ただでさえ大きな鬼王は土砂をまとってさらに巨大化し、その掌中にヴァールの入った防御結界を捕らえている。
冥王の命令によって鬼王はヴァールを潰しにかかる。
途轍もない力によって防御結界は押し潰されていく。
「バオウよ、すまぬのじゃ」
ヴァールは聖剣を構え、防御結界越しに鬼王の掌を突き刺した。
鬼王の強固な肌をひっかく程度の刺さり方だ。
だが聖剣は掌から生命力を吸い取り始める。
鬼王は反射的に防御結界から手を離す。
「盾よ、来るのじゃ!」
防御結界の周囲を魔王の円盾が取り囲む。
「無意味なことを!」
ネクロウスの嘲笑う声。
「雷よ!」
円盾に魔法陣が生じ、回転し始める。
円盾から電気が生じる。
聖剣にも魔法陣が生じ、こちらは逆回転する。
「雷撃など無意味! 鬼王が雷の属性も持つことをお忘れか!」
「狙うのは鬼王ではない。勉強が足りぬぞ、ネクロウス」
急速に防御結界が拡大する。
防御結界は鬼王にまで広がり、包み込んでいく。
「愛しき君よ、何をなさる!?」
「風よ!」
ヴァールの周囲に風の魔法陣が生成される。
魔法陣から渦巻く風が生じて防御結界の中を吹き荒れる。
鬼王の巨躯をはるかに超える超大型の防御結界が、すっかり鬼王を包み込んでいる。
その結界の中、荒れ狂う竜巻が鬼王を捉えて浮かび上がらせる。
鬼王は唸り悶え、手足を振り回す。
しかし宙に浮いていてはどれほどの力があろうとも文字どおり手も足も出ない。
「物理封じじゃ」
「まさか、このような風をどこから」
「この水は海に近いところから持ってきたであろ。塩気を含んでおる。そこに雷撃するとじゃな……」
電気を放っている円盾と聖剣の周囲が泡立ち、気体を生じている。
「燃素と塩素の気体となるのじゃ!」
電気分解された混合気体が防御結界を満たしているのだ。
鬼王の鋼色に輝く肌がくすみ始める。
「燃素と塩素は合わされば強酸となる。鋼の身体には大敵じゃ。支配を解いて投降するがよいぞ」
ヴァールは風のマントを使って防御結界の中を浮遊しながら仁王立ちのポーズだ。
「さすが、さすがさすが愛しき君! こちらもとっておきの奥の手を出すしかありません! 死せる魔神たちよ、よみがえるのです!」
ネクロウスの声が響き渡ると、広間のあちこちから奇怪な咆哮が応えた。
軋む音を立てながら、死んでいたはずの巨大な魔神群が動き出す。
鎌のような二本腕に四本足で頭がない奇怪なもの、龍面人身で蝙蝠のような翼を持つもの、八本足で蜘蛛のように歩くもの、様々に奇怪な姿を持つ魔神たちだ。
「ご先祖の亡骸を冒涜するかや!」
ヴァールが怒りの叫びを上げる。
「……所詮、あなたも死霊操術をご理解されないのですね」
ネクロウスの恨みがましい声。
「手を出してはならぬ領域があろう!」
「そのような禁忌に縛られるから、だめ! だめだめだめなのですよ! 愛しき君を枷から解放して差し上げましょう!」
魔神の群れは、水中を漂うエイダたちの防御結界に狙いを定めた。
攻撃態勢で水中を進み始める。
「ぬうう!」
鬼王を風で押さえ込んでいる最中のヴァールは身動きが取れない。
その時、水中に新たな声が響き渡った。
「ねえ、大ピンチだよね? 勇者の癖にざまあないよね?」
それが誰の声なのかヴァールはすぐに気付く。
「ぴんちとはなんじゃ」
「そういうことじゃなくて、困ってるよね?」
「大困りじゃ」
「助けてほしいよね!」
「汝が頼りじゃ、ジュラ!」
「よっしゃあ!」
広間の入口周囲が爆発するように砕け散る。
そこから黄金の海龍が現れる。ジュラの長大な龍身だ。
「水中はあたいのシマだぜえ!」
黄金の龍はうねりながら突進。
「仮身多重召喚! 来やがれええ!」
亜空間の門が次々に生じて、そこから続々と龍が現れ出でる。
青色、水色、白色、黒色、色とりどりだ。
いずれも数十メルもの長さを持つ。
「皆の守りを頼むのじゃ!」
「つまり、このデカブツたちをやりゃいいんだろお!」
ジュラは自分の龍口から衝撃波を放つ。
魔神の八本足に命中、バランスを崩させる。
だが他の魔神が鎌のような腕を振り回してジュラを狙う。
ジュラは長い龍身を振り回して魔神にぶつける。
鎌に傷つけられながらも魔神を吹っ飛ばす。
魔神は胴体がへしゃげて、水中に銀色の血を流す。
「ジュラ!」
「これぐらいかすり傷なのだあ!」
龍面人身の魔神が槍状の長大な得物を構えた。
魔神は龍たちが放つ衝撃波を盾で受けながら、槍を突き立ててくる。
龍の一頭に深々と刺さり、龍は無数の魔法陣に分解して消滅。
この龍たちはジュラが召喚で作り出した仮初の魔法術式存在だ。
「よくもお!」
ジュラは龍口から細く集束した超音波を放つ。
超音波は魔神の盾を切り裂き真っ二つにする。
そこに龍たちが衝撃波を集中砲撃。
魔神の身体は砕けて銀色の血が広がる。
「随分と騒がしいようだな」
戦闘が行われている水中は土砂でひどく濁っている。
防御結界の中にいるレイラインたちには何が起きているのかよく見えない。
だが、その彼らを金色の龍身がぐるりと囲んだ。
ジュラが彼らを守っているのだ。
魔神の群れが一斉に押し寄せてくる。
ジュラはぐるぐる回りながら両手両足の爪で魔神たちを切り刻む。
しかしさすがに多勢に無勢、龍身に取りつかれ始める。
魔神たちの手や足が絡みついて、とうとうジュラの動きが止まった。
「大ピンチだ、そう思うだろお?」
ジュラの全身が赤く発光、燃えるような高熱を発した。
周囲の水が煮えたぎる。
魔神たちの手足が高熱に溶解し始める。
離れようとする魔神たちをジュラの龍尾が薙ぎ払う。
さらに他の龍たちが衝撃波を集中砲火。
魔神たちは軋み、歪み、千切れ、砕けていく。
しばらくして水中は静かになった。
魔神たちは残らず斃され、銀色の血が水中に漂う。
「どうだ見たかあ勇者! これがあたいの力だあ! その鬼もやってやるよ!」
ジュラが元気よく叫ぶ。
鬼王を防御結界の中に捕らえ続けているヴァールは困っていた。
投降する気配はなく、鬼王の身体は強酸に侵されていくばかり。
「バオウを拘束してくれぬかや」
「拘束なんてぬるい! ぶっ殺させろおお!」
ヴァールは悲しい目でジュラを見た。
「バオウは汝の母の親友じゃぞ」
「な…… なんだとお…… 母上の…… ……分かったよ」
ヴァールが巨大な防御結界を解除すると、落ちてくる鬼王の手足に龍たちが噛みついて動きを封じた。
ヴァールは小さな防御結界を張り直して自身を守る。
「後はネクロウスじゃが…… どこに隠れておる?」
戦いが終わり、水中の土砂も沈殿していって、水の透明度が少し上がる。
防御結界に守られていたアンジェラもほっと一息をつく。
龍の群れ、捕らえられた鬼王、魔神たちの残骸が見える。
そして水中に漂う銀色の血。
「銀色の血!?」
アンジェラの脳裏に、男爵城の怪しい施設で見た光景がよみがえる。
銀色の血を様々に加工していた。
正体不明ではあるが、鬼や兵士の支配に関わるろくでもない代物であることはわかる。
「勇者様、その銀色は危険です!」
アンジェラは叫ぶが、水中にいるヴァールには届かない。
ジュラの胴体には傷ができている。
「ジュラよ、その傷は大丈夫なのかや」
心配するヴァールにジュラは元気満タンで、
「だあから、かすり傷だって。こんなのどうってこと…… あれ?」
ジュラの動きがぴたりと止まる。
「身体が動かせない……?」
水中を漂う銀色の血が、ジュラの傷口に寄り集まっていく。
「どうしたのじゃ!? 毒かや?」
「あたいの中に誰かがいる!」
ジュラの龍身が身もだえする。
「ぐぎぎぎ! こんなもの!」
ジュラが無理やり動こうとしたとき、傷口から銀色の血が入り込みだした。
「うぅ! ああっ!」
そこにネクロウスの声が響き渡る。
「勝負には何重もの保険をかけておくものです。この龍には我が血をあらかじめ与えておきました。まさか我が支配を打ち破りかけるとは思いませんでしたが、それもここまで」
「ぐぅ…… この声、海岸でご飯をくれた、あの時の男だなあ!?」
ジュラの龍身が苦しみにのたうち回る。
容赦なく銀色の血がジュラに入り込んでいく。
「あ……」
ジュラの目から光が消える。意志が失われる。
「ネクロウス!」
ヴァールが怒りの叫びを上げる。
ネクロウスは哄笑した。
「本来の計画では愛しき君の血をいただいて、その力をもってこの水を全て我が血に変えるつもりでした。地下を満たし、街に噴出させ、生者も死者も全て我が支配に収める予定でしたが、しかしまあ、いいでしょう。次の案に移行します」
ジュラの率いていた龍の群れが、術者からの魔力供給を絶たれて消失する。
「鬼を運びなさい」
ジュラは言われるがまま、その長い身体で鬼王を巻き取る。
「人質もいただいていくとしましょう」
ジュラはレイラインとエイダの防御結界をつかみ取り、広間入口へと泳ぎ出す。
「待つのじゃ!」
ヴァールが叫ぶも、待つわけもない。
ましてや龍は水中を最も速く泳ぐ生物だ。みるみる遠ざかっていく。
ヴァールは防御結界を解除し、足元に水の魔法陣を生成。生み出した水流を推進力としてジュラを追う。
入口を抜けると垂直な通路だ。
水に満たされたそこを、ジュラは破壊しながら泳ぎ昇っていく。
落ちてくる破片に妨害されて、ヴァールは追跡がままならない。
ジュラが衝撃波を放ち、通路を派手に破壊する。
破片の山が降ってきてヴァールは進めなくなる。
魔法で破壊するのは簡単だが、その向こうにいるエイダたちを傷つけかねない。
古代墓所入口を吹き飛ばし、水没地下都市にジュラが姿を現す。
その時だった。無数の煌めきが地上からジュラの手へと飛んだ。
ジュラはつかんでいた防御結界の一つを取り落とす。
煌めきは手裏剣の攻撃だった。
ジュラは落とした防御結界を拾おうとしたが、さらに手裏剣の攻撃が続く。
「まあ一つぐらいいいでしょう。さあ、ここからです。我が大魔王計画が始まるのは!」
ネクロウスの声を残してジュラは泳ぎ去っていく。
手裏剣を放ったのはサース枢機卿だった。
「王は大事な駒、渡すことはできぬ……」
ようやく地下墓所まで上がってきたヴァールは防御結界が落ちているのを見つけた。ジュラの姿はとうにない。
もはや追いつけないことは明白だった。
「エイダ!」
防御結界に急いで近づいたヴァールは中身がレイラインであることに気付いて肩を落とす。
「エイダ……! ズメイ……! ジュラ……! すまぬ、すまぬのじゃ。うう、えいだああああっ」
ヴァールはぼろぼろと涙をこぼす。
だが涙は水中に溶け込んで、見えることはなかった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!