目の前に半場さん(俺のクラスメイトで高校一の美少女)がいた。
「ネカマで人を釣るなんてひどいですね」
「お前だけには言われたくねえよ!」
「最悪ですっ」
俺はポケットの中のスマホをぎゅっと握り締める。
駅前の広場で口論する自分たちは何に見えるだろうか?
女子小学生にネカマしておっさんを釣ろうとした男子高校生とおっさんになりきって女子小学生(ネカマ中の俺)と援助交際しようとした女子高校生に見える?
見える奴がいたら黄色い救急車を呼ぶと良い。俺のポケットには買ったばかりのスマホがあるし、それで呼んであげようか? まだ電話も使ったことないんだ。
「ちょっと、話聞いてるんですか!」
「聞いてるって。で、何?」
「どっちが悪いかって話ですよ……って、話聞いてないじゃないですかぁ!」
「おーけーおーけー。どっちが悪いかって話だろ。分かってるよ」
「うう……」
半場さん、泣きそう。
昼間から女の子を泣かせている男子がいるじゃないの! みたいな視線が痛い。
「とりあえず喫茶店に入ろうよ、半場さん」
「そ、そうやって話を逸そうとしてるんですよね」
怯えられてしまった。
「違うよ。立ちっぱなしじゃ半場さんが疲れないかなと思っただけ」
不信そうな目をされる。俺と身長差が十センチくらいあるので自然な上目遣いになっていてドキッとした。悟られないように周りを見回して喫茶店がないか探す。どうやらハンズの上の階にあるみたいだ。
「ほら、半場さん。コーヒーでも飲も?」
「……」
「紅茶が良い?」
「……」
「それとも、抹茶?」
パァァ。
「そうか、じゃあ、抹茶がいいね」
「私の好きなもので釣るなんて! ネカマする人になんてもう釣られませんよ!」
「じゃあコーヒーにしよう」
「……」
ねえ、何なのこの茶番。
そうして俺と半場さんは喫茶店に入ることにする。もちろん抹茶のある喫茶店だ。半場さんが抹茶好きとかけっこう意外で、カラメルモカフラペチーノとかカタカナ語のものが好きなんだと思っていた。
ところで、半場さんがこんなに表情豊かに話をする子だったなんて初めて知った。学校では余裕ある振る舞いにさながらどこぞのお嬢様のようだと話のネタにされたりしているのをよく見かける。そうしてネタにされると決まっててれてれして場を和ませていた。もしかして天然記念物か何かなんですかね、なんて思っていたけど、今の半場さんは半場さんでけっこう嫌いじゃない。
席に着くなり半場さんはタピオカ入りでアイス乗せの抹茶に決め、続いて俺はコーヒーのブレンドに決めたので店員を呼ぶ。どうやらケーキなどを頼むつもりはないらしい。
「すいませーん」
呼び鈴がなかったので近くにいた店員に声を掛ける。
「……気づかないじゃないですか」
「忙しいから仕方ないんだよ」
席のすぐそばを通った店員を少し大きめの声量で呼ぶ。
「あの、すいま……あー」
「全然ダメですね」
「くっ」
昔から存在をよく忘れられることがコンプレックスだった。影が薄いわけではない。友達の誕生会に呼ばれたのに、呼ばれたことすら覚えてもらえていなかったりするだけだ。ああ、なんだか涙が出そう。
「そんな顔しないでください。対角線上にいる女子高生たちに、私があなたを泣かせてるみたいなツイートされるじゃないですか」
「すまん」
「そもそも人間力が足りないんです」
なんだそれは。
俺が疑問に思考停止している隙に半場さんは片手を挙げて店員を呼ぶ。すると、店員が気づいて、お待ちください、と反応された。
「こ、これが人間力……」
フフン、と半場さんが鼻で笑うすぐ横を店員は通り抜けて行きましたが。
「これが人間力か」
どうやら俺たちの後ろの席の人だったみたいだ。半場さんは手を挙げたまま固まっていた。お手上げとはまさにこのこと。
いつからだろう俺たちが人間力を失ったのは。ところで高校に入学してからもう一ヶ月。五月の穏やかな空が窓の外に見える。こんな空ならちっぽけな俺の悩みなんてどうってことないよな。
「そういえば半場さんと話すの初めてだ」
そもそもSNSで三日ほど前に知り合ったばかり。まさか知っている子だとは思わなかったし、おっさんじゃなくて本当に女の子だったことにびっくりだ。
「……そうですね。ところで、あなた、どうして私の名前を知ってたんですか?」
「え? 俺、半場さんと同じクラスだよ?」
「いましたっけ」
うーん分かりませんね、という優雅な仕草で困った顔をされたんだけど、俺はなんて返せばいいの? 人間力なの?
「まずは自己紹介しましょう。では、まず、あなたから」
「なにそれおかしい」
「な、名乗るほどの者ではないので……」
「誰だよ自己紹介しようって言ったの」
「うう……」
半場さん、泣きそうセカンド。
「いいよ。俺から名乗るよ」
名乗る前に深呼吸。息を整える。
「†殺夜†」
脳内に、ザザン! と漆黒に揺蕩う紅月をバックに白銀の刀を携えた黒ゴスの少女が現れる。天奪の君主より授けられし我の真名……、というのは半分冗談で、中学時代にネカマ用として作ったアカウント名だ。
リアルでこの名を口にしたのは中学以来だった。じわじわと熱気に包まれて顔が溶けてしまいそう。強ばる頬筋を片手で押さえながら半場さんを見る。
「……ぶっ」
めちゃくちゃ笑ってんじゃねーか。
「て、てめえ!」
頭から湯気が出るんじゃないかと思ったね。
「いや、だって、その……あんまりにも痛いから……」
「くそお! 泣いちゃうよ俺!?」
「ぶっ」
「笑うところじゃないだろぉ!」
いつの間にか立ち上がって半場さんに指さしていた。喫茶店にいた人たちの視線が集中して焼き殺されそう。視線・クロスファイア。
俺は椅子に座って落ち着く。落ち着けるわけもないんだけど、とにかく落ち着くことにした。首もとを手で扇いだりなんかしちゃってその場を取り繕って、まずは話を逸らすことが懸命だと思い至る。次は俺がシャーデンフロイデスマイルをしてやろう。
「さあ、半場さんの番だぞ」
うっ、という表情をされた。してやったり、というよりもちょっと傷つく。女の子を貶めて快感を得るほど俺は腐ってないらしい。一方、半場さんはうつむいて考えている。まあ、それだけ思案するのは仕方がない。半場さんのハンドルネームは女子高生が発言するには荷が重いだろうから。
そうやって俺が半場さんを慮っていると、半場さんがなにか思いついたように顔を上げた。これはよからぬことを考えている顔に違いない。
「フフ、私の名前は半場ですよ? もうご存知じゃないですか、†殺夜†さん」
「ちんぽむ」
半場さんが仰け反る。急所に当たった。最後に言ってはならない名前を口にした罰だ。仕方がない。
「ちんぽむ」
「うう……」
三度泣こうが関係ない。君が謝るまで言うのをやめないぞ。
「ちんぽむ」
「ご、ごめんなさい……」
天裁を与えよう。貴様を罰から解放する。
店員がただならぬ空気に感づいたのか、俺たちのいる席にやってきた。二人して動揺を隠し切れない。
「ご注文の方はお決まりになりましたか?」
……そういえば頼んでませんでしたね。すいません。
†殺夜†とちんぽむはコーヒーと抹茶を頼む。そして店員が立ち去ると俺たちは悶絶した。
「て、ていうかさ……どうして本名の方を名乗らなかったんだ?」
「それはあなたが本名を名乗らなかったから……」
「そ、そうだった。俺は引野だよ。引野ヨウタ」
「ああ、ヒッキーの」
「やめろ」
それは中学の時、いじられキャラに身を置いた代償に得たあだ名だ。かわいい女の子にいじられるのならまだしも、男子の間でのみ成立していたことが悔やまれる。というかあの頃の俺は女子と会話すらままならなかったよ。だってさ、中学生とか女子と話してるだけで変な噂とか立っちゃうじゃん?
だから実は今もけっこう周りの目を気にしているのだが、学校も変わって知り合いゼロ人の状況だから少し油断をしている。半場さんはその見た目からか男女ともに慕われていた。教室の後ろでやたらデカい顔をする連中や廊下で群れる陰性植物のような連中、そんな連中の輪にすら入っていない俺とは正反対の存在。つまるところ、半場さんと俺がこうして喫茶店にいるってことそれ自体が俺にとっては大事件なのだ。
「確か、入学式から一週間くらい学校にいなかったんですよね?」
「それは今、どうでもいいことだ」
その一週間に俺はちょっと落ち込んでいて、晴れ晴れと入学式なんてやる気にはなれなかった。今思えば最初のスタートダッシュで遅れるようなことはすべきじゃなかったと後悔している。
少し思い出してしまったので軽く頭の中でまとめておこう。もちろんゴミ箱に入れるために、だ。そうだな、まず一言に要約すると、長い間メールでやりとりをしていた女の子に告白したらフラれたのだ。正確に言えば、音信不通。それまで遅くても次の日には返信が来ていたというのに、連絡が途絶えている。
豆腐メンタルの俺はギザギザハートになって四月の海に飛び込んだりしていた。その時、海女さんに助けられたことで地方紙で軽く紹介されたりなんかして、もう俺の心はすさみにすさんだ。入学式前のオリエンテーションも含めれば一週間丸々登校できる気分になれなかった。
「最初の一週間、学校に行かなかっただけでこんなに格差が出るなんてな」
だって、最初の登校日、クラスメイトから言われた言葉が、わからないことがなんでも聞いてね、なんだぜ。すでにコミュニティの外にいる前提だ。
「奇遇ですよね。私も最初の一週間ほど、学校に行けなかったんです」
「え?」
「インフルエンザにかかってしまって。ヒッキーさんの二日前が初登校でした」
クラスでお馴染みのてれてれした感じで答える。もしかするとクラスメイトに対してはいつもこんな風な接し方になるのだろうか。それと、さりげなくヒッキーって呼んでますけど、俺ってクラスでそんな風に呼ばれてるの?
「そ、そんな話聞いてないぞ」
「ヒッキーさんが誰かとお話をしているのって見たことないですし、知らなくて仕方ないのかもしれないですね」
俺は死んだ。
「どうかしたんですか?」
「……(ただのしかばねだ)」
俺は目を閉じる。脳内墓地で安らかに眠るんだ。会ったことないけどメールの彼女が天使になって俺を連れて行ってくれる。そんな想像をしながら我が半生を振り返る。恥の多い人生だったし、後悔だらけだけど、一番それが俺らしかったのかもな……。
なぜか半場さんが脳裏をチラつく。というか、額がチクチクする。なにか尖ったもので突かれているみたいだ。むしろ刺されていると言った方が近いかもしれない。
「痛いわ!」
カッと目を開けて思わずツッコミをいれた。その拍子にゴツンと頭が何かぶつかる。半場さんが頭を押さえて呻きながら椅子に戻っていく。
「うううぅ、痛い」
その姿は小動物みたいで愛らしい。
「だが、ダマされないぞ」
俺は額のつまようじを抜いて宣言した。
「なぜ刺したし」
「ふざけているのかと思ったので……」
なるほど、ノリの良い奴め~、とでも、言うと思ったか!
「ふざけていたらお前はつまようじ刺すのか?」
「……刺さないです」
半場さんは笑いをこらえているみたいだ。いやいや、笑う要素どこにもないからね。
「じゃあなんで刺したの……」
「大仏っぽかったから」
「俺、大仏のモノマネしてたわけじゃないよ?」
話の脈絡ぶち破って急に大仏のモノマネし出す人がいたらどう思う? 俺だったら額につまようじ刺しちゃ……ねーよ!
「と、とにかく、話を戻そう」
半場さんは見かけによらずクレイジーな人らしいから、このままだと俺は本当に死んじゃうかもしれない。
「ごめんなさい。ええと、ヒッキーさんと呼ばれるきっかけの話でしたっけ?」
なにそれ超聞きたい。
「じゃなくて、なんで俺たちがここで話をしているのか、だよ」
「そうだ、抹茶……」
プレーリードッグみたいに辺りを見回す。確かにちょっと来るのが遅いのかもしれないけど、本題はそこじゃないからね?
「半場さんって実は頭弱いの?」
「なにを言うんですか! 今のはボケただけです。ヒッキーさんがネカマの話ですよね」
わかりにくいボケだな。
「それと、半場さんがおっさんになりすまして援交しようとした話」
「……最悪です」
「俺もそう思う。で、一つ提案がある。さっきまで俺たち普通に会話してたじゃん。きっと争う必要なんてないんだ。だから、今回のことは秘密にして、お互い平穏な学校生活を送っていこうぜ?」
俺だってなにも考えずにあんなくだらないやりとりをしていたわけじゃない。
「良い提案ですね」
「だろ」
これで一件落着ということだな。今となっては反省してるんだ。ネカマして釣りとかもうしないよ。
そう油断した矢先、半場さんが話を切り出した。
「ただし、その提案は私とヒッキーさんが平等な立場だったら、ですよ」
気づかれてしまったらしい。
「ぼっちの俺がネカマしてたら周りからの視線は今までどおりマイナスのままだろうな。一方、半場さんはプラスの状態。それがおっさん演じて援交未遂なんてバレたらマイナスへ叩き落とされる、ということか」
「そうです。明らかに、私の分が悪い」
「だよな。じゃなかったら、広場で会った時にあんなに怒る理由ないもんな」
女子小学生に釣られる女子高生という図は普通ではない。半場さんが同性愛に寛容なのかと思っていた。
「でも、どうして半場さんはおっさんを演じて、しかも援交にまで応じたんだ?」
「それは……」
ネットで異性を演じるのはよくあることだ。相手の顔も見えないし、声も通じないから成り立つネットらしい付き合い方。小説のミスリードと一緒なんだ。
「半場さん。俺がこれから話す話は他の人には言わないで欲しい。言ったところで俺の学校での評価は今までどおりマイナスなんだろうけど、それでも人に話すようなことではないからな」
半場さんは思案する。
「いいですよ。話してください。なんとなくですが、その話を聞いたら私も自分のお話をできるかもしれません」
お互いに察していたんだろう。学校で顔は知っていても話したことのない関係。なのに話をしてみればこんなにも馬が合う。それがなぜなのかって。
俺はメールのやりとりをしていた人に告白して音信不通になったことを話した。それまでのメールのやりとりで二人が同い年だとか、相手がけっこう近所に住んでいるだとか、その子は抹茶が好きだとか知ったこと。音信不通になってから一ヶ月、俺はずっと後悔の念でいっぱいだったこと。
半場さんは俺の話を黙って聞いていた。話が終わると何度か、うんうんと頷いて自分の中の誰かを納得させているみたいだった。そうして俺に向き直る。
「……お久しぶりですね」
「ああ、久しぶり。会いたかった」
半場さんは俺の告白したメールの相手だった。
俺たちは顔を合わせるのが途端に気恥ずかしくなって喫茶店を見回したりなんかする。周りのテーブルはどこもカップルばかりだった。それを見てまた目のやりどころに困る。結局、俺は目の前の女の子を見るしかなかったし、半場さんも同じような状況らしかった。半場さんと目が合って、なにか気の利いたセリフでも言えれば良かったんだけど、そういうセリフはメール文みたいにじっくり考えないと出てこないんだ。
「あの、うん、リアルの俺、こんなで、その」
ダメだなぁ俺。
「そんな、私だって。あ、でも、海に飛び込むほど私は弾けてないです」
「……人につまようじ刺すようなこと、俺もしないよ」
似た者同士なのかもしれない。ひとしきり笑って、半場さんは居住まいを正した。
「好きだってメール、いただいた時にどう返信していいかわからなかったんです」
「いきなりそういうメール送って悪かったね」
「いえいえ。でも、いただいてからずっと悩んじゃって」
「うん」
「風邪を引いちゃったんですよ」
「それは大変だったね」
「そうなんですよ。しかもインフルエンザにもかかっちゃって」
「うんうん」
「お布団の中でずーっとぐるぐる考えてて」
「うん」
「返信しよう! って思ったら一週間くらい経ってました」
「あー、その時点で俺の携帯、海の底だわ」
「やっぱり。メールが届かなかったので……」
「俺のハンドルネームで釣りをしたんだな」
そして見事、俺を釣り上げたわけだ。
まあ、あんなひどいアカウント名、俺くらいしか使わないよね。由来は某天才作家の集団名だけど、ハンドルネームに使ってるの見たことないし。そりゃあ俺だって釣られてしまいますよ。
ちょうど良いタイミングでコーヒーと抹茶がテーブルに運ばれてくる。伝票も一緒だ。二人で千五百円くらいするみたいだが、今日の財布には万札が入っている。万札のある男子高校生をナメちゃいけないぜ。好きな子のためならこれくらいおごっちゃうんだから。
「釣り上げられた俺は、新しいスマホを買ったんだけどさ」
「はい」
「アドレス、交換しない?」
「はい!」
俺のアドレスを送る。すぐに俺のスマホの着信音が鳴った。喫茶店でちょっと注目の的。迷惑だったかもしれないけど、今の俺の姿をよく見ておくといい、みたいにも思った。
一ヶ月遅れのメールの文面は、言うまでもないよね。
俺の目の前に半場さん(俺のクラスメイトで世界一の彼女)がいた。
「ほんと、ネカマして人を釣るなんてひどいですよね」
「お前だけには言われたくねぇ」
「……最悪ですっ」
そうして、俺はポケットの中のスマホの電源を切ったのだった。
完成日は2013/11/29
推敲日の最終更新は2013/11/29
仮題は「LOVE MISLEAD」だったけど「ネカマしておっさん釣った結果wwwwww」の方がウケそうだったので変更しました。
会田誠は好きですよ。
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