城下町の路上。
ヴァールは信じられない思いで立ち尽くしていた。
ジリオラから男爵城の場所を聞き出し、、虎猫キトと共に出立したのがつい先ほどのこと。ジリオラは授業が終わったら案内するから待ってと言ってくれたが、急ぎたかったので押しきった。
お弁当にもらったパンの包みを片手に提げて、ヴァールはどんよりした空を見上げる。
荷物を背負ったキトがヴァールの周りをぐるぐる歩き回る。
「寺院を出て、まっすぐ歩いてから、右、左、右に曲がって、しばらくまっすぐ歩くと城が見えてくるのではなかったかや……?」
ヴァールの独り言にキトがにゃあと返事する。
またもや直ちにヴァールは迷っていた。
「きっとあっちじゃ!」
ヴァールは適当に道を決めて勢いよく歩き出す。
通りは閑散としていて人は見当たらない。
いや、正確にはヴァールの後ろに一人いた。
「どうしてそっちに行くんだ。逆だろ、逆。これでは寺院に戻ってしまうぞ」
建物の陰に隠れてヴァールを見ているサース五世である。
ヴァールが道を間違えるたびに歯ぎしりしている。
寺院でヴァールからかけられた言葉にサスケの人格が思わず涙してしまい、恥ずかしくて寺院を飛び出す結果となった。泣きはらしたまぶたが赤く腫れている。
サース五世はなんとかサスケの人格を押し込み、ヴァールが寺院から出てきたところを見つけて尾行してきた。
「ああ、もう、そっちじゃない!」
とうとう我慢できなくなって、ヴァールに声をかける。
ヴァールはきょとんとした様子で立ち止まった。
「さっきから見ていれば、男爵城はあっちだ!」
「さっきから?」
「そんなことはどうでもいいだろ!」
ヴァールはとことことサース五世に近寄って、間近から彼の顔を見上げる。
「ううむ、前にもどこかで会わなかったかや?」
見上げてくるヴァールの愛らしさにサース五世の心臓は飛び跳ねる。
萌え出づる想いに爆発しそうだ。
「俺は初めてだ!」
「そうかや……? 名前はなんというのじゃ」
「俺は枢機卿サース五世、聖騎士団の統括だ!」
ヴァールは小首をかしげる。
「ハインツやアンジェラの上司かや」
「そうだ、勇者ヴァール」
「ばれておったのかや。大事になりそうじゃから聖騎士団には黙っておいて欲しいのじゃが」
「俺に知られた時点で隠すも何もあるか!」
「サスケは怒りっぽいのう。あ、いや、すまぬ、サース五世じゃったな」
ヴァールはにこりと笑った。
「男爵城に行きたいのじゃ。道案内してくれるかや?」
サース五世は顔を真っ赤にしながら頷いた。
「俺が連れていってやる」
サース五世は情報の収集と管理が得意技だ。この町の地図など丸ごと頭の中に収めてある。
彼を先頭にして一行が的確な道を進み続けると、やがて男爵城が見えてきた。
サース五世は眉をひそめる。彼が先日潜入したときの男爵城とはずいぶん様子が異なる。
「どういうことだ?」
サース五世は家の陰に入って男爵城を伺う。
男爵城を隠していた高い城壁が半ば以上崩されている。
城の庭には多くの負傷兵が見える。上等な装備から見て、昨日の戦闘に参加した王軍の兵士たちだろう。
男爵城は形がずいぶんと様変わりしていた。まだ改築中のようだが、はっきり特徴が分かる形になっている。
「改築しているのか? まるで魔王城のように見えるが」
「魔王城?」
ヴァールが家の陰から顔を出そうとする。
「見つかるぞ、気を付けろ!」
サース五世は慌てて注意する。
だがヴァールは城を凝視している。
「あの塔、エイダが再設計していた形じゃ。やっぱりエイダはあそこにいるのじゃ!」
ヴァールが飛び出そうとするのを、サース五世は後ろから引っ掴む。
「陛下、慌ててはなりませんぞ!」
「へいか?」
「う、言い間違えたのだ、勇者ヴァール!」
ヴァールはワンピースを後ろから掴まれてじたばたする。
「エイダを、ジュラを、バオウを助けに行くのじゃ!」
「……あいつらのことばかり。俺のことはどうなのだ」
「なんじゃ?」
「なんでもない! このまままっすぐ行っても王軍に囲まれるだけだぞ!」
「また蹴散らせばよいのじゃ! ……いや、そうもいかぬかや……」
そのとき虎猫のキトがにゃあと鳴いた。
キトは足音を立てず、気配を殺して男爵城へと進んでいく。
途中で一度振り返って、任せろとでもいった顔をヴァールに見せる。
「行ってくれるのかや、キト。エイダにつなぎを頼むのじゃ!」
エイダの言葉に応えるように、キトは無言で鳴いてみせてから城へと入り込んでいった。
◆男爵城 工事現場
エイダは工事現場で鬼魔族を相手にきびきびと指示を出していた。
鬼魔族はエイダの建築指示を聞くようにと男爵から命令されている。
それをいいことに、エイダは思うがままに改築を進めていた。
ゴッドワルド男爵と自称将軍のボーボーノがまた工事を眺めにやってきた。
「がはは、見事ではないか我が城は!」
「ははあっ! おっしゃる通りで! ただ、その、あの設計図とはどうも違うような気がするのでげすが」
ボーボーノは城を見上げる。
男爵も見上げる。
「そう言われてみるといささか違うようだな」
「おい小娘、どうなっているのでげす!」
ボーボーノがエイダに向かって声を張り上げる。
エイダがぎろりとボーボーノをにらみつけた。
ボーボーノは威圧されて後ずさる。
エイダは堰を切ったように語り出す。
「より美しい設計に変更したんです。これはあの魔王城を再現した設計です。完璧なかわいらしさと美しさと威厳を兼ね備える偉大な城主に見合ったエレガントな建築が求められているんです。分かりますか、ああ、分からないんですか。三百年前の荘厳な古ヴァリア様式をベースに、今のヴァール様のかわいらしさも表現すべく流麗な南ウルスラ様式の塔も取り込んであるんです。魔王城を研究する際に徹底的な比較調査を行っていた成果です。建築場所は元の場所を想定していたんですが、これからの発展を考えるとより交通の便がいい場所に行政府を置くというのはいいアイディアでした。このノルトン川流域は交易に便利で、地下トンネルの空間圧縮通路を使えばヴァリアにも近い。これはお手柄ですよ。きっとヴァール様にも喜んでいただけるはずです」
エイダは大きな胸の前に腕を組む。
男爵とボーボーノは顔を見合わせる。
「ボーボーノよ、この小娘は我が人質だよな?」
「へ、へい、そのはずでげす」
「おい、小娘、お前が作っているのは俺の城なのだよな?」
「はあ?」
エイダは男爵を睨み据える。
「どの面下げてそんなことが言えるんです? この魔王城はヴァール様のための設計なんですよ。あなたの居場所なんてありません。おこがましい」
男爵は額に青筋を走らせ、懐から銀の仮面を取り出す。
「ふざけおって、貴様も俺の下僕に変えてしまうぞ!」
エイダは冷笑を浮かべる。
「下僕なのはあなたじゃないんですか。調べたんです。その仮面、いつでもあなたを操れる端末ですよ」
「な、なんだと?」
「私が支配の指輪を使おうとしたとき、魔導師から身体を支配されかけました。その仮面も同じ支配用でしょう。あなたは魔導師の道具ですよ」
「この俺様、大魔道男爵がネクロウスの道具だと! 奴は俺が拾ってやった手下にすぎん!」
男爵は激昂する。
ボーボーノは追従笑いを浮かべて、
「その通りでげす。やい、小娘、ふざけたでたらめを抜かすな! ネクロウスは三下で下僕で使いっ走りで!」
そこにネクロウス当人がやってきた。
ボーボーノはバツが悪くて口をつぐむ。
深くローブを被ったネクロウスの表情は分からないが、苛立った様子だ。
ネクロウスは激しく不機嫌そうに言う。
「これは一体どうしたことなのです。負傷兵だらけではないですか」
「それがどうした。王軍に恩を売る機会だ」
男爵が怪訝そうに答える。
「そういうことではないのですよ。よく見てください」
ネクロウスは城の庭に並んだテントを示す。
そこでは負傷兵たちが並んで治療を受けている。
「分からんな。怪我人がこうも多いと時間はかかりそうだが」
「そこですよ! この兵士たちはどうして死んでいないのです! あの大規模魔法で! あらゆる属性攻撃が吹き荒れた後で! 地形が変わるほどの猛威で一軍が壊滅したのにですよ!」
男爵はきょとんとする。
言われてみれば、怪我人たちは魔法傷を負っていない。擦り傷に打撲が大半のようだ。
ネクロウスは叫ぶ。
「あれは逃げ出したときに自分で負った傷です! 魔法はただクグツや武器、鎧を攻撃しただけ! 人間全員に防御結界がかけられていたのですよ! ああ、遂に一線を越えてくださったと! 人間は滅ぼすべき相手だとようやく認めていただけたと思ったのに! 魔王よ、あなたはどうしても変わらない! 優しすぎるのです!」
「ネクロウス……?」
男爵とボーボーノは戸惑う。
「それってヴァール様のことですか!? またそんなに魔力を使っちゃったんですか!」
エイダがネクロウスに掴みかかった。
「ええい!」
ネクロウスはエイダを振り払う。
「こうなったら、最終計画を発動します。王軍と宰相を支配するのです」
男爵とボーボーノは青い顔になった。
「お、おい、宰相閣下に手を出すなんぞ、ただではすまんぞ。正気かネクロウス」
「正気など無用」
「しかしだな」
「なんですか。あなた方はもう用済み、邪魔するようならば支配しますよ」
「ひっ!」
ネクロウスの刺すような怒りに、男爵とボーボーノはすくみ上がる。
ネクロウスはずかずかと去っていく。
「きっとまたヴァール様は魔法を使い過ぎてる。急がなきゃ」
エイダはまた鬼魔族たちに建築指示を出し始める。
残された男爵とボーボーノは茫然として、
「俺たちはどうしたら……」
エイダは二人に目をやって、
「人数が足りないんです。もっとよこしてください」
「は、はい!」
そこに、とことこと虎猫がやってきた。
「キト!」
エイダはキトを抱き上げる。
「そう、あなたはきっと使いなのね。ヴァール様に伝えて。あたしにはもうちょっと用事があるからお待ちくださいって」
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