あぁ、しまった。
そう思ったその時には、すでに儂は囲まれていた。
儂を囲んでいるのは五匹の森狼《しんろう》だった。
通常の狼よりも一回り大きな体を持ったこの狼たちは、言うまでもなく魔物だ。
こういった森に多く住み、群れを作って狩りをすることで知られている。
ゴブリンやスライムより一段階上の実力を持っているが、複数体で連携して動くためにその危険性は段違いだ。
ゴブリンもグループを作って連携することはあるが、その戦い方は稚拙で対応しやすい。
しかし森狼はしっかりと本能に狩りの仕方が刻み込まれているのか、それぞれの役割分担が決まっていて、確実に追い詰めてくるような戦い方をするのだ。
その結果が、まさに今の状況であった。
つい先ほどまで、儂はゴブリンやスライムよりも強い魔物を探して周囲をよく観察しながら森を歩いていたわけだが、どこかのタイミングで森狼に見つかったのだろう。
儂も周囲を警戒していたが、奴らは鼻が効く。
一匹二匹が儂の側面から寄ってくるのが見え、逃げるべく走り出したのだが、向かう方向に他の森狼が待ち伏せしていて、気づけば囲まれていた。
儂を誘導してこの状況まで追い込んでくれた、と言うわけだ。
しかも、ここまでしっかり囲んでいるのに森狼たちにはまるで油断はないようだ。
一匹一匹が、儂を絶対に逃さない、と言うような鋭い瞳でこちらを見つめていて、いつでも走り出せるように構えている。
「覚悟を決めるしか、なさそうじゃの……」
本来なら、一匹だけを相手にしたかった。
さらに言うなら森狼ではなく、もっと他の魔物と戦いたかったものだが、こればかりは仕方がない。
短剣を握り、構える。
儂の方から森狼に襲いかかるより、向こうからかかって来させた方がいいと考え、動かずに周囲を見つめる。
根比べだ。
体力が尽きるまでこの見合いを続けていれば、おそらく儂の方が先に根を上げざるを得ないだろう。
しかし、森狼は所詮、少し賢い程度の魔物に過ぎない。
しばらく経っても儂が構えを解かないのを見ると、五匹の森狼のうち、最も小さなものが堪えきれなかったようで儂の方に襲いかかってきた。
大口を開けて、儂の体を噛み砕こうと突っ込んでくる。
しめたものだ。
儂はその攻撃をしっかりと観察し、かわす。
そしてすれ違いざまに首筋に短剣を入れた。
しかし……。
「……ギャワン!!」
と、吠えて遠ざかったが、致命傷には足りないようだった。
それも仕方がないことだろう。
短剣があまり深く入った感覚がしなかったのだから。
この体の筋力不足と、森狼の体皮の固さのゆえだ。
普通の狼であったらこれで問題なく倒せていただろうが、魔物はその大半がその体を魔力でもって強化している。
そう簡単に倒す事はできない。
そして、これによって儂の攻撃がそこまで脅威ではない、と考えたのか、森狼たちはじりじりと距離を詰めてきた。
勝負を決める気なのだろう。
「ふむ……まぁ、こうなっては仕方がない、か」
儂も、覚悟を決めることにした。
もちろん、負ける覚悟ではなく、勝つ覚悟だ。
体の中の闘気を意識する。
人間だった時と比べ、ほとんど練れていないが、それでもある程度の身体強化は出来るレベルまでは来ていた。
今までは一切使っていなかったのだ。
それは別にゴブリンやスライムなどを舐めていたわけではなく、この体の素の身体能力でどこまで出来るのか。
それをしっかりと確認しておきたかったためだ。
それでも危機に陥ったら使うことを躊躇するつもりはなかったが、幸い、ここまでそれほどの危険はなかった。
しかし今はそうも言っていられない。
闘気を身体中に張り巡らせると、先ほどまでとは明確に感覚が変わる。
襲いかかってくる森狼の動きが、遅い。
先ほどまでの一秒が十秒に感じるほどだ。
周囲の空気の動きまでしっかりと感じられ、大口を開けた狼の下に潜り込み、その柔らかい腹に短剣を突き入れる。
先ほどまでであったら、柔らかい腹であっても突き刺さる事はなかっただろう。
しかし、今の儂の体は十分に強化されており、短剣は深いところまで突き刺さった。
さらに、それだけで絶命させる事はできないため、腹を思い切り、切り裂いていく。
これで一匹。
さらに、背後からかかってきている森狼の方に振り返り、今度は首を狙った。
ただ突き刺すだけでも良かったが、さっきのこともあって念を入れておこうと思った儂は、その首を飛ばす。
これで二匹目。
残る三匹は、まだ動いてはいなかったが、儂はそのまま駆け出し、一匹ずつ、確実に切り裂いていった。
最後の一匹はリーダー格だったからか、儂の動きにギリギリで気づいたようだが、もう遅い。
儂はその首を切り裂き、それで戦いは終わりを迎えたのだった。
*****
「……む、これは……!」
期待通り、と言うべきか。
森狼たちを倒した直後、やはり儂の体に何か熱いものが注がれる感覚がした。
ゴブリンを倒した時よりも強く、体内の魔力と闘気が増えるのを感じた。
五匹も倒したからか、それとも森狼だったからか……。
ともあれ、ゴブリンではもう地力の上昇は見込めないにしても、さらに強い魔物を倒せばそれも可能になるかもしれない、という推測は正しかったらしい。
今後も魔物を倒す事で実力を上げていけそうな見込みが立った。
これがどこまで続けられるのかはやはり分からないが、通常の修行に加えて、魔物討伐もしっかりやって行った方がいいと言う事ははっきりした。
「しかし、今回は大量じゃな」
それは、素材の話である。
今回倒した森狼は、その肉を食べることもできるし、毛皮や牙もいい素材として知られている。
それを五匹も倒したのだから、喜ぶなというのは無理な話だ。
ちなみにゴブリンも食べようと思えば食べれなくもないらしいが、流石に同族を食べる気にはならない。
そもそもさほど美味いものでもなく、作物が全く取れないような時に、腹を満たすためだけに食べるようなものだと聞いた。
だからあくまでも今の儂の主食は森の動物や果物だった。
それに加えて、森狼も儂の食卓に上がるようになる。
保存についてはこれもまた、ミュールの葉でいける。
あれは大半の肉類について保存できるものであるからだ。
ただ、鶏肉についてだけはよした方がいい、という話だが、今のところ鳥の肉については一度も確保できていないから要らぬ心配だろう。
たまに食べたいと思わないでもないが、空を飛んでいるものだし、森で見かけてたまに石をぶつけて獲れないかと挑戦してみるものの、今のところは一度も成功していない。
まぁ、そのうちどこかで弓矢でも手に入れて獲ってやろうぞと思いつつ、儂は森狼を解体していく。
毛皮と肉、そして骨とになったところで、肉についてはミュールの葉に包み、毛皮と骨については魔術で消毒と消臭をしておく。
さらに乾燥の魔術もかける。
本当であればしっかりとした手順に沿ってなめすべきなのだろうが、儂は別に職人ではない。
それに、魔物の毛皮のいいところは、魔力を注げばその頑丈性を死んだ後も発揮してくれるところだ。
それでも毛皮の裏についた肉やら脂肪やらは流す必要があるし、匂いや腐食の元となるらしい何かがついているらしいので、それを消毒の魔術で消すのだ。
今の儂の魔力回路は、それくらいの魔術は使える程度にまでなっているからこそできることだった。
その後に魔力を浸透させ、固定化すれば、それで簡易的ではあるが服などの材料とできる毛皮が完成する。
流石に粗末な腰布だけではいくら儂がゴブリンだと言ってもなんとなく寂しいというか、自分が文明人だということを忘れてしまいそうな気がする。
それに、そのうち人里にもいくつもりなのだ。
その際に腰布一枚では私は魔物ですと言っているようなものである。
なんとか服に見えるものを作って着ておく必要があった。
処理を終えた素材を拠点まで運び、短剣を闘気で強化しつつ、穴を開ける。
簡単な巻頭衣を作ろうというわけだ。
一度身につけて、余っている部分を確認してから切り落とし、これでまぁ、とりあえずの間に合わせは完成である。
もちろん、これに使った森狼の皮は一匹分で、他四匹分は余っている。
一枚は拠点のカーペット代わりに、残りの三枚は屋根に固定して雨漏り避けにした。
今のところまだ儂がこうしてゴブリンになってから雨は一度も降っていないが、これからもそうだとは限らない。
と言うか、いつか必ず降るだろうし、意味のない手間ということもないだろう。
問題があるとすれば、三匹程度では完全に覆えないことであるが……。
「……仕方ない。五匹まとめて倒せたんじゃ。もう何匹か、探して狩ってくるかのう」
立ち上がり、体の調子を確認してから、儂は拠点を出る。
あと、五匹程度の毛皮があればおそらく拠点の屋根も全部覆えるだろう。
つまり同じ規模の森狼のグループをもう一度狩れば、必要数は確保できる。
それくらいなら何とかなるだろう。
*****
「……ふう。こんなところかの」
再度森に入ると、運がいいのか悪いのか即座に森狼に嗅ぎつけられる。
当たり前といえば当たり前だろう。
何せ、先ほどまで血だらけになって森狼の死体を解体していたのだから。
拠点に戻るにあたって危険だからと、自らに浄化と消臭の魔術をかけてはいたが……それでも僅かに残ったのかもしれない。
まぁ、しかしそのお陰で森の中を歩き回ることなく、目的の相手と遭遇できたので構わないのだが。
今、儂の周りにはすでに倒されて絶命した森狼の死体が転がっていた。
先ほどとは異なり、今度は闘気による強化なしで挑んでみたのだが、今回はちゃんとその状態で倒すことができた。
もちろん、闘気を使ったときのようにさっくり、というわけにはいかず、それなりに時間がかかったが、それでもほぼ無傷だ。
小さな擦り傷がついたが、
「……小治癒《プチヒール》」
そう唱えると、擦り傷はすぐにくっついて消えていった。
魔術の調子もだいぶ良さそうだ。
治癒系は制御が比較的難しい魔術であり、使える者はかなり重宝されるが、儂は今はゴブリンでも元は最上位まで上がった冒険者だ。
これくらいの制御は朝飯前である。
ただ、あまり発達していない魔術回路で使用したため、魔力の無駄は多いが……魔術を多用し、魔術回路を発達させていくことでそれは解決できる。
これからは小さな傷でもコツコツ治して、経験を積んでいくことにしたい。
魔物との戦闘の中でも魔術を使っていくべきだろうが、今はまだ闘気を中心に確実な勝利を掴む形で戦うやり方でいきたい。
魔術と武術を併用した戦い方は、しっかりと身に付けていれば無類の強さを発揮するのは間違い無いけれども、今の儂くらいの状態でそれに挑むのは危険だ。
しばらくは魔術についてはもっぱら訓練で伸ばしていくことにしたい。
「まぁ、いつまでもそんなことを言っていられるわけでも無いじゃろうが、な……」
魔物には物理的な攻撃も効かないものもいる。
そういう相手に出会したとき、取れる戦法は二つだ。
特別な武器や技術を使って倒すか、魔術を使うかだ。
そして、どちらが容易かといえば魔術を使う方だ、ということになる。
ただ、こんなゴブリンやスライム、強くてオーク程度の存在しか出現しないような森の浅い場所では、そのような敵に出会う可能性は無視してもいいだろう。
つまり、今心配するような話では無い。
ただいつかのためには考えておかなければならないことではある。
やはり、訓練はしっかりと続けなければ……。
そういう気持ちを強くしたそのとき、
「……! っ!」
何処かから、叫び声のようなものが聞こえた気がした。
動物の鳴き声か、もしくは気のせいか。
どちらだろうか、と思って耳を済ませると、
「……誰かっ! 助……っ!」
明らかに人の言葉を聞き取ることができた。
しかもかなり危機的状況にあるようで、逼迫した声だった。
儂はそれを聞き、走り出そうとして……止まった。
なぜと言って、儂がこの姿でその誰かを助けに行ったとして、大丈夫なのかどうかが分からなかったからだ。
場合によっては後々、捕まって殺される可能性まである。
もっと実力がついていればまた話は別だ。
追手が差し向けられても逃げられるからだ。
しかし今の実力では……。
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