ヴァールとエイダが温泉でいちゃつく一方、クスミは泳ごうとしてイスカに睨まれ、アンジェラはタオルで前を隠したまま立ち尽くしている。
「こんなにたっぷりのお湯があるなんて、贅沢すぎますわ。どうしてこんな場所がダンジョンの中にあるのかしら。いったい魔王は何を考えて」
アンジェラは呆然としている。
北ウルスラでは少ないお湯を使って身体を拭くのが一般的だ。お湯に浸かったりはしない。
「魔王様は大魔王と対抗するために、きっと冒険者を集めたいのですわ~」
しれっとイスカが答える。
「そういうものかしら……」
「さあ入って入って」
押されるようにしてアンジェラは湯に入る。
そして表情を一変させた。
「これはーー 天国ですわ!」
アンジェラは感動していた。
日頃の激務で疲れきっていた身体が見る間に癒されていくようだ。
治癒魔法の類では傷を治せても疲れはとれない。
いつもはきつめなアンジェラが蕩けるような表情を浮かべてリラックスしている。
「そう、これがアズマ名物、エルフ流の温泉なのですわ~」
イスカは満足げである。
ぷかぷかと湯を堪能していたヴァールは岩壁に扉があることに気付いた。
「あれはなんなのじゃ?」
「蒸し風呂ですわ~ 熱い蒸気で汗を流して身体から悪いものを出すのですわ」
「ほう?」
ヴァールは湯から上がって岩壁の扉を開く。
熱気が噴き出してきた。
エイダも上がってきて、
「蒸し風呂に入っていると痩せるんですよ」
「なんじゃと! 痩せては小さくなってしまうではないかや! 余は入らぬぞ絶対じゃ!」
ヴァールは蒸し風呂から逃げ出す。
エイダはこのところさらに大きくなってきた自分の胸を眺めて、
「あたしは入っていきます」
真剣な顔で蒸し風呂に入る。
しばらくしてからエイダが出てきた頃には、ヴァールはすっかり湯だってしまっていた。
ふらふらしているヴァールの小さな手を引いてエイダは温泉を出る。
籠の間に戻って、ヴァールの髪をタオルで拭く。
籠の間には椅子と鏡が並んでいて、熱風を噴き出す魔道具も置いてあった。
エイダはヴァールを座らせ、その長い赤髪に熱風を当てて乾かす。
「ここを作るのにずいぶん魔力を使ったようじゃが、本当にこれは赤字にはならぬのかや?」
小声でヴァールが言う。
「大丈夫だヨ」
小さな声が答える。
見ると、エイダの服を入れた籠からのそのそと小さなビルダが這い出てきた。
「この風呂で使った体力は魔力に転換されて迷宮に吸収される仕組みだからネ。特に蒸し風呂はたくさん体力を使うから効率的だヨ」
「蒸し風呂に入らなくてよかったのじゃ!」
魔力を取られてなるものかと、ヴァールはぎゅっと自分を抱きしめる。
「それに、この温泉によってダンジョン来訪者は四百パーセントに増加する想定です。観光客が二百五十パーセントと大半を占めますが、冒険者も百五十パーセントに増えるので、温泉の分を差し引いても魔力は増収になります」
「うむ、そういう話じゃったな」
「地下六階まで観光客は有料のテレポーターを使ってきますから、その収入も大きく見込めます」
「近頃は街の整備になにかと物入りじゃからのう。助かるのじゃ」
警ら署の運営や上下水道の整備など、都市らしい設備を整えるためにずいぶんと予算がかかるようになっていた。
もはや冒険者ギルドがやる域を大きく超えている。
「なんといっても目玉の温泉、泳げる!流れる!南国大水浴場がありますから、集客効果は抜群です!」
エイダは目を輝かせて説明する。本人も楽しみにしている一大企画である。
「アタシが精魂込めて構築したからネ」
ビルダも自慢げだ。
やがてアンジェラやイスカ、クスミも温泉から上がってきた。
「これから毎日来ようかしら」
すっかり艶々になったお肌にアンジェラは感動している。
その様子にイスカやクスミも満足げである。
「エルフ伝統の温泉を気に入っていただけてうれしいですわ~」
ヴァールの長い赤髪が乾き終わると、エイダはいそいそ着替えを持ってきた。
「どうぞ、お召し替えください」
「これは…… 懐かしい…… ユカタかや」
「はい、イスカさんが用意してくれました!」
エイダは子ども用サイズの浴衣をヴァールに着せる。
白い布に藍色の花模様が染められている。
ヴァールの赤髪によく似合っていて、エイダは見とれた。
「イスカ姉が撮っていいって」
クスミが撮像具をビルダに返す。
「やった!」
エイダはヴァールにポーズをとらせて、あらゆる角度から撮像する。
「最高です! なんてかわいらしい! そう、そのお顔、たまりません!」
さすがにヴァールが疲れてきてイスカが制止するまでエイダの撮像タイムは続いた。
イスカが苦笑いしながら、
「撮った中からとっておきを選んで、温泉宣伝のポスターを作って作りましょう」
「ぽすたあ?」
ヴァールが首を傾げる。
「大きな紙にヴァール様の浴衣姿を印刷して、街中に貼るんです。ああ、すばらしい! でもどの撮像を使ったらいいのか、そうだ、全部使えば……」
エイダがすっかり自分の世界に入り込む。
「エイダ、そろそろ大水浴場を見たいのじゃ」
そう言われてようやくエイダは我に帰った。
一行はぞろぞろと籠の間を出て、三つ扉の前に戻ってくる。
そこにハインツとズメイが立っているのを見て、ようやく待たせていたことを思い出した。
「ずいぶんと時間がかかったな」
ハインツがアンジェラを向いて、不機嫌に言う。
「調べることがたくさんあったから仕方ないかしら」
アンジェラは軽く受け流す。
「この男湯は調べずによいのですかな」
ズメイは静かに問うが、
「今度にしましょう」
これもイスカが軽く流す。
「さあ、早く行くのじゃ」
ヴァールが混と書かれた扉を開く。
中からは明るい光があふれ、潮の匂いが流れ出てきた。
一行は中へと進む。
「これは……!」
ハインツは感嘆の声を漏らす。
「まさか、こんな」
アンジェラも驚きに目を見開いている。
ダンジョンの中に砂浜が広がり、その先にははるか水平線まで続く蒼い海。
南国のような強い日射しが一行を焼き、優しい風が肌を撫でる。
海は静かに波を寄せては返し、白い砂浜を濡らす。
砂浜には南国の木が生い茂り、木造りの小屋が並んでいる。
小屋には海の家と書かれた看板が掲げられていた。
「なんてこと、これが魔王の魔法なのかしら。こんな広い空間がダンジョンの中にあるなんて、空間の圧縮? 転移? それとも幻影なのかしら」
アンジェラは呆然としている。
「すごいのじゃ!」
ヴァールも目を輝かせている。
エイダの肩に乗っているビルダはそんな様子に満足そうだったが、
「あれれ、なんだかおかしいヨ。強い魔力反応が多数あるネ」
海の家から巫女たちが駆け出してきた。イスカに集まる。
「大変です、海が占拠されました!」
「なんですって?」
静かな蒼い海にいくつもの渦巻が生じる。
渦巻は潮を噴き上げて竜巻となり、穏やかだった浜辺に強い風が吹き荒れ始める。
木々が音を立てて揺れ、砂が飛ぶ。
渦巻から上がってくるものたちがあった。
太く、長く、巨大なそれらは鱗を煌めかせ、咆哮する。
竜巻をまとって空に昇ったのはまさしく龍。
海龍の群れが海上に姿を現していた。
蒼い龍、翠の龍、碧の龍、様々な龍がいる。
中央にいるのは一際美しい金龍だ。
「姫……」
ズメイが言葉を漏らす。
金龍は大きく咆哮し、海が震える。
そして言葉を発した。
「あたいはジュラ、東海龍王の娘にして魔王と契りを結んだ妹! はるばるヴァールお姉ちゃんを助けにやってきた! そこの小娘が勇者でしょ、あたいがやっつけてやるもん! 勝負しろおお! それとズメイ、裏切り者、叩っ切ってやるからその首を洗えええ!」
さらに咆哮。
他の龍たちも、
「姫様万歳!」
「龍王軍万歳!」
と叫んだ後に大咆哮。
うるさいことこの上ない。
金龍は大きな眼で空からヴァールをにらみつける。
ヴァールは目をぱちくりしてつぶやいた。
「あの小さかったジュラじゃと……」
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