しかも何か……そう、視点がおかしい。
今までは寝台の上からだったはずのそれが、今はその寝台を見下ろしているような奇妙な視点だ。
まるで天井に目がついているかのような……。
「……ふう。やっと亡くなられたか。随分としぶとい親父殿だったな……」
そんな声が聞こえて、誰のものかと思って視点を動かそうとしてみると、自然と寝台の横にいた壮年の男に焦点があった。
あれは、儂の息子。
つまりはドミニク・レシャークだ。
儂が死んだ今となっては、戴冠式を経て後、皇帝になる男だ。
その彼が今言った言葉は……はて?
何か聞き捨てならない台詞だった気がする。
儂の意識はぼんやりとしたものだが、それでもある程度考える力はあった。
たった今のドミニクの言葉はまるで、儂の死を心待ちにしていたように聞こえた。
おかしい。
だって、あれほど涙を流して見せてくれたと言うのに……そんなはずはない!
儂は聞こえた言葉を何かの気のせいだと思おうとした。
しかし、ドミニクの言葉に続けて、孫たちの声も聞こえてくる。
「本当にそうですね、父上。流石にかつて古竜を倒しただけあって、毒物に対する耐性すら人間を辞めていると言っても過言ではないほどでした。竜ですらひと匙で絶命するような毒を、毎日のように一月飲んでやっと亡くなられたくらいですから……」
「七十五歳の年寄りに可能なこととはまるで思えませんわね……何もなければ倍の百五十歳まで生きたのではなくて? 私やエドガー兄様より長生きされたかもしれませんわ。こうやって早々に退場してもらわなければ大変なことになっていたのは間違い無いでしょうね」
エドガーとオリヴィアが呆れたようにそう言った。
これは……一体何を聞かされているのだろうか。
死んだ後の、おかしな夢なのだろうか。
死した後、人はこのような、歪んだ夢を見せられるのか……?
いや、それにしてはドミニクも、エドガーも、オリヴィアも、生きているときに見たままで、彼らが語る言葉は人形が語るようなものではなく、真に自らの意思で語られているもののように聞こえる。
夢だとは思えなかった。
それに、あまりにも部屋の光景も鮮明すぎる。
夢であればもっと色々な部分が曖昧で、調度などの精緻な彫刻がこんなにはっきり分かるはずがない。
やはり、現実である、と考えるべきだろう。
そしてこれは、儂が死んだ後の会話なのだとも。
そうであるとすれば、ドミニクたちは、儂の死を願い、そのために計画を立て、行動に移していたと言うことになる。
死んだ後に知らされる事実としては、あまりにもひどい話だと思った。
こんなことなら、何も知らずに消滅していた方が良かったと思ってしまうくらいには。
しかし、そんな儂の願いなど誰も聞きいれずに、寝室での会話は続く。
「ライノル、ハインツもご苦労だったな。我らの目的は同じだったとは言え、陛下は信頼の深い部下たちを何人も抱えておられた方だ。そんな部下たちをこの部屋から遠ざけるのは大変だっただろう?」
ドミニクが騎士団長と魔術師団長にそう言って労う。
言われてみれば、普段いたはずの儂の腹心だった騎士や魔術師が、いつの間にか遠ざけられていた。
なぜ儂はそのことを不自然に思わなかったかと言えば……そうか、薬物か。
ドミニクたちが一服盛っていたことはすでに明らかで、つまりそれは毒だけでなく、精神に作用するものもあったと考えるべきだろう。
最後の方のぼんやりとした意識は、儂が寿命に近づいたが故ではなく、そういったもののせいだった、と。
その答え合わせをするように、ライノルが言った。
「いえ、騎士たちは陛下の意識が混濁し始めたところを見て、自分たちよりも医師や薬師、それに治癒士たちこそが近くに侍るべきと納得しておりました。やはり、陛下に毒のみならず、精神系の薬物を摂取させたのが良かったと。マテウス殿の慧眼です」
話を振られた枢機卿マテウスは、その少し膨らんだ腹を小刻みに動かして笑い、
「はっはっは。慧眼などとはとんでもない……。オリヴィア殿が陛下の意識のはっきりしているところについて、計画の進行のためには障害になるかもしれないと不安を口にされておられましたから。私はあくまでそれを取り除いたまで」
「あら、では貴方に相談して良かったわ。お爺様ったら、最初に毒を飲んだ時に亡くなっていれば良かったものを、いつまでも粘るから……」
「実の孫娘が言うにはあまりにもな仰りようですが、我らの目的は同じ。これで陛下が抑えていた貴族、それに教会権力の強化が叶いますな」
マテウスの言葉に魔術師団長ハインツが割って入り、
「ちょっと待った。儂ら魔術師の地位強化もじゃ。ろくすっぽ魔術の使えない市井の者たちはどうでもええが、儂らのような《魔術大学》出の選良については、卒業後、貴族と同じだけの地位を約束してもらわねば」
これにはドミニクが微笑みながら頷いて、
「分かっているから心配するな。ただ、次々に貴族を増やしては問題だからな。基本的には優秀な者に限って一代貴族とし、さらにハインツ、お前のような功績を残した者についてのみ次の代にも引き継げる爵位を授けると言う形にしか出来んぞ」
「ふぇっふぇ。それで構わん。正直なところを言えば、儂は儂が貴族になれればそれでいいんじゃからな。ただ、他の奴らの協力を得るには……エサが必要じゃったからのう。分かるじゃろ?」
「まぁ、な。そう言うことなら構わん。後は……何よりも今回、最後の一手を実行してくれた者に称賛を送らねば」
そう言ってその場にいる全員が目を向けたのは、儂にあの薬湯を盛ってきた兵士、ヴィリズ・ヤンセンだった。
彼は盗賊のような小狡い顔立ちをしていて、卑屈そうに笑っている。
この場にいる者たちは、彼からすれば儂と同様に天上人だ。
だから媚を売っているのだろう。
「い、いや、お、俺、いえ、私は……」
恐縮するヴィリズに、ドミニクは近づき、肩を叩いて、
「……よくやってくれた。後で、内々にという形になるが必ずやお前の働きに報いよう。その代わり……分かっているな? 今日のことは、この場にいる者だけの秘密だ。だからしばらくの間、ほとぼりが冷めるまでは遠方に行ってもらう必要があるが……」
「い、いえ! それで構いません。ですが、地位の方は、何卒……」
「うむ。分かっている。ここにいる者たちは全員、同じ船に乗っているのだ。約束は違えんし、同じように利益を得るだろう……」
ここまで聞けば、儂も流石に理解する。
儂の死の間際、周囲にいた者たちは全員、グルだったのだ、と。
儂の子供や孫、部下たち、官僚も含めて……儂を殺すためにあの場にいたのだ、と。
とんでもない話だと思った。
ひどい話だとも。
一体儂が何をしたのかとも。
胸にこみ上げる悲しみ、さらにそれが冷めた後には怒りの感情が湧き上がってきた。
どこにもぶつけようのない、怒りだ。
このまま高めていけば、物質化し、この場にいる者全員を焼き尽くせるかもしれない。
それほどに強い怒りが、儂を支配していた。
けれど実際には、腹の立つことに視界が徐々にぼんやりと白くなっていく。
やはり、死んだ後、死者が見られる光景と言うのには時間制限があるらしい。
遠くなっていく景色に、儂は、
『待て……待てっ! 奴らに何か……せめて何か痛みを! 味わわせてくれ!』
そう叫んだが、努力の甲斐虚しく、次の瞬間、視界は完全な白へと染まりきったのだった。
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