62.突入
◆男爵城 地下水路 トンネル前
アンジェラとサースが見つけた地下水路は水門でせき止められており、その先にはトンネル。
トンネルは北のヴァリア市へと続いているようだ。
水門が開けられたら膨大な水がトンネルに流れ込み、そしてヴァリア市の地下に造られた通路を水で埋め、さらには市全体を水浸しにしてしまうだろう。
男爵がヴァリア市地下に造らせた通路を冒険者ギルドは探索中のはずだ。
そこに水が流し込まれたら聖騎士や冒険者たちは全滅しかねない。
アンジェラは神官服のポケットから小型の魔法板を取り出して、ハインツに連絡しようとする。
「つながらない! 結界が張られている場所にいるのかしら」
「ハインツもヴァリア市の地下に降りているのかもしれんな」
地下通路の存在を隠すため男爵は結界を張っていたに違いない。その中にいては、魔法板での連絡は取れないだろう。
この男爵領から北辺の森に入ってヴァリア市まで行くには馬でも数日かかる。
ハインツがさっさと地下通路から出てきてくれればいいが、地下深くまでの探索となっていた場合、泊まりがけということもありえる。
「ハインツの馬鹿!」
アンジェラが悪態をつく。
「静かに」
サース枢機卿が口と耳を指さして見せる。
トンネルの方から地響きのような音が聞こえてくる。
音は段々と大きくなってくる。
地面を重く踏みならすような音の連なり。
トンネルを通って大勢がやってくるのだ。
サースは指で地下水路を示した。
彼は音もたてず暗い水の中に入っていく。
頭だけを水上に出して隠れた。
アンジェラは瞬きする。
自分の白くきれいな神官服と暗い水を交互に見る。
足音はますます近づいてくる。
サースの目つきがさっさと来いと言っている。
アンジェラは心の中で思いっきり悪態をつきながら水中に沈む。
冷たく気持ち悪い水に全身が浸る。
長く艶やかな金髪も水浸しだ。
この行動を選んだのはおじいちゃんではなくサース五世だと、アンジェラは確信する。
おじいちゃんだったらこんなひどいことを孫にはやらせない。
サース五世は十一歳の少年、見た目はかわいらしいが底意地は悪い。
祖先四代の記憶を背負わされれればそうなるのも仕方ないとは思う。
サース四世、つまりサース五世の父にしてアンジェラにとっての伯父が病に斃れ、まだ幼い五世が記憶継承することになったのだが、それ以前の五世はアンジェラによく懐いた愛らしい従弟だった。
しかし記憶継承して五世となってからの彼は冷酷なまでに冷徹な指導者だ。
見た目で彼を舐めた者はことごとくひどい目にあわされている。
北の地を流れるノルトン川の流水は身を切るような冷たさだ。
震えるアンジェラに対してサースは微動だにせず水に浸かっている。
どうしてこんな目にとアンジェラは運命を呪う。
サースを呪うのはしっぺ返しが怖いし、おじいちゃんに悪いので止めておいた。
トンネルから大勢が上がってきて、地下水路脇の通路を通っていく。
鬼魔族だった。
身長三メル近い巨人たちがのし歩いていく。
彼らは会話一つすることなく、意志を感じさせない。
とりわけ大きな鬼がやってきた。
身長だけでなくその鋼色の筋肉も一際大きい。
周囲を圧する迫力がある。
サースはまんじりともせずにその鬼を見つめている。
巨大な鬼が過ぎ去り、続いて人の声が近づいてきた。
「いよいよでございますな! 遂に水路も完成、後は水門を開けば邪魔な冒険者たちも水の底に! ざまあみろでございます」
「ふはははは! 鬼を暴れさせてからこの私が鎮圧してみせる作戦はあのちび勇者に邪魔されたが、次の手を用意しておくのが智将というものよ」
「後はネクロウスからの合図を待つばかりですな!」
「憎っくき勇者が地下に入ったところで水門を開いてやるぞ、がはははは!」
会話は遠ざかっていき、やがて地下水路は静まり返った。
サースは水から素早く上がる。
「まさか、あの鬼王とはな」
サースはつぶやく。
アンジェラは水をぼたぼた垂らしながら通路に這い上がる。
アンジェラの白かった服はすっかり灰色に染まり、水で身体に張り付いている。
「うええ」
アンジェラは苦虫を噛み潰したような顔だ。
「勇者をやらせるわけにはいかんなあ」
サースが強く言う。
「でも連絡がつかないのよ」
「直接伝えるほかあるまいて」
サースはトンネルまで歩いて足を踏み入れる。
「ふうむ、思った通りではないかい。アンジェラも来てみい」
アンジェラはトンネルに入って怪訝な顔をする。
「なに、このめまいみたいな感じ……?」
「空間圧縮の魔法だな。このトンネル全体にかかっているのではないかい」
「つまり、ここを通れば森を抜けるよりも早くヴァリア市に着くの?」
「そういうことだなあ」
アンジェラは目を見開く。
「でもそれって、ここに水が流し込まれたらすごい勢いでヴァリア市まで届くってことじゃないの?」
「そうなるだろうなあ」
「早く行かなきゃ!」
そこでサースの顔付きが暗く変わった。
「おい、勇者に会いに行くのは許さんと言ったはずだ」
「止むを得んではないかい」
サースの言葉にサースが返事する。
「勇者だったら自力でなんとかさせろ」
「ちょっと、サース五世猊下」
そこでアンジェラが割り込む。
「ハインツたちはおぼれ死んでもいいっておっしゃるのですか」
「そんなことは言っていない」
「でもそういうことですよね?」
「他の手があるはずだ」
「トンネルをふさぎますか」
「こんな大穴をか? 無理だ」
「男爵を倒しますか?」
「今の我々にそんな戦力があるか。あの鬼を見てよくそんなことが言えるな」
「わかりました。私一人で行きます」
「……」
サース五世はトンネルの奥へと歩き出した。
しばらく歩いてから振り返り、
「どうした、行かないのか」
「ありがとうございます、猊下!」
二人はトンネルを北へと進む。
「いいか、俺は勇者とは会わないぞ。絶対だからな」
サースの言葉にサースが返事する。
「お前さんはそう思うておればよかろうて、なあアンジェラ」
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