かつて、その美しさは妖魔一とうたわれた魔王ヴァール。
彼女は封印されて異次元に閉じ込められている。
永い時の中で魔王はひたすらに待っていた。
いつか封印を解く者が現れると信じて。
魔王はかつて人間の勇者と何度も剣を交えた。
やがて互いを知り、遂には憎しみを超えて絆を得た。
そして魔王国と人間の王国は和平条約を結ぼうとした。
魔王は自ら魔法を封じて会談の場に臨んだ。
そこで何者かによる血みどろの殺戮が行われ、魔王自身も封じられようとは。
誰かが裏切った。
王国の人間か。
和平に反対する魔族か。
封印の中でいくら考えても答えにはたどり着けぬ。
だがいつの日か封印を解いて外に出ることが能わば、必ずや八つ裂きにしてくれよう。
魔王は待ち続ける。
そして長く待ったかいはあった。
時がついに訪れたのだ。
結界が小さく揺らいだ。
封印結界に外部から干渉されている。
誰かが魔力を加えているのだ。
決して内部からは破れないように構築されている多重封印だ。
しかし外部から強く干渉されれば術式は乱れる。
封印破りの魔法陣を外界の誰かが駆動している。
魔王はほくそえんだ。
手下の誰かだろう。ここを出たら褒美をくれてやる。
魔王はこの時のために貯めておいた莫大な魔力を歪んだ結界にぶつける。
外部からの干渉と合わさって結界はさらに大きく歪む。
惜しむことなく魔力を放出する。
外部からの干渉は十分ではない。
下手をすれば封印結界はすぐに再構築されてしまうだろう。この機会に賭けるのだ。
魔王は己の身体を魔力に変換して歪みにぶつける。
魔王は全身が燃え上がるような苦痛にさいなまれる。
全ての魔力を失えば魔法生命である魔王の存在も消失するだろう。それでもやるしかない。
言葉にならない絶叫を上げながら、己自身を結界にぶつけたときだった。
遂に術式が完全崩壊した。多層の封印結界が内殻から次々に弾け飛んでいく。
結界を支えてきた術式が異次元に散る。
連鎖反応の末にとうとう最後の結界が消えた。
封印空間から現世へと魔王は時空を超えようとする。
空間の裂け目に魔王は手をかける。
小さな裂け目を力の限りに引き裂く。
裂け目からは魔王を押し戻そうとする膨大な力が流れ込んでくる。
再び閉まろうとしていく裂け目へと、魔王は力の限りに身体をねじ込む。
荒れ狂う稲光と凄まじい暴風が魔王の前進を妨げんとしている。
魔王は言葉にならない叫びをあげて進む。
魔王の身体が現世へと姿を現していく。
手が、頭が、身体が、足が、裂け目を潜り抜けた。
魔王は現世へと落ちる。
裂け目は一瞬で閉じ、暴風も消え失せる。
床に大の字で倒れた魔王は喘いだ。
冷えた床、喉を刺す冷たい空気。久方ぶりの呼吸。
「余は還ってきた!」
魔王は叫ぶ。
しばらく時が過ぎて呼吸が落ち着いた魔王は、よろけながらもなんとか立ち上がった。
魔王は周囲を見回す。
さて、ここはどこか。
魔王が出現した場所の床には真新しい魔法陣が描かれている。
石造りの床、薄暗く広い空間、かび臭く冷たい空気、
懐かしい。ここは魔王城の大広間、魔王が封印されてしまった場所だ。
だがおかしい。
誰もいない。
並ぶ魔物像にはほこりが積もっている。
毎日毎晩のように絢爛豪華な宴を繰り広げた大広間は静まり返っている。
床に人間が倒れているのを魔王は見つけた。
まだ若い娘だ。
ツインテールの金髪、日に焼けた肌、顔には眼鏡をかけている。
茶色いチュニックの上着と半ズボンで、動きやすそうな服装をしている。
上着を大きく盛り上げている胸はゆっくりと上下している。生きているようだ。
この広間にいるのは魔王とこの娘だけ。
魔王は娘の側で膝をついて、娘の頬をつついてみる。
娘はすっかり魔力も体力も枯渇しているようだ。このままでは死んでしまうかもしれない。
他に誰もいないところから見るに、この娘が魔王の封印を解いたのだろう。
「余の手下ではなく、なぜ人間が?」
魔王はつぶやく。
現世に戻ったら勇者に復讐して人間は滅ぼしてやると魔王は誓っていた。
とはいえ、この人間の娘は恩人。
「情報を得ねばならぬからのう」
魔王は自分に言い訳しながら娘の胸に手を当てて、残り僅かな魔力を流し込む。
「ん……」
娘はあえぎ、ゆっくりと目を開いた。
目の焦点が魔王の顔に合う。
さっきまで死にそうだった娘は勢いよく上半身を起こした。
「え、え、もしかして魔王様? すごい、なんてかわいらしい! 魔法陣に魔力を吸い取られてもう死んじゃうって思ったけど、やった、成功した!」
娘は堰を切ったように話し出す。
「あたし、魔法歴史学研究者のエイダ・タチバナです! あたしは美しい魔王ヴァール様の伝説が小さいころから大好きで、魔王城には魔王様が封印されているという伝説を信じて、古代魔法を調べて、封印解除の魔法陣を構築して、ああ、やった、皆からそんなこと無理って言われたけど、やっぱり伝説は本当だったんだ!」
エイダと名乗った少女は青い目を輝かせている。
魔王は驚いた。
このエイダとやらは人間の宿敵とされた魔王を恐れもしないどころか封印まで解いてしまったのだ。使えるやもしれぬ。
「いかにも余は魔王ヴァール。封印を解いてくれたことに礼を言うぞ。汝はどのような褒美を望むかや」
「お話をたくさん聞かせてください!」
「……そんなことでいいのかや? まあ好きなだけ聞くがよかろう」
国のひとつぐらい要求されると思っていた魔王は目をぱちくりさせる。
「ありがとうございます!」
エイダは魔王の手をとって、ぶんぶんと上下させる。
魔王はいぶかしんだ。
この小娘の手よりも自分の手が小さい。
魔王はエイダの豊かな胸を見た後に、己の胸を見下ろして気付いた。
あのたおやかなる曲線美を描いていた双丘がない!
胸が完璧なる絶壁!
「な、なんじゃこれは! 鏡はないか!?」
「ええと、これでどうでしょう」
床に置いていた荷物袋をあさってエイダは小さな手鏡を取り出し、魔王に渡した。
魔王は手鏡を覗き込む。
そこにはかわいらしい幼女が映っていた。
カールした赤髪が腰まで伸びて、抜けるような白い肌で整った顔立ち、くりくりとした目に大きな金の瞳が愛らしい。
魔王はくらりとした。
「妖魔一の美女とうたわれし余がちんちくりんに!」
自らの身体を魔力に変換していった結果、残ったわずかな魔力で構築できたのは幼女の身体だったのだ。
「ううう」
魔王はショックでペタリと座り込む。
「妖魔一どころか世界で一番かわいらしいですよ魔王様!」
エイダはレンズの付いた道具を取り出し、魔王に向けて、
「パシャリ!」
唱え始める。
「なんじゃ、それは!?」
「画像や映像を写して記録できる魔道具、撮像具です。パシャリの呪文で発動します」
「なんじゃと…… 魔道具をこれほど小さく作ることができるのかや。魔法陣はどこに書かれているのじゃ」
「あ、これは現代魔法で記述されていて、魔法陣は要らないんです。魔術言語で組まれたプログラムが記録されていて、それを呪文でコールするだけです」
「なんという……」
三百年経った世界の変化に魔王は驚愕する。
かつては魔王国が魔法研究の最高峰であり、数々の魔法陣が魔族によって生み出されていたというのに。
「しかし、その方法では呪文と道具がなければ魔法を使えないのではないかや? 高度な術を魔法陣から瞬時に繰り出せずして魔法使いと言えるかや」
「誰でも簡単に使えるほうが受けるみたいなんです。古代魔法の研究者としては、魔法陣のすばらしさもわかるんですけど」
「古代じゃと!」
自分が生きていた時代を古代扱いされて魔王はショックを受けた。
そんな魔王の動揺をさておき、エイダは撮像を続ける。
「いいです、最高にかわいいです、ああもう辛抱たまらない、抱きしめていいですか」
魔王の返事を待つことなく、エイダは魔王をぎゅっと抱きしめようとする。
エイダの大きな胸を顔に押し付けられかけて、
「ええい、止めよというに!」
魔王は新たに誓ったのだった。
なんとしても魔力を回復してあの美しき身体を取り戻すのだと。
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