新商業地区のビル一階。
そこに掘られていた穴から飛び出てきた鬼魔族《オーガ》と対峙するは狼魔族《ウェアウルフ》のヴォルフラム。
「ボス、そいつを連れてビルから出てください」
鬼の突撃をさえぎるように動きながら、背後のヴァールとジュラに告げる。
「うむ」
「あたいがやっつけるのに! 狼に鬼の相手は無理だよ!」
叫ぶジュラをヴァールは引きずり出ていこうとするが、似たような小さな体格とあって抑えきれない。
「ええい、遊びでヴォルフラムの仕事を邪魔するでない!」
「遊んでないもん!」
ヴァールが魔法で拘束しようとすればジュラも力を開放するだろう。こんなところで金龍が暴れれば大参事だ。
ヴァールはしばし思案して、ジュラのわき腹に手を伸ばした。
「な、なにをするんだよ、ひゃ、うひゃひゃひゃ!」
ジュラはわき腹をヴァールにくすぐられて笑いだす。
力が抜けたジュラをヴァールはずりずりと引きずって外へと向かう。
「や、やめろお! うおおお!」
「おとなしくするのじゃ!」
「やだあああ! あいつやられちゃうよおお!」
声が遠ざかっていくのを背後に感じてヴォルフラムはほっとする。
鬼の背丈は三メルほど。一般には背が高いほうであるヴォルフラムが二メル弱。大人と子どものような体格差だ。
ヴォルフラムは慎重に様子を見る。
このところ彼の戦歴はさんざんだった。
頭に血を昇らせて女性を殺しかけ、ようやく会えた仇のルンには突撃したあげく一瞬で返り討ちにされてしまった。
これではまるで狼どころか猪だ。
ルンの力はあまりにも圧倒的だった。
数百メルもの巨像を砕き、天変地異を起こして星を降らす。
勇者とは神の領域にある存在なのだと思い知らされた。
あれが冒険者の頂点だとすれば、自分がどれほど鍛えてもあの域に達する日が来るとは思えない。
おりしもヴァリア市では警らの仕事が募集開始されて、進む道に悩んでいたヴォルフラムは手を上げたのだった。
組織で捜査して組織で捕縛する、警らのやり方にヴォルフラムはすぐ馴染んだ。
意外だったが当然のことでもあった。
ヴォルフラムは狼魔族、群れで狩りをする一族なのだ。
今、ヴォルフラムは鬼と一対一の状況にある。
強敵を前にヴォルフラムの頭は冷静だ。
これは決闘ではない。
自分は警ら部隊の最前線にいる斥候だ。
であればどう動くべきか。
守るべき者を危険から遠ざけ、そして。
鬼の眼に意志は感じられない。ただ殺気がある。
鬼の巨体が無造作に迫ってくる。
そのまま進ませてはヴァールたちに近づかせてしまう。
ヴォルフラムは跳躍した。
鬼の頭頂に乗る。
鬼は唸りを上げて両腕でヴォルフラムを掴みにかかる。
ヴォルフラムは鬼の背側に跳んで逃げた。
鬼は振り返る。
ビル一階の奥に逃げるヴォルフラムを鬼は追ってくる。
鬼の誘導は成功だ。
鬼は床を蹴った。
まるで木の床が土ででもあるかのようにえぐり取られ、破片が散弾のようにヴォルフラムに襲いかかる。
「ちいっ!」
ヴォルフラムは拳で大きな破片を弾くが、小さな木片が鋭く足や腕に刺さる。
建物の外から、やっぱりあいつは弱いよ助けなきゃというジュラの声が聞こえてくる。
ヴォルフラムは苦笑しながら全身に魔力を込める。
みるみるうちに体毛が伸びて手足や顔が人狼の姿に変化していく。
刺さっていた木片は抜け落ち、傷はたちまち治癒した。
体格が一回り大きくなったように見える。
人狼化に対応している服は破れることなく伸びてぴっちりと合っている。
体には力が満ち溢れる。
「今までだったらすぐに突撃していたところだが……」
高揚する気持ちをヴォルフラムは落ち着かせる。
服の背中内側に隠していた捕縛道具をヴォルフラムは取り出した。
丸く束になった革ひもだ。
のしのし近づいてきた鬼は太い右腕を大きく振りかぶって殴りかかってくる。
ヴォルフラムの手から革ひもが飛んでその右腕に巻き付いた。
鬼は気にせずそのまま殴ってくる。
ヴォルフラムは攻撃をかわしながら革ひもをふわりと伸ばす。
革ひもは鬼の首に巻き付いた。
鬼が殴ろうと手を伸ばしたせいで、革ひもは引き絞られて鬼の首に強く巻き付く。
鬼は革ひもを両手で掴んで引きちぎろうとした。
だが革ひもは柔軟に伸びる。
そして鬼が手を離すや縮まり放電した。
青白い電光が鬼を包む。鬼は咆哮する。
「そいつは魔道具でな、伸び縮みさせるとその力を雷属性に転換する」
鬼が電撃で痙攣している間にヴォルフラムはすばやく動き、鬼を革ひもでぐるぐる巻きにした。
鬼が拘束を外そうと身じろぎするたびに電撃が発生して鬼を襲う。
「なんだよ、やるじゃん!」
外でジュラが叫んでいる。
「まだ油断はできぬぞ」
ヴァールが見守る。
鬼は目を血走らせて、全身の筋肉に力を込める。
筋肉は膨れ上がる。
革ひもは伸びて、千切れることはない。
放電はより激しくなっていく。
電離した空気の臭いがヴォルフラムの鼻をつく。
鬼がヴォルフラムへと手を伸ばす。
その指先に輝く光球が生まれた。
光球はたちまち大きくなって直径一メルほどにもなる。
ヴォルフラムは計算違いを悟る。
鋼の身体を持つ鬼魔族の中には雷を操る者がいるという。
こいつがそれだ。
電撃によってわざわざ鬼に力を与えてしまった。
鬼が咆哮すると光球は指先からヴォルフラムへと飛んだ。
光球は莫大な電気容量だ。触れた生物は黒焦げになるだろう。
高速に迫ってくる大きな光球を避けることは不可能。
ヴォルフラムは両腕で構え、死の光球を見据える。
澄み切った心と引き絞られた力。
心の中に蒼く輝く三日月が見えた。
ヴォルフラムの爪先が三日月を描く。
月光が光球を切り裂き散華させる。
光が部屋の中を白く染め上げた。
「見事じゃ!」
ヴァールが感嘆する。
ジュラは見とれている。
ヴォルフラムはつぶやく。
「これが本物の月影斬だ。そうだよな、団長」
そこに警ら隊がなだれ込んできた。
クスミを筆頭にしたエルフたちと狼魔族だ。
対雷装備の鎖が鬼を巻き、鬼の放電は鎖から床に刺さった楔へと流れ去る。
鬼は完全に拘束された。
「助かったぜ、クスミ」
ヴォルフラムは礼を言う。
「戦いながらの状況報告、やるです!」
クスミは感心している。
ヴォルフラムは鬼と対峙しながら状況を魔法板に書き込み続けていた。
鬼の雷属性を知った警ら隊は急ぎ対雷装備を整えてからかけつけたのだった。
「これが警らの戦い方だろ」
ヴォルフラムは人間の姿に戻っていく。
「やるじゃん! 気に入ったよ案内人!」
ジュラはヴォルフラムに飛びつかんばかりだ。
ヴォルフラムはやれやれといった様子で言った。
「案内人じゃねえよ。俺はヴォルフラム、警ら隊だ」
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