◆ゴッドワルド男爵領
北の辺境を流れるノルトン川。
そのほとりにゴッドワルド男爵領の町がある。
貧しく寂れた町に囲まれて男爵の城塞がそびえ立つ。
普通は城壁で町を囲って守るものだが、ここでは城塞のみが囲われている。
城壁のあちこちには見張り台。兵士が立って周囲を監視している。
辺境とはいえ魔族との戦いがなくなって久しいのに何を恐れているのか。
城塞をさぐるために残ったアンジェラはこの警戒態勢をいぶかしんでいた。
この男爵領に鬼が出て暴れているから助けてほしいとの連絡を受けて、聖騎士団指揮官のハインツと女神官アンジェラは男爵領の聖教団寺院を訪れた。
しかし鬼はおらず、逆にヴァリア市で鬼が暴れているとの報せが入る。男爵がヴァリア市の領有権を主張しているとの情報もあった。
ハインツは鎮圧のために急いでヴァリア市に戻り、アンジェラは状況解明のために男爵領に残ったのだった。
各地に進出しては寺院を建立してきたアンジェラにとって地域の聞き込みは慣れたものだ。
鬼対策を建前に、町を回っては男爵の話を聞いて回る。
秋の日差しはうららかなのに、町は寒々しい。
大人の男は兵士に徴発されて数が少ない。
代わりによそから入ってきた人相の悪い荒くれ者たちが徘徊しており、町の雰囲気を殺伐とさせている。
彼らは男爵に雇われた私兵で、権威をかさにきた乱暴なふるまいが目立つ。
さすがに聖騎士の護衛を引き連れたアンジェラにまで手を出してくることはなかったが、野卑な冗談を飛ばしてきてアンジェラを苛立たせた。
聞き込みによると、やはり以前は鬼魔族が暴れたこともあったがここしばらくは姿を見ていないそうだ。
そして男爵城の中に関する情報はまるで手に入らなかった。
町の住民が出入りすることは禁止されており、徴発された兵士たちは町に戻ってこないのだという。
田舎の城にはあまりにも不自然な厳戒態勢だ。
男爵城に入る伝手を探すも見つからず、公式訪問を願う手紙には返事が来ない。
アンジェラは男爵が黒だと確信した。
表には出せない隠し事を城内で進めているからここまで隠すのだ。
問題は次の手だった。
いよいよ城に入らねば情報は得られないが、アンジェラは優れた治癒魔法の使い手であって忍び込むのはやったことがない。
状況を聖騎士団本部に報告して判断を仰ぐとともに、なんとか潜り込む方法はないかと人の動きを調べ続けた。
城には酒や肉などの食料が毎日運び込まれる。
町の商人が荷車に乗せて運んできた食料は、城門の前で検品されて兵士に引き渡され、別の荷車に移し替えられて城内に運ばれる。
商人は城内に入ることがない。
城門は複数の兵士に守られ、さらに見張り台からの監視もある。
潜り込む隙は見当たらなかった。
どうにも手詰まりだ。
城門に続く通りの寂れた商店街を一人うろつきながらアンジェラは城門に目をやる。
「こんなときにハインツだったらどうするのかしら」
心中でつぶやく。
彼だったらまっすぐに入ろうとしてすぐ戦闘になってしまっただろう。本当に馬鹿だから。
でも最近はいい方にまっすぐかしら。
そう思うアンジェラは自然と微笑みを浮かべてしまう。
ハインツは魔族との諍いを調停するのが任務だった。
苦労して進めていたのに、勇者がやってきてなにもかも消し去ってしまう。そんなことが何度も続いてハインツは心を殺すようになり、やがて魔族をいずれ消え去る対象としか見なくなっていた。
それが勇者ヴァールと出会って以来、 聖騎士団の力で人々を守護するというまっすぐな思いを彼は取り戻したようだ。
学校で共に励んだ修業時代、彼のそんな思いに励まされて自分も厳しい訓練を成し遂げ、神官の地位を得た……
そう思いかけて、アンジェラは頭をぶるぶると振る。
あんな馬鹿のことなんて関係ないのに。
それにしても城内で伝染病でも流行ったりしないかしら。そしたら呼ばれて入れるかも。
「そりゃあ、いい考えさね」
いきなり声をかけられて、商店街の通りで物思いに沈みかけていたアンジェラはぎょっとした。
目の前に少年がにこにこと笑いながら立っている。
整った顔立ちで髪は真っ白。
ゆったりとした白い服装は聖教団高位者の証。
若い見た目なのに老いた風貌。
アンジェラは驚きに目を見開く。
「おじいちゃん、どうしてここに。御付きの者が見当たらない…… また徘徊かしら」
おじいちゃん呼ばわりされた少年は特に否定もせず、
「一世が王に用事があって探しておるのだ。はてさて、どこに行ったのやら」
「やっぱりぼけて…… はてさてはこっちのセリフですよ。王は王都に決まってるでしょう。どう探したらこんな北の果てにまで来るのかしら」
「三世が、そろそろエイダも連れ帰らねばと言うておる」
「エイダって、あのエイダ・タチバナのことですか? 全然場所が違いますよ、彼女なら森の奥、ここはゴッドワルド男爵領」
にこにこしていた少年の目が突然重く据わった。
沈んだ声で、
「ここでうまくいっていないと報せてきたのは君ではないか」
アンジェラは背を伸ばして、
「本部に報せたのであって、枢機卿に来てほしいなんて言っておりません、サース五世猊下」
「ふん」
少年はまた元の軽い調子に戻り、
「一世がなあ、ここはわしらの出番と言うておる。鬼が出たそうではないかい」
「はい、それで城内を調べたいのですが、どうしても入れなくて」
「さきほどアンジェラが言うとった手を使ってみるかい」
少年、サース枢機卿はすたすたと城の方に歩き出す。
「ちょっと、おじいちゃん、危ないですから!」
アンジェラも慌ててついていく。
城門の前には長槍を持つ兵士が四人並んでいた。
「何者だ!」
近づいていくサースとアンジェラに槍を向けて誰何してくる。
さらに見張り台二つからは弓兵がサースたちに狙いをつけている。
サースはにこにこしながら、
「わしは流行り病に詳しくてなあ。お主らの顔色、どうも悪い病気にかかっておりやせんかい」
「ふざけるな!」
兵士が槍を突きつけてきたのに、するりとなにげなく懐に入り込んだサースは兵士の顔を見上げて、
「ほれ、やはり目に悪い血が流れているではないかい」
「適当なことを言うな!」
「早うせんと手遅れだぞ」
「どんなことがあっても印がない者を入れてはならないと厳命されている!」
「印とはなにかね」
「印は印だ!」
押し問答になって、これ以上は堂々巡りだった。
サースは相変わらず笑顔を貼り付けたまま、
「わしらは寺院におる。病気が重くなったらいつでも呼んでおくれ」
あっさり引き下がって、少し離れたところから見物していたアンジェラの元に戻ってくる。
「寺院でお茶にしようかい。最近、わしはお茶の淹れ方に凝っておってな」
そう言うサースの後ろ、先ほどまで話していた兵士がいきなり口から泡を吹いて倒れた。
他の兵士たちは驚き、倒れた兵士を遠巻きにして槍で叩いてみたりする。
反応がないのを見るや、彼らはサースに命じた。
「おい、こいつを寺院に連れてけ!」
サースはにこりとして、
「喜んで」
少年にしては驚くほどの力で倒れた兵士を軽々と抱え上げて背負い、寺院へと歩き出す。
「おじいちゃん、腰は大丈夫なのかしら」
「なに、この身体ならまだまだ若い者には負けんぞ、なにせ若い、ぴちぴちさね」
アンジェラは小声で、
「この人どうしたのかしら」
「ううむ、胃に針が刺さる病ではないかい」
アンジェラは苦い顔をする。
「あんまり人に針を刺すものではないって前から言ってるでしょう」
「釘を刺したほうがよかったか。任務には必要なことだ」
サースの声が暗く沈む。
寺院に着くと、連れてきた兵士を治療台に乗せてアンジェラは調べ始める。
「印って言ってましたわね。持ち物にも身体にもそれらしいものは見当たらないかしら」
「わしはそろそろお茶にしたいのだが」
意識を失っている兵士の腹にサースは手を伸ばし、そこから針を引き抜く。
目の前にかざした針は錆びてぼろぼろになっていた。
サースはがっかりした顔で、
「わしの大事な針が」
「そんなにぼろい針を使ってたのかしら」
「きれいに磨き抜いた逸品だったわい!」
アンジェラはしげしげと針を眺めて、
「もしかすると、印は身体の中…… 血が変異している……? 調べますわ」
各種実験道具を棚から取り出してきた。
兵士の血を抜いて調べ出す。
「お茶はせんのかね」
サースの問いにもアンジェラは無言だ。集中しきっている。
サースは懐から缶を取り出して寂しそうに眺める。
「孫と飲むお茶を楽しみに来たのだよ、わしは」
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