仮面を外したレイの宣言に、ヴァールは目をぱちくりさせる。
「婚姻…… じゃと?」
エイダはレイの前に立ちはだかる。
「王だとか婚姻だとか、ふざけないでください! 王様がこんなところに一人で来たりはしません!」
ヴァールは困惑した表情でズメイに、
「人間が言うところの婚姻とはどういう意味かや?」
「愛し合う男女が夫婦の契りを結んで家族となり、二つの一族を結びつけるという意味でよろしいかと」
「やはりそうじゃよな」
ヴァールはレイに目を向けて、
「汝とは愛し合っておらぬから婚姻は無理じゃ」
仮面を外したレイはまさしく美青年。長いまつげに切れ長の目、整った鼻と唇、それらがまとまって、完璧なまでの美貌を作り上げている。
多くの者の心を鷲掴みにしてきたであろう微笑みを浮かべたレイは、
「王と王の愛とは、男女の愛を超える国同士の愛。考えてもみたまえ。君の街は国の形を持たず不安定な状況にある。そこにつけこんだ男爵は自分の領土だと主張している。このまま男爵に下るか?」
「絶対にお断りじゃ」
「そうであれば、いずれ戦争するしかあるまい。戦争になれば男爵との争いではすまないぞ。下手をすれば連合王国の全軍を相手取ることになる。どれほどの死者が出るか……」
ヴァールの脳裏にかつての戦乱の有様がよぎる。
「余は戦争など望んでおらぬ!」
「今、ヴァリア市の統治という巨大な利と力が宙に浮き、国家の釣り合いが揺らいでいるのだよ。このままでは安定を求めて力と力が衝突するのは避けられない。それが私と婚姻することで落ち着き先を得て、北ウルスラ王国の王妃という正式な法的地位も掴むことができるのだぞ。堂々とこの地を統治するがいい」
「汝は何を得るのじゃ」
「この地の平和と美しい妻だよ」
きっとなってエイダが叫ぶ。
「こいつは詐欺師です! 甘い言葉でヴァール様を手に入れようとしているんです!」
「私が語っているのは全て真実だ」
「余の利と汝の利が釣り合わぬ。汝が語るのは真実かもしれぬが言葉を尽くしてはおらぬであろ」
「ふふふ。降参だよヴァール」
レイは服から魔法板を取り出した。
「見たまえ」
「これは……!」
エイダは絶句する。
魔法板に映っているのは三百年前の魔王ヴァールを描いた絵である。
「私がこの絵を見たのはほんの子どもの頃だった。そのときから私は魔王に憧れ、心を捉われてきたのだ。美しい魔王と私、どれほど似合いのつがいとなることだろう。しかし魔王は三百年も前に封印された伝説の存在。しょせん諦めるしかないと思っていた時に、魔王復活の報せだ。私は確信したのだよ、これは結ばれる運命だと! 今は幼い姿だが、いずれまたヴァールはこの姿を取り戻すはずだ!」
エイダは苦い顔をして、
「無礼です! 今のヴァール様を無視しているじゃないですか! 今のヴァール様はこんなにこんなにかわいいんですよ!」
エイダも魔法板を取り出してレイに突きつける。
「見なさい! このとっておきの御姿を!」
魔法板に表示されているのは最近のヴァールを撮像したものである。先日、温泉に行った時の浴衣姿だ。
「確かにとてもかわいらしい。だが、美しさはこちらだ」
「美しさは否定しません! でも今のヴァール様はこちらなんです!」
魔法板を突きつけあうレイとエイダ。
ヴァールは気まずい顔をしている。
そこに聖騎士の一団がやってきた。
先頭は聖騎士指揮官のハインツだ。
「勇者殿、そこにおられたのですね。墓所でお待ちしていたのですが、なにか問題でも生じているのではとお迎えに参上しました」
「う、うむ、ご苦労なのじゃ」
その場の妙な雰囲気を感じ取って、ハインツはエイダとレイに目をやる。
ハインツはレイを凝視した。
「いや、まさか、しかし、こんなところに」
言葉をもらすハインツに、
「おお、ハインツではないか。久方ぶりだな」
レイは気さくに声をかける。
「レイライン陛下!」
ハインツはレイの前に片足を跪く。聖騎士の最敬礼だ。
「直るがいい」
「はっ」
ハインツは立ち上がって、
「護衛は付けておられないのですか」
「極秘の国際外交でね」
ハインツは王への対応に困惑する。
聖教団は王国から独立した権力であって、そこに属する聖騎士団は国王の臣下ではない。
とはいえ、はるかに身分が上の存在だ。
十二分な配慮をもって対応せねば大変な問題になってしまう。
北ウルスラ王国は一枚板ではない。老いた先王を補佐していたダンベルク宰相が強大な権力を握っている。
先王の薨去に伴い、つい先日に若くして即位したレイライン王は権力を王の元に取り戻そうと動き始め、宰相との間に軋轢が生じていた。
聖騎士団としては宰相と王の政争に巻き込まれないよう距離を取っていたつもりだった。
それが単独行動している王と遭遇してしまった。
王の妙な行動が宰相との間になんらかの問題が生じた結果としか思えないハインツは、どうやれば巻き込まれないかを考えかけて、はっと気付く。
この王は俺たちを巻き込むためにやってきたのだ。
ハインツの真剣な様子を見たエイダはまさかという表情で、
「ハインツさん、この人は本当に……?」
「北ウルスラ国王、ウルス=レイライン陛下であらせられる」
「えええ!?」
エイダは驚愕する。
「こんなに変な格好で、侍だとか名乗って、ヴァール様に婚姻を突然申し込んだりする人が、王様!?」
エイダは頭脳を高速回転させて状況を整理する。
一、自分はアズマからの留学生であって、この王の臣民ではない。
一、魔王研究の予算を出してくれたのは聖教団のサース枢機卿であって、王国ではない。
一、だからこの人の言うことを聞く義理なんてない。
一、ヴァール様への欲望丸出しなこの人は気持ち悪い。
結論を出したエイダは、
「誰だろうと、ヴァール様との婚姻は認められません、却下です!」
ハインツは怪訝な顔で、
「婚姻、誰と誰がだ?」
ヴァールが答える。
「レイが余と婚姻したいのだそうじゃ」
「その通りだよ」
レイも相槌を打つ。
ハインツは大きく首を傾げる。
「いや、しかし、陛下は女性にあらせられる」
「はあ?」
エイダは思わず声を出す。
「女王が女性と婚姻するだなんて、ありなんですか?」
レイラインはにこやかに、
「問題ないぞ。言っただろう、王と王の愛とは男女の愛を超えると」
「でも、跡継ぎとか」
「子どもはどうにでもなる」
「えええ、でも、やっぱり変です。絶対に許しませんから!」
「君に言われる筋合いはないように思うのだが」
「あたしは伴侶ですから!」
端で聞いていて訳が分からなくなっていたハインツは、考えるのを止めた。
「ヴァール殿、墓所まで案内いたします」
「あ、ああ、そうじゃな」
先導するハインツにヴァールはついていく。
ズメイも無言で続き、置いていかれそうになったエイダとレイラインが追う。
地下都市の街路を北に進むと建物が段々とまばらになっていき、やがて低い塀に囲まれた広場に至った。
広場には無数の墓石が並んでいる。
墓石の間をしばらく進んだ先には、巨石が円状に立ち並んでいた。
その中央には地下への階段がある。
入口を無理に開いたせいか、周辺には石くれが散乱している。
下からの冷気が漂ってきて、ヴァールが寒がっていないかとエイダは心配そうに見やる。
ヴァールは怒りの表情で熱くなっていた。
「よくも荒らしてくれたのう」
ヴァールは目をつぶってしばらく祈りをささげた後、先頭をきって地下への階段を降り始める。
レイラインに目をやって、
「汝が真に平和を望むのであれば、ついてくるがよい。ただしじゃ、ご先祖への礼を失すれば容赦せぬぞよ」
レイラインは優雅に一礼した。
「安心してくれたまえ、君と婚姻すれば私のご先祖ともなる方々だ」
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