新魔王城六階の大広間。
その中空に浮かび上がったエリカ=エイダの身体からは意志が感じられない。
彼女の身体を取り巻く空間の歪みはまるで無数の亡霊が集まったかのように叫び、呪い、壊れた魔法を放つ。
この空間の歪みこそが聖女神アトポシスと名乗る存在なのだろう。
もはや悪霊にしか見えないそれは完全に暴走状態だった。
<不正なアクセスを検知>
<エラーコード ERR307386-S>
<不正な動作です>
<返せ>
<問題を収集しています>
<問題を収集できませんでした>
<致命的なエラーです>
<返せ 魂を>
<サポート ATOPTSISに 不正 連絡してください データ破損>
<失敗 起動できません 失敗 失敗>
<エラー エラー エラー エラー エラー>
<不正 不正 不正 不正 不正>
<返せ 魂を 返せ返せ返せ返せ返せ!>
空間の歪みはのたうつようにヴァールへと近づいてくる。
ヴァールの指輪に転移しているエイダ=エリカの魂が引き寄せているのだろう。
「ヴァール様、急ぎましょう!」
「うむ、星の底に向かい、基底システムを修正するのじゃ! アトポシスを停める」
ヴァールのまとう魔装キルギリアが翼のようにマントを広げる。
大広間の窓が開いた。
城を覆っていた結界が消えており、蒼空が覗く。
「六階の管理権限を奪取したのダ。これで新魔王城は完全掌握ダ」
ビルダの声が響く。
アトポシスが暴走魔法を荒れ狂わせながらヴァールに迫る。
龍人ズメイが魔法結界でアトポシスの進行を妨害する。
龍姫ジュラも子龍たちを使ってアトポシスに衝撃波をぶつける。
巫女イスカが浄化結界を張る。
忍者クスミが暴走魔法を切り裂く。
バオウが拳を空間の歪みに打ち込む。
横たえられていたルンが身体を起こした。
血の塊を吐いてから苦しそうに身を起こし、立ち上がってよろよろとアトポシスへと向かう。
「ルン! 無理をするでない!」
「こんなに…… 面白そうなこと…… 仲間に入れてよ……」
ルンは魔力喰らいの能力を発動、暴走魔法を吸収し始める。
アトポシスの動きは鈍くなった。しかし止まりはしない。むしろ歪みはより激しくなっている。
「行くんだろ…… ねえ、こっちは任せてくれよ…… やられっぱなしはカッコ悪いからさ……」
ルンは笑ってみせる。
その強い覚悟を見てとってヴァールは頷く。
マントをはためかせてヴァールは浮上する。
「ここは頼むぞよ。ーーみんな、行ってくるのじゃ」
「無事の御帰りをお待ちしております」
「お姉ちゃん、がんばって!」
「気を付けてね……」
「よろしくお願いいたしますわ」
「魔王様万歳なのです!」
ヴァールは手を振り、窓から飛び出した。
ノルトンの町の上空に舞い上がる。
先の戦闘で破壊された町も復興が進んでおり、新しい建物の建築が進んでいる。
町の中央部からは世界樹がそびえ立ち、雲をも突き抜けている。
ヴァールの飛翔に気付いた子どもたちが手を振っている。その小さな姿にヴァールは手を振り返す。
ヴァールは高度を上げた。
ノルトンの街を越え、北辺の森に入り、一目散にヴァリア市へと飛翔する。
空気を切り裂く高速だが、結界によって静かだ。
眼下の森が猛スピードで流れていく。
ぐんぐん加速を続けて音速を越えた。断熱圧縮で空気が焼ける。
ふと、指輪のエイダが疑問を呈する。
「ヴァール様、この服はなんですか」
「なにってキルギリアじゃが」
「妾は吸血王キルギリアである。今は魔装として我が妹背と共に在る」
キルギリアが名乗りを上げる。
「はじめまして、キルギリアさん。あたしはヴァール様の伴侶、エイダです」
エイダは挨拶をしてから、
「ーーヴァール様、伴侶のほかに妹背も作るんですね? どういう意味かご存じです?」
凍り付くような声だ。
「う、うむ、二人で生きるとか、二人で心をちぎるとか、そういう意味であろ」
「二人ですよね、二人。三人じゃないですよね」
「魔王たるもの、愛が多いのは当然」
キルギリアが言いかけたが、
「伴侶の話をしているので妹背は黙っててください!」
エイダにびしりと言われて静かになる。
飛びながらもヴァールの額に冷や汗が浮かぶ。
「別に、余はキルギリアを妹背に選んだのではなくて、キルギリアが言っておるだけ」
「それはヴァール様に尽くしているキルギリアさんに失礼です!」
「ご、ごめんなさいなのじゃ」
「そろそろヴァリア市であるが」
キルギリアが割って入る。
「……じゃあ、この続きはまた後で」
「う、うむ」
ヴァールは高度を下げてヴァリア市に向かう。
かつては廃城があっただけのヴァリアだが今や広大な市街が広がっている。
森の中に築かれたので、木造の建物が多く立ち並ぶ。
最初はギルド会館と小さな宿がある程度だったのに、大きな商店やホテル、繁華街、商業街、倉庫街、工業街とびっしりだ。
エイダと二人で始めてここまで行きついた。
深い感慨を覚えたヴァールは、エイダの指輪をもう片方の手で抱く。
「ようもここまで築いたものじゃ」
「あたしたちがやったんですね……」
「余は取り戻した…… いや、それ以上じゃ。もう失いとうはない」
「はい、絶対に守りましょう!」
ヴァールは風を巻きながら急降下して、大通りに設けられた地下街入口に降り立つ。
行き交う人々がヴァールに気付いて笑顔になる。
「ギルマスちゃんだ!」
「ばっか、魔王様だよ!」
「勇者ヴァールに勝利を!」
「魔王様に栄光あれ!」
ヴァールは皆に微笑んで、
「みんな、ありがとうなのじゃ」
皆の声援を受けながらヴァールは地下街に降りる。
広大な地下街は魔法の光によって暖かく照らされている。
ここはかつてヴァール魔王国の首都だったが、滅亡の際に土深く埋もれてしまった。それが掘り返され、地下街として蘇っている。
人々が生活している様を眺めて、ヴァールは胸を締め付けられるような想いになる。
だが今は懐かしんでいる場合ではない。
地下街のさらに地下には神殿がある。神殿に降りるための入口をくぐると深く長い縦穴がある。階段は使わず、飛んで降りていく。
しばらく降りると神殿空間にたどりついた。
以前の戦いでネクロウスに破壊された魔神像はまだそのままだ。
神殿の霊廟には星の穴が祀られている。
星の穴は星の底まで通じているという。
星の底はかつて星の神がおわしたとされる神聖な座所だ。
入ることなど決してありえない。
だがヴァールはそこに降りていく。
神の領域に手を出さねばならないからだ。
星の穴は入口こそ井戸のように狭かったが、すぐに広くなった。
直径は数十メルほど、深さは果てしない。
ぽつりぽつりと明かりがある。
明かりに照らされて浮かび上がるのは魔神像だ。
明かりはよく見れば魔神像の一部が光っている。
無数の魔神像が折り重なり、地層となっている。
地下深く降りていくにつれ、精緻な魔神像から大きくて機械的な作りの魔神像へと移り変わっていく。
人や魔族が現れる前、かつて世界の支配者は魔神たちであったという。
ここの古い魔神像たちは星神の試作か、それとも支配者たちの死した姿か。
地下深くは高温のはずだが、この穴の中はむしろ低温だ。
静かで暗く冷たい穴をひたすら降下する。
穴の様子が変わってきた。
骨のような抜け殻のような白くて細い構造物が壁を埋め尽くしている。
降りるほどにその構造は複雑さを増す。
脳神経だけを石化すればこのような形になるだろうか。
「星神の骸かや」
ヴァールの声が殷々と穴に響く。
星神とははるかな太古にこの星でただひとつ存在していた生命体であり、星自体が生命体だったとされる。
この星を生命で満たすために自身の命を分け与えて星神自らは死した。
ここはその骸の中なのだろう。
長い長い穴を抜けて、遂に底までたどり着いた。
そこは球状の広大な空間だった。
白い光に照らされた空間は骸に包まれている。
ヴァールは途轍もない魔法を感知する。
ここは無数の微小な魔法陣で満たされているのだ。
魔法陣は連なり、つながり、組み合わされ、連合して機能し、分散して処理を行い、役割を果たしている。この星の生命管理。
星神が作り出した究極の魔法、生命の基底システムだ。
「基底システムの転生管理コードを修正し、セキュリティホールをふさぎます」
「うむ、アトポシスによる転生乗っ取りを不可能とするのじゃ。しかし、これほど複雑な魔法は見たことがないのう」
「ひとつ魔法陣をいじれば数えきれない魔法陣に影響して、ひとつ修正にしくじれば連鎖的に機能は崩壊しちゃいますね」
「しかもこのシステムを一時停止できないときておる。生命が滅んでしまうからのう。動かしながら修正するしかないであろ」
「そんなことができますか」
ヴァールはにやりと笑った。
「魔王とその伴侶じゃ。二人が力を合わせるのじゃぞ、できぬことなどない」
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