人が死んだ後、一体どこにいくのかは世界でもトップクラスに栄えている国、レシャーク帝国の学者たちすら答えを出せていない難問だ。
当然、儂自身もその行先については全く知らなかった。
せいぜいが神話や宗教的な言い伝えくらいが関の山で、さらに現実的に考えるのなら死ねばそこで生き物の全てが終わりだと思っていたくらいである。
たが、実際に自分の身に起こったことを考えてみると、必ずしもそういうわけではなさそうだ。
と言うのも、儂が死んだ後、しっかりと医師などによって死亡が確認されていたにもかかわらず、儂はあの寝室で儂が死んだ後の周囲の者たちのやりとりを聞けたのだから。
実はまだ死んでいなかった、ということはないだろう。
あの場にいた者たちは、称賛するのは尺だが儂の最期の瞬間まで、その本性を隠し切ったのだ。
儂はあの場にいた者たち全員を心から信頼し、幸せに死ねるものだと勘違いしていた。
それくらいの役者たちだったのだ。
儂が完全に死んだと確認されるまでは、その仮面を被り続けていたと考えべきだ。
そしてそうだとするのなら、やはり儂は死んだ後にああしてあのやりとりを聞けた、ということになる。
となれば生き物は死んだ後も、いわゆる魂、という状態で存在することができるということになるのではないか……。
しかしそれでも残念なことに、儂は早々に消滅したようだが。
視界が真っ白に染まって、そしてそのまま……ん?
そのまま?
そこまで考えてふと思った。
おかしい、儂は消滅したにもかかわらず、未だに考えることができているではないか、と。
ということは、まだ存在そのものが消えたわけではない?
それとも、このような状態で永遠に思索し続けられる状態になることを死と呼ぶのだろうか。
分からない。
答えは誰も与えてくれなさそうだった。
ただ、そんな困惑を抱えてどれくらいの時間が経っただろうか。
急に真っ白だった視界が徐々に開てくる。
その感覚は、まるで眠りから覚めるのに似ていた。
そして、目蓋が開くような感覚がし……。
◆◆◆◆◆
「……うっ。こ、ここは……? いや、それよりも儂は……どうなったんじゃ……?」
気づけば、儂はそう口に出していた。
どうやら、話すことはできるようになったらしい、とまず認識する。
そして次に、どうやら体があるらしいということも理解した。
さっきまでは全くなかった重みというべきものを感じるからだ。
首を振るように意識すると、やはりきょろきょろと視界が変わる。
帝国城で、天井から見ているような視界だった時はもっとゆっくりとした、妙な視界の変わり方だったが、今はその時とは明らかに違うのが分かる。
「……どうやら、生きている、ようじゃな……しかし、おかしくはないか? 明らかに儂は死亡を確認されたと言うのに……」
そうだ。
そのシーンを儂ははっきりと確認している。
何度も言うが、あやつらがそこを抜かるとはもうまるで思えなかった。
それなのに、こうして普通に体が動かせるというのは奇妙だ。
いや、奇妙と言えば……。
「一体ここは、どこじゃ? どうやらどこかの森の中のようじゃが……。儂の死体をここに捨てたということか? そうしたら、運よく蘇生したとか……? ううむ……」
ありえない話ではない。
確実に死んだ、と思った者が土葬した後、数時間、もしくは数日後に蘇生して自ら穴を掘り、戻ってきた、なんて話はないではないからだ。
自分もそうならないとは言えない。
「しかしそうだとしても、流石に亡骸くらい国葬で葬って欲しかったものじゃが……火葬すれば蘇生の可能性もなかろうに。やはり死亡を確認して、あやつらでも詰めが甘くなったのか?」
疑問や思考を口に出しているのは、確かに言葉を話せる、と言うこと、動かせる体がある、と言うことを確認するためだ。
そしてここまででその確認はほぼできたと言って良い。
だから後はわざわざ声帯を使う必要はないが、ふと思う。
「儂の声は……このような濁声だっただろうか?」
そう、声が妙なのだ。
老人だから、多少掠れるところがあったのは認めるが、今、自分の声を聞く限り感じるのは、そういうものとは性質の異なる濁りだ。
まるで喉を潰したかのような荒い声である。
やはり、一度死んだから、喉も多少壊れたのだろうか?
生命活動が一旦止まった者は、体が徐々に壊死していき、たとえ蘇生しても完全には戻らないことはよくある。
そのようなものだと思えばおかしくはないが……。
「……ふう。まぁ、良かろう。どうやら死んでいないことは確かなのじゃ。これなら、これから色々とやることもできよう。例えば、あやつらへの復讐などもな……!」
どうしてなのかは分からないにしても、蘇生できたのは僥倖だった。
なぜって、あのままでは死んでも死にきれない。
せめて、あやつらに一矢報いてからでなければ。
そう思った。
ただ、今すぐにというのは難しいだろうということもしっかり認識していた。
あやつらはレシャークの重鎮たちであり、今は帝国城に篭っていることだろう。
自分も住んでいたから分かるが、あの城の防備は生半可なものではない。
いくらかつて古竜を滅ぼしただけの腕前が儂にあるとしても、もう七十五のじじいであることも分かっている。
単身で殴り込みに行ってもその途上で倒されるのが関の山だ。
昔の、全盛期の体であればなんとかなったかもしれないが……今の体では。
他に方法を探さなければなるまい。
「……そうじゃ。そうなるとどれだけのことが出来るか、しっかりと確認しておかねばな」
皇帝になってしばらく。
ほとんど自ら魔物と戦ったりすることはなくなった。
訓練は寝たきりになるまで欠かしたことはなかったが、所詮、訓練は訓練であって、実戦とは違う。
あやつらに復讐するために色々な手が必要だとは言え……まずは今の自分に何が可能かは把握しておかなければならない。
そこまで考えた段階で、儂は自らの体を確認すべく、周囲を警戒してきょろきょろと眺めていた視線を下げた。
そして、そこで驚愕する。
「……ん? なんじゃこれは……!?」
当然のことながら、儂の視線の先には、老人の体が存在するべきだった。
老人の体と言っても、相当に鍛え続けた体はかなりの筋肉を持っていたし、そもそも体自体が大きい方だったので、そこそこに屈強なそれがあるはずだった。
病床にあってすら、調子は悪かったがそれでもそこまで痩せ細っていたわけではない。
だからある程度鍛え直せばそれなりに戦える体がそこにはあるはずだった。
それなのに……。
「なぜ、こんな妙な体の色をしている? しかも、何か……子供のように小さいではないか……これは一体……!?」
そう、そこにあったのは、奇妙な緑色のざらざらとした肌に、枯れ木のように細く貧しい胴体や腕だった。
手のひらも見てみたが同様であり、およそ尋常な老人のものとは……それどころか、人間のものとも思えなかった。
「まさかこれは……!」
ぴんと来るものがあって儂は立ち上がり、走り出す。
匂いを嗅ぐと、森の緑のそれに混じって、水のわずかな匂いもまた感じられた。
そちらに向かって走る。
しばらくして湖に到着すると、儂はその湖の水面を覗き込んだ。
そこに映っていたのは……。
「……ゴブリン! これは、ゴブリンの顔ではないか! 儂は、ゴブリンになってしまったのか!?」
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